よく、小学生の頃に「春になると変な人が出るので気を付ける様に」と先生や大人達から指導を受けたけれども、社会人数年目にして漸く春にムラムラする実感を得て、その恐ろしさを知った。
それまでは、通年ムラムラしていた為になぜ春になると多く変態が出没するのか解らなかったし、怪奇現象の類すら思っていた。あるいは、日本の風土病的な、統計学面からみて、日本人の特徴なのかなと、勝手に自己完結してあまり深く考えもしなかった。
けれども、社会に出て、それなりに酸いも甘いも嚙み分ける年齢になり、どん底を味わって、ついには二次障害で鬱になってしまい処方箋にまでお世話になるようになり、通年ムラムラとは縁遠いものとなってから、変わった。それまでは、先述した通り、潜在的にむっつりスケベだった筈が、全く性的な想像もしなくなり、勿論ムラムラも無く、至って品行方正な?生活を送っていた。
恋もしなくなった。
時々、身体を欲したくなるけれども、季節を感じて欲情するなんて事はなかった。
それが、つい昨日。春めいた風を感じて、生まれて初めてソワソワした。新生活の始まりに対する期待と不安の入り混じり、なんて類ではなくて、ダイレクトにムラムラに直結した。
「師弟愛的に絶対にない」と思われる相手を想像してムラムラした。倫理的なタガが外れると、こうも想像上とは言え性的になれるんだなと自分が恐くなった。人としてあり得ないし、尊敬し、憧れて、大事にしたいと思っていた人との思い出を都合よく性的なオモチャに出来てしまった自分に、終わってるな…と思った。
同時に、小さい頃に先生や大人達から変質者の存在に警戒する事の本質的な意味をようやく理解できたと思う。自分の意思とは無関係に行動してしまう人もいて、タガが外れた本人にはどうしようもなく、そんな本人を相手に小さい子どもは勿論、学生や若者達にとっては「警戒するしか術がない」のだと、加害者・被害者双方共に哀しい事実なのだと少し感じた。
少し感じた、というのは、決して変質者、つまり加害者には同情する事ではないし、言い訳御無用だと思っているから。
話を戻すと…春にムラムラする事って性を刺激してとんでもない事になるのだな…と思った。これが、恋愛だとか建設的な発情であれば、生理現象なのだろうけれども、私の場合は…。倫理的にあり得ない人に対してでさえ、ムラムラしてしまったことに、ショックだった。鬱は治ってなくて寧ろ悪化しているのかとか、世間と比較して自分のQOLがあまりに低くて春の新生活を皮切りに焦っておかしくなってしまったのではとか。
おじさんにムラムラしていいよ^ - ^