2021-03-06

3.11からそろそろ10年経って思うこと

私は宮城県の某被災地に生まれ育った。

親の親世代からこの土地根付いているような家系

昭和の悪い部分を煮詰めたような部分が自分は大嫌いだった。

なんでおじいちゃん自分お茶を入れないのか?

なんで共働きの母ばかりが家事をしているのか?

幼い頃に感じた純粋な疑問に対して誰も納得のゆく答えをくれないまま

それなら都会へ、という憧れを抱いて高校卒業後に飛び出した。

思春期カルチャー沼にどっぷりハマってからはひたすら

早くこの街を出たい、好きなモノに埋もれたい、親元から離れたいという思いしかなかった。

そこに執着する理由には家族間の軋轢しか

都会でしか享受できない文化的資本の差に打ちひしがれた田舎での経験だった。

そんな中、都会で青春真っ盛りの最中にあの地震津波が起きた。

私はその時、憧れていた東京にいて

そこそこ楽しい大学生活をしながら

自分目標のためバイトに精を出していた。

あの瞬間は一つ目のバイトが終わり、二つ目バイトへ向かう途中。

あの地震が起きた瞬間は覚えているのに

それ以降の時期のことはしばらくぼんやりとしていてまるで別世界のようで

10年経った今でもその気持ちは変わらない。

私が経験したことはもはや都会の住民の一部と同様であって

私が生まれ育ち、そして憎んだあの土地については全く何も知らないのだと思い知らされた。

あの震災の後しばらくは自分でもクソとしか思えないが

家族と連絡が取れないまま

ひたすら楽しみにしていたアニメや好きなバンド新譜やまだ見ぬ映画を見漁る日々を続けていた。

周りの友達の方がよっぽど心配をしてくれていて

それに対して何の感情も持てない自分はなんてクズなんだと自問自答した。

あの時期に見たカルチャーある意味一生忘れられないものだ。

今思えばただの現実逃避なのだから

地元同級生が何人も津波で亡くなり、

家族とも連絡がつかないような状況下において

自分がとった行動は果たしてしかったのだろうか。

好きも嫌いも関わらずボランティアで来てくれた縁も縁もない土地の人々もいるというのに

故郷に対してここまで遠い距離感で過ごす日々に対してこの10年間ずっと罪悪感を抱いている。

あの震災リアル体験した故郷の彼らと私はもはや別の人間なのだ

あれだけ憎んでいた地元なのに

その気持ち10年間ある種のコンプレックスとして私の胸を離してくれない。

その気持ちのまま、3/11を迎えようとしている。

  • 一番の罪は自分に酔っていることです 田舎から飛び出したあの頃の自分とやらを未だにアイデンティティとして掲げ続けていることです

  • 家族と連絡がとれないということはご両親は亡くなったの? 戸籍を取り寄せたら安否確認とかできないのかな? 親や親戚への嫌悪感が強いのなら、震災後連絡を取ってないことに罪悪...

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