はてなキーワード: 女性自身とは
お二人で激論交わしてるところ、横から失礼しますが
普通に生きていただいて大いに結構、でもそのあとはどうするの? 自分がよければそれでいいの?
小さいうちに残されることがほぼ確定の子供たちはどうするの?
あのTBSでやってた筋ジスの人には健康そうなちゃんと働いてる旦那さんがいるから、筋ジスの人が死んじゃったあとは普通にその旦那さんが仕事しながら子育てするんじゃないの?普通に父子家庭として保育園に預けたり学童に通わせたりしながら。金銭的にもその旦那さんはちゃんと仕事があるんだから大丈夫じゃない?
ALSの人のフィリピンの養子は大変だと思うけど。そもそも独身で仕事もしてなくてしかもかなり重い病気の人が養子を迎えるってとても子供の福祉に適ってるとは思えない・・・。なんでその状況で養子縁組が認められちゃうんだろう。子供はペットじゃないんだからさ。
あと、二人の増田の中では、なんだか筋ジスの人の子供を育てるのに公的なお金が使われるってことが議論の前提になってるっぽいけど、上にも書いたけど筋ジスの人にはちゃんと働いてる旦那がいるんだから、子育てのお金は旦那の給料で基本賄ってそうだと思ったんだけど、違うの?なんか、筋ジスの人のところは基本的に夫婦で子供作って夫婦で子育てしてくっぽいし、いいんじゃない?旦那の方に子育てと妻の介護とあと仕事とでめちゃ負担かかりそうだけど、でもあの夫婦がそれでいいって言うんならさぁ。
ただ、TBSの「これには感動しますね!」的な作りは変な感じだったね。筋ジスなら遺伝するかもしれないし、感動話とは思えん。むしろ、筋ジスでこれからどんどん動けなくなっていくっていうあの女性自身が希望を持って生きていくためにはどうしてもどうしても子供という未来を見たかったっていうすごく必死な希望への渇望に感じられたよ、私には。(それはエゴイスティックかもしれないけど、絶望の淵に落とされたときって生命力ある人間は誰しもエゴイスティックになるものじゃないか?そこでエゴイスティックにならない人はきっと絶望の淵で死んじゃうんじゃないかと思うよ。たぶんあの夫婦はこうやってネットで「勝手だ」とか「我侭だ」とか「子供がかわいそうだ」とか叩かれるのも覚悟の上で、そういうの承知の上で、それでも子供を持たないと希望を持てない程に希望がなかったんじゃないかなぁ、とか思う。周りに叩かれてでも子供を持たないと生きていけなかったんじゃないかなぁ。私の妄想だけど。)
ムスコという表現に反するが、男性自身と言われる場合もあり。オレオレです。ただし女性の場合は女性自身とは言わない。週刊誌名になってしまうからだ(嘘)。
しかし娘(ムスメ)とも言わないですね。
海外では、女性が逆上して男性器を切断や火傷させる事件が度々ありますが、彼の最愛の"息子"を奪い殺したという見方も出来るわけです。息子よ。
http://anond.hatelabo.jp/20090914124918
っていうかさ、さり気無く書いてるけど、1時間たっても部屋に出れなかったとか、その先輩普通に酷くない?
下手したらレイプ未遂だよね。
この横増田が全面的に正しい。
先輩の部屋の前で話すだけで終わるはずだったのに、結果的に部屋に入ってしまい自分の部屋に帰してくれなくなった。
「私彼氏いるんでまずいです。帰して下さい。」と言っても、「知ってるよ、でも関係ない。」と言われた。
(中略)
結局1時間くらい抵抗したけど部屋から出るのは無理で、深夜で眠くて体調が悪くなってきたこともあり、
しょうがなく「何もしないこと」という条件付きで先輩のベッドで寝ることを承諾した。
完璧に最低野郎じゃん。
こうやって強引に迫られた、あるいはレイプされてさえも、被害者の女性自身が、相手のことを愛していると思い込みたがるというのも実によくあること。
1時間監禁された、とはいえ、まあ物理的には逃げて逃げられなかったわけじゃないんでしょう。ただ、気が弱いから実際には逃げられなかっただけで。そういうとき、「逃げなかった」という自分の行為を合理化するために、あるいは単に力ずくで思うようにされたという嫌な事実から逃げるために、相手を愛しているということにしてしまうわけね。認知的不協和の解消というやつだ。
今の彼氏がいまいちしっくりこないというならそっちは好きにすればいいと思うけど、その先輩とやらだけは
絶対にやめとけ
法令がそれに合わさっているからごく少数の平均と違う考えの人に無理な制限がかかっているっていう、そういう部分は直してくのが良いと思うけどさ、なんとなく社会的に「しづらい雰囲気がある」という様な、少数ゆえの文化的なやりづらさっていうのは、訴えて解決するような物じゃないと思う。
