はてなキーワード: 一部の人とは
ttp://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2487793.html
有害図書問題というのは、10年15年ぐらいで議論が繰り返される。特にマンガはたたかれやすいが、みな覚悟をもって書いている。
たたかれると出版がやりにくくなるのは事実。みんなに見ていただきたいという理由から、本来やりたかった表現をあきらめる若い作家もいる。
子どものために、平和のためにというと、みんないろんなことw悪気なくやれてしまう。もちろん子どもを守ることは大人の使命であるが、この世に存在しない画像まで被害者扱いされてしまうことには、おかしさを感じる。
正義感にあふれた人からすれば、そういうものを見せないのがいいというが、そのことは否定しない。なぜならば、それが自由というものだからである。意見を述べるのは自由であり、こうして私が意見を述べることもまた、自由である。
しかい自分の正義が、社会の正義と思い込むところが問題だ。かつて日本には、表現が阻害された時代がある。ある一部の人が正しいと思うものだけが認められたことがある。表現規制は、社会のもろさにつながっていく。
何を規制すべきかは、慎重に考える必要がある。表現規制の危機を感じとっていく必要がある。表現者はある覚悟をして作品を描いており、それを選ぶのは読者であるべきだ。
東京に出版社が集まっている。したがってこれは東京都だけでの問題ではない。
さらに言うならば、今回の改正に小説がふくまれないのはどういうことか。石原慎太郎氏の「太陽の季節」は、かつての若者に大きな影響を与えた。今、若者に
大きな影響を与えるものとはなにか。変な闇ができないように、政治家に頑張って欲しい。
ああ、スルーできなかった…。
現状のクソ同人のホモショタロリの氾濫見て、どうにかしなきゃなあ、って思わない自分の感性を疑う気持ちが1ミリも無い。狂ってる事に気がついていない。
「感性がおかしい」「狂っている」というのは単にお前の主観。押しつけられてはたまったものじゃない。
「一部の人が不快に思う」という事実には配慮すべきだが、全部禁止ってのはおかしいだろ。
あなたはそれを隣人や家族に堂々と見せられますか?
堂々と見せられるものしか存在しちゃダメなのか?
誰にも迷惑かけてなければいいじゃないかよ。
まず「広い」って言葉を単純に人数という意味で捉えちゃってるところから見直した方がいい。
人数が多くても特定の人種としか付き合えないやつは交友関係が広いとは言えない。
色んな種類の人間と深く付き合うことができて初めて社会性・人間性に長けていると言える。
「一部」というのが「特定の人種」という意味であれば、似た者同士で馴れ合うのに高い人間性なんて必要としない。
自分と違う人種に対しても理解を示せて、深い人間関係を構築できるかどうかが肝心。
何故、イコールになるの?
それはただ単にその人が誰でも良いだけなんじゃないの?
人を愛せる人は人からも愛される。逆もまた然り。
いつのまにか「社会性・人間性が優れている」が「友達関係が充実している」にすり替えられてる罠。
いつも決まったメンツとだけつるんで仲間といるときはワイワイやって
それは友人関係が「広く浅く」か「狭く深く」であるかの違いでしょ。
いつも違ったメンツと遊んでいる人なんてみたことない。
交友関係が「広く浅く」の人のほうが社会性はあるかもしれないけど、人間性が必ずしもあるとはいえないと思う。
交友関係が広くなればなるほど、一人一人ととれるコミュニケーションの濃さが希薄化するのは必然。
たくさんの人と浅い人間関係を構築するより、一部の人と深い人間関係を構築するほうが高い人間性を要すると思うけど。
社会性・人間性が優れていてストライクゾーンが狭いってのは一見あり得そうだけど矛盾している。
何故、イコールになるの?
それはただ単にその人が誰でも良いだけなんじゃないの?
唯一、新卒で就職活動してた会社から希望してた職種で内定もらえた。
とりあえず就職活動が終わったことになるので思ったことを偉そうに書いてみる。
就活のマニュアル本とかいろいろあるじゃないですか?SPI対策本とかも含めて。
あれって社会に悪い影響を与えてるんじゃない?
