はてなキーワード: 女性自身とは
男の思う男らしさってのは、大抵男(男社会)が自身に課した縛りであって、そこを自覚しないと解決しないと思うんですよ。最近、男が男自身に嵌める箍がどんどん狭くなっていってて、見てらんない気がします。
それは思いますね。
下世話な話で恐縮ですが、ペニスの大きさなんてのも、女性は気にしないのに勝手に男性が気にしている。
自分達で勝手に枷を作り、それに悩んでいるような感じです。
女性の場合は、女性自身が作っている枷というより、男性が押し付けてきた枷、という感じですが
(まあ過剰なダイエットなど、女性自身で作っている枷もありますが)
男性の場合、どちらかといえば男性自身で作り上げているというパターンが多いように思います。
もしかしたら男性というのは同性に対しても異性に対してもとかく理想を押し付けがちなのかもしれません。よく女性は現実的で男性は夢想的といいますが、その辺が関係しているのかもしれませんね。現実の人間(この場合は男性)の弱さや汚さ等を直視する事が出来ず、つい「○○であるべき」というガチガチの理想論に走ってしまうのかもしれません。そうして走る事により、一時現実の汚さから視線を外すことが出来、安心してしまうのかもしれません。「そのままの自分」を認めて上げられない、そうした現象は寧ろ社会の責任なのかもわかりませんが……。
概要はhttp://wiki.livedoor.jp/tasogare100/d/FrontPageで
とりあえずここから先は
「株式会社アーツビジョン代表取締役兼株式会社アイムエンタープライズ代表取締役にして日本芸能マネージメント事業者協会副理事長(除名済み)松田咲實(まつだ さくみ)氏が2007年4月4日、前年12月にオーディション受講者の16歳の少女に、面接合格をちらつかせわいせつな行為を行ったとされる容疑によって逮捕され、5月28日書類送検された。(※5月30日に引責辞任)」
を事実として扱う。これに付随した一連の枕営業疑惑は一ヶ月たった今でも確固とした情報源をもたない、あくまで「疑惑」として扱う。その是非も善悪の所在もここからは言及しない。2chやらで聞かれる噂や自称関係者によってもたらされた情報はどれほど真実味があっても、全て妄想の域を出ないものとして扱う。
5/28日にこの事件が騒がれてすぐに声オタ(女性声優ファンの男性オタク)が考えたのが、「もしやアーツ・アイム所属の声優は枕営業を行っているのか?」だったと思う。日を増すごとに狂乱じみた様子で追っかけて、ラジオ・ブログで言及があれば非難・罵倒しまくりで、お祭り騒ぎで枕投げオフなんてのもあった。
とにかく松田咲實逮捕の直後に声オタの多くは「16才少女に対する猥褻行為」に義憤するよりも、「所属声優の枕営業の有無」を心配したことは間違いないと思う。
この思考の流れはどこから来たのか?それは近代的マッチョイズムからだと思う。
現在、女性のセクシュアリティの変貌により「素人女」と「玄人女」の違いが希薄になりつつあるとフェミニスト研究家は声高に言っているけど、声オタが望んでいるのは間違いなく『「素人女」である女性声優』だったのだと思う。そこで一連の事件にまつわる疑惑が起こり、その希望が崩壊する危機を恐れたんじゃないか。
そもそも日本人は歴史的に見ると性と愛はそこまで密着していなかった。恋愛結婚なんてごく少数で、普通は社会的な立場を確保し、生活するために結婚(とそれに伴う性行為)をした。しかし近代化の中で欧米から「ロマンチックラブ」を輸入して、性行為は恋愛の果てに至るべきだという「性と愛が一致すること(ロマンチックラブよりいたる性交)」を望むようになり、「性と愛の分離(愛の介在しない性交。体を売る行為)は汚らわしいこと」であるという倫理観が生まれ、今なお根付いている。それも特に女性に対して男性が抑圧を行っていたというのが、風俗産業の発展をみれば明らかで、男は外で遊び、女は家で待つという思想である。それは女性自身も無自覚に守っていたルールだったのだが、女性の社会進出によって薄れつつあると言われているが、それはまた別の話。
元来オタクという人種の多くは「現実から趣味領域への逃避者」という起源を持つわけで、そんな中自分の大事な空間にまで都合の悪い現実が侵食することを猛烈に嫌う。つまりある意味、オタクは「嫌な現実」と「好ましい妄想」の境界が誰よりもしっかりできる。逆説的にオタクは現実から逃避しておきながら「嫌な現実」を十分に認識していると。嫌な現実というのは先ほど述べた男性中心的な倫理観に基づいて判断・選別しているわけで、オタクはその煽りを誰よりも受けているのだと思う。
つまり声オタは「好ましい妄想」領域に存在する声優(いわば2.5次元的な存在)が「嫌な現実」(性と愛の分離した存在)に転化することを思想的マッチョである故に認めたくなかった。。
ここでフェミニズムに偏った言説を披露する気はない。ただ事件直後に見られた「声優の○○は松田の肉便器でしたwww声オタ涙目www」「○○ちゃんを信じてたのに裏切られた!」みたいな下らんやり取りを見直して欲しい。「別に処女だと思ってたわけじゃないし。」なんていう発言も似たようなもんだと思う。要するに処女だと思い込むような「どどどどど童貞ちゃうわ」みたいな感じでしょう。一瞬でも無意識に枕営業についての嫌悪感を抱いた理由を自問してはどうだろうか。
「私はピルを使わない」と主張するのは個人の自由だけれど、日本のピル研究とピル普及の邪魔はしないで欲しい。
無用な誤解を助長するような単なる感情論は止めてほしい。
無責任にピルを推奨する男性(しかも快楽のために)の存在の方が誤解を助長してピル研究とピル言及の妨げになっていると思うよ。
女性自身が不安に思うのは事実なのだし、当たり前なのだから、どうしたらそれを解消できるか、を根本的に考えるのがピル普及のために必要なことなんじゃないの?
