はてなキーワード: プレッシャーとは
どうも、多くの人にとっては勉強はつらくて嫌なものらしい。
高学歴=ガリ勉というイメージは世間一般にかなり浸透している。
ここで言うガリ勉とは教育ママに幼い時から無理やり塾に生かされて、学校では勉強しかせず、友達も少なく、体育や芸術の成績は悪い人間というもの。
学園モノの小説やドラマやマンガで「ガリ勉的な優等生がプレッシャーに耐えきれず犯罪を犯す」というモチーフが一つの様式として成立しているのは誰でも納得すると思う。
現実、ネット上限らず、「学歴と頭の良さは関係ない」という論が根強いのもそのひとつ。
頭の良さの定義をどうするかにもよるけれど、もちろん学歴と頭の良さは関係ない。(定義によっては正の相関はあるかもしれないが)
けれど、この論を唱える人たちの意見に、高学歴=勉強"しか"してこなかった人間というイメージがときどき見えるのもたしかである。
こういった高学歴=ガリ勉というイメージを支えているのは「勉強はつらくて嫌なものだ」というイメージなのだろう。
勉強はつらくて嫌なものだから、優等生でいるにはプレッシャーに耐えながら勉強しなければならないし、高学歴になるには勉強以外のことはすべて捨てなければならないという論理。
これはスポーツその他で置き換えてみたらよくわかると思う。
「学生時代は野球に打ち込みました」と言う人に対して、「あぁ、かわいそうに。この人は毎日野球しかせず、休日に友達と遊ぶことも創造的な活動をすることもない学校生活を送ったのだな。」とは普通思わない。
けれど、「学生時代は勉学に打ち込みました」という人に対しては、多くの人が、「あぁ、かわいそうに。この人は毎日勉強しかせず、休日に友達と遊ぶことも創造的な活動をすることもない学校生活を送ったのだな。」と多かれ少なかれ思うのだ。
けれども、実際の高学歴の人間はそういったイメージとは全然違う。
とその前に、私自身の学歴を述べると、
小・中は公立
高は私立の進学校(浪人も含めて旧帝大or医学部が一学年の1/3くらい)
という感じ。
もちろん、私が出会った人間を"高学歴の人間"として一般化してしまうのはあまりよろしくないことだし、例外はいるだろうとも思うが、
高学歴の人間が基本的に「勉強は楽しく、役に立つもの」というイメージを持っているのは確かなことだと思う。
そう、私を含め高学歴の人間は勉強を楽しいものだと思っているのである。
楽しいから何時間も勉強しても苦にならないし、逆に言えば楽しくなければ大学に入れるほど勉強することはできないだろう。
高校の段階では親に言われて無理やり勉強してきた人も何人か居たが、そういう人はだいたい落ちこぼれてしまった。
これは私自身の話になるが、中学2年で初めて塾に行ったとき、まず思ったのは「塾の勉強って楽しい」だった。
学校の勉強が楽しくなかったわけではないが、塾で仲間とあれやこれや言いながら難しい問題を解いていくことは頭の体操やパズル的な面白さが有った。
素晴らしい解法には心が踊ったし、新しいことを知る・深いことを知ることはさらなる興味を生んだ。
大学院で研究しだしてからは、世界でだれも知らないことを自分が一番先に知るという面白さに変わった。
勉強というものは楽しいものであったし、教養や何か以前に、勉強をより面白くするために役立つものであった。
また、勉強で培われた好奇心はいわゆる勉強以外にもいろんなところに広がっている。
私の周りには音楽、演劇、スポーツ、映画、など様々な趣味に力を注いでいる人間が多くいる。
正直、勉強「しか」してこなかった人間は「勉強がつらく嫌なもの」と考えている人の頭の中にしか居ないのではないかとまで思う。
このようなイメージの差ができてしまう原因は、現在の社会制度、端的に言えば「全員が勉強を強制されて、殆どの場合勉強ができるできないだけで評価されてしまう」という制度によるものなのだろうけれど、長くなるので別の話とします。
この文章が高学歴=ガリ勉というイメージを少し減らせればいいなと思います。
長々と書いてきたけれど、もしかしたら逆効果かもしれないな
まだ子供はいない。
義理の両親からは「孫の顔がみたい」と言われているが、私も旦那も1,2年中に作るということで同意しているのでプレッシャーはそこまで苦ではない。
旦那は比較的家事に協力的で、洗濯や食器を洗ったりゴミ捨てもしてくれる。
浮気は…しないと信じているけど、私のほうが年下なので私が妙齢になった時は旦那はおじいさんの年齢なので物理的に難しいかと思われる。
