はてなキーワード: 後出しジャンケンとは
世間では東京都の条例が話題になっているが,もっと強固かつ凶悪な規制を行っている主体について,何故かスルーされている。出版社のことだ。
「面白ければジャンプは全部載せる」などと言ったそうだが,パンチラや擬似フェラは面白くてヤミたんの乳首は面白くないということだろうか?んなわけない。ジャンプでは現に性表現が規制されているのであって,その基準がもし「面白いか否か」だったならば,これ以上に曖昧かつ恣意的な基準はない。結局のところ件の発言は,実際には「面白く,かつジャンプの性表現規制に引っかからなければ,ジャンプは全部載せる」と言うに過ぎない。自らが行う性表現規制を棚に上げ,あたかも性表現の守り手であるかのように発言するのは欺瞞も甚だしい。実際のところ,面白くない漫画が規制されている点で東京都よりも厳しいのだ。
だいたい出版社が行う規制のことを世間では「自主規制」と呼んでいるが,出版社から見れば「自主規制」かもしれないが,作家から見れば出版社は他者である。作家の表現の自由の観点からは,出版社による規制は「自主規制」ではない。「放送禁止歌」の放送を禁止したのは,美輪明宏ではなくテレビ・ラジオ局なのだ。
しかもこの規制は,強固かつ凶悪だ。この規制に逆らえば,流通制限どころか出版自体が事前規制によって不可能となる。しかもその影響は作品単独にとどまらず,作家について属人的に,出版が規制されることさえあるのだ。「同人で書けば良い」等というのは嘘だ。正規の流通ルートに乗らなくなっても問題ないというなら,東京都の条例もまた問題ないことになってしまう。
こうした事前規制が,不明確な基準によって行われている。各雑誌の出版コードや成人向け指定の境界について,明確な基準があれば教えて欲しい。不明確な基準の萎縮効果はさんざ論じられているところである。
それだけではない。事前規制を潜り抜けても全く安心出来ない。担当と相談の上でヒロインとの和姦を描いたら,妊娠・結婚での打ち切りを余儀なくされることまである。大学進学やライバルといった伏線は全て台無しだ。出版社の規制の場合,後出しジャンケンによって,作品の内容すら枉げられてしまうのだ。
だいたいこうした規制の根拠も不明だ。ジャンプに乳首を描いたりマガジンで和姦を描くと犯罪が増える等ということが,科学的に証明されているだろうか?
それに,規制の根拠は別の方向からもやはり不明だ。成人向けとそれ以外とは実際のところ「消し」の大きさで区別されているが,仮に性表現による何らかの「悪影響」が認められるとしても,その多寡は消しの大きさで決まるだろうか?つゆダクや暴想処女やナナとカオルやNIGHTMARE MAKERやえんじがかりに比べ,性本能と水爆戦の「悪影響」の方が大きいなどとどうして言えるだろうか。消しの大きさという基準は,規制されるべきでない作品まで成人向け指定されてしまう点で,目的達成のための合理的関連性すら認められない代物だ。
しかも成人向け指定がされていても,なお消しを入れなければならない。しかも,消しをどの程度入れるかについて,やはり明確な基準はない。今日の基準はクリトリスに髪の毛一本分の黒線を引けば良いという程度のものであり,ここまで緩和されたことで単なるクンニや手マンを超えて栗吸いや膣内での指曲げといったより精緻な表現が可能になり表現の幅が広がったのであるが,こうした表現が可能になったのはつい2〜3年前の話だ。この間に基準が改められる明確なアナウンスがあったわけではない。つまり,つい数年前までの作家は,不明確な基準のために表現が萎縮していたのだ。
どうも女々しくて政治家としては好きになれないな。
下記は本日までの彼の発言等。
「総理大臣を務めた場合、退任後の衆議院選挙には出馬せず議員辞職する」と発言
↓
総理就任
↓
↓
総理を辞任(当然の流れ)
↓
↓
↓
民主党代表選で妙な動きをし、「いったい僕はなんだったんだろう」と不思議な事を言い出す
↓
今回の尖閣諸島の問題で「自分の首相の時代に温家宝首相との間でホットラインを作った。それは菅首相に引き継がれているはずだ」と、まるでホットラインが自分の実績だと強調する始末
↓
そして「私だったら事件直後に、この問題をどうすべきか中国の温家宝首相と腹を割って話し合えた」と後出しジャンケン発言
そもそも恩があるから小沢を総理にしたいなんて話は国民不在のど~しようもない考えで、そんな理由で総理を決められたらたまらん。仲良しグループで学級委員長を決めるんじゃないんだからさ・・・・・・
ゆっくりと衰退の一途を辿っていくのをおもしろいと思うのもおかしいけど。
ここまでファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながら、どんどん自分の世界に没頭していく堂本剛と。
ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし、一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一。
対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか。
そして、5年後、10年後、彼らがどうなっているのか。
未来は見えない。
だから、興味深い、と思う。
ネットでのかくある論争(とも言えないほど、ただひたすらに平行線をたどる3つ(ないし2つ)のお互いに話を聞かない、押し付け合いっぱなしの話だけど)。
ネット上でのことなんて、リアルな世界の一部でしかないとも思うし。
実際、そこまで真剣に彼らを応援したり、解散要求を出したりしてるファンがどれほど居るんだろうとも思うけど。
それでも、そういう話がでる自体が異常なことだとも思うし。
ただ単に、どこかの熱狂的なファンが、なんかしらの思惑で煽っているだけなら、こんなに長く、根深いモノにはならなかったと思う。
常に、火種は剛の口から、行動から発信されていて。
それは、たぶん、剛自身が意図してない方向で、次々と自身のアンチを生み出している。
否、少なくともジャニタレでも、特異な行動をしたり、分かりやすいくらいに特別扱いをされていたり、仕事を真面目にやらないタレントは、Jr.、デビュー組に問わずアンチがつきやすく、嫌われるものだけど。
ここまで、本気でかつてファンだった人に嫌われるジャニタレは初めてじゃないかと思う。
と、先入観を抱かせるのもどーかと思うけど。
自分がもう嫌いっていうか、自担にはこういう風にはなってほしくないと思ってるし。
本気で近づかないでくれ、影響受けないでくれ!常に反面教師にしていてくれと願わずにはおれないもんで。
どうしても中立的な立場にはなれないんだな。すでに。
KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。
KinKi Kidsのファン。
堂本剛のファン。
堂本光一のファン。
同じじゃん、と思われるだろうが、全く違う。
KinKiのファンはグループのファンで、どちらか寄りとかがあったりはするが、少なくともKinKiのふたりとも好きな人たち。
こちらは、剛に心酔し、信者とまで揶揄されるほどのファンが多くを占めていると思われる。
が、ほとんどはKinKiファンになるので、本気で剛オンリーとなっている人は意外と少ないんじゃないかと思う。
たとえば、光一アンチ化するまでの剛オンリーは、そんなに居ないと思う。
こちらは、ほぼ半数以上が剛アンチを兼ね備えたファンだと思う。
剛を受け入れることができなくなって、KinKiファンを辞めざるをえなくなった、KinKiにいる光一を楽しむことができなくなった。
ある意味、病的なまでに剛を嫌い、ときにはそれ完全に思い込みじゃ。。。という持論も捲くし立てるけど。
少なくとも「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならないことを考えれば。
その時には脊髄反射的な反応もしょうがないと思うし。
逆に、そこまで嫌われる剛って何者だよ、とも思うが。
結局、クオリティがKinKiでの活動<光一のみの活動となっている現状を見ると致し方ないと思う。
そりゃ、剛ファンはKinKiに固執するよ。
かつて光一が作り上げたアイドルKinKi像を、はちゃめちゃにして壊し続ける剛の行動の結果が現状によく出ていると思う。
まあ、剛本人は壊していると思っても居ないし、剛ファンもKinKiファンも、きっとそう思ってるんだろうけど。
簡単に嫌いになれれば、それが一番楽な道筋だ。
でも、光一本人に嫌いになる要素がない。
ただただ、彼が一緒に仕事をしている剛を知れば知るほど、嫌いになっていく。
剛の言動に「どうして?」「なんで?」と疑問を持ち、考えれば考えるほど、嫌になっていく。
終いには、観ているだけで虫酸が走ったり、名前を見るだけで悪寒を抱くほど嫌いになるのに。
否が応でも眼に入る。
そして、剛が発言する度、行動する度、怯え傷つき、ますます拒否反応を抱く。
それでも、光一がいる、好きな人がいる、笑っている、歌っている、踊っている。
そんな状況、正直体験したこともないし、想像もつかないけれど。
ある意味で幸いなのは、年数を重ねる度に、KinKiが剛色に染められていったこと。
光一の表情が明らかに違うこと。
(まあ、KinKiファンはそう思ってはないし、それもファンの見方次第なんだろうけど)
KinKiで本気の光一を見ることが出来ないのならば、応援する必要はない。
大切な金銭を消費する理由はない。
そう判断をくだすことができたということ。
KinKiにとって不幸だったのは。
光一ファンが(一部でも)そういう判断を下してしまったこと。
下してしまえるグループに成り下がってしまったということ。
10代の頃に、芸能界で生きることを決意し、音楽に限らず、演出の勉強もした。
今の光一の仕事ぶりをみれば、並々ならぬ努力を10年以上重ねていたんだろうと推察されるほどに。
うまく廻っている時期があった。
それが黄金期だった。
剛があまりその辺に興味がなく。
のちに剛自身が「周りの大人達の言うことを聞いてきた」というようになる時期だ。
光一がメインとなって(しかし、それを必要以上にアピールすることもなく)。
スタッフと相談し、意見を言い切磋琢磨しながらKinKiを創っていた頃。
ファンも当然、剛もそうなのだろうと思っていた。
たとえ、コンサートで剛の顔色を伺いながら、今日のコンサートの出来不出来を伺うことに何の疑問を抱いてなくても。
のちに「おみくじコン」と揶揄されるKinKiコンでは、それが当たり前だった。
ファンは常に剛の顔色を窺う。
今日の剛の機嫌がどうかをまず確認する。
機嫌がよければ、コン中もにこにこしているし、MCでもよく喋る。
しかし、機嫌が悪ければ、ムスッとしたり、MCでは押し黙る。
コンサートが終わって「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねーw」とか「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」とか。
そういう会話が当たり前だった。
(否少なくとも、今でもそうだと思う)
ちなみに「ドーム規模の公演でもKinKiコンはおもしろい」そう思っていた時期もあった。
毎年行っていたツアーで、「今回はちょっと構成が間延びしてたよね、微妙だったなぁ」と感じるコンサートがあった。
光ちゃんどうしたのかな?と思ったら、雑誌で意気揚々と剛が「今回のコンサートはオレが演出した」と言っていた。
お前かwwwwやっぱりだめなんだな、剛はw
で、当時は済んでいた(自分的に)。
でも、それから先、コンサートがおもしろくなることなくなった。
それから。
剛が「これからは戦っていく」という発言を皮切りに、KinKiに剛が意見を出してくるようになった。
それが、光一を含め、スタッフとお互いに納得するまで、とことん話し合い、意見を出し合い、そうして共通のKinKi像を成立させるために。
最強のグループにするためのものだったらよかった。
というか、普通そうだろうと思ってた。
そもそも、それまで剛が話し合いに参加していなかったのは。
剛曰く「自分は優しいから、周りがやって欲しいことに従ってきたから」で。
それは、光一やスタッフが「剛どう思う?」「こういうのはどう?」と意見を聞いてきたときに、ただ「それでいいと思う」と答えてきただけと推察されるわけで。
そんな剛が意見を言い出したら、ただの暴君だった。
後出しジャンケンのように、全てが終わった後で「自分はそんな風に思ってなかった」「ホントは違うことがやりたかった」という趣旨の発言を繰り返したと思えば。
そのうち「周りの大人が自分の意見を聞いてくれない」「僕は常に戦っている」と言い出す。
結局、自分の思うようにならなかったら機嫌を損ね、事後にメディアを使ってスタッフ批判、相方批判を繰り返す。
コンサートで口を開けば愛を語り、自分は優しく傷つきやすい人間で、しまいにはパニック障害や過呼吸症候群も持っていると病気まで持ち出す。
病気を持ち出されたら、何も言えない。
どうすることもできない。
ステージ上で薬を飲んでも、笑って踊らなくなっても、MCでダンマリを決め込んだり、光一を置いてその場から離れても。
ファンは心配することしか出来ない。
そして、ふと我に返る。
コンサートって、ファンを楽しませるためにあるんじゃないの?
