顧客から来たメールに添付されていた商品写真。きらびやかな雑貨。カラーリングは全部虹色に統一されていた。隣の後輩は言った。
「なにこれ、ゲイ色じゃん」
「こっち来て見てくださいよ、ほら」
僕に向けられた同意のようだ。
彼女はけらけらと笑っている。
「性的少数者の人は、いるよ。なぜ笑うの?」
「そりゃそうなんですけど……」
と言葉を詰まらせて目をそらし、何事もなかったように仕事に戻った。その後はいささか普段より不機嫌そうであったが。僕も、何事もなかったように仕事に戻った。
内心はどきどきしていた。言葉の選び方は間違っていなかったか。もっといいたしなめ方はなかったか。いま動揺していることが顔に出ていないか。
スカッとナントカに出てくるような快刀乱麻とはいかない。だが僕だって守りたい矜持と価値観はある。僕自身はストレートアライさんなのだ。異性の配偶者がいるのだ。LGBTの友人は数人いる。大事なフレンズなのだ。彼らに胸を張って聞かせられない言葉はどこでだって一言だって発したくはない。笑ってやりすごすこともごまかすこともできたが、それでは胸を張れない。
こういうことを意識して言葉を選んで周囲をたしなめて初めてわかる。こいつはしんどいぞ。かなりしんどい。
僕が一本筋の通った人間でないせいなのか、胸は張れてもその鼓動は早く、周囲の目や耳が気になって仕方がない。僕がもし未婚だったら今日にも明日にもあいつは同性愛者だと噂が立ったのかもしれない。友人たちの越えた山々の困難さを思う。
けらけらと笑う後輩の彼女はとても気立てが良く、面倒な業務も笑顔で頼まれてくれる素敵な女性だ。彼女を嫌う同僚はほとんどいないだろう。そんな彼女ですら、生来の属性に指をさして笑うのが当たり前だと思っている。何の疑問もないだろうし、わざわざたしなめる僕のことを、もしかするとバイセクシャルだとか偽装結婚をしているのだとか思ったかもしれない。そこまで何も考えていないかもしれない。家に帰る頃には忘れているかもしれない。
信頼できるはずだった人間からあの嘲笑を浴びるのか。仲良くなれたと思ったそばから、仲間なのか敵なのか中立なのか距離をはかりながらおいそれと本心をさらけ出せずに笑わなくてはいけないのだろうか。何も言えずにやり過ごしながら、一人で苦しんだのだろうか。笑った本人はすっかり忘れて一杯やっているのに、家で一人で落ち込んだだろうか。隠していたなら、ばれていやしないかと眠れなくなっただろうか。親に言われたなら、世界で誰も味方がいないように錯覚しただろうか。男色ディーノで笑うこともなかったんだろうか。
お前、こんな大変だったんだな。
僕は、これから何度でもまわりをたしなめるよ。言葉はうまくないと思うしスカッともしないと思う。でも安直に笑って流したりはもうしない。僕が間違った言葉を使っていたなら正してくれ。