子供の頃から結婚に対して良いイメージを持っていなかったが、結婚してみると「意外といいな」というのが感想。
気づいたら結婚してから早半年経ったが、旦那と結婚して本当に良かったと思う。
私の人生も色々あったけど、結婚して今までの苦労が報われたと心の底から思う。
もしも子供ができなかったり、なにか悲しいことや苦しいことがおきても今のこの気持ちを忘れずに生きていきたい。
朝鮮戦争の前半、アメリカは数に任せて押し寄せる膨大な中国軍に完全に敗北(その後、38度線まで押し戻すことに何とか成功)したトラウマから、全面的な対決は絶対に行わない。中国もそれは承知の上で、台湾が明確に中国から独立の意思を示していない今、あえて軍事占領するのは国際経済上の不利益が大きいと判断している。 アメリカの台湾戦略は、あくまでも牽制のレベルにとどまる。中国が本気で台湾を占領すべく軍事侵攻した場合、アメリカは台湾を見捨てる。せいぜい台湾内の対中抵抗勢力に援助を行う程度にとどまる。 そんな中国にとって、台湾周辺の米軍基地は、目障りではあってもそれによって困ることはない。中国にとって最も困るのは、台湾の軍事力の強化。そのためアメリカは、台湾への武器売却によって中国を牽制している。
数十年前ならともかく、今の中国に人海戦術を行う気はありません。むしろ膨大に抱えた陸軍兵士を削減することに躍起になっています。
むしろ最新兵器の導入と運用で、高学歴の人員を揃えたいものの、そういった人材はここ最近人手不足で、最新兵器の運用もままならない状態です。
中国は兵士だけいても意味が無いと考えているのです。実際朝鮮戦争は不意打ちだから成功したので相手の状況がある程度正確にわかる現在では不意打ちはほぼありえません。
で、アメリカと日本が台湾を重視しているのはシーレーンというか自国の通商路を守りたいのであってそのために両国は台湾を占領されたくないのです。
なので、台湾を守りきれると判断できる限り、中国の台湾軍事占領に介入してくるでしょう。そのための強いプレッシャーとして沖縄の海兵隊がいるのです。
一昨年、人生の中で衝撃的なことが起こり、これまでの越し方を考えた。
それは、「一人で生きないといけない」ということ。
とにかく「変わろう」と思い、人の輪に入る/持ち物を変えるなど、あらゆることをがんばった。
人と多く話すために、飲み会に参加した。
今までいったことがない場所に旅に出た。
本を読み「なぜ」を考えた。
すばらしい人と会い、どうしたら同じ立場になれるか考えた。
それまでは、守られて/目立たず/自己主張をしない、
本当に「都合のよい」人間だった。
だけど、それだけでは生きていけないと思い、積極的に外に出た。
自分が何ができて、どう生きていくか、そのために力をつけようと行動した。
だけど、こうやって「変えよう」とした理由/プロセスを周知しなかったことが災いして、
周りの人間からはこういわれてしまったのである。
「何で変わっちゃったの?」
「いい子だったのに」
それをいわれたときに、「何でそういう男女間のような話をするのかな」と気持ち悪く思った。
しかも、自分が変わることで、「捨てられる/裏切られる」と思われてしまったらしい。
その結果、私自身の行動を規制して「外と接触を断ち、つなぎとめよう」となった。
あまりにも気持ち悪い言葉を投げかけられ、
だけど「外と接触を断つ」という状況で相談もできず、
逃げ出すことも情けないと思い、
成果を挙げないと非難され、用法を間違った日本語でののしられ、
人間関係がまずくなって、だけど逃げ出したり改善することが自分だけではできず、
(本当なら中立的な人間がいるといいのだけど、小さい組織ではそれができない)
ただプレッシャーをかけられてどうしようもなくなったので、組織から抜けた。
まあ、そんなわけで組織(=会社・仕事)と恋愛をしていたのだけど、
やっとのことで、時間の経過により傷が癒えそうです。
うつなら仕方ない。というか、よく習い事続けられてるね。すごい。
最初は誰かの指示で言われるがままに動けばよかった。今はそうじゃなかろ?
指示があるにしたって、最初の1から10までの指示じゃなく、5とか3とかに減ってきているはず。
残りは経験から判断できるようになっていると思う。
もしくは、他の分野に手を伸ばして守備範囲が広がっているはず。
そういう状態だから、自分で意識するしないにかかわらず、前よりはプレッシャーがかかっている。
1、2年目は税金が少ないんじゃなかったかな?