なんで、剛の体調を常に気遣う必要があるの?
なんで、剛の機嫌を伺う必要があるの?
なんで、楽しむために来ているコンサートで、剛の心配をしなきゃいけないの?
気付いたファンは、疑問を抱く。
そうしてモヤモヤした気持ちを抱える日々が始まる。
光一がきている公演で「僕は長い間人間不信だった。バンドのメンバーに逢って救われた」と言ったこと。
光一の数々の音楽活動を知っているはずなのに、新聞で「光一は音楽に興味がない」と発言したこと。
自身のソロ活動でコンサートをする度、名前を変える度に、それまでやっていたことを完全否定すること。
ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所やアイドルに固執していること。
年齢を重ね、社会人となりそういうファンの前に、いつまでも成長しない剛があり続けた。
10代後半、20代前半なら笑って「若いからね」と赦される言動も、ファン自身が幼いために見過ごされる言動も。
どうしても引っかかってしまうファンが増えた。
31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言う剛。
若い頃から自分の未熟さを認め、多くのスタッフにぶつかり、若さゆえに否定され、それでも食らいついて努力を重ね続けた光一とは、すでに雲泥の差がついている。
それは傍から見ていても判るほどに、顕著だ。
彼が携わった作品に、全てが顕れている。
本人がどれだけ努力をしたか、どれだけの勉強をしたかを語ることがなくても。
出来上がったものが、全てを証明している。
私自身にとっても、エンタメを享受する人間として、理想とする「ショービズに活きる人間」の理想像は光一だったりする。
観客のために、ショーのために、最大限の敬意払い、努力をし、楽しんでいる人。
どんどん要求が高くなる観客を相手に、その要求、理想を満たすものを自ら生み出し提供し続けていけていること。
歌って踊って、自分のみならずステージに上がっている人たちを輝かせることができる人。
口先だけの言葉はすぐにバレる。
全部、作品に出るから。
しない、のではない、できないのだ。
剛が観客を巻き込む。
スタッフを巻き込む。
妄想かもしれない。
でも、結局、剛は自分を否定する人たちを残していかなかった。
誰でも見れる雑誌で、友達を否定し。
真剣に剛を想ってくれている人たちが、どれだけ周りに残っているんだろうかと思う。
仕事として、真剣な議論がどう想像しても成り立っているとは思えない。
そういう風にしか生きられない彼を可哀想とも思うし。
そんな彼と15年以上2人きりのグループとして仕事をし続けてきた光一を単純にすごいと思う。
(どう想像しても、私は絶対、剛とは一緒に働きたくない)
KinKiは衰退して行く。
KinKiファンが異常に、ふたりが接近することに歓喜することも。
ふたりが仲がいいことを望み、渇望し、そういうふたりを見せておけば納得するほどまでに、レベルが堕ちてしまったことも。
少しでも剛の批判をすればファンによる集中攻撃を受け、批判ではなく「愛あるダメ出し」や単なる批評であっても。
剛を否定することは許されないネット上の状況も。
光一ファンが異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいることも。
剛を心から愛し、ファンとタレントとして共に切磋琢磨しながら成長しようというファンがいないということも。
結局、剛も、剛ファンも、KinKiファンも、光一ファンも、みんなが光一を望んでいるということも。
剛やファンから、光一はたくさんの責任を背負わされ、それらによって批判も賞賛も得るけど。
剛はみんなが甘やかして、ちやほやして、いいよいいよーと褒め称えられるだけ。
どちらが不幸で、どちらが幸せなのか。
たかがジャニヲタの。
たかがいちアイドルグループの。
本当の実情なんて、メディアに出ている以外には知らない人間の戯言ですが。
すでにKinKiファンの間から光一ファンが立ち上がり、剛アンチが声を上げ始めてから4年ほど経つ。
これから先、彼らがどういった経緯を辿って、どんな未来に落ち着くのか。
こんなに興味深い観察対象はない。
ちなみに光一ファンを剛アンチ化した顕著な一例を付記しておく。
T「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」
K「ふ~ん、そうなんや」
T「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」
K「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」
T「ウソなんや(笑)」
K「知らなくはない(笑)。しかしこの曲、歌うと難しいな」
これがなんなの?と思っても、これでKinKiを捨てた光一ファンが確かにいる。
自分が好きなグループは、提供される曲をどうこうしてるということは全くないし、コンサートDVDの編集に自ら口を出すこともないけど。
こういう風にはなんないでね、と、勝手に思っている。(ホントに関係ないんだけど)
正しいかどうか分からないことを、正しいと信じて試して間違いだったと決まったとき、「奴らは馬鹿だったからあんなことしたんだ」という外野は手を汚さずに後出しジャンケンをしているようにしか見えない。
今間違っていると思っている人も、昔の時代にタイムスリップしたら、間違っているかどうか分からないだろうし、間違っていると思わない可能性がある。間違っていると言えるのは先人が間違ったからだ。我々はそこから学ばなければならないのであって、先人を一概に全否定すればいいという代物ではない。我々は何も知らなければ先人と同じ間違いを繰り返すことがありうるからだ。
それに、なぜ間違っているか分からないのに間違っていると言うことはおかしなことだ。それではおかしいと思う人たちが反対側に行ってしまうことを止められない。ネオナチや在特会なんか正にそんな感じだ。彼らを生みだしたのはレッテルを貼ることしか出来ていない世間に他ならない。
あげく正しいか間違っているかを証明しようとする努力を否定するに至っては訳が分からない。エスパーでもないのにやらずに間違っているか証明できるのか? 間違っていると証明してこそ、間違っているからやめろと初めて言える。
調査捕鯨の結果、ミンククジラは別に増えていないし、生態系に大勢に影響はないという結果が出た。このことについて「だから調査捕鯨なんてやるべきではなかったんだよ」という論者がいる。じゃあその論者はその結果を出すために何か努力したのか? してないなら偉そうに言うな。
調査捕鯨の問題は商業捕鯨の禁止を受け入れた結果生じたものであり、商業捕鯨の禁止の正当性を探るための、そして商業捕鯨の禁止を不当と考えていたからこその調査捕鯨だったはずだ。調査捕鯨は控えめに言っても証明のため必要なプロセスだったと言えるだろう。
これからは商業捕鯨の禁止は正当化されるだろう。ただしこれまでの調査捕鯨はプロセス的に必要不可欠だったし、失敗にもかかわらず、その失敗をこそ評価しなければならないはずだ。
私は「失敗した奴らは馬鹿だったからあんなことをしたんだ」的な論者を憎んでいる。彼らは知識に対するフリーライダーであって決して偉くないし、さらに悪いことに反知性主義者だ。そういう奴が正しさにフリーライドしているからといって、評価されることがあってはならない。何もしてないくせに何だ。さらにそういう奴らが説明責任を果たさないでネオナチや在特会を生むのを見るとますますムカムカしてくる。
M-1決勝で笑い飯が、チンポジネタを披露したことに何か意味を見出そうとしてる連中は病気か?