ただの雰囲気で確固とした制度じゃないからこそ訴えたら容易に改善できる場合も多々あるんだよ。
女性社員がお茶くみさせられる。差別だ!とか言ってもしょうがないとおもう。あれ、男性も女性も両方の利害があって自然とそう収まっていった文化でしょ。女性自身もあそこに収まることを望んだんだと思う。無理やり激務にかりだされる男性の中にもそれを羨みつつ出来ない人だっているし、お茶くみさせられてイヤだって女性も居る。そういう事でしょ。
別にしょうがなくはないだろう。お茶組に限らず仕事の配分とかやり方がおかしいなら声を上げるのは当然出し、それを押さえ込んで黙らせるほうが無理があるんじゃないかと。現状お茶組の性別を偏らせるなという法律があるわけでもフェミニストが全国各地の職場を監視してるわけでもない。それに異議が唱えられる職場があるということは少なくともその職場では自然と収まったものとも女性自身が望んだものともいえないはず。差別じゃないから声をあげてはだめなんて事はないんだよ。
男子も綺麗な女なら誰にでも優しくすると言うわけではありません。
ある程度自分の好みの容姿の範囲なら、後は性格的な面を見るために色々と地を出すような事をします。
それは、あくまで「マナーがなっていない」と言うわけではなく「自分はこのレベルですよ」と言うアピールだと思ってやっています。
つまり、「自分と同じレベルで一緒に楽しむことができますか?」と試しているわけです。
増田さんの「マナー違反」と言のも、自分なら下記のように解釈できます。
5 まともなご飯を食べる場所を知らない
場所にもよります。
よく行く駅の周辺なら、行きつけの店やそれなりに雰囲気のいい処は知っていたりしますが、相手のアクセスしやすい駅などで会う事となると“ぐるなび”は必須ですねw
ただ、「ぐるなびで調べた」とはいきなりは言いません。
話の流れからさりげなく伝え、次は自分の馴染みの場所を勧めたりします。
これでついて来ない女性は、あくまで女性自身が行きたい場所にしかついて来ない人がほとんどなので、そういう人とは付き合えません。
4 草食アピール
直に「俺、草食なんだよね」とは言いませんが、さりげなく草食系アピールはします。
だって、本当に草食系なんだから w
無理して肉食系の様にふるまっても後々ばれるし、肉食系を装い続けるのも疲れるので嫌です。
3 マナーがひどい
ただ、話しながら歩いていと、女性は周りに目が行かず危険な事が多いです。
そういう人は話を断ち切っても車道側から引き離します。
また、上座/下座の話もそれに近いかもしれません。
女性を通路側などに座らせると、料理を運んできた店員や他のお客さんにぶつかったりします。
「椅子をもうちょっと引けよ」とか「店員が来ているのに、ジェスチャーをもっと押さえろよ」とか思います。
いわゆる上座は、通路から遠く被害が一番少ない場所と言えます。
周りに気遣い出来ない人はそういう場所に座らせます。
2 割り勘
男性同士の飲み会の場合、会計をする奴が「○千円で~」とか適当に集める事はよくあります。
また、遅れてきたやつに「おまえ余り飲んでいないから千円でいいよ」なんてことも日常です。
“男女平等”であり対等の立場で付き合いたいと考えるのなら、こう言った会計方法を否定するのはどうかと思います。
むしろ、あなたが上位に立ち男性にすべて奢ってもらう様な付き合いをしたいなら、文句を言う前にそういう男性を対象から外すだけでいいはずです。
1 公共の場でネットの話題をする
その方の情報収集の元がインターネット中心ならインターネットがその方のステータスになっているので、それに合わせるのがあなたのマナーでは無いでしょうか?
逆に「テレビでこう言っていた~」と言われると、いまどきテレビの情報を鵜呑みにしている事を恥ずかしく思います。
この様な男女のディスコミュニケーションは、時代の変化に合わせられる人とそうでない人の差に感じます。
“男女平等”の旗の元に女性の権利が拡大したのは良い事だと思います。
しかし、女性の地位が向上したのに対し女性自身のマナー感覚は昔の男尊女卑の時代と変わらないと言う事です。
上記の様な増田の言うマナーと言うのは、女性の地位が低い時代、女性の意識的な尊厳を失わせないために男性が考え出した行為です。
つまり、男性から見たら地位の低いものに対しての優遇措置とも考えられます。
しかし、“男女平等”になった現在では、こういった地位の低いものに対しての優遇は行わなくて良いのではないでしょうか?
