2022-02-17

anond:20220216210504

私なんかよりも全然しっかりとされたかたで、

口はばったいことを書いた自分を少し恥じているような状態です。

 

文学については、もちろん無意識的には我々を繋いでいる面はあると思いますが、

それを意識したり、体系立てて理解する、つまり自らの教養とすることについては、興味のない人のほうが多いかもしれませんね。

でもそれは、文学(詩、物語、その他芸術一般まで広げても)の歴史の中でもずっとそうだったのではないかとも考えます

社会階級制度があろうがなかろうが、教育水準格差がどうあろうが、文学積極的に触れようとするのは結局一部の人に限られていたように思えるのです。

 

職業現場が「空気を読むこと」や「愛想」で埋め尽くされているのなら、

それはそこにいる人たちが仕事に対して「やり過ごそう」というマインドいるからかなと思います

そもそも前向きに仕事に参画する気はなく、無用ストレスを避けることだけに専念するという姿勢

私も仕事はさほど好きではないので、そうしたマインド理解できますが、

かに、そっちのほうが疲弊するだろ、という指摘はもっともです。

別にやりたいことがあって仕事に前向きでないのか、前向きだったけど挫折したのか、それは人それぞれだと思います

単に皆、そこまで強くないだけなのかもしれません。

 

私の好きな小説で、小林恭二氏の「ゴブリン」という短編があります

抜粋引用させていただくと

“「オレたちにとって一瞬生きるってことは、一瞬消費されるってことなんだ。(中略)だから普通人間はみんな極力生きないようにしている。生きなければ消費されることもないからな。実際、オレたちにとってはロボットになるか、あっという間に消費されるか、どちらかしかないんだよ。」”

これも一面の真理で、生きる、つまり人に対して人として接する、とか、自分が学び経験してきたもの仕事に活かす、とか、

そういうことを避けるのが「生きる知恵」みたいになってしまっているのかもしれませんね。

あ、希望を摘み取る気はありません。文学言葉として一般化することで少しでも楽な気持ちになれるかなと。

 

私は日本社会しか知らないので、上のような状況が日本固有のものなのか、人間一般に帰することができるのかはわかりません。

海外に行かれる選択肢があるのなら、それもいいのかもしれません、くらいしか言えません。

でも、いずれにせよ、こうして少しでも言葉のやりとりをさせていただいた者として、

増田さんの人生の充実を祈っています

 

私にとっても重要示唆を与えてくださる文章でした。

こちらこそ、ありがとうございました。

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