SPI対策本を例に挙げると、SPIはたぶんその人の思考能力みたいな知力を見るもんなんでしょ?
「知力が高い人」と「知力の低い人」をそれぞれの企業の基準で見るためのテストであるはずが、対策本によって
「対策をした知力の低い人、知力が高い人」と「対策してない知力が低い人」になるわけですよね。
「対策をした知力の低い人」を量産して世の中に送り込んで世の中良くなると思ってるの?印税さえ入ってくれば良いの?
■就活について
就活情報サイト主催の就活セミナーに参加したけど、一部の人間が新興宗教の熱心な信者みたいで気持ち悪かった。
GDはやたら主導権を握り、自分の意見を通そうとする人が面倒だった。しかも頭いい大学。うまい具合にいなしてたら女の子が俺のアホな意見に賛同し始めた。あの娘たち絶対俺に気があった。
今回のセミナーの感想をいう場は、お前絶対にそんな事思ってないだろ!って突っ込みたくなるような事をいういう人や、棒読みで模範解答を読むような感想を述べる人ばかり。しかも頭いい大学。
あんなんが大手にいっちゃうのかなーってそのときは思った。
主催者側の司会進行も学生を就活モードにするには完璧なファシリテーションだった。けど、なんか違和感があった。
志望する企業のプレセミナーには結局その就活モードでいってみた。つまらなかったし、就活って大変だと思った。
その2ヵ月後に受けた1次選考の最初に「リラックスして下さい、一緒に働く仲間を見つけましょう」みたいな事を司会の人が言っててハッとした。
やっぱそうだよなと思って、誘われた合コンに行く程度の緊張感と期待感を持って集団面接に望んだ。名物社長のムチャぶりをユーモア混じりに返したりして楽しめた。
結果は1次通過。あの会場ではダントツでしたと言われた。
2次もそのままの調子でいった。むしろダントツと言われたことによって少々調子にノっていった。あたりまえだけど敬語は普段程度には使ったけど態度が少々デカかった。
でも、エントリーシートと履歴書に書いてあることは自分からは言わないというルールは作った。
こんな資格あります!とかこんな賞とりました!とか初対面で言ったら嫌なヤツだし。しゃべるのが好きっていってそこから話を広げた。
自信満々に振舞ったり、謙虚になったりと初対面の人に対する普通の対応。
ちなみに資格はその職種に必須の車の免許すらないし、賞も部活のが少々とリーダー経験あるぐらい。
筆記試験はその会社オリジナルの教養試験とIQテスト。教養試験はその場でトップだったらしい。
選考会後に懇親会もあったりで楽しかった。最初にとなりだった娘と途中で俺のとなりに来た娘は絶対俺に惚れてた。
俺は運良くほとんど苦しまずに内定がもらえたからいいけど、就活という言葉に乗せられてわざわざ苦しい思いをしてる人が多い気がする。一年以上苦しみ続けていまだに内定が無い後輩もいる。
もしかしたら就活なんて事をあまり意識せずに普通に、もしくは楽しんで望めば就活モードよりいい印象を与えられるかもしれないので、いま就職活動中や今後就職活動に望む学生の人はそんなやり方もあって、うまいこといった人間もいるんだと頭の片隅にでも入れといて下さい。
Twitterの中で起きている「マーティングは戦争か否か論争」。
この発言をした某氏が広告業界周りの人達にフルボッコにされている。
このお方、Web2.0の時も独自の論理展開で一部の人たちには不評を
買っていた。なんかスカしてて鼻につくところと、対立しなくて良いところに
反応してしまうので話が噛み合わないのだ。
で、いじめている方も典型的なジャイアンで、取り巻きたちが某氏への人格攻撃にすら
「そうですよね~。」とおべっか使っているところが如何にも気持ち悪い。
広告は戦争かどうかなんてどうでもいいが、ここまで広告業界の人が叩くのは
某氏のマーケティングに関する発言が成果主義的なのが勘に触ったのだろうと思う。
ネット上ではクライアントから明確な成果を求められてしまうが、トラディショナルな
総合広告代理店はそれに馴染めない。Web専業がそれに特化していることが面白くない。
総合広告代理店はCPAで計れないブランディング?を提供しているとか言うが
ネットではそれは至難の業。ネットユーザーが求めているのは情報。
ネット広告の中でお姉ちゃんの映像やらゲームを見せられたって記憶に残らないから。
業界の人間を除いて、こうしたキャンペーンと企業名を合わせて記憶に残る事例って何がある?