笑い飯は面白いよ、2002年の初登場時の衝撃は凄まじかったし、2003年の前年を踏まえた上での進化は凄かった。
今年の鳥人ネタはセンセーショナルを巻き起こして、みんな大好きだし、僕も好きだし、あの紳助も100点をつけた。
みんな笑った、お笑いオタも笑った、お笑いがよくわかんない人は首をかしげたかもしれないけど、それはしょうがない。
漫才やら芸人さんってのは、お笑い好きの連中が見て喜ぶジャンルの娯楽なんだから。
そして、そういうのを見て喜ぶ層ってのが結構いて、まぁそういう人らのために番組が作られるくらいにはマスなんだから。
で、笑い飯の二個目のネタがあんまり振るわなかったことに対して色々と意見がある人がいるらしい。
いやさ、普通にあんまりよろしくないネタ披露してちょっと滑って優勝できなかった、以上の意味あんの?
実はM-1とは、一番面白いお笑いを決める場ではなく、競技であったのだ!!!
とか、いまさら指摘して悦に入ってどうすんの?
そもそも4分ルールって時点で、ナイツの本気のネタは封印されるわけだし
さらに言えばコント主体のグループはその土壌にすら立てないんだし、
ってかMって漫才のMだし、結成して10年以内(色々抜け道はあるらしいが)のコンビが、4分漫才して
審査員達をいかに満足させるか、ってのは決まり切ってる話じゃなかったの?
日本で一番面白い人間を決めまショーじゃないのは、M-1第一回大会からしてそうでしょ。
あくまで4分間の漫才で、その日一番あの歴々たる審査員が一番納得する漫才する人らを決めましょう、じゃん。
そこを意図的に混同してんのか、わざと馬鹿の振りして無視してんのか知らんけど
「俺が面白いと思ったコンビあるいはグループがトップじゃないのはおかしい!」って
屁理屈こねくりまわして、自分自身のセンスをどうにか肯定させたがる人間はなんなの?
そういう人らがどうすりゃ満足して納得すんのかわかんない。
ついに究極的に、客観的には面白かったパンクブーブー、とか言い出すし。
それってすごい大衆的に面白くて、みんなが笑った素晴らしいコンビ、って意味でしかないと思うんだけど。
まぁさ、こういった個人の主観が介入しまくる、あるいみ芸術的なジャンルを100点制で点数つけることに対する異議
みたいのはわからんでもないのよ
オリンピックのフィギュアって、芸術点とかいう素人には解りづらい範囲で採点されてて納得できない!みたいな
でもさ、そこはもう「そういうもんだ」って納得するしかないじゃん
それ言い出したら、究極的には、国民投票しかなくなるけど
それしたらしたで「単なる人気投票」とかまたケチつけるわけでしょ。
M-1は、とりあえず大衆が納得する程度には説得力のある「審査員」が、100点満点方式で点数をつけて優劣を競う競技である、
というのは、第一回大会の地方の素人共が暴走したクッソみたいな審査で迷走していた、ってのをぬかせば
共通しているわけで、そこに今さら鬼の首とった様に文句つけて
ニッチなお笑い通ぶってる連中がケチつけてもしょうがないと思うんだけどねぇ。
お笑い通は、お笑いに詳しいだろうし、人一倍お笑いを愛してるんだと思うよ(とはいえ、M-1以外漫才を見ない、とか偉そうに宣言してた馬鹿もいるけど)
でもさ、それはもうメジャーな視線じゃないって理解しようよ
あるいは邦画にいちいちケチつけないと気が済まない、ハリウッド信者みたいなズレを感じずにはいられんわけよ。
だからってパンクブーブーがメジャーで売れっ子になって、笑い飯が評価されないかつったらそうでもないわけでしょ。
君らお笑いオタの、俺ってば本物を愛してるから、って連中に愛されてるならいいじゃん
お前ら本物好きが、本物が超メジャーになって、馬鹿のオモチャ(笑)になるのが耐えられんのかよ、って思うわ
笑い飯信者は、笑い飯が(信者的に)適切な評価を受けて、はんにゃや一時期のオリラジみたいになっても、また文句言うんだろ
どこの番組に行ってもMCに「ほなら、あのWボケやってみてーなw」って振られて、軽くネタやるみたいな状況にしたいんかっての
それはそれで、お笑いオタとしちゃ許せないんだろ?
ほんとめんどくせぇ病気だなぁ、と思うわ
亀田人気に文句言う長谷川ファンみたいな状況が、自分らも一番居心地いいって知ってるはずなのになぁ
アングラー(笑)で、俺だけが知ってる!俺たちの笑い飯!がどうなら満足すんの?
大メジャーになって、知りもしない歌手やバンドと絡む笑い飯が見たいの?
