2010-03-16

ttp://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2487793.html

漫画家 里中満智子

有害図書問題というのは、10年15年ぐらいで議論が繰り返される。特にマンガはたたかれやすいが、みな覚悟をもって書いている。

たたかれると出版がやりにくくなるのは事実。みんなに見ていただきたいという理由から、本来やりたかった表現をあきらめる若い作家もいる。

子どものために、平和のためにというと、みんないろんなことw悪気なくやれてしまう。もちろん子どもを守ることは大人の使命であるが、この世に存在しない画像まで被害者扱いされてしまうことには、おかしさを感じる。

正義感にあふれた人からすれば、そういうものを見せないのがいいというが、そのことは否定しない。なぜならば、それが自由というものだからである。意見を述べるのは自由であり、こうして私が意見を述べることもまた、自由である。

しかい自分正義が、社会正義と思い込むところが問題だ。かつて日本には、表現が阻害された時代がある。ある一部の人が正しいと思うものだけが認められたことがある。表現規制は、社会のもろさにつながっていく。

何を規制すべきかは、慎重に考える必要がある。表現規制の危機を感じとっていく必要がある。表現者はある覚悟をして作品を描いており、それを選ぶのは読者であるべきだ。

東京出版社が集まっている。したがってこれは東京都だけでの問題ではない。

さらに言うならば、今回の改正に小説がふくまれないのはどういうことか。石原慎太郎氏の「太陽の季節」は、かつての若者に大きな影響を与えた。今、若者

大きな影響を与えるものとはなにか。変な闇ができないように、政治家に頑張って欲しい。

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