そういうのは今までどおりTVでいいんじゃね?っていうのが広告主の本音。
レスしてくれた人、ありがとう
球はね、一時期自分では投げようとしてたと思うんだ
でもね
たとえばテレビの話題で「○○の霊能力者の番組は嫌い」とか書いたとする
賛同してくれる人もいるけど、その霊能力者を信じてる人からは嫌われた
ああ、誰かを嫌いと書いちゃいけないな、と思い直して
「お笑いの○○が好き」と書いたとする
今度は別の人から「○○のネタは△△を冒涜していて許せない」とディスられる
犯罪問題に言及すれば、知識不足で見捨てられることもある
そんなことを繰り返しているうちに、
受け止められやすい球を投げるということは
最終的に何も書けないってことなんじゃないかと思うようになってしまった
一部の人に受け止めてもらえればいい、と思っても
そして一度そんな風に思われると、ネットだとろくにフォローもできない
「考え方の違いを受け入れてほしい」と言えるほど深い仲でもない
けっきょく常に当たり障りのない話しかできない
何かの感想でさえろくに書けない袋小路に入り込んでしまった
でもそんな話は自分で読んでさえつまらないんだよね
そんな状況でコミュニケーションなんてムリだよね・・・
ニコ生の朝まで(ryでやっていたベーシックインカム(BI)について素人が思ったこと。というか疑問点をつらつら書きます。
私は経済学部の学生でも専門家でもなんでもないので稚拙な考えかもしれませんが。
・導入前と導入後で生産力や総所得がほぼ変わらないということが大前提になっている
日本は成長し続けるという前提で年金制度を作った過去の過ちと被るように見えて仕方がないです。
財源にしても、相続税、所得税、法人税、消費税。どこから取るにしても、生産量と税収額が変わらないことが前提ですよね?
働かない人が増えても、その生産量が無駄の排除/効率化と一部の人の労働によって維持できれば回るというのがBI推進派の主張のようですが、これがどうも希望的観測ではないかと思います。
働かない人が予想よりも大幅に増えて、効率化によって吸収できず生産量が減ってしまった場合、経済が縮小してどんどん税収が減っていくと思うのですが。
減ると言っても数%ならともかく、極端に落ち込んでいったら財源は確保できますか?
3割くらい減っても大丈夫?4割減ったらどうする?
いくら支給したら何割働かなくなるとか生産力がどうなるとか予測する方法や計算式はあるのでしょうか?
本気で実現を考えるなら楽観論ではなくきちんとした根拠を出さないと、夢物語と揶揄されるのは仕方がないことだと思います。
日本のGDPは500兆円弱でしたっけ。このうち”必要性・必然性のある仕事”はどのぐらいなのかは知りませんが、
「働かなくても食える社会」で果たして誰がその分を稼ぐんですかね。
仮に生産力が維持できたとしてもインフレの懸念は消えないと思います。
「低賃金で3Kと呼ばれるようなきつい仕事に従事する人が減りそうな問題は、必要な仕事なら市場原理で給料が上がるから問題ない」という説明があるようですが、生活必需品・必需サービスが「低賃金の仕事」で支えられていたなら、それらの賃金が上がれば値段に跳ね返ってきますよね。
必需品・サービスの値段が上がっていけばBIだけではとてもじゃなく生活できなくなり、「働かないと食えない時代からの脱却」というBIの一番の意義が遠のくだろうし、物価に合わせて国が支給額を調整しなきゃいけないので役人の”無駄な仕事”は思ったより減らないでしょう。
・最低限所得額とは?
