はてなキーワード: プラスマイナスとは
っつーか、友達づきあいって損得勘定ありきのもんだと思う。
たとえば、自分がその人に何かをしてあげるのが快感で、その人は人に何かをしてあげるのが快感だとすれば、それは利害の一致した対等な友人関係と言えるわけだし。
形はどうあれ、自分にとって利益のある相手(物質的か精神的かは問わない)と一緒にいるのが、人間一番楽しいわけだから、お互いがそういう相手であれば、利害関係はプラスマイナスゼロで、「一緒にいて楽しい」ということになる。
いきなり無償の友情を求めるのは都合がよすぎるし、こっちがいきなりそれをやったら向こうも戸惑うだろう。
極端にいえば、「損得抜きで自分と付き合ってほしい」というのは、自分の利益でしかないわけで。
「自分を楽しませてくれる相手」という利益を求めてその人と一緒にいてみて、向こうが自分に対して何かの利益を求めてくれれば対等な友達関係は成立する。
割り切って、というか、もっと簡単に「自分が一緒にいたい相手・利益のある相手」とだけ付き合ってみて、その利益を自分が得るために、相手に何をしてあげればいいか、っていうのが人づきあい。これはどこまでいってもそうだと思う。
最低賃金引き上げても採算が合わないなら雇用はなくなる。雇用がなくなる分需要が減るわけだから引き上げた人の消費が増えるといっても全体で見れば、ほぼプラスマイナス0なんじゃなかろうか。値上げしたらその商品から輸入品とか他の安いものにシフトしたりするし、その商品を買った場合も他の商品を買うのにまわす金が減る。
マクロ経済が理解できない人というのは全体で考えるという事ができない人が多いように思う。
リフレで物価上昇というのは全体の物価を継続的に上げることであって、最低賃金上昇させる場合は一部の商品の一時的な値上げでしかない。これだとリフレなんかになるわけがない。貨幣量を増やし続けないとだめ。
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090626/1246030883
「経済学的に正しい」っていうのは、本来的には「有形/無形の障壁なければ長期的にはそこに収束する」という意味(≒予測)であって、「倫理/道徳的に正しい」という意味ではないんだが、経済学をかじった人の中に後者に近い意味で主張する人が多くてから困ったもの。
あと、著作権(文脈的により正確には著作財産権)が「経済学的に」社会にとって有害なのか有益なのかは、前提とするモデルによって(特に静的or動的で)全く反対の結論が出ることは十分にありえるので、「有害」と断定するのはちょっと無理があると思う。ちなみに「有益」な部分というのは、著作財産権がなければ工面することが難しい商品の再生産に必要なお金を稼ぎやすくなるので、著作財産権があることによってより質の高いコンテンツが生産されて消費者もハッピーみたいなところ。
ただし、逆に現行の制度がトータルのプラスマイナスでみて「有益」と断定できるかと問われればそれも微妙で、特に権利期間に関しては、社会的に「有益」な範囲を大幅に越えている可能性は十分にある思う。一部のロングセラーを除いて、作品の売上の大半は発売から1年以内だろうし、何よりも短期的に回収できる売上しか再生産に役立たなさそうだから。
※追伸: つーか、池田信夫先生の該当しそうな記事(http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/70fad22f40bdebcdf8b188c0a103bdef)を読んだら、↑↑と同じく期間の延長に対しての反対じゃん、『著作権なんてみとめるのは社会的に損失だと主張』なんか言ってないじゃん。
それもおかしい。
解決手段から始まった犯罪になってしまった場合、解決手段が原因と考えるのが筋でしょう。
たとえケースが一部だったとしても、それは発生率の中に入るわけだから「発生率」は変動するよね。
これもおかしい。
プラスマイナスで考えたら無視できる数だねっていうのは変でしょう。
ポルノを見て犯罪を犯したのが1件あるけど、1件だけだし数に入れないでいいよね?っておかしいよね。
そういう省いた数では、正しくない情報を残すだけになってしまう。
そんな適当な考えで物事を考えちゃいけないでしょう。
人口増えてたら国債発行が成り立って減ったら成り立たないというものでもないと思うが。人口増加中に財政破綻した国なんかいくつもある。たいていは外国から借りてるからそうなる。日本は国内から借りてるわけだから、極論を言えば明日日本人が全滅したって返す人だけでなく返される人もいなくなるので財政破綻しない。国債発行して現在の負担が減って将来の負担が増えるというわけでもない。インフレ率や金利が上昇することで現時点での負担が発生する。将来世代は返す側であると同時に返される側でもあるので全体としてはプラスマイナスゼロ。負担の偏りがいやならもっと相続税を上げれば済む話。
