2023-03-05

インターネットという仮想現実侵食し、他人を「メス」と呼ばせる

暇空茜氏が東野篤子氏のツイートに「メスの青識」と引用RTした件。

「青識」のほうではなく「メス」というワードチョイスについて、少し考える。

インターネットのある場所においては、日常では使うことが憚られるようなワードが、「ネットスラング」として使用してもいいことになっている。

いや、良識ある人間ならインターネットでさえそんな言葉は使わないのだが、一部界隈ではごく普通に見かける場合がある。

たとえば、5chの「まんさん」「ま~ん(笑)」という女性への蔑称

常識的感覚であれば、家族友達仕事相手や雑踏の中、つまり他人」の前で、人間性器の名で呼ぶことはできない。

そんなことをすればたちまちドン引きされるし、場合によっては法的に訴えらえるかもしれない。

でも、5chならそれができる。なぜか?

5chは「女性性器の名で呼んでもいい場所」だと、自分認識しているからだ。

こういうインターネットにおける「場所」の感覚には、やっかいなところがある。

この「場所」は仮想に過ぎない。

現実世界で、自分友達の部屋に集まって雑談しているのとは違う。そういう、物理的に世界から隔絶された場所ではない。

5chにしてもTwitterにしても、全世界に開かれた、内外の明確な境界線のないオープン場所だ。

でもそこにクローズドな「場所」の感覚見出し普通な他人には言えないことを身内ノリで言ってしまう。

実際にはそこはオープン空間であり、「外」の人間にも見えているにもかかわらず。

その言葉を発しているのは、現実世界自分であるにもかかわらず。

「5chはそういう場所から品性を疑われるような発言をしてもよい」という認識に基づいて、他人性器の名で呼ぶ。

そして「Twitterはそういう場所から」「インターネットはそういう場所から」と「場所」の感覚は拡大されて(明確な境界線もないのだから拡大しやすい )、今回のように本来は「場所」の外にいるはずの見知らぬ他人に、下卑た言葉を直接投げかけるようになる。

現実世界での身内ノリを拡大させた結果、インターネット炎上してしまった寿司屋醤油をペロペロ舐める男子高校生と、ベクトルは逆だがやっていることは同じだ。

現実フィクション区別がついていない、という言葉をよく耳にするが、インターネットが「現実であることに自覚的でありたい。

インターネットの「場所」という概念は、仮想に過ぎない。

インターネットは、限られた人間しかアクセスできないアングラ世界ではなくなった。

そのこと自体に対する是非は置いておいて、インターネットはとっくに「現実なのだ

これは全員本名ネットするべき、という極論を言っているのではない。

匿名は、すなわち非現実ではない。

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