住民税は対象年度の翌年に分割で払うから、1年目はないはずだし、
所得税も1年目は9ヶ月分だから少ないはず。
自分は3年目くらいが一番キツかった。
通院でお金使うし、外食でも使うんだから、足りないのはわかる。
なので、手抜きごはんを習得するといいと思います。
疲れたときは、ごはんは簡単に食べたい。
一人なら、ごはん3合くらい一度に炊いておいて、1食分ずつ冷凍しておくといい。保温はすすめない。
ちょっと高いけどおすすめなのが、パックごはん。レンジで2分で調理完了。
あと、お肉とか100gくらいずつに分けて冷凍しとく。レンジで解凍して焼いたり煮たり。
味をつけてから冷凍すれば、解凍してそのまま加熱できるから楽です。
オーブントースターがあれば、アルミホイルに載せて加熱すれば手間いらず。
最近は蒸し器(スチームケースとか)も流行ってるよね。材料入れて電子レンジにかけておしまい。
個人的にはまったのは、もやし+まいたけ+鮭を重ねてそのまま蒸して、できたらあさつき散らしてポン酢で食べる。
調理が面倒なら、お茶漬けでもいいじゃん。ごはん盛って、こんぶ茶かけて、のりかけて、鮭フレークか練り梅とか。
あと、うつが重くて、費用負担も重い場合は、費用補助を受けることができます。
ただし、職種などによってはあまりおすすめできないらしいです。(先生談)
自立支援制度でググってください。
ttp://bizmakoto.jp/makoto/articles/1003/29/news005_3.html
しかし、日本には「たとえ適当に始めたことでも、簡単に辞めてはいけない!」という道徳観があります。周囲もやたらと「速断すべきでない」というプレッシャーをかけます。「やめること」は「逃げ」とか「根性がない」とか言われ、「続けることに、やめることより高い道徳的価値を置く」のです。
一個人(night_in_tunisi)のtwitterから引っ張ってくるのはひどいと思うけど、大方リフレマンセイなブロガー・twitterエコノミストの意見を代表してるんじゃないかな。
# @yagena @rionaoki @ecohis 金子議員の件、ちょっと待ってほしい。岩本氏の「バーナンキの背理法」批判についておかしいと思わないの?これだけ経済の低迷が続いていることに何もできない経済学や経済学者に一般市民や国民が批判することは許されないの?中身で反論すれば?
# @yagena @rionaoki @ecohis もちろん、僕もさすがに言い過ぎだなぁ、とは思いましたよ。でも僕のような一般人の立場からすると、経済学者は日本経済に対してあまりに超然としていると思います。政策提言しない、というのであればそれは結構。批判もしないで欲しい。 4:09 PM Mar 31st
# @ecohis 返信有り難うございます。リフレに関しては「リフレ論争なんかに巻き込まれたくない」という空気を経済学者の一部の人から強く感じるんですね。偉い学者ほど、そう感じます。リフレを提唱している学者を低く見ている、といってもいい。 7:38 PM Mar 31st YoruFukurouから ecohis宛
ここからジャンプしてしまうのかもしれないけど、そこまで言うのならお前が論文書いてみろよって、マクロプロパーは思ってんじゃないかな。(所詮はお前はバーナンキとかの翻訳しかしてないだろって。)で、具体化するのがどれだけ難しいのか、あるいは整合的な(GE的な)論理に載せるのが難しいかを知れと。
@gaytown_2chome なんだかなぁ。。。こっちは生活かけてるから議論してるのに。なんか安田氏のエントリとそのコメント欄見ると子どもだなぁと感じるよ。
っていうけど、「生活」ってのはマクロ的な変動の中でリフレがうまくいくかどうかって話だから全国民一緒のはずでしょう。他方で、それを提唱したり批判する学者ってのは、直接に自分の評価につながるわけだよね。それが安田氏みたいな専門外のファカルティーだったらまだ専門性に対する深刻な問題にならないけど、マクロ専門だったら?現に日本だったらまじめなマクロ学者はそこらへん関わりあうのがめんどくさい(そして実効性から言えば、別にウェブのオタクたちなんか相手にしなくてもよい・よかった?)から、林もチャールズホリオカもそしてその有望な弟子たちも何も発言してないでしょう。リフレ派に関わるような人たちだって、売文ではなくて研究で身を立てていこうとしてる人たちはウェブから余計にひっこんでる。プライベートでは使ってるとしても。
同じことをさ、よく2chVipperで出てくる、プログラマーと顧客・営業の話に例えて考えてみなよ。そして、そんな営業みたいな人がニコニコしながらプレッシャーかけて、しかもアニメーターくらいの安月給(とそれくらいな賃金カーブ)で高い成果を要求してくる。日本だとジョブとるまで良くて月8万程度のRAでしょう。
全男女がマッチングして、男か女の数が多いほうが余るって考えてんの?
選択きずにズルズル年を取るのは本人の責任だし
今でもそういうのっていない?特に結婚
一生モノを一発で選ぶ、相当なプレッシャーだ。
いいんじゃない?緊張感持って選べば
別れると、絶対に再婚できない。
操を立てる、殉ずるってそういうことじゃない?