飲酒は社会に害悪を及ぼすので法律で禁止すればいいんじゃないでしょうか。みなさんだって子供の頃は飲まずに生活してきたわけだし、もとからなかったと思えば生きていけますよ。
今の草なぎくんの心持について想像してみてください。絶対に「ああ飲まなければよかった…」と後悔していることと思います。じゃあなんで飲んだんだよってつっこみたくなりますけど、酒飲んだら楽しいからなんですね。
草なぎくんの人生において酒は酒を飲む楽しさと泥酔の前後不覚から引き起こした不祥事のプラスマイナスの両方を彼にもたらしたわけですけど、この場合マイナスの方が大きそうですよね。
ではこれを社会全体でみたらどうでしょうか。プラスとマイナスのどっちが大きいでしょうか。
いまやタバコはマイナスのほうが多いという意見が大勢を占めていますよね。
アルコールについては今のところぜんぜんみんな好意的に見てることはわかってぼくも書いてるんですけど、20年後はどうでしょうか。40年後はどうでしょうか。ちょっと不安になってこういう釣りがしてみたくなっちゃいました。
みなさん酒はどう思います?
がくえんゆーとぴあ まなびストレート!をようやく見終わった。
とあるラジオ経由で知って興味を持ったので見たんだが、キャラの絵柄に騙されてはいけないと思った。ストレートな学園青春ものだった。色々複雑でプラスマイナスの気持ちが入り乱れて上手く言語化できない。
評判通り、サブキャラのみかんちゃんの成長譚だったな。そして生徒会の「仲間」たち。感動した、と言いきりたい。でもそれだけじゃなくて感情移入できない部分もあってそれが引っかかりになっている。自分の学校生活なんてきらきらでわくわくとはほど遠いものだったことがどうしても思い出されるな。細かいところでは最後いい終わり方だったんだから、スプレーの空き缶くらい持ち帰ろうよ。しっかり者のめぇちゃんがいながら、まったくもう。
これが2007年の作品だということで、リアルタイムで見たかったな。
ま、でもいいはなしだった。見て良かった。
不況の時期に失業者増やしたり設備の稼働率下げても、後でその分多く使えるようになるわけじゃないから、金の面でプラスマイナスゼロでも実体経済はプラスマイナスゼロにはならない。ただのマイナス。
その国際的な学力テストの詳細を読んだんだけどちっとも落ちてないらしいよ。
例えば前回4位→今回11位みたいのがあるんだけど、原典に近い方を見ると「(日本は2位グループ)」って書いてあったりする。
これどういうことかというと、視聴率なんかでもそうなんだけど、300世帯とかの統計を元に出してるから、実際の視聴率に対しプラスマイナス5%の幅があるとされている。
つまり視聴率10%の番組があったとして、本当は5%だったかもしれないし、15%だったかもしれない。サンプル数が少なくてそこまでの特定はできないんだっていう。
この国際的な学力テストでも同様で、2位グループっていうのは、サンプル数が少なくてそのグループ内の序列化が不可能って意味なんだよね。統計の限界。
で、この○位グループってとこからいくと、日本の学力はほぼキープ。
ところがマスコミレベルではここは言わないで、実際の順位だけを言うんだ。世論操作は明らかだよね。話題作りと言ってもいいかもしれない。
ま、それはそれとして、だけどここで注意しなきゃいけないのは、この結果は「上がったか下がったか不明」であって、そこには「下がっている可能性も含まれている」という部分は残る。つまり「下がってない!」という意見ではなく、「不明」という意見だということも重要になってくる。
祝日の月曜日、成人の日。知人Aと話していたのは、私が海外で暮らしたい理由について。
私は日本にもっとコミットしたいのだ、という説明に彼は理解できない表情を見せる。
たとえば、村上春樹は一度デタッチメント(コミュニケーションのあり方とか、もっと物理的に日本からも)に凄くふれたからこそ、今コミットメントに戻ってきているのだと思う。それは、(世の中の)時節とか(人間の一生における)時期とか、色んな要因があるとは思うけれど、一度おもいっきりデタッチメントに触れたからこそ、だと私は思う。その触れ幅があったからこそだと。
私は、もっと日本とか、もっと言えば近しい人々、あるいは家族、にコミットしていかなければいけないと思っている。私は日本が決して嫌いではないけれど、決して好きでもない(プラスマイナス0)。あるいは、家族とは無関係を基調とした関係を築いている(マイナス)。もっと、コミットしなければと頭では考えているのだ。しかし、感覚は動かない。
「海外で暮らしたい」というとある種の人々にはよく言われる、
「日本のすべてを知っているの?日本にはいいところがたくさんあるのに、それを知らぬ間に海外?」
