はてなキーワード: お布施とは
前二つはあまりご縁がないが
・精神病
この2つは高齢独女のデフォじゃん
だから俺は職場に高齢独女はいて欲しくないんだけど
そしてその2つは原因と言うより結果だろうけど
高齢独女でありながらその2つを回避してる人は
ほぼ間違いなくスピリチュアル
実際法外なお布施も取らず人を救ってんだからさ
ああ、そりゃ失敬。
それは事実だろうな。期間限定の一時的な対処として給付金は悪くない手ではあるが。
確かにそうだが、IMF絡みはあくまで「外国に感謝される」が目的であって「国内の不況を立て直す」ではない。だから肝心の国内経済に与える影響は微々たる物だろう。もっと直接的な対策はいろいろある。
創価学会憎しの感情で給付金本来の目的を見失ったらいかんよ。とにかく今はあらゆる方策を片っ端から実行して食い止めなければならない段階(それをことごとく邪魔してる民主のスローガンが「国民の生活が第一」なのが笑えるというかあきれるというか)。学会潰しなら都議選とのダブル選挙とかいろいろと手はあるし、投票率が上がれば相対的に彼らの力は弱くなっていく。
カーボン様への感謝は、お布施の行為によって表される。これをカーボンオフセットと呼ぶ。たとえば、石油ストーブで部屋を暖めたら、カーボン様の力を借りたことになるので、そのかわりに、日頃スーパーへ買い物に行くのに自動車で行っているのを徒歩で行く。あるいは、庭に木を植えるのもよいだろう。
これらはカーボン様に借りた「電子」を返す行為であると説明されている。
命の杯たる植物体の中で起こる還元反応は神聖にして玄妙であり、光が物質を聖とし、カーボン様のみもとへと還すともいわれる。
あまり知られていない例としては、製鉄もまたカーボン様の力で行われている。
カーボン様は人類の感謝がたりない場合、地上を灼熱地獄、海を大洪水とするドゥームズデーを惹起すると信じられている。そのためカーボン様を崇敬するカルトは全世界で知的上流階級を中心に広まっており、その典礼を決定する公会議はCOPと呼ばれ、教理はキョウトプロトコルという書物にまとめられている。
なおカーボン信仰における贖宥状については、CDSを開発したブライス・マスターズ女史をはじめとした金融業界の重鎮たちによって市場での売買が検討されており、そう遠くない未来にシカゴ商品取引所で売買できるようになることだろう。まさしく、地獄の沙汰も金次第である。その売買ルールの設計はゲーム理論という精妙煩瑣な学を修めた者たちが行っている。オフセットの本質と形相をめぐる議論は部外者にはピンの上の天使の数の評価のごとくに受け取られているが、現実への影響は小さくない。
なぜカーボン様だけが崇敬の対象となり、金属アルミニウム(テルミット)やアスコルビン酸(ビタミンC)はそうでないのか、と論じた異端者ラボアジェは火刑となったと当時の書物に記されている。
読書はいいぞ。お前に自爆攻撃の戦士になることも、お布施も求めない。
まじめに宗教に救いを求めるなら、カソリック教会かプロテスタント教会に行ってみろ。マジ暖かいし、無理強いしない。ある程度互助の精神を持つこと、つまりは礼拝や行事への参加が求められるのでそれを負担に思うならやめといたほうがいいが、行って悩みを言ってみるだけでも意外に歓迎される(はじめにきちんと「信者じゃないし、信者になるかどうかも分からないが」と断ったほうが相手も却って好感を持つし、気が楽)。
宗教はその代わりに安らぎを与えてくれる。イデオロギーは未来への夢想を与えてくれる。もちろん、どちらにも毟り取るバカリの詐欺もいるから注意は必要。
それなりの速度のネットに繋がったそれなりのスペックのPCがあれば、
後は特別何か趣味を持たなくてもそれなりに余暇を楽しんで過ごせてしまう。
本やCD、DVDなんかも買うけど、主な目的はお布施と保存と言ってもいい。
2chやブログ、まとめブログとかまとめサイト、各ニュースサイトも読むようにしておけば、
その日一日の新記事を読むだけで一日はあっという間に過ぎる。
それは未知の情報に対する興味というのもあるし、わかりやすく言えば雑学を仕入れているといえる。
最近は時間の足りなさにそうは思わなくなったけど、知識や情報はとにかく知っておくのがいいと思ってた。
深い知識を持った相手に量や正確さでは敵わないけど、認識をしていればそれだけ相手も説明を省けて楽だと思う。