年金や保険を廃して配分のためのコストを下げるということですが、前述の基準とする物価の問題もあるし居住地域、また医療や介護の必要度合いによって人によって生活に必要な”最低限”の金額は変わってくるけどもその検討には”お役所”が必要ではないですか。
働き盛りの30代と年寄りでは医療費も介護費用もかかる費用が違います。BIで生活は出来たけど貯金できなかった人は年老いて高額な医療費等が発生したら結局死ぬしかないですか?あんま今と変わりませんね。
保険制度などの運用コストを外部に投げたいだけならアメリカみたいに社会保障サービスを民間に丸投げすればいいわけで、必ずしもBIを導入しなければいけないわけではありませんよね。
まぁここまでgdgd書いたようなこととかもろもろを考えると、
現実にBIを導入しようと考えると支給額としては中途半端になり行政のコストも大して期待できない形になってしまう可能性が高いと思うんですよね。やるからには生活水準の大部分をカバーできる金額じゃないとBI推進論者が唱える理想は実現しませんよね。
推進論者を”希望的観測ばかり”とするなら私は”悲観的観測ばかり”なのかもしれないですけど、
ただホメられたいだけじゃ?
自分が認めた人に認められたいんだ。
なぜ恋人が欲しいの?
友達が欲しいの?
自分が認める人に認められたいから
主観的に見た認めたくない人に認められてもちっとも嬉しくないよ。
なぜ恋人と別れるの?
どっちかが認めてほしい価値感が変化したんだ、時がたって
認めてほしい存在じゃなくなったんだ。
なぜ仕事が好きなの?
認めてほしいから。より多くの人に認めてもらえるから。
なぜインターネットをやるの?
認めてほしいから。より多くの人に認めてもらえるから。
なぜ勉強をするの?
認めてほしいから。より多くの人に認めてもらえるから。
なぜ勉強が嫌いなの?
これだけ苦労してもし認められなかったから怖いから。
なぜ仕事が嫌いなの?
認めてほしい人がいないんだ。
それに一部の人たちは僕を拒否ばかりする。
だから努力しないの?
そうだ、死ぬほど努力しても認められない事もあるから。
それにそんな経験があるから。
なぜ子供の為にがんばるの?
その中では僕は拒否されないから。
拒否されても実際に拒否されたわけじゃないから。
キャラクターに感情移入すればバーチャルとして僕はその中で認められるし、拒否の感覚も感じる事ができる。
なぜ自殺するの?
認めてほしい人に認められないんだ、僕はこれから先ずっと。
心を遮断してはダメ。
そして僕はこれを書いて認められたい。
言葉を換えれば
好きといってほしい、すごいといってほしい
賢いといってほしい、インテリといってほしい
褒めてほしい。
はてブしてほしい。
だけど僕はこれを書いた事で
拒否されたくない。
言葉を換えれば
気持ち悪い、頭悪い、
暗い考えだ、頭がおかしい
って思われたくない。
僕はいつだって怖い。
「ゴミのような投稿」というか「ゴミのような情報」が増えるのは致し方ないところでしょう。話題になるにはみんなに理解できなければいけない訳で、みんなが理解できるために必然的に低レベルの話にならざるを得ない。複雑な問題にも単純な解答をすることが好まれる。
http://anond.hatelabo.jp/20100209065146
みたいにね。こうした低レベルのお話が増えるのは、マス向けのメディアの宿命でしょ。この観点からはネットが劣化といえるかもしれない。
逆に考えるとインターネットもそれだけ普及してきたということで、それはそれで好ましいことだろう。一部の人間の便益にしか貢献しないより、よりたくさんの人間に貢献した方が全体から見れば、より好ましいだろう。ネットならテレビと違い専門性の高い情報が排除されることはないことだしね。グーグルも高度な専門性が要求される事柄については、まだ有用性が高いし。
まぁ、でも確かに低レベルのお話についてはあまりグーグルも役に立たないな。ある製品の感想が知りたくて検索しても、「買ったよ」ぐらいのブログの記事しかヒットしないが多い。感想ならともかく、なんで買ったことだけをわざわざネットで公表するのだろうか?
賛成か反対かでいえば賛成。
むしろ、重国籍を容認すべきで、それまでの暫定として永住権者に地方参政権を付与すべきという立場。
○今取組むべき課題なのか?
→選挙の票目当てだけで推進しようとしているという問いかけに対して、賛成派は否定できるか?