の発言に対する答えとしては、「いちど離れてみないとわからないことがある、私はもっと日本のよさを発掘したいし日本を、日本にいる人を、もっと言えば近しい人々を、家族を、好きになりたいのです、だから海外に行きたいのです」だ。
そう、離れて俯瞰してみないと、別のものと比較してみないと、わかりえないことはきっと多いと思うのだ。井の中の蛙で日本のよさを語る人にはなりたくない。ただの勘違いでないといいきれるのか?俯瞰図を、比較結果を、知識として知りたいのではなくて、もっと感覚的な身体的な言語として会得したいのだ。
あけて火曜日の今日。知人Bと飲みに行った。そこで、再び海外で暮らしたいのはなし。
上記の説明をすると、「ぬるいなー若いなー」というような、青臭い学生でも見るような目つき。
でも、こんな話をしていると、それは凄く納得できると同意を得る。
海外に身を投じること。それは、携帯もない、メールもない、ネットは限られた場所で限られた時間のみ、活字も限られていて、言語的な問題から道行くときのインプットも少ない。日本に暮らしているときとの圧倒的な情報インプット量の差。ようするに、やることのない、無、の状態が多くなるということだ。その状態にあえて身を置くことで、考えるようになる。孤独を感じ、つまらないなーと感じ、自分を深く掘り下げていく。日本にいたときの自分を取り巻く状況を、外側から見れるようになる。必然的にそうせざるを得なくなる。その状況にあえて追い込むことで(そのときはつらかったとしても)得るもの―経験として得るもの、その状況をどう自分は対処するのか、というその過程そのもの―に意味があるのではないかということ。どんどん深まっていき、最終的にはコミットなって必要なくて一人でいいジャンとなってしまうかもしれない、そういう考えの深化。私は、それを求めて旅行ではない、長期的な海外生活をしたいのだ。
それも確かに、私の本心なのだ。しかし、求めているのは結果としての孤独ではなく、そこにいたる過程。
日本にいても、感度のいい人なら、実行力のあるひとなら、あるいは意志の強い人ならできるのかもしれない。けれど私は、あえて異なる環境に自分のみを投じることで、変化を掴み取るというやり方をしてきたし、これからもそういう風に生きていくだろうと思っているし、生きていくという意思もある。
あえて、自分を異質な環境へ放り込むのだ、強制力を持って自分を変えるのだ。
そういう野蛮なやり方が、私にはあっているのだと思う。
だから、私は海外に行きたい、旅行ではなく暮らしたいと思うのだ。
異なる文化に身を投じ、異なる考え方を知りたいと思うのだ。
自分は孤独であることを実感し、自分の孤独をきちんと見つめたいのだ。
日本からの、近しい人からの、家族からの、あるいはデタッチメントになるのかもしれない。
けれどやはり、そこを経ないといけないと思うのだ。そこを経ないと変えられない自分の中の何かわだかまりがあるのだ。小さく硬い見えないけれど違和感のあるかたまり。
それを、気にしなくても済むほどの、あるいはつまはじきにできるほどの。圧倒的な経験(異質なものへの対峙)。
そこを経ることで、生きる事が楽になるような気がするのだ。
だから、私は海外で暮らしたい。
単純に、つきあいきれないとおもったんじゃないのかな。
文面からも、以前から思っていたとあるし。
ただ今まではそれでも、プラスマイナスでいけばプラスが勝っていたから、友達づきあいをしてきたんだろうけど
こういう内容を見せられて、手を叩いてもてはやす女は非常に稀だろうし
γも、とうとう元増田と友達づきあいをするのが嫌になったんでしょう。
メールを出してみるという意見があったけど、返事が来るかは謎じゃないかな。
γは信頼できるが、結構ブサイクで、やる気もやられる気もない。
若い女とはとにかくやりまくりたい。
逆に言えば、セックスの対象の女はとにかくやれればそれでいい。穴さえあればいいわけでしょ。
セックスの対象外の女、γなんかは、ある意味”お前は女じゃない””女としては価値がない”と常に言われてるようなもんだし。
そりゃオスの本音でしょうけどね。ドン引きするよ。
元記事 http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0811/11/news053.html
JnJのプレスリリース(pdf) http://www.jnj.co.jp/group/press/2008/1105/enquetegraph_1105.pdf
血液型によっての違いを見てみると、1カ月以内に歯ブラシを交換している割合が多いのは「B型」(29.9%)、「A型」(26.8%)、「AB型」(23.0%)、「O型」(19.9%)と続き、B型とO型では10ポイントの開きがあった。
ちょっとマテ。
1か月以内交換ライン?