完璧に知識欲の化け物といってもいい。利用や活用は別で、知ってることに意義を見出していた。
下手な時間の使い方だと思う。少年老い易く学成り難し、人生は長いようで短い、は実感としてある。
当然仕事はあるし友人は居るわけで、どちらも嫌いではなく、むしろその存在に感謝している。
でも、どうしようもなく一人の時間ってものが好きでしょうがない。
これは孤独じゃなくて、完全に染み付いた習性で、嗜好といってもいい。
勿論人並みの欲求はある。お洒落をするのは好きだし、恋人も欲しいと思ったりする。
だけどそういったものに割り当られるリソースは極端に少なくて、殆どを自分のために消費する。
一般的に言えばただの根暗扱いされる気がするけど、
好きなものは好きだからしょうがないってやつなんですよね、これが。
http://anond.hatelabo.jp/20081220125045
これ、すごくよく分かる。もちろん、大事な人が亡くなってしまったショックを受け入れるための儀式として、葬式に意味がないとは言わない、むしろ大いにある。でも。
うちは毎月お坊さんがきて、お経を上げてってやってるから、オヤジの葬式では、まあ、つーつーだった。で、ビジネスなんだなってのもよく分かった。
だいたい戒名ってのが気に食わない。ちょっとの違いでお布施の額が雲泥の差。たまに仏壇で個人的にお経をあげることがあるが、戒名なんて僕は使わん。オヤジはオヤジ、じいさんはじいさん。普通に名前で呼ぶ。
それに葬式ってのも豪華にすればいくらでも豪華にできて、これも目の玉が飛び出る。年収分くらい普通に飛ぶ。バカバカしくてやってられない。やってる中身は実質的に一緒なんだもん。
お葬式のあと、坊さんのところに行ってお布施を出したら、いいやがったねえ。これで飲んで遊ぶお坊さんもいらっしゃいますが、私はそういうことはいたしませんから、ええ、ええ、だって。ウソつけよと心で笑った(この坊さん、昔から知ってるからね)。で、四十九日の法事で、大勢の人のまえで、般若心経読みながらゲップするw。ああ、昨日も飲んだんだなあって。
あ、このお坊さんは気はいい坊さんだし、話しやすいから好きなんですよ。だから、こんなことでいちいち怒らない。むしろ笑った。
まあ、そんなこんなで、葬式って地元の坊さんにとってはたしかに大事なビジネスではあるよなあと感心した。うまくできてる。
個人的には、もうこんな儀式はいらないと思う。意味がない。個人個人が好きなように般若心経なり観音経なりをあげるのが一番の供養。こっちのほうがすっきりして気持ちがいいよ。
ま、とはいっても、地元や家庭の都合があったり、お年寄りにとっては葬式がまだまだ必要だから。そんなすっぱり割り切れないけどね。
私の家系は無宗教なのに、亡くなった時は真言宗にいつもお経なりを世話してもらってます。しかし、私としては、2日以上も葬式などに時間を奪われる価値はないと思っていますし、この日本文化の意味も全くもって分かりません。しかも、これが終わっても、法事地獄がまってんだぜ!全くこの仕組みが分からん。 父や母は、先祖代々からやってるから、親戚、周りの目があるので常識的にするしかないのよって 言ってます。
誰が考えたんだろう、こんなメンドクサイシステム。お寺さんか? 昔なら分かるぜ、田舎のほうとかさぁ、でも、この昨今ではこんなメンドクサイシステムする必要ありますか?もっとシンプルに1時間くらいで済ませてくれよと思うのは私だけですか?それとも異常ですか?
しかも、母はお布施をいくら包めば分からないこともあり、葬儀屋さんに相場の額を聞いていました。葬儀屋さんいわくお寺さん一人に対して、25から30万円くらいのお布施、初七日が3万くらい、交通費、諸経費が2万円くらいと言っていましたが、基本的にはお寺さんに直接聞いてくれと言ってました。なぜなら、昔からの長い付き合いの方はもっと額が跳ね上がるのだと言う。もう、意味不明です。そもそも、なんで直接聞くの?額なんて気持ちの問題だろ?しかも、こっちが高い金額で雇っているのに、坊さんが偉そうにするのはなぜ? 立場逆だろよ!! しかも、最初にお経を言う「枕なんとか」の帰り際に、「今日忘年会だからねぇ」などとほざきやがる!! 税金払えボケ!!交通費くらいだせよボケ!! 葬儀屋と癒着してるんだろうがよ!! 葬式の日は坊さん2人来るからお布施もその分だせって どうゆうことだよカス!!