あと、そういう職業の人がカタギの結婚市場から外れるのは大昔からそうだし現状もそうだよ。
しったこっちゃない? そりゃ無責任でしょ。
俺は別に処女厨じゃないんだけどさ
お前の考えた設問てどれもこれも浅すぎて馬鹿丸出しだからちょっとぶちのめしてみたよ。
あと、「結婚できない、悲しすぎる」「セックスできない、悲しすぎる」ってなんかアホみたいに言い募ってるけど
処女厨に「出来なくてええのんじゃあ!」ってパーンと怒鳴りつけられたら終了ね、お前の主張。
まー全体的になんつーか、
処女厨を困らせようと思ってお前の脳を絞って一生懸命考えたのがこんなんなの?
馬鹿ってかわいそうだなあ。
全ての人間は、処女と童貞が付き合い、セックスして、結婚して、一生添い遂げる。
でもこの世界では、いくつかの問題が起こる。
1.男女の数の違い
どちらが多いかわからないが、少なくとも男女の数の差だけ、セックスできずに結婚できずに寿命を迎える。
悲しすぎる。
2.相手選びが厳しくなる
始めて付き合う人間としかセックスできない、一生添い遂げるわけだから、その相手選びは相当厳しくなる。
一生モノを一発で選ぶわけだから。
と、選択できずにずるずると年をとって、セックスできずに結婚できずに寿命を迎える人が増える。
悲しすぎる。
3.相手選びを失敗したとき
慎重に相手を選んでも、失敗することはある。
一生モノを一発で選ぶ、相当なプレッシャーだ。
失敗した相手と一生添い遂げるか。
別れると、絶対に再婚できない。
悲しすぎる。
4.相手を亡くしたとき
付き合ってて、もしくは結婚して、相手が病気や事故で先に亡くなったとき。
絶対に再婚できない。
悲しすぎる。
悲しすぎる。
6.他にもまだまだ問題はあるかも。
しったこっちゃない? そりゃ無責任でしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20100328123423
暗黙の前提が共有されていないせいで裏切られた気がする問題ですね。
最初からそうじゃなかったとしても、途中で、というか最終的にこう考えるようになるまでに「増田先輩を裏切った」という気になるかならないかは最終結果に対する影響は結構大きい。
つまり何を言っているかというと、「俺はこういう考えを持っておまえらに投資しているから期待に応えるように」というプレッシャーを日々部下に与えることで、増田の期待が達成される可能性が大きくなるのではないか? ということです。
プレッシャーを与えたくない(=与えられない)なら、ただのいい人で終わってしまうのも仕方がない。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100325-OYT1T00485.htm
>東京都江戸川区の区立小学校の校長(59)が、保護者の女性と性的な関係を
>持っていたとして、今月1日付で更迭されていたことが25日、分かった。
>前校長は、学校行事などで知り合った保護者の女性と2008年に校長室で
>性的な関係を持ち、その後も女性を同校の臨時職員として採用するよう区に推薦し、
>関係を続けていたという。
>今年2月、臨時職員を退職した女性から相談があり、区教委は「校長として不適切」として、
>処分権限のある都教委に報告した。前校長は、近く懲戒免職処分となる見込み。
果たしてそこまで責められるような話か?
確かに「勤務時間中に行った」のであれば、
勤務時間内に私用を行ったのと同義なので責められるべきだし、
「勤務地(小学校内)で行った」のであれば
勤務地を私用で使用したわけだから、その点では非難されるとは思う。
しかし、ことの本質、「教師は、担当児童の保護者と性的関係を持つ」こと自体、
全く非難されるべきものではない。
なので、たとえ配偶者が相互にいたとしても、この行為でもって
懲戒免職にするのは、「お門違い」である。
なまじ「聖職者が人倫にもとることをしてはいけない」という
プレッシャーが、ひいては市民生活の「活動の自由」「表現の自由」を奪ってしまうのである。
人倫云々より、「自由」の方が、小生にとっては「守るべき価値」である。
できれば懲戒免職の不当性を訴えて裁判して欲しいとすら思っている。
・・・という意見を、仮にPTAで主張すると、良くても「変人扱い」、
悪くすれば「認知障害扱い」なんだろうなあ。
今付き合ってる人がネットで知り合った20歳年上の人なんだけど、もうすぐ別れようと思う。
知り合ったのは去年の夏で、最初のアピールとかは向こうの方が積極的だった。
最初は期待しないで会ったんだけど、顔のタイプとかがそんときの俺の好みにドンピシャでずどーん。
何より、その年上だからこそ見せる細やかな気遣いとかセンスの良さにどんどん惹かれていった。
肉体関係もあった。どちらから誘ったとかそういうワケではなかったように記憶しているが、
やはり年上ならではのリードで俺はとても幸せな時間を過ごしたように思う。
そんときは俺が受験生だったこともあって、しかも向こうは忙しかったので、メールのやり取りは朝にちょっとと、夜にちょっとだけ。
会うのも2週に1回あるかないかくらいだったけど、俺はその人の事が好きだった。
受験生のナーバス度が最高潮に達しつつある11月下旬頃から、朝くるメールとかエッチのときの感じとかに何か引っかかるものがあった。
そのとき10歳年上の人とつき合ってた女友達に相談してみたら、
「あーわかる。メールの文面から加齢臭がするみたいなのはあるよね。でもそれは目つぶってる。」
って言われた。同意した。
センター試験が終わった1月下旬、プレッシャーと疲労でモウロウとしている中、やっぱり何か違うなって思い始めた。
でもそのときは勉強の事だけ考えてたいっていうのを言い訳に、連絡もほとんどしなかったし、向こうも気を遣ってくれたのか連絡がくる事はなかった。
受験が一段落し、さぁ、って頃にメールがきた。時間も置いたし、何かが解決してるかもしれないと思って1回だけ会った。
でもそれで決定的に「違うなー」って思えて、別れを切り出そうと思った。
で、こんな感じで半年くらい続いた恋愛関係なんですけど、別れ話ってどうやって切り出すのが一番いいですかね?
