はてなキーワード: 井の中の蛙とは
学部生の考える「こんな研究がしたい!」ってのは井の中の蛙な事が多いし
興味の無い研究やってるラボでも、詳しく内容を知ったら意外と面白いことやってるじゃん、
なんてのは良くあることだ。
学部生の考える「研究の道に進みたい」にも同じことがいえる。
俺は院に入ってから研究とか専攻分野そのものに興味を失って
結局文系就職したよ(もっとも、外資金融・コンサルなど理系卒エリート文系就職ではない)。
研究とか理系とか、そういう世界と完全に縁を切りたかったから。
今思えば、学部時代は単に「お勉強」としての専攻学問が好きだったにすぎず、
「その専攻分野で食っていく」という意識があまりに低すぎた。
この前、学生時代の友人と会ってきた。
まだ卒業から10年も経ってないが、おそらく年収ではウン百万単位で差が付いてるんだろう。
言わずもかな、彼のほうが上。
んで話してみて思ったんだけど、その友人は実に見識が広い。
仕事のこと、将来のこと・・・。
どこを取っても、自分より広い世界を見ている感じがするし、自分には持ち得ない視点も持っている。
もちろん、学生時代はそんなことを感じたこともなかった。
そもそも、彼の仕事の話が面白いのね。
彼はどちらかというと口下手な方で、つまらない話を面白く聞かせる技術があるわけでは無いのに、
自分にとって興味深い話をいくつも聞かせてくれた。
もっともこれは、仕事内容が面白いとか、仕事にやりがいがあるとかとは別の次元であって。
自分みたいなIT土方に「さあ話せ」と言われても、到底無理な領域ですよ。
結局これも、格差の一つの形なのかな、と思った。
になるのは間違い無いと思う。
もちろん、これは仕事の面白さとは関係ないし、業務遂行能力とも相関しない。
高収入だろうが仕事できない奴はできないし、その逆もまた然り、だと思う。
でもこういった「見聞格差」だけは、本やネットでいくら勉強しても、どうにも埋められない部分なのかなと思った。
「井の中の蛙、大海を知らず。されど空の青さを知る」
自分もまた、結婚して家庭を作って、小さな幸せにこもることになるのだろうけど
それって本当に「小さな幸せ」に過ぎないんなんだろうなあと、つくづく感じてしまう。
追記
「自分もまた、結婚して家庭を作って、小さな幸せにこもることになるのだろうけど」がどんだけの非モテを無気力にさせているか少しは考えろ。(省略しないで云ってみました
やだよ。
増田は非モテの所有物ですか?自分たちが(増田の)多数派だから偉いという思い込みは捨てたほうがいいよ。
追記2
再びid:FTTH様
ボケ殺し乙
ボケでやってたんだ。最悪だな。
医者だけに任せといたら医者の仲間内だけでずるずる免責しあうだけだろうに。
過剰な訴訟が医療を萎縮させるから、全ての医療ミスを免責しろってか?
業務上過失致死罪を廃止せよとか言ってる奴いたっけ。それは無茶だ。もうちょっとあんだろやり方が。その辺医者が考えられないんだったら、そりゃ法律家の仕事じゃねえ?
してないからあんな馬鹿言うんじゃね?