あ"ーーーーーーーーー イラヅク!!
で、今日から、お通やと葬式に貴重な時間を奪われると同時に、高額なお布施をむしりとられ、葬儀屋にもお金をもっていかれ、遺体の祖母もたらい回しにされる。おかしくないか?この制度? そんなメンドクサイことせずに、火葬で焼いて土の肥料にすれば良いのではないのか? それから、墓場の存在よ。墓場なんかいらないし、墓参りもいらない、そうすれば、高額な墓石も買わなくていいだろ!!
なんで、シンプルに短時間で埋葬して低額で済むやり方を選択できない世の中になってしまったのだろうか?誰の洗脳だ?何回も言いますが、私には全くもって意味が分かりません。しかも、こんなひねくれた考えをして、葬式などに出ないと、周囲から揶揄されること間違いないだろ。あー意味不明だよこの習慣というか風土というか。
私が死んだときは一切そんなことはして欲しくない。直ぐに焼いてくれ!そして直ぐに土にまいてくれるように頼むよ。で、こんな私みたいな考え方する人って結構いるんじゃないだろうか?しかも最近では。ちょっと前までだと嫌々親戚付き合いや、葬式をしていたけど、そろそろみんなで取っ払おうぜ!この文化を!! みんなが徐々に短縮していき、追々はこんな制度辞めていけば、定着するからさ!
とりあえず、父と母が死んだときは、ちゃんと常識的にやってくれと言われているので素直にやりますが、心の中では "はてなマーク" が100個くら充満していて、意味ないのになぁと思いつつ、今回も祖母の葬式に行ってまいります。
最後に質問させて下さい。
皆様はこのシステムどう思われますか?
最初に言っておくが、私はなんら仏教に関係ないし信者でもない。ましてやキリスト教、イスラム教、新興宗教にも全く興味が無い。ただ仏教の哲学には納得する部分が多いし人生の参考になるので簡単にまとめたいと思う。だから全く興味がない人や食わず嫌いの人に触りだけでもかじって欲しいと思い書きます。
そもそも現代の人は私を含めて宗教と聞くと胡散臭いや洗脳など怪しいイメージが強いから拒否反応が自動的に働くと思います。しかし、そういうイメージがついたのは仏教やキリスト教を適当に模写し都合の良いように作りあげた新興宗教やカルト教団のことを言います。例えばオウム真理教なんか日本代表である!つまり、仏教は胡散臭くも無く怪しくも無いブッタが一生をかけて考え抜いた精神世界の教えです。
ちなみに私は仏教本に関して、自己啓発本の一種としか考えていません。つまり仏教本を読めばモチベーションが向上する。ただそれだけです。しかし、知っているのと知らないとではこれからの人生の生き方や価値観は大違いだと思います。後、仏教と聞いて、お経なり墓参りや、お坊さんやお葬式など思い浮かぶと思うが、面白くないので触れません。私が興味あるのはブッタという哲学者が考えた知識です。
できるだけ専門用語は使わずまとめていきたいと思います。まず仏教といえば仏(ほとけ)様がイメージできますが、決して仏像の仏ではありません。では仏とは何かというと、悟った者のことを示します。
仏=ブッダ
ブッダとは「ブッダ」という名前ではなく悟った人のことを言います。それで「悟る」とはサンスクリット語でブッドゥッといい、その過去分詞がブッダ、つまり悟った人なのですね。とりあえず、ふんふんと頷いといて下さいwでは仏教を始めた人は誰か?ブッダと呼ばれるものは誰か?