鬼の首とったように「見たいです!」とかレスポンスするやつがいそうだなぁw
本気でわからん。僕も笑い飯好きだからこそわからん。どうすりゃ満足なんだろう
あと、俺の語彙の貧弱さっぷりもすごいな、と読み返して思ったがどうでもいいや。山ちゃんにはなれないなぁ
※12/27の、誰も読まないだろうけどの追記。(どーせはてぶって好き勝手捨てコメするだけの場所なんだろ)
後出しジャンケン乙、って言われるのはもう分かり切ってるけど
同じ穴の狢だの、野暮だの、見えない敵云々だのは、ようわかる。
お笑いを語る、って時点でそういう土俵に立っちゃうわけだもんな。
「単純に笑えよ!」といいながら、お互い小理屈をこねくり回す、と。
笑えといいながら、笑わずに真面目ぶって、なんか人文崩れみたいな文章をこねくり回すしょうもなさね。
解るんだよ、それは。アホヅラさげてばっかみたいにアハハ、アハハって笑うのが大正解、ってのはわかるよ。
ただ、立脚点が違うよ。
相手は、つまんなかったもんを「面白いと思え!これが正解だ!!」つってて
僕は、つまんなかったもんを「つまんなかったよね」つってるだけ
その、つまる・つまらないの定義は知らんけど、僕は別に正解を求めてるわけじゃないし好きにすりゃいいよ
見えない敵がどーとか、おっしゃってた人がいらっしゃいますけれども
スゲェ単純に、チンポジネタを笑い飯がしかけたことに意味を見出したがるヤツが「敵」だよ。
あれを当人らが面白がってたに違いないから、俺と一緒にみんなもあのチンポジネタを評価しろ!ってヤツが「敵」だよ
だって、あれつまんなかったもん。
俺にセンスないの?でも、あれつまんなかったよ?全然笑えなかったし。
笑い飯自体が俺に合わないとか?
なんか文句あんの?俺に笑いのセンスがないとか?
そこまで、あなたに心配して貰う必要ないんだけどなぁ。
でもさ、二本目のネタはいまいちだったじゃん。なんかあんまり笑えなかったよ
あ、やっぱり、審査員もそういう評価なんだ。あー、よかった、俺も間違ってなかった。
笑い飯はすげぇ面白いネタも持ってるけど、残念ながら、決勝じゃネタチョイスミスって、失敗したんだなぁ。
また来年以降がんばってくれるといいなぁ。なぁ
ってんだけど、これ、なんか間違ってるの?
ま、お笑いオタでお笑い愛に満ちてる人らは頑張って僕らを啓蒙してくださいよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Rockridge/20090504/1241415765
http://b.hatena.ne.jp/HiromitsuTakagi/20090505#bookmark-13284789
HiromitsuTakagi セキュリティ, 事件, Firefox, NoScript うわ、最悪。NoScriptはどうも嫌な感じがすると前から思ってたが、作者が信用ならないことが明るみに出た。こんなのを一般の人に推奨するJPCERT/CCとかおかしいだろと前から思ってる。(US CERTも推奨しているが。) 2009/05/05
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.jumperz.net/texts/csrf.htm
http://b.hatena.ne.jp/HiromitsuTakagi/20090527#bookmark-1662791
HiromitsuTakagi セキュリティ, ニセ脆弱性, CSRF, 金床問題, bad ↓今もたくさん読まれているようだけど、根拠レスだらけの有害記事なので注意。当時沢山の指摘があったのにいまだに訂正していないのね。http://slashdot.jp/developers/comments.pl?threshold=-1&mode=thread&commentsort=0&sid=309361 2009/05/27
昔からそうなのかは検証してないが、後出しジャンケンで「俺は前から全く信用できないクソだってことを知ってたんだけどね(キリッ」と言ってくる芸風が目立ちつつあるな。
この後出しジャンケンみたいなまくし立て方にげんなりした。
問われれば答える。暗喩が理解されないのなら。ごく一般的な論議の仕方だと思うけど。
お前の言ってる事は正しいよ。だけど、一方的に正論をぶつけているだけだ。
で、あなた自身の意見はどこに?
■「空気読め」
http://anond.hatelabo.jp/20090401235551
※「いじめの話」と「空気読め」の話とは、少しの間だけ分けて考えて以下を読んでね。
※この文章は「空気読む事」を強要している訳ではありません、むしろそうしなくても良いヒントも書かれています。
空気を読むと言うと「他人と合わせる」事だと思う人が多いが、それは断じて違う。
空気を読むとは「相手を気遣う」という事。
相手を気遣うには「相手の事をよく知る」必要がある。
相手の事をよく知るには「相手の事を理解してあげる」必要がある。
空気を読めない人は、たいてい「相手に関心がない」ので「相手を理解していない」事が多い。
これが図星であれば、まずそこから直そう。
相手を知るにはどうするか?まずはひたすら相手の話を聞くしかない。
話を聞くと言っても、いきなり一人と向かい合うんじゃなくて、最初は複数人で喋っている内容を聞いているのが良いかな。
相手の話を楽しく聞くコツは、全てが自分の「雑学」になると思って聞く事。
聞いている内に「それは違う!」と思う事もあるだろうけど、否定する返しは「なるべくしない」事、相手が機嫌損ねて喋らなくなっちゃうからね。
※悪意がある事を言われた場合は別で、それは否定してOK
色々な人の話を聞いている内に、話の流し方を無意識に学んでいく。
話の流し方を知ると「相手の話の腰を折る」失敗が少なくなるので、これだけでも大分「空気読め」とは言われる確率が低くなる。
※おまけに、相手が喜ぶ会話の返しも学べるので、2度おいしい。
そうこうしている内に、共通の「やってはいけない事」がある事に気が付くだろう。
どんな人も、気遣いがない(空気読めてない)事で失敗することは必ずあって、それを「必ず覚えて」自分はやらないように努力する
「人の振り見てわが身を直せ」とはよく言った物だ。
…ここであれ?と思わなかった?
「誰でも気遣いがない(空気読めてない)事で失敗する事があるんだったら、なんでその同じ失敗に対して、それぞれ態度が違ったりするんだろう?」
これはいたって簡単な事。
普段相手に「気遣って」いる人は、その分量だけ相手の心の中に「好意ポイント」が貯金されて行く。
気遣いがない(空気読めてない)事をしてしまったら、その分量だけ相手の心の「好意ポイント」が消費されて行く。
「好意ポイント」が0以下になると、嫌われて悪意の言葉を受けることになる。
この時に悪意のこもった「空気読め」という言葉を食らう事になるが、このときの意味は「気遣わないお前は嫌いだ」と理解しよう。
※さらに、嫌われるという事は、いじめの対象になる確率が格段に上がるので2度不味い。
…何かヒントになったかな~?