俺は自分の仕事に関係する法律はだいたい勉強してるから、人文学を馬鹿にするようなことは恥ずかしくていえんなあ。モニタの中で数値が上限するのだけがセカイだと考えるのは、いかにもパソオタ的井の中の蛙だな。
http://anond.hatelabo.jp/20080518030942
これ読んで昔の自分を思い出したから書いてみる。
私はまだ結婚していないけれど、随分長くお付き合いをしている男性がいる。
彼は年下だから、付き合いだした当初は「年上としてしっかりしなければ」と思っていた。
ところが蓋を開けてみると驚くほど真逆で、私は彼に教わる事ばかり。
彼の読んだ本を興味本位で開くものの、最初の1ページすら理解できない。
ニュースなどで聞いた分からない言葉について問うと、ほぼ完璧にそれについて説明してくれる。
時々、理解できない難しい話題を振ってくる。もちろん、私はまったく理解できずに頷くだけ。あるいは聞き返すだけ。
自慢するわけではさらさら無いけれど、学生の頃は勉強が出来るほうだった。
問題がわからない、ということが無く、努力をする事も無く、つまり壁にぶち当たることなく生きてきた。
だからこそ、彼と知り合って痛い程思い知ったのは、自分は「井の中の蛙」だったと言う事。
最初の頃はそれを認めるのが癪で、本当にくやしくてくやしくて
がんばって分かってるフリをしたり
分からないことはこっそりネットで調べたりしてみたけれど
数年経って、なんだか吹っ切れてしまった。
当時は、その環境に慣れたせいかとも思っていたけれど、多分ちょっと違うんだろうな。
今になって思えば、何年も一緒いて、ちょっとだけ勝てる事を見つけたせいだと思う。
例えば料理は私のほうがいっぱいレシピ知ってて美味しい物作れるぞーとか
ペットを飼ったことの無い彼は知らない、犬や猫、小鳥なんかの習性を私は知ってるんだぞーとか
もう本当に些細すぎるくらい些細な事だけれども、でもそれが確実に自分の自信になって
ああ、得手不得手ってあるものねって思えるようになった。
もちろん今でも彼のほうが知識量も豊富だし、きっと私より賢い人なんだと思う。
でも彼のちょっと苦手な所を私が補えば最強じゃん、と思ったらすーっと肩の荷が下りた気がして
今でも毎日仲良く食事が出来るわけです。
日本で大ヒットの「モンハン」、なぜ海外で売れないのか という記事が出ていたのだが、私も前から考えていたことなので、2点書いてみる。ちなみに私はMHFを少しやったことがある程度。
あくまで個人的な経験上だが、この話題が出たときにここに触れる人は意外と少ない。はてブでもここに触れている人は二人しかいない。
DiabloやFPSの例を挙げるまでもなく、海外はネットゲームの歴史がもの凄く長い。日本のコアゲーマーがゲーセンで人間関係を築きつつゲームしていたのと似たような形で、海外のゲーマーは10年以上ネットゲームに慣れ親しんできている。しかもこの状況はPCだけの世界ではなく、少し前にはてブでも取り沙汰されていたように、XBOXでも同様の環境が構築できた。XBOX Liveがサービスインしたのは2002年11月だ。
PCなら10年以上、コンシューマでも5年以上前から「ネットゲーム」が浸透し、ボイスチャットなども使ってきてフルにコミュニケーションを取ってきたゲーマーに、キーボードすら持っていないような人も多いMHのネトゲ部分のどこをもって訴求出来るというのか。
一概には言えないが、米国ではタイミング押しが必要となるタイプのゲームは比較的流行りにくい。アクションゲームとして、FPSを始めとする反射速度と操作の精密さを求めるゲームとは傾向が逆だ。
特にMHはその傾向が顕著なゲームだ。ネトゲ研究日誌のコメントでも次のように述べられている。
北米在住の友達とMHについて話したことがあるんですが、どうもあらゆる行動に儲けられた2,3秒のwaitが、彼らを苛立たせるようです。(これがメディアに信じられないほど鈍くてイライラする操作性と書かれます)
あの設定はゲームデザイン上不可欠なものですが、たぶん楽しむより先に投げてしまうんでしょう。あちらでもユーザーの評価は高いので、それこそ最初の10分で楽しませれる所まで行けばあっちでも爆発するんじゃないかと思っています。
