はてなキーワード: レイプ神話とは
公共の電波で「痴漢被害者が痴漢を引き起こしている。被害者ぶるな」とセカンドレイプができてしまう日本。それが「正論」と言われて何千RTもされる日本。
https://twitter.com/_auel/status/793758629773979648
「痴漢防止運動をしている超ミニスカ女子高生wwwこりゃ痴漢がなくならないわけだわwww」のコラ画像が何万rtもされる国日本。「夜中に出歩く女はレイプされても文句言えない」と日本会議の女たちが言う日本。この国にはナチュラルに、デフォルトに、セカンドレイプ思想が根付いている。
共通してみられるのは「被害者ぶるな」という言葉(被害者だというのに)。これは「レイプは露出が多いから起こる」というレイプ神話や自己責任論のほかに何か関係しているのではと思えてならない。
真性のレイプ好きとレイプ物好きは分けたほうが良いと思うんだ。
快感なんて感じたら駄目だと聞くし、それを謳ったレイプ物も多い。
そうしたものは、普通の感性でみたら、とても性欲なんて維持できない。
巷で言われている「レイプ神話」を構築するような温いレイプ物は、征服欲やら嗜虐心やらを満足させた上、相手が痛がっていない点で嫌悪感も下げている。
もうそれはレイプとは別物で、それこそレイププレイとでも呼ぶべき代物だが、それが良いと言う諸兄も多かろう。
マジもん(に限りなく近づける)レイプAVと、レイププレイをしているレイプAVでは、危険度とか規制の理由とか違ってくるはずなんだよな・・・
陵辱ゲーのレビューと絡めて規制問題とかについても色々書きたかったけど書けずにいる。なんだか疲れてしまって。
必死に色々書いても伝わらない気がして。
妊娠中の性交の危険性についても書きたかった。禁忌ではないけど、注意が必要なこととか。ハイリスク妊娠についても書きたかったなあ。
堕胎についても。堕胎したあと不妊症になった母について。その不妊症治療の結果として産まれた自分について。不妊治療が原因なのか、母が2度も乳がんになったことについても。また、堕胎することで産まれてこなかった自分の兄か姉への思いも。さまざまな事情から堕胎を選ばざるをえない事例についても。結果として自分が三十路童貞であることについても。
陵辱ゲーを楽しんでやってるって?すべてのプレイヤーが楽しんでると考えているんだろうか。
一発抜いて賢者モードになってから、色々考える。ゲームが架空の話だとしても、似たようなことはきっと世界のどこかで起きている。なにより、抜いた自分の欲望は現実に存在している。
現実に存在している脅威としての自分の欲望にどうやって立ち向かうか。
自分の目の前で集団レイプが進行中で「お前もどうだ?」とか「据え膳食わぬは男の恥だ!」とか言われて煽られても、冷静に行動できるか。友人知人を警察に突き出せるか。
男性社会からの言われなき差別。童貞だと気持ちわるいとか言われてtwitterでremove&blockを食らったりする。人格を否定されたりする。欠陥があるんじゃないかといわれたりする。そのすさまじいまでの同調圧力について。それに辟易している男性が意外と多いことについても。
ポルノは人の欲望を計算した上で書かれているということについて。欲望・情熱のままに書けばそれは文学と呼ばれる。計算の上で書けばポルノと呼ばれる。
エロゲには陵辱ゲー以外のジャンルも存在する。レイプ神話に基づかないものもある。それはエロマンガにももちろんある。そのことについて。
善を知るには悪も知らなければならない。悪とされるような表現を取り締まると、善をよく知ることもできなくなることについて。闇を知らなければ、光が光であることもわからない。光の価値もわからない。できれば、実例もつけて具体的に説明したかった。
女性は強制的にセックスをさせられたり恐怖を覚えたりすると防御反応として「濡れる」ことがあることについて。男性でも触られたら勃起するでしょう?それがすなわち「望んでいる」ということになるか?ならないでしょう、ということについて。こう説明すれば、多くの男性も理解してくれるんじゃないかと思って。生理的な反応として濡れるということがあるのだ、ということ。濡れたから同意した、屈服した、と理解するのは間違っているということについて。
偏見で傷つく性犯罪被害者について。この点はまだ考察不足。言葉を尽くしても分かり合えないかもしれないと感じ始めている。世に満ちている偏見が凄まじすぎるからかもしれない。偏見をなくすには語り続けなければならないのではないか、ということについて。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090618/1245276627
エロ表現がカジュアルに流通しすぎて、ただの流行りものとしてしか捉えられず、今回の議論内容みたいなものが何も検討されないまま新規参入層が増えていく……というのを、ぼくは懸念しています。
とか書いておいて、
今月のメガストアの付録DVDに収録された、かなりベタな凌辱エロゲーなんかだと(このタイミングでそればっか3タイトルも入れるあたり完全に喧嘩売ってるというか、規制前の駆け込み需要を見越していて実にしたたかですね……)どうなんだろうと考えました。
ってなんなんだろう。どう検討して陵辱エロゲー情報アリのメガストアでライターに参入してるのか。議論内容を気にするのなら、どうなんだろうと考えましたじゃなくどうなんだと聞いてこいよ、という感じがする。そんなことしたら仕事がなくなる? 性差別に加担しなきゃいけないような構造自体が、差別的でいけないんでしょ?
というか、「感じる」という語がすでに「本人も愉しんでいる」「いやよいやよも好きのうち」というレイプ神話的な意味を内包している。
も意味不明。内包してる、じゃなく勝手に見ている、ということじゃないのかな。強い光を見れば眩しさを感じる、というように「感じる」かどうかは自分の要求とは別に決定されることでもあるのに、「感じる」ことが対象の意思と同期するみたいにいうことがレイプ神話なんだから。現象をどう扱うかの良し悪し判断を現象そのものに広げても仕方ない。だいたい「感じる」がダメならどう言うのだろう。「快感を得ました」とか?
もちろん実際のレイプでは「感じてしまう」ことを結果の正当化と見なすこと自体にも問題がある。
しかしここで問題としているのはレイプものポルノこそが「感じてしまう」ことを結果の正当化として扱っているということだ。
それもまた「レイプ神話」を強化する要因になっていると思われる。
「レイプ神話」とレイプポルノの影響については以下の研究結果がある。
http://d.hatena.ne.jp/usoki/20090511/1242029609
「グラントリノ」等の普通の映画で扱われるレイプ表現はそうだけれど、日本のポルノ界でのレイプ表現はそうじゃないらしい。(欧米ではそもそも和姦ものしかだめらしいけど)
自分はそういうの嫌いだから見ないけど、レイプものが好きな友人に「なんで女が苦しんでるのを見て罪悪感を感じないのか」とたずねたら、「本物のレイプだったら女は苦しむのかもしれないけど大抵のAVのレイプは最後女も喜んでるから罪悪感を感じない。こんなレイプなら自分もしてみたいと思う。たまにガチでつらそうなのもあるけどそういうのは好きじゃない」と言っていた。