「ゴータマ・シッダールタ」 この人がブッダであります。ちなみに仏教はインドから広まったものです。これで分かるように仏は神みたいな絶対的存在ではなく、ただの人間であり、ゴータマ・シッダールタという悟りを極めた哲学者であります。この人の生きた時期は具体的には分かっていません。なぜならその当時のインド人に「いつ」の概念がなかったからなのです。だいたい紀元前5世紀くらいの人と言われていて、生まれた場所はルンビニーという所。裕福な生活をしていて結婚して男児もいて普通の生活をしていました。しかし、29歳のときに家族を捨てて城から離れ修行者として旅立つことに。つまり出家ですね。それから苦行を続け、やがてナイランジャナーの河のほとりで瞑想を開始します。そして、35歳で悟ったと言います。それからたくさんの弟子をかかえて享年80歳という長命で姿を消すことになります。それで亡くなってから、当時の弟子たちがブッダの教えで会議を行い文章として作ったのが「経典」であります。
まず仏教のキーワードは「縁起」”えんぎ”。 是非この言葉だけは覚えて欲しいと思います。
「縁起」とは人や事柄などが関係しあってお互いを支えていることを言います。例えば、ここに40歳の男性がいるとします。彼は妻にとっては夫であり、子から見れば父、彼の親からすれば子である。会社にいけば彼は課長であり、オーナーから見れば従業員である。つまり、自分の存在とは情報によって作り出されたものであり、あなた自身多くの人々の関係、周囲にあるあらゆる物との関係において、今のあなた自身でいることができる。だから、最初からあなた自身が存在しているのではなく名前という情報があり、住所という情報があり、職業などがあってこそ自分がなりたつ。つまり、他人が自分の存在を示してくれる。逆にいうとあなた自身も周りを支えていることになる。こういう関係性を仏教では「縁」と呼びます。
もうひとつ知ってほしいのは<「空」”くう”です。
「空」とはそこに見えてるものは実体がないと考えます。ちょっとややこしいが、普通は実体があるからこそ人やものが存在していると考える。しかし、仏教では現象にすぎないと考えます。簡単にいえば全て幻と考え、起きることや物、人生、人すら実体のない幻と解釈してしまう。バカらしいと思うかもしれないが、ちょっと待ってほしい。例えばテレビ画面やパソコンの画面、映画のスクリーンを近くでよーく見てみると、小さい四角や丸の集合体であることは知ってますよね、知らない人はテレビ画面におデコをつけて見てほしい。すると小さいドットが繋がっている状態でひとつひとつがいろんな色に点滅しているただの光の集合体というのが分かります。つまり実体のない幻といえる。物や人も素粒子レベルで考えると、点滅しているにすぎない、だからあなたも私も幻と考えることができるということなのです。ちょっと分かりずらいが、「空」とはすべてが現象と考えると分かりやすいと思います。
もうひとつ例えを出します。皆様は普段から牛肉を食べますよね。これって食べた後にどうなるか知っていますか?そもそも、食べるものとは”アミノ酸”だとか””コラーゲン”みたいに色々な分子が集合してできているのが食物で、それを体内に入れた時に分子に分裂して体中に分子が散ればめられてたんぱく質に変わり栄養として吸収され破壊されて行くのですが、ここで問題なのが牛肉は牛であり、人間と同等の生物ということです。具体的に言いますと、牛肉は分子の集合体ですよね、ということは、牛も集合体ということになり、故に、人間も分子や原子の集合体ということになるのです。、だから、人間も実体がなく現象であり「空」であるというのが仏教という哲学なのです。
ちょっと分からなくなってきたと思いますが、この2つセットが仏教の基本なので、先入観を少し置いといてこういう考え方もあると思ってくれれば結構です。補足ですが、瞑想と言う言葉を聞いたことありますよね、洞窟の中とか誰もいない森の中で永遠瞑想という修行をする人たちのことですが。なぜ、できるかというと全てが幻と思っているからです。どこにいようとも何をしようといいというわけです。これが究極の空です。
