どうしてこんなこともできないんだろう。
なんで普通のことができないんだろう。
衣、食、住。
日々暮らしている中で、目にすること、耳にすること、口にすること、触れること。
本、文化、娯楽、芸術、音楽、文章、服装、家具、飲食、科学、医療、政治、流行、経済、物の値段、ゲーム、電子機器、土地の歴史、街の景色、世界情勢、ぱっと思いついたものを羅列してみたが、他にも今座っているソファーから見えるもの、全部がそうだ。
これと繋がっていること。延長線上のどこかで交わること、それが私の求めている仕事だ。
その上で、自分が好きなものやこと、それが誰かに伝わったり、手渡っていったりする、それができたら、その感覚が得られたら、もう、喜びとなり、働く、働いているということも忘れてその行為をし続けるのに疑問も飽きも抱くことはないだろう。
それがそのままモチベーションに繋がり、果ては自分の役割はこれなんだと錯覚さえ感じるのだろう。
私は、それを求めているのだ。
仕事とは、なんだ。
お金は稼がなければならない。
世の中には必要とされる仕事というのが存在していることも、重々承知している。
「ありがとう」、「助かったよ」と言われることが、すなわちやり甲斐である感覚もとても良く解る。
私は人から感謝されること、それによって社会の中で自分の居場所を確保するのだ、という思いが過去に強くあった。
それでも、医者や看護師など病院の中の人には強い関心を示したのに、介護の世界には一ミリたりとも興味がなかったのはなぜか。
結果として、生活圏外のことを仕事にしてしまったからには、自分で理由を見つけ出さなければならなかった。
疑問となるものを探し、それについて思索するという行為を繰り返していくことによって、身体が拒否反応を示さなくなるまで馴染ませなければならなかった。
そして、私は、自分から能動的に興味を持とうと心掛けながら働くことに、疲れたのだ。
転がる職と書いて、転職。
転がった先はただ行き止まりでした、という訳には行かず、結果として何かしらの仕事を見つけ出さないといけない。
転職活動、これはもう一度最初からになりそうだ。正直しんどい。
誇れるような資格も、胸を張れる仕事での成功体験もない私には、果たして一体何の仕事ができるのだろうか。
働けるもんだったら働いてみたいな、って仕事だったら、色々あるんだけどなあ。
クンニ✋(👁👅👁)🤚したいけど働きたくないは許されん
福祉関係の経験ありますで転職すればいいとおもいます普通に
介護の仕事って「ありがとう」とか「助かった」とか言われないの?