日本人ゲーマーは海外をバカにしすぎではないかと感じることが多々ある。酷いものになると「あいつらはバカだからFPSみたいな単純なゲームしかわかんねーんだよ」などという意見まで出てくる。一度海外で流行ったゲームをやってみればいい。長大なストーリー、複雑なアイテムやスキルのシステムなど、バカには理解しきれない要素がてんこ盛りだ。むしろ日本のネットゲームなど海外のものの劣化クローンの方が多いぐらいだ。ましてや短調な成長曲線の韓国製MMOのようなゲームなどほとんど無い。
地域などによって指向が違うのは良くあることだし、それを理解できない人間は英語が出来ようがフランス語が出来ようが、異文化を理解することは出来ないだろう。普段こぞってバカにしている中国や韓国と何も変わらない。
日本のゲームが下らないなどとは思わない。日本のゲームは良く作り込まれていて面白いゲームがたくさんある。日本より海外の方が受けがいい日本製ゲームだってある。
日本のゲームが好きなら、あえて一度海外のゲームをやってみるべきだ。日本のゲームだけにとどまっていては井の中の蛙だ。ゲームに限った話ではないが、大海に出て初めて気付く井戸の素晴らしさもあるし、また大海の素晴らしさも知ることが出来るだろう。
増田の言いたいことに対する答えとはちょっと違うけど
コンピュータを扱うのには数学と論理能力が必須のように思えるが
実際にはそんなことはないし、できない奴の方が多い
ギークのタチが悪いのは
プログラムなんてちょろい事がちょっとできるだけで天狗になっているところだ
一人前になるのに修士の学力と10年の修行が必要なアナログ屋や材料屋と比べると
プログラムなんて筋があれば専門生でも3年も実務をやれば一人前になれる
メカエンジニアのころの同僚は何かしらの意味で世界一の人達だらけだった
SEの今は何かしらの意味で日本一の人は同僚にいるかも知れない
しかし、世界一からはほど遠い
まともに数学と自然を観察する目が必要なエンジニアになることをお勧めする
金はSEが一番もらえるけどねw
1 名前: 就職戦線異状名無しさん 投稿日: 2001/02/03(土) 03:00
学校名で足切りするのは卑怯だなんてガキっぽいこと行ってるオバカサン
はいますか?
1流大学ほど個人の能力が高い学生がいるから学歴差別があるのではあり
ません。他にもさまざまな要因があるのです。
1.人脈;大学の先輩や同級生が大手の取引先に多い。
3.家柄;1流大学の学生ほど家柄がよく、学問のみならず文化、
4.視野の広さ;1流大学には優秀な学生がたくさんいるので、自分の能力
をきちんとわきまえている。井の中の蛙にならない。
5.要領の良さと忍耐力:難関とされる受験を突破してきた学生はこれらの能力を
持ち合わせている。
以上のような理由から、1流大ほど就職に有利なのです。
で、断った。前回ので懲りたんだよ。
まず、主催者が延々と下ネタトークかましてて、下品なことこの上ない。
それでも自分のテーブルで盛り上がってるだけなら別にかまわないんだけど、関係ないテーブルまで来て邪魔しやがる。こっちはまじめな技術話で盛り上がってるのに。
自重するように言ったら、「俺様に指図するな」って空気をまといやがりましたよ、このメガネデブ。
「俺たちは有名なサークルなんだから敬いやがれ!」ですか。ウザイウザイ。
そりゃあ同類のなかじゃあ有名なのかもしれないけど、ジャンルが違ったら誰も知らないんですよ、あんたたちなんか。
まったく、狭い世界で名前が売れたくらいですぐ勘違いするんだもんなぁ、この手のオタクは。
まさに井の中の蛙だ。そういえば面も蛙っぽかったな。なるほど、そうなるものなのかもしれないね。
むかつくって言うか、無知を哀れむっていうか、想像力のない大人が大嫌いっていうか、
「僕は落ちこぼれでした」って言っても納得してくんねえ奴がいるんだよな。
返ってくる言葉は決まって「でも、早稲田なんでしょ」って言われてね。
ああ、やっぱりなって感じで。はい、もうこいつ低脳決定。
あのねぇ、うちが行ってた中高一貫のところは半分が東大に行って残った半分が京大、
さらに残りの九割が神戸や東北に行って早稲田や慶応みたいな私立に入る奴なんて極少数なんだよなぁー。
入るまでは無敵モードでこのままその状態が死ぬまで続くかと思ったら上には上がいるって叩きのめされるわけだから歪むよ。
金持ちのボンボンでイケメンでスケボー片手に登校して成績抜群なんて奴もいるからねー。それを横目に「けっ」って感じでルサンチマンでいっぱい。
学校終わったら落ちこぼれグループでゲーセン行って夜10時まで遊ぶような輩だったのさ。不良だろ?