一応会って話したいと思ってアポとりました。でも、会ってすぐの車の中とかだとその後が気まずくなるし、食事の後とかだと修羅場になったときに店員さんまさかの登場とかになったら気まずいし、帰りの車の中とかだとデート代おごらせといて別れるはねーよwとか言われそうだし……
ttp://news24.jp/articles/2010/03/12/07155228.html
大阪・橋下府知事は12日、高校授業料無償化法案で、無償化の対象に朝鮮高級学校(通称、朝鮮学校)を含めるかどうかを判断するため、大阪・東大阪市の大阪朝鮮高級学校を視察した。
橋下知事は、授業内容などに北朝鮮とのつながりがあれば無償化の対象外とすることや、大阪府からの年間約2億円の補助金を打ち切ることを示唆している。
この学校の生徒は在日朝鮮人や在日韓国人の子供らで、授業はすべてハングルで行われ、教室の壁には北朝鮮・金正日総書記の肖像画がかかっている。橋下知事は「北朝鮮の国会体制と学校の関係に疑念を持たれるところがある。肖像画もおろしていただきたい」と学校側に要請した。これに対し、学校側は「1世が掲げたことを、2世、3世が外すということは、儒教の社会だからなかなかのプレッシャー」と話した。
橋下知事は視察後、「北朝鮮の国家体制と一線をひくということで、肖像画は外していただく。この辺りがクリアにならないと、公金を使うのは難しい。大人同士の話をして、いい方向で解決したい」と話した。
人を責める立場にはないんじゃないかなー
でも相手が新婚なら、奥さんに伝える、ってプレッシャーかけてあげてもいいかもね
ただとりあえず、その子と一緒にいるなら
この先も同じような悩みで苦労するとは思うよ
で、君よりいい男がいたら君が前彼から奪ったように
簡単に持っていかれる可能性は覚悟しておいた方がいい
元増田です。回答ありがとうございます。
寝る、本読む、立派な遊び。
遊び、人生をいろどる活力剤。
遊びのために生きるって明言するのがはばかられる空気がある気がするのですが、それって私の妄想ですかね。
ご存知かどうか分かりませんが、
たとえば「十年泥になって働け」って経営者が明言しちゃったり、
この前のえがちゃんの「労働をすべてに優先すべき」みたいなエントリーがあります。
で、彼らのエントリがみなホッテントリになって、労働に重きを置く人と置かない人での争いが勃発しているのを見ると、
なぜお互いがお互いを「攻撃」しているのか、私にはさっぱり分からないのです。
だって、どちらも生きかたや価値観の違いであって、優劣や正誤を競うものでもないはずなのに。
両者の間には埋めようのない断絶があるように見えるんです。
なぜお互いを認められないんだろう、さらにいえば、なぜ自らの状況に疑問を持たないのだろう、と。
私自身が迫害されてるとは思ってません。ただ、まさかこのままでいいと思ってないよね? という周囲のプレッシャーは暗に明に感じます。
わかりづらい書き方ですみません。
これについては「利己的な遺伝子」でも読み返してみます。
現実的な話として、今の人類は、技術的にも政治的にも、「労働は尊いものだ」という価値観を完全否定できるまでにはなっていないのではないかなあ。もちろん、将来的には可能かも知れないし、現在でも、技術の組み合わせ次第で可能かも知れないが、適切な仕掛けがまだ見つかっていない、あるいは政治上の都合でまだその段階まで進めていないのではないか。
裏返しで考えると明白ですね。たしかに尊敬され丁重に扱われてしかるべきと私も思います。
そして「労働=尊い」という価値観を否定するのは、現代日本ではまだマイノリティなのは間違いないでしょう。
ただ、大昔から国民すべてが労働に従事する必要性はなかったように思います。飛鳥時代くらいにはすでにニートらしき精神なり姿勢はあったんじゃないでしょうか。「駄目人間の話」は昔話にも出てきますしね。
つまり、なくなってもそれに関わる人以外だれも困らない仕事はけっこうあるのではないか、ということです。
リーマンショックなんて「ための仕事」という屈折のもたらした不自然さの結果ではないでしょうか。
成長を求める気持ちは個人を進歩させますが、集合体、器としての社会に「成長」を望むするのはとてもいびつなもののように私は見ています。