地位が向上したにも関わらず、昔と同じ優遇をしろと言うのは傲慢だと思います。
真っ向から批判するコメントやブクマコメントが多いことにすごくびっくりした。
そんなに触れちゃいけないタブーだったのか。
自分は、2歳年下の嫁と18歳~28歳までの期間つきあった。
同じ女性と、10代から20代という変化の多い10年を共にすごした経験から言わせてもらうと、
「女の価値は若さ」というのは、一面的ではあるが絶対的な真実だ。
もちろん逆説的に言うなら、「人間の価値は経験」というのも真実である。
10代のガキよりも、30代のお姉さんの方が、深い話をするなら絶対に面白い。
でも、それは人間として、なんだよね。
恋愛対象の異性、という、センチメンタルかつ性的なニュアンスを含む場合、
やっぱりピークってのは、10代後半から20代前半なんじゃないかと思う。
デートのドキドキ感などは、新しい相手と付き合えば、確かに毎回味わえる。
でも、若い時にしか経験出来ない人生のイベントってのは間違いなくある。
そのイベントの多くは、若さと恋愛とセックスが微妙に重なり合った部分にある。
もちろんセックスへの貪欲さも、感度の良さも、開発された30代の方が素晴らしい。
でも、初々しさから貪欲さへの飛翔、好奇心と恐れの板ばさみからの脱却、肌の手触りの変化、
現在進行形で育って行く身体、セックスの成長を共に味わうこと、などは10代の処女の時代から30代近くの
成熟する時代までを、1人の(もしくはそれぞれ同年代の複数の)女性と共にすごさないと、味わえない。
女性の変化のダイナミズムを味わうなら、10代後半から20代後半の間だと思う。
細かいことは省くが、圧倒的な真実としてひとつだけ言いたいのは、肌の手触りの変化。
元嫁が20歳になってしばらくしたある日、肌の感触が今までと明らかに変化したのに気づいた。
それまで、しっとりと吸い付くようだった肌触りが、べつに吸い付かなくなった。
最初は体調かなんかのせいかと思ったくらい、ある日突然起こった劇的かつ不可逆的な変化だった。
これは、女性自身の方が良くわかる感覚なんじゃないだろうか、例えばシャワーの水が
肌で玉になって転がる時代があったということに。
異性として、より生物的な価値、もっと言えば恋愛市場での商品価値としては、
何故なら男性は金や権力で、恋愛市場での自らの商品価値を引き上げることが
出来るが、女性にはそれはかなり難しいから。
自分と元嫁とは、お互いの若さに惹かれて付き合っていたんだと思う。
元嫁は、夢を語り、追いかけ、実現して行く俺の姿に惹かれていたと思うし、
俺は、色んなことを吸収して、日々変化し、成長していく元嫁が魅力的だと思った。
そして、セックスも存分に楽しんだ。お互いの若い身体をむさぼった。
お互いの若さを消費して爆発させた10年間だった。
でも、色々なことを経験し、色々な人に会って、若い時と目線が変わった今は、それぞれが
別の道に歩き始めるようになったし、人生の伴侶となる異性に求める条件も変わった。
人生におけるマクロな価値観と、ミクロな生活感覚が近いかどうか。
違っていたとしても、お互いに認め合い、尊重し合えるかどうか。
それが30代以降の結婚には、必要なんじゃないかと思う。
元嫁とは今も仲がいい。
でも、マクロな価値観も、ミクロな生活感覚も、10年の間で徐々にその差が開いて行った。
人生の中でももっとも劇的に変化する10年を超えた時に、お互いの人生の立ち位置が
同じままってのは、本当にありえない奇跡なんじゃないかと思う。
自分たちの場合は、それが少しづつ変化して行った。バンドなら、音楽性の違い、だ。
だから、別々の道を歩むことに決めた。
たぶん、子供を産んで育てれば、半強制的にお互いの立ち位置は同じになる。
世の多くの夫婦は、意図的にせよ、無意識的にせよ、その道を辿る。
それは、凄く正しくて良い事だと思う。
自分たちの場合は、20代ではそれぞれの夢を優先させていたので、あえてそれをしなかった。
周囲の友人を見ても、子育ては人生中盤以降の最大のやりがいであり、楽しみだと思う。
個人的にも、自分の人生でその最大の楽しみ(苦しみも)が残っているのは、凄くわくわくする。
そもそも結婚って制度は、子育てをしないと何のメリットも無いし。
結婚ではなく、出産と育児で、今までの人生ってのは一度リセットされるんじゃないかと思う。
でも厳密に言うならば、夫婦間で「若さを消費する恋愛」の経験に大きな差がある場合、