来年の統一地方選に間に合わせるためには、今国会での成立が不可欠。
選挙の票目当てであれば、参院選で民主単独過半数をとり、国民新党が完全に不要となるまで先送りするのが常道。
それは、そういう報道しか目にしないから。
JALの話とか、政治資金絡みとか、米軍基地問題とか、高校無償化とか、いろいろ報道もされている。
行政サービスの原資が増えれば、その分行政サービスが良くなる。
永住権を取得するような外国人に住みやすい地域は、日本人にも住みやすい地域。
○外国人参政権を認めても社会に与える影響は少ないというがその根拠は?
→影響は少ないとも考えられなくもないが、大半の人間が懸念しているように国籍の違う方々が一地方の小さな自治体を牛耳るようなことになりそれが悪い結果を生み出すことも考えられるのでは?これはありえないことだと断言できますか?
机上の空論でいいなら、どんな可能性もあり得る。
一地方の自治体を牛耳ったところで、国政の参政権がないんだから、影響力はその自治体限りのもの。
○参政権とは違う観点ですが、欧米各国で外国人排斥や一部外国人による自国民への暴力行為、、、など問題が産出しています。参政権を認めることで逆の差別が生まれる可能性もなきにしもあらずと思いますが、こうしたことはありえませんか?
→ひいては互いの首を絞めることになりかねないと思います。
入国の時点で、かなりハードルが高い。
参政権が与えられることで差別するような人は、もうとっくに差別してる。
むしろ、地方参政権が与えられた外国人は永住権者なんだから、善良で納税が期待できる資産または技能を持っている良き隣人となる蓋然性の方が高い。
大勢の人の生活にどのような支障を来たすおそれがあるのか、例を挙げよ。
例なんてないから、こういう曖昧な言い方するんだよね。まともな例があればとっとと挙げてるもんね。
国籍の違う方々が一地方の小さな自治体を牛耳るようなことになりそれが悪い結果を生み出すことも考えられるのでは?これはありえないことだと断言できますか?
悪い結果とは何か、例を挙げよ。
小さな自治体を牛耳ることにどのような利益があるのか、説明せよ。
あのね、国籍の違う人々は一致団結して小さな自治体を牛耳るほど暇じゃないし、小さな自治体を牛耳れるほど一致団結してもいない。
例えば永住権を得るパターンの一つは日本人と結婚することなんだが、こういう人達は配偶者と暮している間は、外国籍の仲間と○×町を牛耳りたいからって、簡単に引越しできない。
定職についてる外国人も職を捨てて自治体を牛耳るに行くほどの経済的な余裕はないし、商売やってる外国人もそんな小さな自治体に移住したら商売あがったりだ。
しかも、外国人地方参政権は国会で法律を改廃すれば、すぐに剥奪できる。仮にどこかの自治体が牛耳られて問題が起きたら、法律を変えて外国人地方参政権を停止したり、「ある地方自治体の人口の15%以上が永住外国人の場合は永住外国人の選挙権が選挙人全体の15%になるまで圧縮する」規定とかを作ったりして、対処すればいい。
賛成か反対かでいえば反対の意見です。
○今取組むべき課題なのか?
→選挙の票目当てだけで推進しようとしているという問いかけに対して、賛成派は否定できるか?
→経済が悪いといいつつ参政権のことばかりに終始していると受け取れる。経済・社会福祉・教育が優先では?
→結局、一部の人だけの利益となる。その他、大勢の人の生活に支障をきたすことはないのか?
○外国人参政権を認めても社会に与える影響は少ないというがその根拠は?
→影響は少ないとも考えられなくもないが、大半の人間が懸念しているように国籍の違う方々が一地方の小さな自治体を牛耳るようなことになりそれが悪い結果を生み出すことも考えられるのでは?これはありえないことだと断言できますか?
○参政権とは違う観点ですが、欧米各国で外国人排斥や一部外国人による自国民への暴力行為、、、など問題が産出しています。参政権を認めることで逆の差別が生まれる可能性もなきにしもあらずと思いますが、こうしたことはありえませんか?
