楽しく生きている人や、そうでもないけどズルズル生きている人は悲しいとか勿体ないとかみっともないとか言うのかもしれない。
おれは覚悟決まっててかっこいいじゃんと思った。死にたいなーとか考えてると楽にはなるけど、いざ死のうと思えば中々踏ん切りがつかないし、未来には志向しない。だから生きてる限りは時間の無駄だと思って、そういう事考えるのはやめた。
でもやっぱ生きる実感や心の奥底からの納得って自分から探さないと中々得られないし、それってとてもめんどくさいし、やりたくない事も多少はやらないと好きな事はできないし、じゃあやっぱり死んだ方がいいじゃんとかつい思っちゃう。
で、死ぬならやっぱり若い内がカッコいいと思う。若さってそれだけでなんか美しいし。
年取った人間はそういう考えから離れるのだろうけど、それはなにも正しいことを理解したからじゃなくて、ただ若い人間の考えから年老いた人間の考えに変わっただけだと思う。そう思わざるを得ないというか。
美しいと思える事をそう思える内に死んで切り上げてしまったら、それって綺麗な完結だと思うし。
そりゃ若い内にしかできないことってあるだろうし、それを試してから死ぬのも悪くはないかもしれないけど、そんな元気ないかもしれないし。
不登校な上に精神の不調の線引きにこだわっていた彼はこんなふわっとした人生論みたいなのじゃなくて、もっと切実な辛さに駆られたのかもしれないけど。それか衝動的なものかも分からん。
でも彼は人間の内面に触れるカルチャーとかに割と関心があったように見えたし、そういう考えもちょっとはあったのかな。
死んだ彼はカッコいいというか綺麗な生き方、というか死に方だなと思った。そりゃやりたいことやって満足に生きてる人よりは羨ましくないけど、ただ死んでないだけでズルズル生きてるだけの人よりは人間らしいなって思った。
人が生きるったって、本当に息吸って吐いて飯食って寝るだけじゃ石ころと変わらないと思うし。その心で何をするかが大事な気がするし、心が死にたいと思ったならそれはボーッと生きるより良い生き方なんじゃないかなって思った。
でもちゃんと高校に通って同年代と喋って、抽象的な苦しみの正体に辿り着く余裕もなく過ごしてれば死ぬこともなかったかな。
ネットのヒネたオタク達に囲まれて、そのノリに迎合して、ちょっと歳上の人間に混じって大人になったような気分にならなければ。これは邪推かな。
でもそういうのっていい生き方なのかな。分からんね。そもそも正解がないし。
彼の発信する言葉をもう見られないのはちょっと寂しい。ちょっとの事が違った別の世界線の自分を見てるような気になって、なんかシンパシーを感じた。一回り若い子が自分のコミュニティ近辺にいた物珍しさもあったし。
家族とかは多分悲しんだろうし、同じく悲しむオタクもいればワロタって感じのオタクもいたけど、おれはかっこいい生き方だよと思いました。
死ぬよりも辛い事なんて無いだろみたいな考えの人間の気持ちは分かんねーな。
死に対する想像力の欠如だ、なんて言えばもっともらしいけど。いくら自殺未遂した所で死んではいねーしな。でも死ぬったってちょっと痛そうな、覚めない睡眠以上のものでも以下でもないだろ。
本人にとってはそれだけの事でも周りは悲しむとか迷惑になるとか、そんな話はどうだっていいだろって感じだな。だって死ぬんだし。