それを後から埋めるのは結構難しいんじゃないかとも、ふと思う。
だって、それは人間の価値を決める「経験」の圧倒的な差でもあるわけで。
「若さ」という万人に等しく与えられた資産を、適切に自己投資して来なかった人なわけで。
それは、無駄な嫉妬や劣等感やルサンチマンや浮気や不倫や出会い系や風俗やスワッピングや
ロリコンへの傾倒や韓流ドラマブームの原因になるんじゃないかと思う。
ここらの暗いパワーを、持ち家のローン返済や子育てへの前向きなパワーに変換出来れば、
幸せになれるのかも知れないけど。
まあ、長くなっちゃったけど、一番言いたいことは。
「若い身体は素晴らしい。成熟した精神は素晴らしい。」ということ。
そして、もうひとつ。
「若い時の経験が違いすぎる人同士は、結婚しない方がいいと思う」ってこと。
いまさらそんなことにこだわるなんて馬鹿馬鹿しいことだからこそ、
逆に誰にも相談できずに悩むんじゃないかな。
ホッテントリから外れて落ち着いたようですので、遅くなりましたがレスと解題のようなものを。
普段はmixiで引きこもっている私があのエントリーを書いた動機は、ホッテントリしていた『「痴漢で感じる女なんていない」という暴力 』のツリーでした。
私がそのツリーを読んだときまず感じたのは、このツリーの流れの先に被害者への救いはないということでした。
女性の肉体が反応をしてしまったとき、誰よりも強く自分を断罪し続けるのは、反応した女性自身です。
反応する女性がいるという知識が外部に広く知られたところで、自分の肉体が反応したことの情けなさや後ろめたさという内側の問題は消えたりしません。
じゃあこのツリーに何があったら被害者は自分を赦すことができるのかと。
そう考えたとき、自分の体験がそのきっかけになるかもしれないことに気がつきました。
というわけで、あの増田のテーマは、今の、未来の、過去の不特定多数の女性に向けた
『大丈夫、あなたは悪くない』
です。
書いたことはすべて事実ですが、書き方はテーマにあわせて選びました。
あえて女子高生を想起させるタイトルにしたのは、不特定多数の女性に向けて書いたので、アクセス欲しかったためです。姑息でごめんなさい。
先生(ちなみに非イケメン)の説明はもっとロジカルでソースにも触れていましたが、そこは話を短く収めるためばっさりカットしました。痴漢にあって悔しかった話も同じようにカットしています。
でも、先生の話についてはググったりちょっと調べるだけで、妄想ではないという結論にたどり着けるだけの単語は残しておいたつもりです。
ちなみにK先生の話で二番目に衝撃を受けた話は、『胎児 テストステロン 大戦』くらいでググると出てくると思います。
自然/不自然という名前の偏見を自覚したきっかけの話ですので、興味がある方はどうぞ。
さて、ここからは個別?レスです。
ともに深い感謝を。とても嬉しかったです。
なかなか書く機会自体ないと思いますが、どこかで誰かに伝わると嬉しいです。
排卵についてはブクマコメの交尾刺激排卵(人間だと性交刺激排卵ともいうようですが)が有力な説だそうで、私が先生に教わったのもこちらです。ちなみに「レイプ被害者が統計的におかしい数値/周期で妊娠する」ということは明らかでも、人体なので100%これ、というソースはないです。
あなたが打たれても踏ん張ったおかげで、エントリーをかけました。
(http://anond.hatelabo.jp/20090613234338)
レイプで…というより、無機物が入っても、擦過防止や刺激でも膣は濡れます。例えばウィキペディアの『膣分泌液』ではきちんと『性器への刺激』と『性的な興奮』をわけて書いてあります。
濡れたからといって、あなたの身体が喜んで受け入れたなんてことはないです。
そして、レス?いただきありがとうございます。少しでもあのエントリーがあなたの支えになれば嬉しいです。
(http://anond.hatelabo.jp/20090614193237)
ハムレットのあのセリフは確かにガツンときますよね。私も初めて読んだときは衝撃を受けました。
ところで、エディプスコンプレックスの語源はソフォクレスのオイディプス王ですが、命名者のフロイトが一番多くエディプスコンプレックスについて例としてあげたのは、オイディプス王ではなくハムレットなんだそうです。
元々シェイクスピアはリア王やヴェニスの商人などに書いたように、あの時代としては画期的に自立心あふれる女性描写をした作家ですよね?