変化や進化なら、あるかもしれませんが。ただこのへんは言葉遊びですね。
(追記)
自分が思っているよりも、現代人にとって「こうなったらよりよいのに」という欲求、言い換えると利便性向上を願う気持ちってかなり強いのかもしれませんね。
利便を得るにも努力や苦労は必要ですしね。ただし、そうした人の希望を利用したやりがい搾取とかブラック企業は滅びればいいのに。
しかし、てっきり「氏ね」の嵐だと思っていましたが、そもそも何が言いたいのか、なにが疑問なのかを説明できてなかったですねwww
期待が大きいぶん、それに押しつぶされてるってことはないかな?
すごく楽しみな時でも、裏返せばそこに不安も存在するわけで。
自分は楽しみだけど、相手も同じくらいに楽しみにしてくれてるのかな?
相手とちゃんと楽しい時間を過ごせるかな?楽しませてあげられるかな?
そんなことを考えてると無意識のうちに相手に気を遣うことを考え始めてて。
要求もされてないことを要求されてるような気がしてきて。
楽しみにしてたはずなのに気が重い部分も出てくる。
でも実際会ってみるとなんでもなかった。むしろすごい楽しかった。
出典元
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1424349721&owner_id=959758
***********以下、転載です************
1.はじめに
私がフィギュアスケートを見るようになったのは、リレハンメル五輪のシーズンのグランプリシリーズ、NHK杯からですから、
もう17年になろうとしています。その、フィギュア観戦生活の中で、私は今、これまでに味わったことのないような、暗澹たる思いで胸がいっぱいです。
バンクーバー五輪の女子シングルの競技を終えて、一夜明けた今、寝るに眠れず、このレポートを書いています。
果たしてそれにどんな意味があるのか。私にもわかりません。ただ、いちフィギュアスケートファンとして、
この現状を諦め、口をつぐむには、あまりにも今回の出来事は悲惨すぎる。少しでも多くの人に、現状を知ってほしい。
そう思って、このレポートを書くことにしました。 もちろん、主観だらけの内容になってしまうと思います。
けれども、理解していただきたいのは、そこにあるのは、フィギュアスケートに対する愛です。
誰がなんと言おうと、私はこのフィギュアスケートという競技を愛しているのだと思います。どんなにつらい思いをしても、納得できなくても。
フィギュアファンとして、浅田真央のファンとして、今回の結果がどうにも納得できないと言ったら、ほとんどの人はこう思うでしょう。
「ミスをしてしまったのだからしょうがない」「キムヨナは完璧だったのだから」。
敗者は口をつぐむのが、日本では美徳とされています。私はそれを否定するつもりは全くありません。けれどもそれは、
フェアに競技が行われた上での結果というのが大前提ではないでしょうか。中には、フェアではなかったとしても、
それすらも納得して口をつぐんでしまう人も、日本人には少なくないと思いますが・・・。
はじめに断っておきますが、私は決してキムヨナが嫌いなわけではありません。むしろ、4年前世界フィギュアで彼女の存在を認識した時は、
浅田真央という天才にライバルができ、切磋琢磨できる状況になったということを歓迎しました。
彼女たちが、これからどのように戦っていくのか、胸を躍らせたほどです。
間違えてほしくないのは、このレポートが「キムヨナ批判」ではないということです。時には、キムヨナ本人を批判するような書き方になってしまうかも
しれませんが、私にはそのような意図は全くありません。むしろ、キムヨナもある意味では被害者であるといえると思います。世界最高点をたたき出し、
金メダリストとなったキムヨナは、素晴らしい選手だ、天才だ、と思われていることでしょう。
ですが、実はフィギュアファンの目から見れば、主観を抜きにしたとしても、稀有な才能の持ち主というには、キムヨナはあまりにも凡庸すぎる。
ジャンプにしろ、ステップにしろ、スピンにしろ、スパイラルにしろ、すべての要素において、浅田真央に迫るものですらないのです。
ではなぜ、その彼女が「世界最高点」を出すに至ったのか。たゆまない努力のたまものだから、讃えるべきだという人もいるでしょう