●余談
常に多数側に合わせた行動をし、少数派を「空気読め」等と罵倒する勘違いしている奴が居る。
それは空気読んでるんじゃなくて、都合のよい人にだけいい顔している「お調子者」なだけ。
もしくは、自分の好む方向に物事を持って行きたい裏の意図が、表面化しただけ。
図星の人は反省する様に。
●余談2
いじめる奴は最低だし絶対やってはいけない…しごく当たり前で、みんな知っている正論だ。
だが本当にコレが分かっているのは「回避方法がない集団イジメ」を受けた経験のある人がほどんど。
なのでイジメに対して「お前の方にも問題有ったんじゃない」とか言う「他人事」のセリフを吐く奴が存在してしまう…正直、反吐が出る。
「おまえも集団イジメ受けてみろボケが、お前の想像しているイジメは甘すぎるんだよ!!」って思っちゃう。
※追記
いじめられた経験が無くても、いじめをしなかった人は「本当に分かってる人」です。
いじめられた経験があって、いじめをしている人は分かってない人です。
何をもってして「いじめ」かのライン定義が難しい所ですが「自分が認識できる限りのいじめはしない」という考え自体は良い事です。
●余談3
お、はてブに以下の様な質問が…良い質問なので反応してみる。
>あなたの気持ちが分からない、という時にそれを正直に告げると「空気読め」と言われる→論理エラー。みたいな話はどう処理するの?
それ、「好意ポイント」がマイナスなので、別な事で「好意ポイント」を増やす努力をして下さい。
「好意ポイント」が増えればそんな風に言われなくなるはずですよ?
●余談4
>直接聞くのはルール違反。」というゲームが「空気読め」なのかねえ。
「好意ポイント」がフルチャージになると、直接聞いてもちゃんと教えてもらえますよ。
人間皆、信用している人にしか本音言いませんからね。
●余談5
居ますねぇ、確かに…全ての人と仲良くするのは不可能です。
そういった方とはなるべく縁を切るのが良いのですが…そう出来ない場合の解決策は、私には分からないですね(汗)
※追記
自分の場合は、好意ポイントが溜まるか溜まらないかで、付き合いを続けるか切るかを決めています。
ただ、付き合いを完全に切る決断はあまり早い段階(小・中・高・大学生時代)ではお勧めできません、このへんはまだお互い心の成長段階が未成熟の可能性もあるので、付き合いを遠くする程度にしたほうが良いかと。
●余談6
>「空気読め」というフレーズは「AさんとBさんとCさんと……に気を遣え」じゃなくて「"みんな"に気を遣え」って感じだと思う。
「AさんとBさんとCさんと…」という話からしたのは、個々のケースを見て共通点を覚えていく事によって、自然と「みんな」にも気を使えるようになるという考えがあったからです。
●余談7
>これは山本七平的な空気の話ではなく良き人間関係を築くためのライフハック。
そんなはっきりとジャンル分けをする必要あるのかなぁ…ここに書いた事は、元増田に「どうしたらいい?」と聞かれたらこう答える、という内容を書いたつもりです。
言いたかったのは「良き人間関係を築く先」に「空気よめ」と言われない領域がある、という事(もちろんこれが全てに当てはまる訳では無いと思いますよ)
自分は昔、元増田と同じ悩みを抱えて色々考えたあげく、この方法でうまくいってるので事例の一つとして捉えてくれれば良いかと。
●余談8
>空気を読まないと良い人間関係が生まれないという誤解を前提に書かれている。人間として面白くないと言われて、別なイジメに発展しなければ良いけど。
>私的には、気遣ってくれてなくても、性格いい&知識豊富な人と喋ってる方が楽しい。
自分が今回書いたのは相手を気遣って「好意ポイント」を増やす方法。
もちろん「好意ポイント」を増やす方法は別にもあって、それが出来ているならあえて空気読まなくてもいいんじゃないかな。
強調したいのは、空気を読む事じゃなくて「好意ポイント」を上げる努力をしているかどうかって事。
●余談9
>相手を気遣うことが空気を読むことにつながる場合もあるが、必ずしもそうではない。
>例えば2chの場合、ネラーを気遣っても独自の文化を知らなければ空気は読めない。
2ch独自の文化を知って、それに習う…これも一種の「気遣い」ではないでしょうか?
●余談10
>良いはてブと思ってもらえるかはわからないけど、おたずねしたい。相手に関心を持つコツは?
>「これが図星であれば、まずそこから直そう」というなら、他人へ関心を持つ方法から始めるくらいでないとダメだ。
んー、コレに関しては自分の方法しか提示できないけどいいかな?
まず自分が相手に関心を持つようになった理由、それは「自分にも関心を持ってもらいたい」から。
自分は「寂しがり屋」だから特にそういう願望が強かった。
※追記:「なぜ自分に関心を持ってもらいたいのなら、相手に関心を持たなきゃいけないの?」という疑問に関しては、例を出すと「人の話聞かない人には、自分もその人の話を聞きたくないでしょ?」っていう単純な理由です。
逆に「別に関心持ってもらわなくて結構」というのなら「好意ポイント」を意識したり「空気を読む」事はしなくても良いと思う(この場合「孤立しやすい」と「人から認められづらい」という代償が付くけど…あまりおすすめできないなぁ)
で、その先の「人の関心を維持する」話。
人間、一人で同じ事してるとマンネリ化して暇をもてあます(やりたい事はいっぱいあるんだけど、気晴らしの物が無くなるという感じかな?)
でも色々な人と接すると、その人の「好きな物」を話される機会が得られる。
相手の「好きな物」の「楽しさは何処にある」かを聞かされるので、いままで見えなかった(見ていなかった)世界が見えるようになり、その途端それに対して興味が沸いてくる。
同時に、単なる「情報」として見るのと、人から「ここが楽しい」とセットで聞かされる情報はかなり違う、という事も分かる様になる。
これをしていくうちに、無関係だと思われたコレとコレに関連性がある事に気が付く(この内容の公開は、ネタ帳レベルの話になるので勘弁)
さらに興味が沸いてくる…このサイクルが維持できれば人に対しての興味が維持出来るんじゃないかな?