標本数が300人ということは、単純に考えてA:O:B:ABは120人・90人・60人・30人ってことだよね。
ここから各血液型の「一か月交換ライン」における、正規分布を仮定した標本誤差を考えてみる。
参考:ビデオリサーチ http://www.videor.co.jp/rating/wh/07.htm
よって
ということは、どう考えたって
は誤差の範囲でしょー。
男女別にすると、ますます不確かな統計になる。
異性からモテるためには「白い歯が必要」と考えている人は、どの程度いるのだろうか。全体では「重要」と考えている人の割合は57.9%。しかし血液型で見るとバラつきがあり、「重要」と感じているのは、「O型の女性」が最も多く71.0%、逆に「重要でない」と答えたのは、「A型の男性」で49.6%だった。
この結果は、「重要:重要でない」=6:4とすると標本誤差はおよそプラスマイナス15ポイントくらいか。
これも誤差の範囲じゃん。
何よりひどいのは、元pdfファイルにすら「誤差」とか「統計」という概念が全く盛り込まれていないことだ。
こういう「意味のない結果」を統計的な説明もなしに記載することで、Business Mediaみたいなのが「血液型で見る、歯ブラシ1本の交換期間」と釣り見出しを仕立て上げるわけで。
もうねアホかとバカかと。
切り詰めようと思えば切り詰められるがまぁ25万くらいだと二人なら結構余裕があるのでは(誤差範囲はプラスマイナス3万くらいかな)。これだと年収は400??500万位?
子供が生まれると食費や衣服,日用品,その他の部分がかなり増えるので+15%くらいかな。となると600万位。
ソースが見つけられてないけど一般的にもそのくらいだって言われてるよね。
専業子なしなら400??500。子作る予定なしなら400台でも専業でいいっていうならいいよーというかな。
専業子ありなら600くらいから。子供用品って結構かかるし,子どもが成長していくことなどを考えると貯金額も増やしたいし。
兼業子ありだとするなら自分の稼げる額にもよるが600万こえるように調整しながらとかになると思う。
じゃあレスする。
俺は完膚なきほどの負け組だが、あなたの言う「負け組:精神的に不満足な者。人に対して僻みや劣等感を常に持つ。」は当たっている。今の俺がそうだからだ。周囲に劣等感ばかり感じているし、まさに「貧すれば鈍する」だ。
一方で、「人は人、自分は自分」という考え方もできている。人に流されてばかりではいけないと考えている。人からの意見を求めたい。今まで意見されたことすらないから。今度からは様々な会社を受けるつもり。何がやりたい、とかわがままを言っているゾーンでもないので。
勝ち組的要素よりも負け組的要素が本人の中で勝っていた場合、それは負け組的思考に繋がって負け組スパイラルになるんじゃないかな。何か勢いだけで書きなぐったから意味不明だったらごめん。
追記:
結局、プラスマイナスでマイナスが多いと負け組思考、プラスが多ければ勝ち組思考で、お互い少ない部分を意識しないってことだと思う。
男って相手の年齢を「絶対年齢=生まれてから何年経過した肉体か」で判断するけど
女って相手の年齢を「相対年齢=自分の年齢を基準にしてプラスマイナス何歳か」で判断するから。
って言っても女性は絶対に納得してくれないけど。また特に男自身がこのことについて無自覚だったりするし。
あ、うんそうねえ。同年代としか考えてなかったわw 同年代っていうと(自分プラスマイナス3~5)くらいになるのかな。
##追記;
##当ブログの後半に、自分なりのまとめも書いておきましたので、良かったらどうぞ。
##昨日書きたかったけど眠たくて落ちてしまい、書けなかったことを書いたので。。。
##これを読む人達に、一番伝えたいコトだったんで。
を書いた増田だけど。
ブクマが沢山ついてびっくりした。
でも、良く考えれば、エホバの証人って自分を語る人は少ないはず。だって、自分が書いたように、宗教討論なんて避けるからね。
