はてなキーワード: 心綺楼とは
東方のキャラクターの多くが外見的に幼く、胸が小さいということは原作者が発言している。聖白蓮や堀川雷鼓など、近年の作品では大きく見えるキャラクターもいるが、全体を見れば例外と言って差し支えない。
東方の原作はどこか少女の遊びといった雰囲気があり, 遊びだからこそゆとりがある。物語性には欠けるが, 心地よいのはそのためだ。
香霖堂で霊夢と魔理沙を「子供」と強調していたように、原作では少女たちの幼さがしばしば描写されている。東方は原作の縛りが緩いと言われているが、作品の根底として幼さがあることは覆すことは出来ない。
にも拘らず, 二次創作では多くのキャラが大人に描かれる。幼さを二つ名にしているようなキャラでもお構いなしだ。そして東方が二次創作を許容したことで広く普及されるようになったことで、二次創作での傾向が恰も原作であるかのように語られることが多い。
例えば今パチュリーと言うと豊満な体型のお姉さんとして知られているらしい。しかし永夜抄発売時にはそんな風潮は一般的では無く, 寧ろ幼いと思われていた。実際に原作では, 身長は「10代前半の少女の平均よりやや低」だし, 性格だって幼い(地霊殿や三月精を見れば判る)。
原作者が二次創作を許容している以上, どう描こうと結局は自由なわけで, 煩く何か言う資格も無いのだが, しかし二次創作の傾向が絶対になることは明確に危険だと感じる。
というのも, PIXIVなどでパチュリーを幼く描くと, 巨乳じゃないとおかしいなどとコメントしたり, 「幼児化」のようなタグをつける傲慢な連中が一定程度いるのである。また, ある「売れている」同人作家は当初パチュリーを幼く描いていたが, 途中から二次創作の傾向に寄り添うようになった。
実際のところそうした傾向に流される作家に東方への拘りがあるとは思えないし, 売れるから描いているというそれだけなのだろうが, 大衆の嗜好に寄り添うと文化は陳腐化するものだなと, まったくうんざりさせられる。
東方の良いところはファンに媚びない点である。心綺楼でにとりが酷く叩かれていたが, 個人的には人間味があって好きだった(人間ではないが)。「がんばれがんばれ」とか言ってくる都合の良いだけのキャラよりも、どこか毒があった方が格段に個性的で魅力がある。東方は原作では畜生だらけ、なんて言う人もいるようだが, 可哀そうなものの見方と言わざるを得ない。
まあ東方に限らず, どんな作品でも二次創作になると、人が増えるほど、キャラクターが大人で巨乳にされるものだ。私は巨乳厨という輩が心の底から嫌いだが, 巨乳厨やそれに類する呼称が流通していないのを見ると、大勢がそういう傾向にあるのだろう。
巨乳厨にはキャラクターへの愛着が無いから, 自分がそう思いたいというだけの理由でキャラクターを巨乳にしようとする。自分の都合の悪い事実は全く無視し, 都合がいいと思ったものはどんなに関連性が薄くともそればかり言い張る (例えばパチュリーなら, 原作者の発言や描写を一顧だにせず, 服がゆったりしているとかそれだけの理由で巨乳だと主張している)。しかもそれを否定されると, 二次創作だから自由だろ、などと開き直るのが常だ。それならそんな妄想はてめえのちっぽけな脳みそから垂れ流すなと言いたいが, 自身の発言で不快になる人がいるのを顧慮せず, 自分が不快になると噛みつくのだからとんだ幼稚さである。
東方と名前を冠しただけの単なるコスプレエロ同人が売れているような現状(コスプレAVも一定程度売れてるらしい。もはや言葉に窮する), どんなに人気と言っても砂上の楼閣と言わざるを得ない。原作が面白いだけに残念である。