しかし実は、その裏には様々な理由があるのです。
あの大舞台にノーミスで滑れたこと。それくらいは讃えてもいいと思われるかもしれません。しかし、です。
前置きが長くなってしまいましたが、私なりに、今回の出来事を分析してみようと思います。潔くないといわれてもかまいません。
この腐ったフィギュアスケート界をなんとかしたいと思っている人間は、たくさんいるのです。それを、少しでも多くの人に知ってもらいたいと思います。
・キムヨナがフリーで3回も使うダブルアクセルの基礎点が突如3.3→3.5点にUP。加点をつける基準が
難しい3回転と同じなので、簡単なダブルアクセルの前後には工夫ができあっさり毎度トリプルループ以上の点に
・トリプルルッツとトリプルフリップの踏みわけが厳格化され、真央が1試合3回使う得点源であり3回転で一番基礎点の高い技トリプルルッツが
不正扱いで使う度平均2,3点も減点。修正しない限り組み込めなくなる
・真央の甘かったシットスピンの認定基準も厳格化。しかし真央即座に対応し深いシットスピンに
・実はキムヨナも3回転で2番目に基礎点の高いトリプルフリップの不正があった。
ところが何故かキムヨナの不正トリプルフリップだけは見逃され続け驚異の加点
・その直後、来シーズンから今度は回転不足の厳格化を発表。更にトリプルルッツを跳べないでる浅田に、浅田の得意な3回転半を除いた
・予想通り真央のトリプルアクセルとトリプルループ、安藤のトリプルループ、特に二人ともセカンドトリプルループが怖いぐらい全く認められなくなる
・ところがキムヨナの得意なセカンドトリプルトゥループだけは決して回転不足にならず、初戦のアメリカ戦でトリプルフリップがまた見逃される。
しかしVTRではっきりトリプルフリップの不正が映ってしまい、2戦目からエラーではない「!」の注意がつくも、
・真央がトリプルサルコウを克服しルッツもなんとか矯正してくる。対照的にキムヨナはトリプルループが跳べなくなる。
真央が文句のつけようのない演技をしてグランプリファイナル優勝。するといつの間にか5種類ボーナスの話しが立ち消えに。
・五輪シーズン、8月に韓国でルール改正決定。真央の最大の得意技トリプルフリップも、蹴る足がつま先ではなくブレード全部で蹴ってるからと減点に。
ジャパンオープンで矯正しても不正扱いされ浅田の最後の砦トリプルフリップも減点、しかもいじっていびつになり質が悪化、
・2010年度初戦で真央に回転不足4連発判定。内3つは明らかに足りてるループ。五輪シーズン、彼女のループを2回転含め全て潰す意図が明確に。
キムヨナはトリプルフリップの不正は再び注意もつかなくなり、フリーではトリプルフリップを跳ばずに世界最高得点更新。
いかがでしょうか。
浅田真央は、4年もの長きにわたって、これだけの仕打ちに耐え、乗り越えてきたのです。これだけの、浅田真央に不利でキムヨナに有利なルール改正。
浅田真央が、何十年に一度の稀有な才能の持ち主でなければ、ここまで露骨なルール改正はなされなかったかもしれません。
これでもか、これでもかと浅田真央をつぶしにかかり、それでもつぶれなかった浅田真央は、本当に頑張ったし、偉いと思います。
(http://nereidedesign.jugem.jp/?eid=205 より転載)
日本の皆さんは、「浅田真央がノーミスなら当然金メダルだったはず・・・」と思っているでしょう。
違います。
浅田真央の代わりにプルシェンコが滑って、4回転ジャンプをかましても、キム・ヨナに勝つのは無理なんです。
だから浅田真央は滑る前の、気持ちの持って行き方に迷いが出たのです。
絶対勝てない、って分かってたから。
フリー種目だけを、男子と同じPCS(*女子は×1.6、男子は×2.0)で計算すると、キム・ヨナはジャンプが1回少ないにもかかわらず、
ライサチェックの得点を超えます。
FS 168.00点 [TES 78.30(加点17.40) PCS *89.70]
FS 167.37点 [TES 84.57(加点9.64) PCS 82.80]
FS 165.51点 [TES 82.71(加点7.68) PCS 82.80]
どうしてそんな差がついたの?