ちょっと話がそれますが、巷では占い師の方が「あなたの前世は武士」だとか、死ねば生まれ変わるだの言われることがありますが、仏教では輪廻転生はないと考えているし来世も前世も存在しない、自我も空だと考えています。つまり、体がなくなっても魂は来世に蘇り繰り返すという概念はありえない(正式には分からない)しかし、一部では霊がいるとか神がいるとか、輪廻するとかいうのが信じられています。まあ信じる分だけならいいのですが、それに付け加えて出てくる概念が、この世で苦しめば苦しむほど来世でランク(ステージ)が上がるという考え方です。インドのカースト制度がこれ、ランク(ステージ)の低い身分の人はこの世で自分を苦しめ相手も苦しめることを現実にします。つまり問題なのは現世で苦しめば来世でランクが上がるという概念が怖いのです。
例えば、電車の中で騒いでいる若者がいたとする、こいつは人に迷惑をかけていてこのままでは来世でランク(ステージ)が下がるのでかわいそうと思い、早い段階で苦しめて殺しちゃえという考え方になり、ナイフで刺してぐりぐり苦しめて殺してしまう。この考え方がオウム真理教の「ポアの思想」。
もうひとつ例えれば、映画館で隣の男性がポップコーンをボリボリ食べていて人に迷惑をかけているとする。すると、前にも言ったがそういう人は現世で苦しめて殺してあげる、そして「来世でランク(ステージ)を上げて楽しく暮らしてね。」って感じで平気で人をナイフでぐりぐりして殺してしまう。刺されている人が「痛いよ!」って言っても刺してる側は全てが「空」だと思っているから、「この世には実体がない幻なんだから痛くないでしょ、何言ってるの」ってなる。これがオウムの「ポアの思想」で宗教を悪いことに利用したスピリチュアルな考え方です。
怖い考え方のキーワードは3つ
現在テレビで人気の○木数子はかわいいもので彼女はただのオカルト。怖いのはスピリチュアルの○原氏。輪廻とランクがありきと考え、しかも視聴率が良い番組で堂々とわけの分からないことを言っているので、このままいくとオウムみたいになりかねないと私は危惧します。
話を戻しますが、人間には煩悩がたくさんあります。代表的なのでは睡眠欲、食欲、性欲、物欲、などなど、これらの煩悩をなくしてしまうのが悟り、つまり全てが空と考える概念を「空観」”くうがん”といいます。その逆が「仮観」”けがん”。仮観は煩悩むき出しでお金も稼ぐだけ稼ぐし、あれも欲しいこれも欲しい、その為には戦争もする考え方。みんなが仮観の考えでは世界は滅びます。逆に「空観」もみんなが考えるとやる気もないし何もしない、食欲もないし睡眠欲もないからこれも世界が滅びます。
じゃあどうするの?
そこで仏教ではその間の「中観」”ちゅうがん”という概念が存在します。では「中観」とは何か。まず全員が「仮観」の考えかたをすると欲望を限度なく追求するから結局戦争になり人類が滅びます。次に全員が「空観」の考え方だと全てが幻と思っているからボケーっとして誰にも迷惑かけないけど何も進歩しないからこれも滅亡する。しかも「空観」にカルマの思想が入ると他人に迷惑をかける最悪のことになります。
それではダメなので昔に「中観」という概念を考えたナーガールジュナという人がいます。「空観」と「仮観」の間の「中観」。さっきの例で言うと、ポップコーンを食べている人はボリボリと人に迷惑をかけているが、その男性は彼女と映画を見にきていて彼女と楽しむことや、彼女を楽しませるなどやること、役割ががあると考えます、つまりその男性は機能をもっていて、デートいう役割を果たしている。すると矛盾が発生して殺してはダメになる訳です。
ちょっと話が脱線しますが、ブッダの弟子がブッダに対して「神はいますか?」「生まれ変わりはありますか?」という質問をした。その時にブッダが「毒矢の例え」で答えたという。「毒矢の例え」とは一人のひとがどこからか飛んできた毒のついた矢が胸に突き刺ささって苦しんでいて、その時にどこから矢が打たれたのか、この毒の成分は何なのか、何メートル先からか、ベクトル計算するとなど考える前に矢を抜けよってこと。つまり、ブッタは「霊」とか「神」とか「自我」とか考える暇があるんだったら他にやることあるだろ、だから「神」がいるとかいないとかどっちでもいいじゃんっていうのが結論。これが「空観」に機能(やる事)(役割)をもたせた考え、つまり「中観」。