いや、早稲田入ったら学校の快挙とか言われるようなところが良かったよ、俺は。鶏口って良い言葉だよね??。
なんでエリート養成校にルンルン気分で入学してこんな思いしなきゃいけなかったのか。
あれって6以降からなんか 6以前涙目www井の中の蛙おつwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://anond.hatelabo.jp/20070617001000
バスは一時間に一本で午後8時台が終バスだし、電車なんかそもそも「走っていない」ところに住んでいるけど、ネットが無かったらオタ的な知識というか、そもそもどういうアニメやゲームが流行っているのか、なんて一切分からなかったと思う。
一部に極端に固執した、オタクの中でも極端に偏執狂的な存在となろう。これは、無数のオタク的情報を扱うことに長けた、現代的な都市オタクとは若干異なっていることだろう。井の中の蛙は大海を知らず、されど天の高来を知るもので、流行のマンガもアニメも、その名さえ知らないという人が、ひとたび彼の好むものの話となると、信じられないくらいに輝き出すものである。
多分この部分に当てはまるのだと思う。俺は。
ネットで情報が得られても、アキバやコミケを体験することは、なおいっそうの影響を与えるものだよ。実際、ある人などは、友人たちの面前でエロゲをプレイしていたくせに、取締強化前の殆ど公衆猥褻的なアキバの風景に絶句してしまったものだった。
また、田舎だと、下手にオタ趣味がバレると同年代からの虐めの対象になるのみならず、近隣住民に「某さん家の息子さん、変な趣味を云々」なんて噂が広まるので、しかも口伝していく内に異常な変態として神格化されていくので、最悪の場合自宅に「隠れて生きよ」を実践しなければならなくなってしまう。ので、綾波の絵を踏み踏み、隠れオタとなって生きることになる。
ところで、上のような理由で地域格差だけじゃなくて、地域差もまた存在すると考えられる。抑圧されたオタクのうちからは、やがて異端者が現れるだろう。恐らくは、彼らの多くは妄想の扱いに長けた存在であり、少ない情報からオタク的な楽しみを引き出し、増幅することを得意とするだろう。或いは、一部に極端に固執した、オタクの中でも極端に偏執狂的な存在となろう。これは、無数のオタク的情報を扱うことに長けた、現代的な都市オタクとは若干異なっていることだろう。井の中の蛙は大海を知らず、されど天の高来を知るもので、流行のマンガもアニメも、その名さえ知らないという人が、ひとたび彼の好むものの話となると、信じられないくらいに輝き出すものである。
映画化も決まり、友人が口を揃えて面白いというので読んでみた。初の奈須きのこ。
驚くぐらい面白くなかった。これは確かに同人小説だ。オナニー文だ。人を楽しませようという意識が微塵も感じられない。
説明が長すぎるという感想をいくつか読んだが、逆だ。必要な説明がまるでない。特に人物を表現する描写が少なすぎる。これでまず初読みの読者は振り落とされるだろう。表紙を描いている武内氏のファンやアニメ・ゲーム等に慣れ親しんでいる人間でないと、和服の上に皮のジャンパーをはおるユニセックスな美女というものを、この文章だけではまず頭の中で構築できない。俺の想像力が貧困なのは認めるが、それ以前の問題だ。想像させる材料がない。最初から、ファンでないと読めないのだ。
そう友人に伝えると、
「これを読み辛いという奴は普段から文章を読んでない証拠」
「式はまったく新しいヒロイン像」
アホか。それも逆だ。俺自身はクソのような文章しか書けないが、素晴らしい文章・難解な文章はたくさん読んできている。この世にはこれ以上に面白く難解で、かつ読みやすい本なんていくらでもある。その上で、わざわざこの本を読むメリットが見当たらないと言っているのだ。語彙力の問題じゃねえ。お前らこそ、俺の知ってる限りエロゲの文章とラノベしか読んでねーだろが。その中では難解で斬新の部類に入るだろうが、これが文章の最高位とは井の中の蛙も甚だしい。最初からこう言え。
「これを読み辛いという奴は普段から【奈須氏の】文章を読んでない証拠」
俺は奈須氏のファンではないから、わざわざ氏に親切な読み方をする気にはなれない。
これは読者を選ぶ作品だ。読者に奈須作品の事前知識と武内絵変換機能を求めている。氏の他作品を読んでから読んだ方がいいというのなら、「月姫 番外編」とでもつけておいてくれ。帯にでっかく「奈須きのこファンしか楽しめません」と書いておいてくれ。単独の講談社ノベルスのような顔をして全国の書店で売らないでくれ。そうしたらこんなイライラした気持ちにはならなかった。
俺は小説というものにエンタテイメント性を求めている。「楽しい」「悲しい」「ムカつく」どれでもいい。その話に共感して、なんらかのカタルシスを得たい。そういう意味では、この本は俺には合わなかった。友人が好きなものを好きになれなかったのは非常に残念だ。