別に女性側からピル研究とピル普及の邪魔をする気はないと思う。
今ピルを毛嫌いしている人は、研究が進んで安心要素が増えるのなら、むしろ歓迎しているんじゃないのかな。
そういう言説も無用な誤解を助長する気がするよ。
こういう押し付けがましいことを大上段から唱えるヤツのセックスって自分勝手で女の演技やお世辞を真に受けて悦に入ってそうでイヤだ。
○「パイプカットの手術でもして」
だろ。ウンコ野郎。
「ここにもいたぞ! ピル反対論者」
元記事の人は他人がピルを飲むことについては別に反対してないだろ。本人の経験から飲みたくないと言ってるだけで。それを反対論者呼ばわりか。お前どんだけバカなんだ。
「オマエみたいなやつらが日本でのピル普及を阻んでるんだなぁ・・・」
ここにもバカがいた。こっちの元記事の人も自己判断で服用することについては反対してないだろ。女性側の気持ちも考えずにアホみたいに飲め飲めと押し付ける男に反発しているだけで。
日本のピル普及云々言うなら処方箋なしで薬局で買えるようにしないお役所の偉いおっさんたちに文句を言え。
しかも
こんなブクマまでつけてるバカまでいるよ。うわー。
低容量ピルの導入については先進諸国の中では日本だけ遅れてて女性側から長いこと要望があったのに役所が及び腰でのらりくらりと逃げてたんだよ。
認可まで10年かかってるんだぞ。
その理由もバイアグラは半年で速攻認可したことに対する反発があってのようやくの認可。アホかと。
その後の役所やマスコミの低容量ピルに対する周知も未だ充分とは言えない。
そういうのを無視して他人の自己判断に口を出すってどういう了見だ。
女性自身にもいろいろなコストやデメリットを考えてピル飲む飲まないを判断する権利ぐらいあるに決まってんだろ。
そもそも、自分は飲まないにしたって、低容量ピルの存在自体や自分以外で利用している人を否定している女性なんてほとんどいない。
本人が本当に必要だと思えば頼まれなくても飲むに決まってんだから勝手なこと言うんじゃねえよ。クソが。
16、17、18歳くらいを超えた男女に対しても「女子/男子」って言うようになったのっていつ頃、どこからなんだろう。感覚的には3年くらい前からなんだけど。女性誌とかが発信元なのかな?
あと、そもそも「子」って用法は「子供」の「子」なのか、「君子」とか「諸子」の敬称の「子」なのか。よく分からない。スポーツで「女子/男子」なんていう時は、敬称としての用法なのか? 通常の「女子/男子」は文脈から言って「子供」の「子」だと思うから、この場合の「女子/男子」も「子供」としての用法なんだろう。間違っているなんて事は言わないが、何で子供に対する呼称を自ら使用するのだろうか。
何が言いたいかというと、20過ぎた男女が自分で自分を「女子/男子」なんて言ってるのを見ると吐き気がするって事なんだけど、なんで吐き気がするかと言うと、その言葉の裏に隠れた「私は女性性/男性性と言うセクシャリティの観点からラベリングされたくないんです」と言うセクシャリティのラベリングを自ら施してる矛盾に腹が立つんだろうな。
端的に言うと「私ってセックスアピールガンガンってタイプじゃないんです」って言う、その媚びがセックスアピールに繋がってるんじゃ……と言う戦略の嫌らしさがムカつくというか。
更に、「女子/男子」とか「ダイエット部」の「部」とか、イチイチ学校文化に準えて、子供っぽさと言うかマイルドさと言うかナチュラルさを醸し出そうとして、実はやってること普通の女性と変わらないよね? みたいな。
さらに「女子力」なんて言葉を聴くと「?」と言う感じになる。ガッついてように見られたくないんだか、ガッついてるように見られたいのか、意味が分からない。
そう、なんていうか、ガッついてると言う女性自身の意識を自ら隠蔽したいのか、それとも男性から(実はガッついてはいるのだけど)ガッついてるように見られたくないという、外からの視点を意識した戦略なのか、その辺が曖昧でなんとも言及しづらくて、それが余計にムカつく。むしろ、その曖昧な意識を上手く掬い上げているからこれだけ言葉と浸透するんだろうな。
誰かアタマの良い人、上手く説明して。
まあ、ムカつく/ムカつかないなんてお前の事情だろ、って言われればそれまでなんだけど、言いたかったから言う。
……ってこれ、何か既出のような気が。
「スピリチュアル」を周りに薦めてくるやつの話。
大学の講義なんぞ聞いたこともなく、「女性自身」しか読んでないような下流なOLが、
ちょっと「泣ける」っていう要素を入れたスピリチュアル心理学を読んだ途端に目覚めて、
これはいい、これはいいと勧めまくってくるってだけの話じゃないのかな。
急に高尚さを求めだした的な。
カウンセリングや心理学を専攻している方面からの評判は聞いたことがない。
(あったらゼヒ紹介してください、読んでみます)
出来で言えば圧倒的に、カウンセリング・心理学>>>>>>泣けるスピリチュアルなんだが、
下流OLはカウンセリングや心理学などという高尚な学問に触れたことがないので、
泣けるスピリチュアルで満足している、と見ることが出来るのではないかな。
最近、泣けるスピリチュアルから派生した、「泣けるスピリチュアルじゃないカウンセリング」が話題になっているけど、
学問性を追求していることの現れなんじゃないかな。