私も「どっちでもいいじゃん」ってのが結論で、答えがでないものを考えるより他にやりたい事や、大切なことを楽しむ、そして人生有意義なものにできればと思いました。ただ仏教などの哲学全体を把握しての「どっちでもいいじゃん」と何もせずめんどくさいから開き直って、さも分かっているかのように「どっちでもいいじゃん」とでは雲泥の差があるので勘違いしないで欲しい。是非、皆様も仏教と聞いただけで邪険にするのではなく、知っていると悪徳新興宗教やスピリチュアルなんかで高額なお布施などを払うことも予防できると思います。是非これをきっかけに仏教本でモチベーションを上げてみるのもいいのではないでしょうか。
合言葉は「どっちでもいいじゃん」です。
家族にはもう話した。無理だって即答されちゃったよw
法事は、死人のためではなく、残された人のための行事なんだろうね。
それで心安らぐのならいいじゃないか、と思えればいいのだが、
グッズ買ってスタジアム行って総額幾らつぎ込んだかしれないようなサポーターに比べれば、私がここで費やした時間と労力なんざゼロに等しいよ。
新興宗教へのお布施と同程度って自覚してりゃマシだろね。12番目の選手とか言っちゃうポエム読みには多少イラつくね。無自覚な馬鹿は危険性をはらむから分からせたほうがいい。
ちょwwwおまwww稼いでないのに選手のつもりかよ。って、笑ってやる程度の話さ。
馬鹿だねぇ。
自分個人の身には何の得にもならないってのに、
膨大な金とヒマと手間を費やしてまでチームを応援する、
その、ある種の馬鹿馬鹿しさは「サポーター」と呼ばれる連中も十分に自覚してんだよ。
それなのに、勝利に歓喜し負け試合に一喜一憂する自分を止められない、
そのことに言わば「愛する者の受難と栄光」を見出す、
それを宗教と呼ぶのは間違いじゃないが、
そんなのはサポーターの誰かがとっくに指摘してるさ。
「フットボールは現代の宗教であり、スタジアムは現代に蘇った神殿だ」
とかいう言葉があったよ。
あんたのやってることはとんだ野暮天ってこった。
お布施と同様に考えていいのだが・・・何か不都合ある?
http://anond.hatelabo.jp/20070419001713
「もう一人二人ぐらい来るかと思ったんですけど」
「昨日の今日ですからね。いくらなんでもいきなり過ぎました」
「私と一人だけでカラオケするのが嫌だって言うなら一人だけでカラオケして帰りますけど」
「そんなことありませんよ」
はてなのIDを聞かれたり、その由来を語ったりしながらしばらく歩いたらパセラに着いた。
受付を済ませると、受付のお姉さんがいきなり鐘を鳴らして
「トレジャーハンターチャーンス!」
と叫ぶ。
「部屋に財宝が隠されています!このヒントにしたがってお宝を見つけたら会計時に受付までお持ちください!」
少し呆気にとられたが、伝票を受け取ってエレベータ前へ移動する。
「凄いわ…私あんなの絶対無理ですよあんなの」
そもそも入った時から「魅惑のチキルーム」と同じ音楽が流れていた。
「あんなキャラ作って明るく振舞うなんて!非コミュの私には無理!」
「いやあ、お仕事だからできるんじゃないかなあ」
部屋に入ると、太一郎はソファーに座り込んで「ふぇーっ」と息を吐いた。
彼女が笑う。
「なにを溜息ついちゃってるんですかいったいっ」
太一郎は自分が緊張していたのを自覚した。
「いやー、おじさんだから」
「そんなー」
ぐずぐずしている隙に、リモコンやマイクなどてきぱきと準備されてしまう。
「じゃあお先に入れますっ」
「はいはいどうぞどうぞ」
Zガンダムやサイボーグ009など何曲か歌い、それぞれのアニメについてちょっとづつ思い入れを語っていく。
「会社で行くカラオケじゃアニソン歌えないんですよー。気を使ってJPOP歌ったり」
「確かにね。前の会社じゃあ最初は気を使ってたなあ僕も。今は既に変な人ポジションを獲得しそういう会社に行ったから問題ないけど」
それをきっかけに、会社や仕事に関する話に話題はシフトしていく。
職場の偉い人の非コミュな人に対する「配慮」が「余計なお世話」になった話。
太一郎はその話で、自分の前にいる人物が誰なのか気が付いた。
はてな匿名ダイアリーで一時期「ヤリマン」というハンドルで話題になっていた人だ。これで風体にも納得が行ったし、彼女には何を置いても大切にしている彼氏がいて、なおかつ何人かつまみ食いをしたうえで上司と揉めているわけだ。