自分は、人と話す事によって、物事を上辺からだけ見ていて無関心だっただけなのか…という事を思い知らされました。
人間誰しも長所と短所があって、それを見るのが結構楽しかったりします。
特に短所に関しては会話でないと出てこない物がいっぱいあります(文章だと修正や見直しで短所を隠しますから、見えずらくなりますね)
●余談11
>その「相手を気遣う」という事の発展型が「他人と合わせる」事だと思うんだけどね、どちらにしろ同様の性質のモノ
>いやー、空気を読むって「常に多数側に合わせた行動」を取ることって意味になってるでしょ。
空気読む(相手を気遣う)のが重要じゃなくて、「好意ポイント」を増やす事によって「相手と合わせなくても、悪く言われる事が少なくなる」って事を書いたつもりなんだけどなぁ。
この「好意ポイント」は色々な方法で増やせるよね?要は相手に「無利子・無請求の貸し」をいっぱい作ってあげればいいんですよ。
逆に、好意ポイントを増やす努力もしないで人と合わせない、というのは「あの人はわがまま」というレッテルを貼られる危険性があるんです(それでも良い…というのなら、そもそも元増田みたいな悩みは出てこないんじゃないかと)
※追記
…あ!それとも「空気を読む」の「本当の意味」という趣旨で書いたのかな?
それはなんともなぁ…言葉って人によって意味のブレがあるし、時期によっても変わってくる物ですから。(言語学の誰かが言ってたけどソース忘れた)
ここには、自分が考える「空気を読む」の意味と、その対処を書いたに過ぎません。
もちろんあなたの考える意味も間違ってはいなく、ちょっと前のブクマで出てた「山本七平の空気の研究の本」で書かれている意味も間違っては居ないでしょう。
ただ、どれをチョイスするかはあなた自身で、幸せになるんだったらどれを選んでもいいんじゃないかなと思います。
●余談12
>余談を読んでいると、後だしジャンケンか言い訳が上手になっているだけにしか見えない。
そもそも、ココに対して書かれるレス文章の全てが「後出しジャンケン」なんだから、それはお互い様だよね?
そうしたくないんだったら、ここの内容に対してのレス文章を書くんじゃなくて「完全に自分の文章」を仕上げて掲げるしかないと思うよ?
>空気は読めるが、行間は読めないようだ。
はてな記法とか見てないから、行間調整方法も知らないのよね。
ってそいういう意味じゃなくて?行間を読めないという意味が良く分からない…。
●余談13
>間違った事言ってないのはわかるんだけど、 http://anond.hatelabo.jp/20090402142657 のような人間が阻害されるしかない、
>もしくは存在が織り込まれてない「気遣い」って何なのだろう
この様な「特殊なケース」を「前提」として書いていないので、こういう方の場合は、私が書いた内容は「当てはまらない」と思います。
>>発達障害を抱えているので、直観力というものが全く働きません。
こういった方の話をするならば、また別な内容の文章を作ると思いますよ。
ただ、私にはそういった方と接した経験が無い(もしくは相手が隠しているので知りえない)ので、どうしたら良いのかの文章は書けません…すみません。
経験した事以外を文章に書くのが苦手なのです。
※余談3以降を別の場所に退避しようと思ったけど、文章関係が分からなくなりそうだったので辞めました…ツリーにゴミデータ残してすみません。
※後でこの余談の要素をまとめて、再構成しようと思ってます。
文書力が弱いので、やっぱり色々突っ込み来てしまいますね(汗)レスくれた方に感謝です。
※再構成してみました。
■空気を読むという事 Ver.2
「失敗して当たり前」な有料Webサービスの条件への思考
成功し、現存してるサービスをいくつか例に挙げて思考。
これらのてんでバラバラでジャンル違いなサービスの共通部分の基本。
需要があれば後は早い物勝ちで、2chやニコニコのように真っ先にユーザーに有利な仕組みを構築すれば勝つ。
ニコニコ動画の流れるコメント機能のような、潜在的な需要を探し出せば、後出しジャンケンでも勝利出来る見込みはある。
まず、何かをコミュニケーション可能な場を提供する事で会員になってもらい、課金サービスへの敷居を下げる。
上記に上げたサービスはコミュニケーションは無料だが、会員登録が必要。
価格.comは、閲覧は無料だが商品についてのコミュニケーションには会員登録が必要。
会員登録は課金への敷居を下げると同時、個人の識別手段である。
他にもpixiv等があるが、これは広告だけで儲けが出てるのかどうかは知らないがどうにかなってる様子。
コレも大前提となる快適さの仕組みは同じで、他者の描いた絵をランク付けしてコメント付けられる機能がウケた。
画像は探そうと思えばGoogle等の検索エンジンをぐぐっていけば検索可能。
pixivの場合は情報のランク付けやコメントを付ける事で新たな価値が付随したと言っていいと思う。
2chの場合も、コメント数というランク付けとソート、利用者同士のコミュニケーションが可能。
サービスには流行があるので、上記の中には廃れるサービスも当然ある。
例えばmixiは最初にメールアドレスや個人情報等を収拾する為に作られた節がある。
友達伝いに加入権利取得する仕組みやら何やら、色々な要因で匿名性が維持出来ないのも面倒臭い。
似たようなサービスでもっと使い勝手が良い物はいくらでもあるので需要分散を起こしたのだと思う。
一時期携帯電話のメールアドレスでしか登録できない次期があったのも、mixiあざとさを強調していると思う。
今は解除されたとかされてないとか聞いたが興味が無いので知らない。
とりあえずユーザービリティへの配慮は怠るなという事。
服装等にリアルマネーが必要な仕組みは基本プレイ無料課金ゲームではよくある話。
そのサービス以外で他に質の良いサービスがある場合、そこにお金を貢いでくれる人はごく僅か。
人間の見栄や欲求を刺激しないサービスを提供しても上手く行かないようだ。
良く見れば失敗しそうなサービスと成功しそうなサービスは見分けられる。
基本的な快適さを守ってない現行サービスを総ざらいすれば、後出し参入でお金が取れるサービスを作り出す事は十分可能。
ただし、基本的な快適さを守っておらず、維持費と利益が釣りあって無い構造なら当たり前にそのサービスは潰れる。
しかも現状のサービス全てを列挙した挙句にこの思考が結論に至ったとしても、
この件で一番興味深かったのはid:Ubuntu氏が珍しく数々のエントリーにブックマークコメントしていたことだな。眼福。ところで氏を含めて数多く見受けられたのは「批判している奴は後出しジャンケンだろ」的なコメント。おいおい、例の投稿が注目を集めたのは「注目のニュース」で急浮上したからだろうに。あれが無きゃ800ものブックマークなんてされないよ。
「全てが終わってからの手記」を見てからコメントすりゃ、そりゃ全部「後出し」だろうよ。
それとな、「後出し」というからには「ジャンケン」のことだよな?ジャンケンにおいて「後出し」と異議を唱えるときって、自分がグーで相手が後からパーを出した時だよな?ってことは、認めるんだな?批判が「パー」の類であることをよ。
で、そういう人はブログとそれに対するコメントを常に勝負事のように考えているのか? 勝ち負けでも意識してあのブログは書かれているのかと。
後出しだ!結果論だ! なんて言葉は「反論する適当な言葉は見つからないけどとりあえず封殺しておきたいときに使えるお手軽な呪文」じゃないぜ?