「あなたの信条を聞きたい」って人には喜んで話すけど、「俺の信条を聞いてよ、君はどう思う?」って言ってくる異教徒には警戒モード、防衛モードに入り、あわよくばその場で心の中で「神よ、試練に耐える力を私に下さい」と祈り始める(※本当です。二世なら解るよな?な?)人達なので。
それを、変とも思わないし、当然って思ってる。そういう概念なんだから、しょうがない。
だから、おいらみたいに、ドロップアウトしようとしてる人、もしくはした人しか、こうした場で話すことはないだろうと思う。
もし、現役でこうした場で話す人がいるとしたら、かなりの幹部とか、そういうバリバリの人で、あなたの家の近所にいるかも知れない身近な人は出てこないよ。
特に女性は公の場で語るのは非とされとるんで、女性なら尚更。まず聞けないだろう。
まぁ、それはさておき、ブクマコメントに自分なりにちょっとコメント返ししてみたい。
コメ返し対象のブクマコメントは下記の二つに寄せられたコメント
討論ではなく説得(証言と言う。証言?なぜ?それは、エホバの証人=エホバの証言ってこと)はOKというスタンスなので、言い方によっては結果的に討論に応じるってことはあると思う。
例えば、「あなたが何を信じているか聞きたい」と言えばきっと証言にやってきます。
で、一通り話を聞いた後に「自分はこう思うんだけど・・・どうかな?」と言えば答えると思う。
ただ、その場合でもエホバの証人は「回答できない時は、調べてきますので今は答えれないと言って沈黙せよ」と教えられてるので、やっぱり突っ込んだ話はできないかもだけどね。
目的が「エホバの証人の話を聞く」ではなく「エホバの証人と議論したい」と判断されれば、来なくなっちゃうし。
追記:公開後に読み直しで修正している中、たまたまついているのを見つけたので、ついでにお返事書かせて頂きましたw
JWって結構明確に、リーダー(幹部)系と一般信者に分けられた扱いがある。
で、自分は幹部系で一時期はエリートか?みたいな勢いがあった。
自分みたいに若いうちから幹部系に持って行かれそうなタイプは、自分みたいに考える人も結構いるようです。
ただ、そう考えながらも慣れたら苦痛じゃないしって淡々と宗教やめない人も多いです。
自分の場合、好きな子がおかしくなったとか、そういうのなければやはり淡々とやっていたかもとは思います。
10年もやってりゃ、何でも習慣化して無意識にできちゃいますからね(家々に訪問する奉仕活動=布教活動とか)
ただ、習慣化するってのもある意味、自我が死んでると自分は考え始め、そう思った時から急激に多大な精神的苦痛を感じるようになりましたけど(自分と同じ経験は時々聞きます)
神の組織である以上、減るはずがない。減るとしたらサタンによる試練がはじまったという証拠である。つまり、聖書にある終わりの日が近いという予言が成就しようとしている!って解釈するんで、どう転んでも良い教理になっとる。
二世で脱退ではなく残るが側を選ぶ人は、一般人より組織に友達が多いってのが大きな理由の人も実際いる。ただ、そうなればそうなるほど、友達のために宗教辞めたくても続けないとあかん。
一旦信者になった後、辞めますと脱退届け(断絶と言う)を出すと、宇宙論争を知らないゆえに悪魔の側にいる一般の人より、宇宙論争を知りながら悪魔の側を自らの意思で選んだ一番最悪な奴、という解釈に基づき、徹底的な排他を受けます。
それがどれぐらい厳しいかっていうと、断絶した人と、信者は一緒にご飯を食べに行くというのも許されない。それが発覚すればその信者も警告もしくは追い出される。
で、これは親子の場合でも、可能な限り、断絶した子とは接触を避けるようにといった教理なので、二世の社会人でもない子供は恐ろしくて脱退など絶対にできないのです。
社会人になっても、幼い頃から仲良くしてた人、みんなが自分をシカトするかと思うと恐ろしいという、人間関係の恐怖心から残っている人も結構います(ソースは自分調べ)