またちょっと、あのセリフを思い出して落ち込んだときには、一度くらいフロイトや他のシェイクスピア作品の女性に倣って『弱きもの、汝の名はハムレット(このマザコン!)』と言ってみるのも手かなぁと思います。
ちなみに私もとても本を読むのが好きなので、蛇足ですが。いつかまた、あなたが読むハムレットが、あなたにとって幸せな読書をもたらすよう願ってます。シェイクスピアも後世の人を苦しめるために戯曲を書いたわけではないと思いますよ。
レイプ/あるいは人権の蹂躙にあたる構造なのだと認識することと、それを個別に断罪することはまた別ではないでしょうか。
それこそ私は、「父と娘」の事例ですら、父と娘のどちらにも無知ゆえに悪意がなく、娘が60歳を超えていたら「あなたたちは間違っている」と断言できるか自信がありません。残り少ない人生なのに、断罪して苦しめることにどんな意義があるのだろうと悩むと思います。
もちろん、悪意を持ってされるレイプは断罪するべきです。
でも、そもそも娘を財貨とすることを前提として経済がまわっているところでは、「これはおかしい」と思えても、「だから断罪すべきだ」とまでは思いきれない気がします。この問題は私の中では一生答えがでない可能性の方が高いだろうなと思っていますし、正直なところ、答えを出すということが正しいのかもわかりません。
でも、生涯正しさの答えが出ずとも「この構造はちょっとおかしい」と、既存の枠組みに疑義を呈することには意義があると思います。
そして最後になりますが、このエントリーを最後まで読んでくださった皆様に、あらためての感謝を。
ずうずうしいお願いで恐縮ですが、万が一「これにブクマしようかな」なんて思われた方がおいでの場合、実はこちらではなく前のエントリーにブクマいただけると嬉しいです。
前のエントリーは不特定多数に向けて書いていますが、これは本当にクローズドなエントリーなので。
それでは長くなりましたが、おつきあいいただき、ありがとうございました。
女性の老いについて考えてみた。
女性自身が老いたと感じる事柄を挙げてみる。
【大人に見られることが嬉しく無くなった】
10代、20代前半は大人っぽさへの意識があり、大人っぽく見られることが嬉しいのである。
年上に見られてムカッときたら、それは老い。
【肌の綺麗さが美の第一条件になった】
若い頃の肌は、なんもしなくても綺麗なのだ。
肌年齢が気になりだしたら、それは老い。
【かわいさ回帰】
それがかわいさ回帰。
綺麗さよりもかわいさを再び求めだしたら、それは老い。
<例>
押切○えさんのような、ブログの写真はホワイトで飛ばしたり、アヒル口などのかわいい写真写り姿勢。
【品を追求しだした】
品を追求し出したら、それは老い。
【薄毛、細毛の悩み】
髪は女性の命。
薄毛、細毛に悩みだしたら、それは老い。
【外見はどうでもよくなった】
末期症状。
グッバイ女の私。
老い老い・・・
こんなこと書いている当方は20代半ば非モテ♂なわけだが、
もちろん、異論は認めます。
私が職場などで誰かに話しかけられたときや
独りカフェなどで他人が会話しているのを聞いていると,だから何だろう?
なんでその話をするのだろう?私にするのだろう?と思ってしまう.
話す側は話したいから話すのだろうし,別に誰相手でもいいのかもしれない.
大抵,そんなこと一々深く考えていないのだろうけれど…
今日もカフェで読書していると,客が少ないから話よくが聞こえてきて
「近くに新しい回転寿司ができたよね」「あぁ,○○ね」
「あの車,信号赤なのに無視してない?」「いや,あの方向に走る車の信号はあっちだよ」
で終わり.そういう話を延々と繰り返して,話題が途切れると耳障りな口笛吹いたりする.
別の日には女が男に子どもと買い物に行った時の詳細を話していたのだけれど
最初にここに行って,何があって,自分がどうしたか,誰が何を話したかとか
逐一くどくど話し出すのだけれど,聞いているとというか聞こえてくるとイライラする.
だから何?って言ってしまいそう.私も職場で人の話聞いている振りをしながら
または本当に聞こえなくても聞き返すのも面倒だから「うん.うん」と相槌打っていて
時々「どう思う?」とか振られても「うん.そうだね」とか言ってしまっている.
苦笑いしながらも正直に「ごめん.ぼーっとして聞いてなかったww」で済ます.
だいたいそれで乗り切れる.特に女性は聞いて欲しいだけらしい.
(とその女性自身が言っていた.皆がそうかどうかは知らないけれど)
時々,「どうしてその話をしようと思ったの?」と聞いてみたい衝動にかられる.
相手があまりに「幸せ」という言葉を連発するから「で,幸せって何?」
と聞いても上手く答えてくれない.どうもそういう固い話は避けられることが多い.
しかし毎日,話題毎に真面目に返事考えて返したら疲れてしまうよ.
他の返答にもありましたが、病院には行かれましたか?