むしろ僕個人の愚痴なわけだけれども、まずはこの記事を読んでから。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/956179.html
広島県が「人権教育」で知られるなんて知らなかったものだから、広島県福山市在住の高校三年生の僕は上記の内容をより詳しく読みたくて、櫻井よしこ氏の「日本の危機」を購入したんですよ。
「人権教育の柱は、”差別・選別をしない”です。結果として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければいけない。ですから、普通にあるような授業の始め方”起立、礼”さえもありません。”はい、静かにして” ”席について”と何となく始まり”ここまで”と何となく終わるんです。
僕が小学五??六年生の頃だから、五・六年前になるのかな。僕の通っていた小学校では、「起立、礼」の廃止はありませんでした。
ただ、特筆すべきは給食のとき。
小学校の給食では、日直やら当番やらが「いただきます」の音頭を取るのはどこの小学校でもあることだと思うのですが……
僕の学年、いや、学級ではその「いただきます」の合掌を担任が意図的にやめなさいと言うのです。
先生の言い分は、宗教的に「いただきます」で手を合わせることが出来ない人だっているでしょう?と、いうもの。
他にも何か言っていたような気がするけど、思い出せない。
では、どうやって食事開始の音頭をとるのか。
1.日直が教卓の前に立ち、教室を見回す。
3.皆に給食がいきわたっている事を確認する。
4.「では食べてください」と言う。
僕の学級ではこれが日常だったのです。
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「公立学校の学力低下で、県内外の私学や国立大学付属校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は”なぜ私学か” ”なぜ県外か”と苛めるのです。
私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、一週間食事もできない程になりました」
そういえば僕の担任教諭も飛びぬけた子が嫌いだったなーと思う。
井の中の蛙だけれども、僕は小学生の頃、学習塾に通いクラスの中で一、二を争う成績を修めていたんです。
それでもって県下では最高レベルの中学校、広島大学附属福山中学への進学を志していました。
小学五・六年生と言えば、反抗したいお年頃。
僕も例外ならず、他の生徒とつるんで教師に迷惑をかけていたわけです。
で、僕の担任教諭は、「僕」が教師に迷惑をかける理由を、「僕が国立大附属を志望しているから、塾通いでストレスが溜まるから」と言い切ったのです。
その当時の僕でもさすがにおかしいと思いました。
他にも私学や国立大附属を志していたクラスメイトはいましたが、僕だけに矛先を向けたのです。
その事が理由かどうかは知りませんが、僕が給食を残そうとすると、担任教諭はそれを阻止し、「食べるまで離さない」と言い、昼休憩の間僕をずっとイスに縛りつけたり(残している生徒は他にもいたが)、放課後僕だけを教室に残し、「どうしてこんなことをするの?(どうして私達に迷惑をかけるの?)」と被害者面で聞いてきたり。
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そういえば、僕が小学六年生の頃の日本の首相は森喜朗でしたっけ。
音楽室に六年生だけを集めて、六年生の担任教師二人とプラスアルファの教師が、僕らにこんな質問を投げかけた。
「一番大切なものって何だと思う?」
さぁ、みなさんも一緒に考えて見てください。
「森首相?」
クラスの誰かが言った、しかし答えはNO。
「天皇?」
…教師達の提示した答えは「自分自身」。
その当時アホだった僕は「なるほどー」と思ったりした。
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これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。
小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。
卒業式では、「国家を斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。
歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。
それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。
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長々と書いてきたわけですが、他県の教育の現場はどうなのでしょうか。
案外広島県と変わらなかったりして。