ちなみに、組織のほうからクビにされることを排斥といいます。
行われる制裁は全く同じです。つまり、みんなで一斉にシカト攻撃。
断絶や排斥者は数年すると、「戻ってこない?私が悪かったですと認めれば復帰認めるよ」と、声をかけにいく仕組みも設けられています。
元信者だけど心はJWという人は結構多いです。あと、優しい性格の人が多いのでみんなからの一斉に拒絶されることに本気で参る人もいます。
元信者だけど心はJWという人は、何かにつけて不安定になっています。毎日毎日が罪悪感。
普段は意識してないけど、911のテロ事件をハルマゲドンの到来だと確信して、慌てて、神の側につくので助けて下さい!みたいな問い合わせが組織本部にあった・・・というのも有名な話。
ちなみに、排斥になるよーな人は3割ぐらいは、この宗教は嫌いだけど、宗教の中にいる人達はみんないい人なんだよなーって浮ついた心で居る時に、出来心で・・・とか、
うっかりミス☆(いや真意は知らんが)みたいなので、いきなり翌日に排斥措置とられて真っ青って人もいます。
そういう半端者は排斥システムで本当に参るので、以後は真面目に・・・ってこともなく、二回目する人も結構居る。
多分、不倫するようなタイプの人は何度もやっちゃうと思う。知らんけど。ごめん、この行はテキトーに書いた。
いや、その理解はちょっと誤解がある。これは自分の書き方がまずかった。面白く読ますためにちょっと歪曲してた。
「がんばってこの試練を乗り越えれば」ってのは結果であって、目的ではないんです。
詳しくは、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03を参照してください。
最も、それでも結局はそゆことだろ?って言われたら、そうだねぇとしか言いようないけどさ。
現役でも目的と結果を勘違いして、マゾになる変態がいるのも一言付け加えときます。あれは見ていて最悪だった。
苦しいのは当然だ!アハハ!ってのはさすがにJWでもいかれた奴にしかいないよ。
残念ながらJWの教理上、増えることはないです。カミングアウトしはじめてる時点でそいつはもはやJWではない。形だけの奴ですよ。よってこれも、読書感想文みたいなもので、リアルタイムではないということを付け加えておきます。
そう、それをテーマにしたかったんだけど、歴史とかがテーマじゃないけど比率的に多くなってしまって・・・こうした考察を得てもらったのは当初の目的だったので嬉しい限り。結局、自分自身、その一人と言えますしね。
知らない方が幸せという言葉もあるので、プラスであるとも言えるのではないかと。実際、脱退したために一般社会の厳しさ、複雑さ、面倒さについていけず、エホバの証人にも一般の社会人にもなれない元二世も結構いる。ああ、こう書くとやっぱりマイナス面ばかりかなあ。
でも、どうして今の世は不条理なんだろうって鬱な人が希望を持つのが宗教の役割の一つではあると思うので、こういう仕組みは(宗教という性質上)しょうがないようには思います。
デメリット、問題点は同意だけど、プラスマイナスだけで簡単に片付けれない所が宗教にはあると思う。
他の具体例が、当ブログの上記で述べてる「断絶」というシステムです。
脱退自体は自由にできるようになってるんだけど、その場合の心理的制裁が半端ない。自由意志は尊重してますよ、責任は求めますがという側面は一番二世を悩ませてる性質です。自分もこれにはほんとうに克服するのに苦労した。
合わせてお読みあれ。
今度、見かけたら優しい言葉をかけてあげてください。
補足というか寝ぼけて中途半端に書きました。「リベラリズム」自体は初期より歪んだ形で持ってます。詳細は 当ブログの「断絶」の話とか、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03とか。
具体的に言うと、以前より開放的に見えるけど、一方でますます抜けたくても抜けれない二世が増えているというほうが正確だったのかも、です。詳細は上記の通り。