ジャンプは真央の方がはるかに難しいのを完全に決めたじゃないか。キム・ヨナは10位の選手と同じジャンプしかできなかったのに。
一言でいうと、審判のおまけポイント。
気分次第で10点20点の差ができる仕様になっております。
GOE女子 GOE男子
1位 ヨナ: 17.40 9.64 : ライサチェック
3位 ロシェ: 4.42 3.20 : 高橋
4位 長洲: 8.50 2.58 : ランビエール
5位 安藤: 5.30 3.80 : P・チャン
だから
「オリンピックの試合だが、全く緊張しなかった」
などと余裕をぶちかませたのです。
色々な感情がありますが、まずは浅田真央という選手を賞賛するべきでしょう。
スキージャンプよりも酷いルール変更の連続に苦しめられて、それをたった1、2年で修正してきて、「用意された王者」を脅かす所までいったのです。
4.画像比較 バンクーバー五輪SPにおける浅田真央とキムヨナそれぞれの演技
(省略)
こうやって並べて比較すると、いかにキムヨナが浅田真央に比べて体が硬く、難易度の低いポジションでしか滑れないかがわかります。
ところが、ここでの二人のポイントは、驚くべきことに、全く同じなのです。また、キムヨナはスパイラルの途中で一瞬よろけてしまいますが、
そんなこともおかまいなしに加点がついています。
5.さいごに
この四年というもの、フィギュアスケートファンが、どれほどの憤りを抱えてきたか、おそらくフィギュアを五輪でしか
見ない人には想像もつかないでしょう。けれど、ここまでのまとめで少しだけでもわかっていただけたでしょうか。
それでも・・・と思われるでしょうか。
私たちが忘れてはならないのは、浅田真央は間違いなく、世界的に見ても何十年に一度の稀有な才能の持ち主であり、
キムヨナは凡庸な選手でしかないということです。 凡庸な選手を、何年もかけてさもものすごい選手であるかのように仕立て上げた。
キムヨナの演技というのは、フィギュアをよく知らない人から見れば、パーフェクトで素晴らしいものに見えるかもしれない(点数という後押しもあり)。
しかし、フィギュアを少しでも詳しく知る人間から見れば、キムヨナの行っている演技は、五輪10位の選手ともたいして変わらない、平凡なものです。
ただ難易度の低いプログラムを、自信たっぷりに滑っているから、素人目には素晴らしく見えるだけなのです。ジャンプ以外の要素・・・
ステップ、スピン、スパイラル。すべての要素について、それは言えることです。
では、自信たっぷりに滑れる彼女の精神力を讃えるべきだといわれるかもしれません。ですが、上記にあげたように、
キムヨナは様々なものから守られている。採点基準・審判・マスコミ・・・。 バンクーバー五輪フリーにおけるキムヨナの得点はどのようなものか、
簡単に言ってしまえば、あのプログラムから、3-3のコンビネーション+3回転を一回、すっぽぬけたとしても優勝してしまえる。
そのような異常な高得点なのです。ですが、コアなファンでなければ、そんなことはわかるはずもありません。
1回や2回転んでも優勝できると分かっている選手と、世界最高の技をパーフェクトに滑っても優勝できないかもしれない選手が、
同じプレッシャーであるわけがありません。そのような、プレッシャーのない状況ですから、キムヨナがノーミスで滑れるのは、
別に驚くべきことではないのです。
フィギュアスケートは、芸術的要素を多分に含んではいますが、スポーツです。それなのに、難易度の低いプログラムをプレッシャーのない状況で
滑った選手が勝ち、異常なプレッシャーの中で、それでも大技に果敢に挑戦した選手が負ける・・・。そんなことがあって許されていいのでしょうか?
高得点が出るのはキムヨナのほうが、表現力に優れているからでは?と思われる方は、上にある画像をもう一度見ていただきたい。
明らかに、浅田真央のほうが技術だけでなく表現力にも優れていることがよくわかるでしょう。
平凡平凡と何度も書きましたが、それは浅田真央と比べたらの話であって、キムヨナに才能がないわけではありません。トップレベルであることは間違いない。
ただ、浅田真央が天才すぎただけです。浅田真央が天才すぎなければ、ここまで念入りに、キムヨナを「世界最高」に仕立て上げる必要もなかったかもしれない・・・とも思います。ある意味、キムヨナも被害者かもしれないというのは、そういうところにあります。
「仕立て上げられた世界王者」この言葉を、私はこれからもずっと忘れないでしょう。そして、浅田真央がこの四年間で何をされてきたか、
そしてそれをいかにして乗り越えてきたか。それを、私はできるだけ多くの人に伝えていきたいと思っています。冒頭にも書きましたが、
私はフィギュアスケートを愛しているからです。
浅田真央は、間違いなく、もっともっと、世界的に評価されなければいけないスケーターです。
私は、浅田真央とキムヨナが甲乙つけがたいと評価されるだけでも我慢がならないのです。
どうか、この思いが、少しでも多くの人に伝わりますように。
そして、フィギュアスケートの現状が少しでもいいから変わりますように。