仮に妊娠でなかったとしても、
何かしらのストレスや負担で女性の機能が乱れてしまっている状態と言えると思います。
これは、「妊娠がなかった」場合の仮定ですが、
それがストレスになって生理の周期を余計遅らせている可能性もあります。
(所謂、想像妊娠とかではなくて、
女性の生理周期というのは機械じゃないので、ちょっとしたことでずれたりしてしまうのです)
あと、妊娠検査薬に関しては、
「いつ判定すれば正確に結果が出るか」に、前の生理からの日数などが絡んでくるので、
もともと生理不順な女性の場合、ちょっと使いにくい部分もあります。
私は、検査薬の結果(陰性でした)がどうしても信用ならなくて、
結局病院で確定してもらったことがあります。
当然、その後に妊娠している可能性は残ります。
やはり、素人には判別できませんし、どちらにしろ彼女には診察が必要だと思います。
(極端な話、この後生理が自然に来たとしても、不順と言うことで病院に行った方がよいかもしれません。
確率は低いので脅かすつもりはないですが、なにかしら病気になっていることもありえます)
産婦人科って、気分的に敷居が高いのは否めないので、
彼女もなんとなく行けないでいるんじゃないかな…
あなたの方から、「やっぱり、身体の具合が心配だから」といって、
病院に誘ってあげることは出来ませんでしょうか?
(病院の待合室は女子ばっかりで浮いちゃうでしょうから、
途中まで送ってあげて、帰りは外で落ち合うとか…)
いままで私が診てもらってきた産婦人科の先生は、若干いかめしい人が多めですが、
すごく誠実で、時間をかけて診察してくれたので、全体の印象は良いです。
「それからどうするか?」は、その後で決める時間がありますから。
個人的には、あなたはなかなか誠実に避妊をしていたと思うのですが、
どうしても100パーセント大丈夫!って訳にはゆかないんですよね、残念ながら。
あと、
他の避妊方法について色々知っておくのも良いかもしれませんね。
なにか予定外のことが起きたときに、
ただ不安になるよりは、何かしら知識がある方が圧倒的に有利ですから。
女性自身も、あんまりよくわからないし、モヤモヤと悩んでいたりします。
それとなく、彼女の様子を見て、気遣ってあげるといいかもしれません
吉田秋生の「桜の園」を巡る議論を思い出した。女性作家による、少女が女になる(ならざるを得ない)瞬間を描いた作品で、この増田みたいな感想を持った人から、こんなのリアルじゃない、男性評論家に媚びている、男にウケるための女像を捏造してると言われてたっけ。
自分は「桜の園」にいたく共感したくちだから、上のような言論に傷ついたし、その言論に触れたことで吉田秋生に親近感を持つようになった。今回の増田をはじめ、上のようなことを言う人達にとっては、その人達にとってのリアルだけがリアルであり、自分達のような感じ方は男への媚となるのであってはならない、あっては都合の悪いもの否定すべきものとして位置づけられており、2重に否定されたと感じた。そして、そういう人達の自己の感覚を絶対視して疑わない見識の狭さと、その狭い見識で物事を穿って考える様に辟易した。この増田と似たような感想を持った。
「桜の園」は80年代の少女誌に掲載された作品だが、この頃の少女漫画にはそういったモチーフが多かったし、そこで描かれる雰囲気としてもこんなものだった。男性が少女漫画を読む流行が来たのは、丁度この後くらいだろうか。今の男性作家がこういったモチーフを扱うのは、この時代の作品を読んでいること、こういうことを扱うと女性像を掘り下げて描いている気になれるからだろう。なにより、女性自身の手によるこういった発信がある以上、男性作家がそれをリアルだと思って描くのは避けられないだろう。
この書き込みを見てて思った事がある。
自分は親からお前の器量じゃ結婚無理だから手に職つけてくれと言われたぐらいのブサイクで、身長156cmで体重53kgのBMI的には標準だけど世間一般基準からしたら充分デブで9号入らないサイズの女。しかもデブのくせに貧乳。
更に、毛深くて剛毛で、多少処理したところで毛穴がすぐに目立つので、手入れはあきらめて私服はスカートは一切履かず、腕のもじゃはそのまま堂々と露出してる。肌も弱いので常にすっぴん。
趣味は電子工作系で部活は空気読まずに女子部員が皆無だったその手の部活に図々しく入部し(もっとも私が入部したのを見て勇気が出たのか以後入部希望者が相次ぎ私の卒業する頃には半分が女子になってたが)仕事もそっち系に進んだ。
女だからという理由でご馳走になったことは一度もない。(後輩だからという理由で同期の男と共に先輩から奢られたことのみ)
そんな、女捨ててると一部からは言われるような女だけど、高校の頃から男は切れたことがない。