現世救済主義は一時的に信者を増やすのには有効ですが、質の悪い信者ばかり集まります。
それで、今の世に救いはないと明言し、天国に希望持てと言ってしまう宗教もあるのかなと。個人的感想ですが。
自分の親友だった学会員も二世ですた。JWとは違う形で葛藤しとったのは印象的でした。そっちはそっちでいろいろおありのようで。
そうやね!「リング」に出てくる呪いのビデオって例えはいいね。書いたのは全体的な傾向とか、自分なりの考察や感想なんで、全てのJWがそうだとは言いませんよ→宗教論争。
ナチの件は自分はどうでもいいので検証してません。事実であるかどうかも興味ない。テキトーですんません。
そしてそれを自分の精神基盤としている人間には当然、理論で話し合うのは難しいのです。
相手の話を聞いて、相手の価値観(もはや異国の異文化同士の交流と同じ)を理解しないと、話が全く噛み合ないと思う。
あと、別に宗教やってる人間が、サイボーグな訳じゃないっすよw
人間誰だって中身は同じです。欲望を自己否定したり抑圧する人と認める人、その行為を平気な人と苦しむ人、そのあたりの個人差じゃないかな。
表情だけならいい、感情(罪悪感、恐怖心、不安感、多幸感)までプログラミングされるのは経験してほしくはないけど、経験した者にとっては本当、恐ろしい体験です。二度と味わいたくない。
彼女は結果として得た世界の一つであって、役割ってもんではないかも。勿論、新しい世界は見せてもらってるけど。
自分の場合は、医者に薬もらって休職するぐらいまで自分の精神構造を一回バラバラにした。一ヶ月寝たきりになった中で自分の精神を再構築して、客観的に見れるようになった。
役割という言葉を与えるべきなら、その時、自分が壊れそうになっても自分と向き合った、あの時の自分だと認識してるよ。
最も、二度とあんな精神崩壊寸前の経験なんてしたくないけどね。
小さい頃から、この生き方が「真理」ですと言われた場合、そうではないと考えると今迄の自分は何?という自我崩壊になる。
と言われて悪魔主義になる奴なんてのは、なかなかいない。普通に生活して幸せに生きたいって思う人間ならね。
でも、そもそも、神か悪魔か?っていう概念、何よりも二択しかない?二択?何の?この世界って何?
そのレベルまで自分の人格を分解しない限り、幼少から育てられたエホバの証人の子供は、無意味な罪悪感から脱却できない。
増田でトラバくれた、元二世のお二人(http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 と http://anond.hatelabo.jp/20080723111359)はどちらかというと軽症だっただけと言える。
ただ、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 は、役に立ったと思ったり(いや、本当に役立ってるのでしょう。良かった良かった)
オフ会開いて共有してみたいと思うあたり、まだ完全には脱却できていないと推察します。
何かのきっかけで、完全復帰はしなくとも、気持ちが囚われることはあるはず。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951が文中で書かれた「高校でグレちゃった子」の話。
こういう子は、しばらくすると懺悔して復帰する可能性が高いです。
行動すればするほど、心に埋め込まれた精神の規定を成す概念が自分自身を締め上げていくはずだから。
遅かれ早かれ、何らかの行動起こすんじゃないかな。
それか、それを否定したくてもっと自虐に走るかも。
ちなみに、俺はJWの中で好きな子つうか、仲良くお互いにしてた子もいたよ。
男でも本当にいい友達とかおった。
でも、自分の育つ時代が一番、最悪なあのスパルタ時期でさ、みんなおかしくなっちまった。
頭良くて学校でも成績優秀な子が、どうしていきなり停学になるような不良行為を起こすんだい?