なぜだかは判らないが、彼氏と彼女の関係性に思い至ったことで肩から力が抜ける。自分もまだまだ男の子だったのだな、と太一郎は思う。
「それでねー、辞めるな3年は勤めろってみんな言うんですよー」
「それはそうだよ。ステップアップ考えると3年や5年はひとつの職場にいなきゃ」
「えーそんな我慢できなーい。なんで我慢できるんですか?増田さんは」
「問題起こした両親みなきゃいけないとかあったし。長男だし。男の子だからさ」
「両親の問題が無かったら?」
「それでも自分のために我慢するかなあ。3年勤められる、というのは『私は我慢できます。職場から逃げません』と証明する簡単な方法なんです」
「えー」
太一郎は自分の事例を話した。初対面の人間にすらすら自分の情報を出していく自分がうかつなのは判っていたが、相手のガードが低いのに釣られていた。
歌をぽつり、ぽつりと入れていくが、頻度が下がっていく。あまりに歌の量が少なくて、話しているときに隣の部屋の歌が気になるぐらいだ。
「これは明らかにガンダムSEEDですね」
「くっ…SEEDなんて嫌いだ!対抗してやる!」
哀戦士など歌ってみたりする。でも、話すほうが多い。
「非コミュとかあるじゃないですか。あの楽しそうな仲間に入りたい、入れない、とか」
「僕はもう最近あまり強く思わなくなってきたなー」
「えー」
などと他愛ない話を続ける。
「宗教に誘われたんですけど、私が一日何回もお祈りできると思うのかと言ったら誘われなくなりました!努力なんて無理!」
「あー宗教はね、無理だと思うよ。あれはね、特に現代の新興宗教はね、MMORPGなんだ」
太一郎は説教を始めている自分を自覚していたが、止められなかった。
「MMORPG?」
「モンスターを長時間倒していればレベルが自動的に上がって名士になれる。お金も手に入ってやりほうだい。頑張れば頑張っただけ報われるはず。お布施をいっぱい収めたら救われてほしい。いっぱい祈ったらきっと救われなくてはならない。頑張ったら絶対にそれに対する良い報酬がある。頑張らなかったら、悪いことをしたら報いが来る、世界はそうなって欲しい、そういう考えかたにもとづいているの」
「そ、それじゃ私は救われないじゃないですか!宗教もダメなのかよ!」
「でも、現実はRTSやFPSなんだ。頑張ったって、積み上げたって、自分の成長が無けりゃ勝てない。成長したってたまたま銃弾の先にいれば倒れる。残念ながら」
「だから自分に必要な我慢なら先を見据えてしなくっちゃ、誰も助けないよ」
「先を見通すとか無理ー。無理無理ー。なんでみんなできるんだろう」
「なんでかは自分でもわからないよ」
最後に、一般人とカラオケする時に手加減して何を入れるかという話に戻ってきた。
「それで手加減してんのかよ!私はSPEEDです、ちょっと古いけど」
「なつかしいなー」
「なんじゃこれキー高え!」
「だって子供の歌ってる曲だし」
「じゃあ僕はアリスー。『冬の稲妻』」
「オヤジキラーの曲を入れてやる!『ひと夏の経験』」入れたる!」
「これは確かにオヤジキラーだなあ。小さいころに聞いた覚えがあるよ」
時間が来た。もっと話したいなと未練を残しつつ、パセラを出る。会計の時に宝探しの結果を渡したら、またディズニーランド風味に鐘を鳴らされたりしてびびった。
「早稲田にあかねって店があってマスターが日替わりらしいんです。今日は、はてなダイアラーの人がマスターやってるらしいんですけど行きません?」
まあこれもひとつの経験だろうと考え、太一郎はついて行くことにした。
(つづく)
うちのばあちゃんと母ちゃん。ばあちゃんは父ちゃんの母さんなので二人には血縁関係はない。でも同じ宗教(選挙の時期になると元気になる某宗教です)にはまっちゃった。まぁ、はまったっていっても私が物心つく前からずっとだからもう染まっちゃったと言った方がいいのか。
でも幸いお布施だのなんだので馬鹿みたいに宗教にお金を使っている訳ではないみたいなので、朝晩二回の読経が響く以外はうちはいたって平和。
この二人には、共通していることがある。それは、不幸な生い立ちをしているということだ。
なんか詳しく書くとNHKの連続テレビ小説のネタにできそうな二人なんであまり詳しくは書かんが、とにかく二人はそろって不幸な生い立ちをしている。
だから宗教にはまっちゃったんだろうな、そう思う。