→ひいては互いの首を絞めることになりかねないと思います。
問題点はこんなところなんだと思います。
明快な回答を出せる国会議員はどれらけいるだろう。(特に賛成派の議員)
これら懸念材料がある以上は、見識のある人間であれば反対、、、なんじゃないかと思うんですが、薄っぺらい考えですかね。
まあ、『自分達の選挙』が中心となっての動きであるのが一番の問題なんでしょうが、、、
選挙の票目当てなのがミエミエですよね。
Twitterで女子高生であることをアピールし、ネットアイドルを自称している奴がいる。Twitterというサーカスで、裸で逆立ちしているのだ。それに群がるキモオタ共が観客だ。虫唾が走る。反吐が出る。
女子高生である事以外に何も価値を持たず(それすら価値と呼べるのか不明であるが、一部の人達にとってはそのようだ)、何も生み出していない人間がどうしてこのネットと言う空間で皆に存在を認められ、受け入れられるんだ。俺なんかどこにも居場所が無いのに。
彼女は現実で居場所を持たない。だから、仮想現実で道化ることで必死に居場所を確保しているのだ。哀れですらある。
だがしかし君、分かっているのか?自分が何をしているのか。売春より酷い。
そうだ。君の事だよ。君はおそらくここを見てはいないだろうが、一つだけ忠告しておこう。
一度失ったらもう取り返せないものなのだよ、ココロというのは。それだけは覚えておきたまえ。
他人が怖いということに関して僕の意見を言わせていただきます。今の世の中はあまりに多くの人と出会ったりすれ違ったりする世の中です。その中で全ての人と上手くやって行ける人は恐らくいないでしょう。
僕は大学生ですが中学3年のときに登校拒否をして、高校はなんとか行きましたが、大学に入ってすぐの今年の夏から秋にかけてひきこもり気味になりました。大学には行っても人と話すのが怖くて授業をなんとなく受けて帰ってくる生活で将来の展望も無く休みに休み、単位をすでに半分以上落としてしまいました。
その中で気づいたのが自分が抱える、原因のわからない恐怖感と罪悪感です。それがどこから来るのかと考えたら、皆と仲良くしなければいけないような気がしていて、他人とうまく話せない自分がダメな人間なんじゃないかという染み付いた思いからであろう、ということがわかりました。
はっきり言ってしまえば、この世の中の大多数の人間は自分にとって赤の他人なのです。そう考えたら外を歩いていても他人の目が気にならなくなりました。
自分の興味のある人間や周りにいる人間を選んで接して行けばいいんです。
これは自分に関してですが、他人の良いところ悪いところは目に付くけど、自分は全く見えていませんでした。だから他人をうらやましがったり批判したりするけど、そのくせ自分では何もしない。自分が見えていないから「自分はなんでもダメな人間なんだ」と思い込む。自分で自分にストップをかけているところから生まれる矛盾が原因不明の不安感の原因だと思いました。他人と接して失敗してしまっても原因はわかっているわけですからそのほうが動きやすいと思います。自分のいい部分はもちろん嫌な部分も自分で見つめなおして自分自身に対して正当な評価を行うことです。そうしなければどこから始めればいいのかがわかりません。そして自分をごまかさないようにしていくこと。そうすることで僕自身だんだん自分が好きになりはじめています。笑ってごまかす、眼を逸らしてごまかすことをやめる。辛いことのように思うかもしれませんがむしろそのまま自分をごまかして生きていくことのほうがずっと辛い。ちょっとずつ自分を変えていけばいいんです。
それでもやはりきっかけは他人の手助けが必要だと思います。僕は「勉強しろ」しか言わなかった親が、登校拒否した自分を許してくれたことによって前に進めたと思います。自分が親に対してかなり暴力を働いたのに、親は怒って見捨てることはしないでいてくれました。高校を探してきてくれたのも親でした。だから周りの人間の理解なしでは辛いと思います。きっかけさえあれば、後は意外に頑張れるものです。
僕にできることはこういう場に書き込みをして一人でも多くの方に協力を仰ぐことぐらいです。一部の人が幸せになっても、ひきこもって悩んでいる人達を見捨てるような世の中ではひどすぎると思います。人間は弱いですから、時には支え合い生きていくことが必要です。