俺は、俺の好きだった子や、可愛がってた子、遊んでくれた年上のお兄さん達、が否定したいけど否定もできず、
そして自分を責めるという行動にしか走れずに混乱していく様を何度も見たよ。
自分の場合は、あまりに親が厳しくしたせいか、叱られる時に、叱られる自分と、叱られる自分を見つめる自分を作るようになった。
教理にも納得する自分と、納得できない自分、色んな所で自分が体の中に二人いるそんな精神構造になった。
これ、二世ではけっこう「自分もー」って言う人、いるんだけどね。
ただ、大抵の人は、客観的な自分を肯定しないんだよね。
それを何とか殺そうと努めて、結局、自己否定になり(そりゃそうだ、その精神だって自分だもお)おかしくなったり
それは私が不完全で救いを必要する人間だからなんだわとかいう変な自己解釈(俺の両親とかキモいから解らんがきっとそうだと思う)しちゃったり。
自分の場合は、その二つなっている自分は結局、どちらも自分であり認めなければならない。
おかしいのは俺か?違うんじゃないか?と、考え始め、しかし二人の自分を一緒にしようとすると、この考えは教理に違反している!という罪悪感と、俺はこう思っているんだ!と叫ぶ自分が脳内で騒ぎ立て、まともにまっすぐ歩けなくなるぐらい苦しんだりもした。
もっとも、学校卒業しなきゃ負け、と思い、10日でノコノコ返ったけど。そんなヘタレさ、どうせ。
自分はおかしくない、俺が思うことを俺がその通りに行動するのはおかしくない。これが人間。
それをいちいち、正しいか、正しくないか?と考えて誰も見ていないのに、勝手にビクビクしたり、これは聖書ではNOとあることだ・・・と脂汗が出るのは、俺が信じているからではなく、そのように作られてるからだ。
そうやって、自分で自分にカウンセリング?リハビリして、死ね!クソ宗教!とようやく言えるレベルにまでなった。長い苦労だったよ。
だからって、必死になって幸せになりたいと思わない。
俺の仲良しだった良い奴ら、同じ宗教というきっかけで知り合えたいい奴らは、本当、みんな社会的にドロップアウトしたり、「僕も信じてないけどさ・・・行く所ないじゃん」とかいいながら、今日も宗教活動してる。
俺をこんな目に合わせたのは・・・誰だ?
とか、思って叫んだ日もあったよ。親を蹴り上げて、会衆を燃やしてしまえとか本気で考えた時もある。
でも、そんなことをしたって、何か変わるか?変わらない。
失われた時間、失われた人間関係、無くした友達、好きだった子はもう目の前にはいないんだ。
俺はもうこんな歳だ。社会的にも働き盛りであるべき年齢。
俺がここで止まっても、世界は崩壊しないし、誰も困らない。
明日は淡々とやってくる。
だから、俺はだだっ子のようにぐちぐち言わず、自分で考えて自分で行動して、自分で生きていきたい。
だが、俺は一生、親の愛情としてあなたにああいう教育したのよと言う両親を、憎む事も否定することもできず、振り上げた拳をどこにも持っていけないまま、生きていかなければならない。
俺は、ここでみんなに知って欲しい、知って欲しかったんだ。
あの家にピンポンしてくる変な宗教団体の陰で、俺みたいな奴が一人、世界中に何百万人もいる教団のたった一人の小さな存在だけど.
こうやって、静かに戦ってた奴がいたんだぜ?ってことをさ。。。
ただ、すごく疲れる人生だった。
正式に脱退できたら、彼女と祝いたい。
そして、しばらくゆっくりしたい。。。
俺は、彼女がどういう選択するかも兼ねて、彼女にも教理を他の信者を通して学んでみてもらったんだよ。
彼女は「納得できる部分というか精神的に高い志をもとうしてるのはいいんだけど、自分の望まない話になるとシャットアウトするね」とさらっと言ってくれた。
それで、俺の心の最後のつっかえはとれた。
彼女が入信していれば俺はまた苦悩してただろう。
賭けには勝った。もう俺は大丈夫だ。そうさ、俺だってね俺は一人じゃない、俺を認めてくれる人は欲しかったんだよ。
でも、JWの複雑で独特な背景を好奇心で見てはくれても、俺自身を見て、俺の背負ってきた人生の一部がどんなもんか?みたいな視点から見てくれる奴は、彼女だけだった。
貴重なかけがえのない存在なんで大事にしたい。
俺はこの決断、こういう道を葛藤なしですんなり選べるようになるまで本当に苦労したんだ。
その自分の中に埋め込まれた変な宗教の精神構造のせいで、それを取り除くのが精一杯で、友達を作るのも途中で辞めていた。
恋愛するぐらい余裕ができたのもほんの数年前だ。それまで、自分は生きてるのか死んでるのか、俺は何?俺は誰?俺の本当の気持ちはどこ?って自問自答してたよ。
宗教は否定しない。
でも、誰もそれを強要してはいかん。
何より、子供に必要なのは自分で考え人生を選んで行くための能力と機会を与えるべきだ。
籠の中に突っ込んでも死ぬだけだ。
まぁ、そんな感じ。
言いたい事言えてすっきりした。
これが多くの人の目にとまると思うとすっきりする。
いい時代になったよ。
ネットなければこんな声、絶対に残せなかったから。