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081025/1224891066
ここで論じられているわけだが。
ひとつ傍証のごときものを。id:ohakmi3が姿を消しても、非常に類似したスタンスでd:id:HALTANを揶揄的に攻撃しているブクマコメントが、id:letterdustによってなされている。これは時系列を遡ってみていくとよくわかる。ふたつのアカウントの活動時期が重なっておらず、絶妙にバトンタッチされたかのように似たような感じの攻撃的コメントが、受け継がれているように見える。そしてこの二人は、「ポストヒューマンの魔術師」氏によって、「ADHDを後出しジャンケンで自称して言い訳に使う」という共通点がある。
仮説として考えてみる。id:ohkami3は、id:letterdustと似た言説を繰り広げる誰かのサブアカであって、一際えげつないネガタグ「半ば本気で死んで欲しい」「国語の成績が悪そう」、これらを心置きなく攻撃したい相手につけるために駆使された仮面だった?
そしてそれが増田のエントリー、「「脳の失敗」タグには呆れた」で窘められると、ohkami3は活動を停止し姿を消した。しかし、攻撃感情旺盛なキャラクターは、letterdustがどういうわけかそのポジションを埋めている。
人を攻撃したい欲求、罵りたい欲求、それを心置きなく発揮するために取られたアカウントなんていうものがあるのか?そうだとしたらなんと浅ましい。
もちろん推測に過ぎないが。
以下加筆
d:id:kyo_ju氏が「増田で書くか」というブクマコメをしたようだが、まさに「脳の失敗」タグ騒動のときに、「魔女を火炙りにする焚き火の周りで踊り狂っていた」のがこれらid:ohkami3氏たちであった。そのとき余りの悪罵のおぞましさを批判されたd:id:hokusyu氏やd:id:Romance氏などはいつのまにか例のHALTAN氏のエントリーへのブクマコメを撤回したようだが、本人たちでさえ恥じて後に撤回するような浅ましいネガティブコメントのスクラムに襲われるようないわゆる「はてサ紅衛兵」たちによる「はてサリンチ」を避けるために増田で書いているのである。はてサリンチに大賛同のスターを乱舞させていたような「浅ましい仲間」のd:id:kyo_ju、その後開き直ったように「脳の失敗」タグを濫用していたような同氏のような「悪口雑言で悪目立ちすることを自己承認の手段とする」キャラクターへの懐疑もあり、増田で書いているのである。
増田で書こうがどこで書こうが、論旨を批判されるならされればよい。それが出来ないのは、魔女狩りの相手を吊し上げにくいというだけのはてサ紅衛兵の自己都合に過ぎまい。
後出しジャンケン必死だな。しかも「機微が理解できてない」って批判に戻ってるしな。あんたが俺のことを好きだろうが嫌いだろうがほんとにどうでもいいが、批判するなら「俺が嫌いだから」以外の根拠を見つけてくれ、頼むから。つーかそれ根拠になってないし。あんたの主観の寝言には何の価値もないっていい加減わかれ。
弱気になった時に愚痴ったり甘えたりって誰だってするもの。それに対して「前と言っていることが違う」ってヒューマンをメカニックだとでも思ってるのかよ。
はいはいちょーでちゅねー。じゃー坊やはいつまでもママに甘えてらっちゃいねー。
あ、ごめん、つい英語が。
Ach so, kannst du in englisch schreiben? Was denn? おっと、ついドイツ語がwwww
Pourquoi est-ce que tu ecris en anglais? Qu'est-ce que tu intends? おっと、ついフランス語がwwwwwwwww
あのな、俺がその程度のカタカナ英語ぐらいでびびるとでも思ってるのかよ。随分舐められたもんだなwwwwwwwwwwww仮にも俺は自称有名国立大生だぜ?煽るならもっとうまい手を使えよwwwwww
仲良くしていた女がお前に愛想をつかした、って事実が大事なんですよ。
それがどうした。馬鹿が賢者に「愛想をつかす」こともある。そのことは事実の記述だけであって何の価値判断をも示唆していない。お前が何を言いたいのかさっぱりわからん。
leibniz0若しくはその信者がたまに言うセリフ
「あなたはこの文章の本当の意味を理解していませんね」「上辺だけしかとらえてない」
これは強い。完全な後出しジャンケン。
自分が書いた文章に批判が出た場合、再批判の内容は前に書いた文章に拘束される。ところが、上のようなセリフを言ってしまえば、あとは自分の好きなように前の文章を解釈できる。文字になっていなくても行間とか文脈に詰め込める。
普通、批判の方が自分の意図と違う理解に基づいていたら、「言い方が悪かった」とか「言葉が足らなかった」とか、そういう謝罪が先に出るもんだと思うが、「お前の頭が悪いから正しく理解できないんだ」と言ってしまう。そうすれば、相手は「いいやお前の文章が悪い」という不毛な水掛け論に持ち込むか、グッとこらえて後出しの主張に対応するしか無くなる。後出ししてる方からすれば一度相手の出方を窺えるから、その後も有利に議論を進められる。ディベートでは許されないやり方だが、ネットでやるのは自由だ。
もちろん、最初の文章に詰め込める後出しにも限度があるが、お役所の文書みたいなもので、敢えて簡明な文章を避ければ、かなりの自由度が出てくる。「お前の頭が悪いんだ」と言ってしまうと波風立つが、「表現が悪かったかな」とか微妙に下手に出る言い方なら、相手も折れやすくなるし、そうやって修正して取り入れてみたらきっと口論に強くなれる。