気に入った相手がいれば自分からがんがんアプローチして、半分はふられるんだけど、残り半分はとりあえず落とすのに成功して3-4年はそのまま付き合う。付き合いがマンネリ化したりして相手が浮気したりするとそれをきっかけに次を探して乗り換えるといった具合でもう20年ぐらいやってきている。デートは、奢られることはないけど貢ぐこともなく常に割り勘。
30も後半になったらさすがにそうはいかなくなるかと思っていたけど、最近また新しい相手が見つかったところだ。
日々自己研鑽している女性の皆さんに申し訳ないような気持ちになってしまうのだけれど、自分に男が切れない理由は、むしろ女らしくないから、女らしくあるように努力をしてないからじゃないかと思っている。
思うに殿方は女性の個体識別能力が低いのではないかと思うのだ。よく女を一般化したがる言説があるけど、あれは本当に区別がついていないんじゃないかと思う。女性自身にも同調圧力があってみんな似たような服、似たようなメイクになってるのも原因だと思うのだけれど。(実際ほとんどが9号サイズを着てる訳だし)
で、そういう状況だと、「そうじゃない」だけで目立つ。個体として存在を認識される。世の中の8割5分の男性は私のような女のことは見向きもしないが、1割5分ぐらいは「そうじゃなくてもOK」な男性がいて、そういう男性から見たら、なまじ浮いてる分興味を持ちやすいんじゃないかと思ったりする。
見かけによらず経験豊富(笑)なことから男性から恋愛相談を受けることもよくあるのだけれど、彼らは驚く程相手の女性の固有の部分が見えていない。女とはこういうもんだろうという思い込みで動いているので、彼女にはこういう特質があるんだからこういう言い方をしないと、という解説をすると目から鱗的な反応をされることがある。
私の場合見た目から違和感が漂っているのでそんな理想を押し付けられるようなこともない。それこそ「ありのままの自分(笑)」を受け入れてもらっているように思う。そういう意味ではむしろ「女らしくない女」の方が有利なのではないかと思う。そしてそれは実は「男らしくない男」も開き直ってそれをアピールしていけば同じようにいくのではないかと思うのだが、どうだろう。
要は、モテるには別にジェンダーに過剰適応する必要はなくて、むしろ反対の方向に振れる方が、埋没するよりよっぽど有利なのでは、という話。
男にも、オナニー、2次元はあるのでセックスはデフォルトで必須という事ではない。
男は生理こそ無い物の、その分女性よりも短命だし、生命として弱い。
就活、職場差別については、男でも無いわけないし。派閥闘争とかね。
コミュニケーションは女性特有のコミュニケーションを女性自身が作り出している物で、男性関係ないので自業自得。
結局、性によるデメリットをどれだけいっても、メリットだってあるわけで。一長一短。良いこと悪いこと両方あるんだから
男だからとか、女だからとかいっても仕方ない。
結局、人間は配られたカードで闘うしかないんだから。 配られたカードに文句を言ってもしょうがないべ?
と思う人の方が日本は少ないのかも。
女友達とお酒飲んでじゃれあってるうちにちょっと本気モードになってきて体をまさぐりあったりなめあったあげくアレを入れることがあったんだけど、結局1分ほどして途中だけどやっぱやめようってことになって最後は手や口でお互い満足させて終わった。以前にも同じことが一度あった。これってまだ体の関係ではないと思うのだがどうだろうか?
まず定義の一端である既遂について考えてみる。既遂というのは両者がいくことで成立する。男が逝くだけで既遂というのはおかしい、これは男性側の身勝手な見解だ。女は男の道具ではない。女性の人格を認め、女性自身の主体的なアンガージュマンがなされない限り両者の共同行為とはいえない。というわけで女も逝かないなら既遂とは言えない。もし、いかないとしてもお互い十分楽しめないと既遂とは言えない。以上、既遂の定義終わり。
では別なケースとしてなにかを入れただけの場合を考える。入れるといっても指だって道具だってある。たとえば本気モードでキュウリ入れたとしても既遂とは言えないだろう。指だってそうだ。たとえ女性が逝ったとしても、当然ながら指もキュウリも正規ではないので男性は介助したに過ぎない。よって既遂とは言えない。
以上の考察を整理していくうちに私は新たな事実に気づいた。アレを入れるとき私はゴムを装着する。女性を刺激するのはゴムであり私の肉体ではない。私の肉体はゴムをふくらませゴムの内圧を支持する介助を行っているに過ぎない。つまり女性と接しているのはゴムであり、私が接しているのではない。つまり間接的に関わっているに過ぎないのである。ゴムを外さない場合はたとえ達した場合でも不貞行為とは呼べない。
次に、私の場合ではあり得ないのだが、生の場合を考える。この場合、直に接触はしている。しかし、ここにもいくつかの疑問点が存在している。結論から言うと不貞行為とは呼べない。または大幅に責任を減殺されるべきである。
この考察に異議を唱える人もいるかもしれない、「動作が問題だ。そうはいっても動いているのはおまえではないか」、と。確かに私は膝を支えにして前後に動かす、これは認めよう。しかし、考えてみてほしい。私が体を動かせるのは膝や腕で寝具に体重を預けているからである。寝具がなければそのような行動はとれないし、そもそも寝具の下に床がなければいけない。さらに言うと地面がない限りそのような行動を起こすことはない。つまり悪いのは地球である。作用・反作用を考えると地球は不貞行為の共同正犯である。
さらに異議を唱える人もいるかもしれない。「おまえは相手を上にのせているときもあるじゃないか」、と。この異議には同様に反論できる。違う、その行動は重力なしには完遂しえない、と。つまりまたしても地球は不貞行為の共同正犯であると言えることになる。
繰り返す、悪いのは地球である。人類が新生代第四紀の更新世に誕生して以来、地球は人類の不貞行為に手を貸してきた。さらに原始地球は多種多様の高分子を生みだし、生命を生みだし、十億年以上前に問題の原点となる有性生殖を生み出してしまった。そう、「原罪」とは地球の歴史である。
何かと世間を騒がせている直木賞受賞の新人作家、月島雫が結婚詐欺被害に
あっていることがわかった。19日発売の週刊女性自身に記事がのる。
記事によると、月島雫の中学時代の同級生で自称バイオリン職人(26)が
「海外バイオリン制作事業が軌道に乗る。そうしたら結婚したいが、今資金が足りない」
などと、言葉巧みにせまり500万円を騙し取ったという。
その後、連絡を取っても音信不通。月島雫自ら海外に足を運び、ようやく詐欺被害に
あったことに気づいたとのこと。
現在警視庁で、詐欺事件として捜査中だが自称バイオリン職人は海外に逃亡したと
見られている。
月島雫は
「中学高の卒業時にお互い結婚の約束をした。お互いの夢に向かって励まし合ったりもした。
お互いの夢を叶えるために援助を惜しまないつもりだったのに・・・・」
嫌いじゃないだろうけど、憎まれてる気はする。
陵辱系ストーリーの最初の方に、完璧な幸せそのものの少女時代を、ねちっこく丹念に描写してあるのを見ると、なんとも言えない気持ちになる。こういう完璧な傷ひとつない穢れなき完璧な美少女像を作って、それを汚すことが快感なのだから。ただ嫌いなんてものじゃないと思うよ。たぶん、男性の欲しいもの、それも当の女性自身はあまり欲していなくて実際に持っているかどうかもあやしいもの、ただ男性の頭ん中では女性はそれを持っていることになっていて男性が男性である限り決して得られないものがあって、それは具体的には少女の儚さとか美しさとか、愛情の「対象」であること、女性の強く長く続く完璧な(と思われている)オーガズムとか、そういうものなんだと思うけど、とにかくそういうものがあることが、羨ましいを通り越して憎いんだろうと思うことがある。なにが憎いって、それでもそういう存在を欲するのは他ならぬ自身自身の欲望であることが。男性が女性を欲するようには、女性が男性を欲していない(ように彼らには感じられる)ことが。
たまに思うんだけど、脳科学が進んで、そういう男性に女性の人生を体験してもらえるようになったらいいのに、と思う。大人の男性にいたずらされる少女時代とか、後でそういうことを匂わせようものならまた別の大人から理不尽な扱いを受けてそういうことはひたすら隠さないといけないと感じて生きていくこととか、ジャージの股のところに白いものを付けられて体育を見学して家にも持って帰れないから外の公衆便所で洗うこととか、ただ道歩いてるだけで通りすがりに点数を付けられることとか、ずっとどこに行ってもそういう存在として見られ続けることとか、そういうの全部。もちろん女性としてのセックスも。なんかただのフワフワしたいいもので、楽してるだけの存在だと思われてる気がする。体験したからどうなるか分かんないけど。もっと憎むようになるだけかもしれないけど。
おいおい、あの拒絶ネタで全然分からんなんていうのは分からんほうがどうかしとるがな。
あと、そりゃ告られた女性自身は悪くないんだから、自分が悪くないのにわざわざ悪者になるような受け答えをするわけがないと思うが…。そりゃあ、かわすだろ。大体男からしても「キモい」とか言われても傷つくだけだし。つうか、「キモいから」とか言うほうが普通にどうかと思うが?お前みたいな奴はそういったらいったでどうせ「女はキツい。酷い」とか言うんだろ?
あと流石にこの場合はかわした結果なんじゃなくマジなんだと思うが。
個人の悲惨な女体験談をマジに悩んでる奴にぶつけるな。