「公式設定が絶対で異見を許さない不寛容な奴が増えた!」とか主張する輩がよくTwitter上で吠えているが、不寛容さから文句を言われているとう考えがそもそも間違い。
何故かこの手の輩は最近の奴らは~と言いたがるけど、その理論で言えば最近オカシクなってるのはその主張をしてる側で、以前は公式と違う面を楽しむのであれば二次創作という場で発散するのが普通だった。
例えば公式と違う設定を楽しみたければIF小説、別の要素追加したければクロスオーバー、ご都合主義的にイチャイチャ楽しみたければ夢小説。他にも人によっては動画作ったり、本編では有り得ないキャラ同士を絡ませたイラスト描いたり、メジャーどころで言えば同人誌作って売ったり。
そういうファン活動でもって自分も楽しみつつ仲間と交流して輪を広げ、作品の色々な楽しみ方を生み出していたのが所謂当たり前と言えば当たり前の流れだった。
それが「ぼく/わたしのかんがえたさいきょうの設定」をまるで至高の物のように持ち出して来るに留まらず、尊重すべき基盤となる対象である公式設定に殴りかかり、酷い者になれば自分の考えと違うというだけで苦情を送りつける(しかもわざわざ書き起した内容をネットに晒し、宛も義の下に立ち上がった!とでも言いたげに振る舞う)のだから、そりゃあ周りで見てる人間も行動の異常さ故に文句の一つや二つ付けるというものだろう。
繰り返しになるが、殆どの人は不寛容さから文句を言ってるのではない。思考・行動の異常さに文句を言ってるのである。「対立意見をぶっ潰す!」ではなく、誇大的な自己価値観の奇妙さ気味の悪さに反発を感じてるのだ。
(ウン十話に渡って友達の大切さを描いてた作品が、次回から唐突に仲間同士の殺し合い始めますとかいうレベルの異常展開を公式が打ち込んで来たとかなら話は変わるだろうが)
そしてもう一つ、「公式と解釈違い」と言う言葉もこの手の輩はよく使うが、
根本的な話、公式は設定を創ってる側であって解釈などしていない。解釈してる時点で立ち位置が違うのである。
にも関わらず、まるで自分が同じ立ち位置にいるかのように語るのも、また反発を生み出す原因だろう。
ファンの反応は確かに作品を創る上での大事な要素の一つかもしれないが、決してファン=創造主ではない。
気に入らない設定に不快感を覚える、こういう設定のほうが好き、そう考えるのは自由であるし、そういう気持ちや妄想をぶつけて二次創作に打ち込むも、作品を見限って離れるも自由だろう。
ただ、自分の立場を忘れ反社会的な言動を取れば、それ相応の反応が返ってくるのは当たり前だということは思い出して欲しい。
勝手なカップリングするオタク腐女子乙女うぜ〜〜〜〜 公式(この言い方やだけど)の展開好みじゃね〜〜〜〜 っていうの「反社会的」なのかしら??? 最後のイキリっぷりにすげー...
あーん!スト様が死んだ!
気に食わねえなら見限りましたさようならで済むのに、いちいち私はこれだけ我慢したんだけど○○がこんな悪いのがいけないんですもう無理と同意を求めてくるのがクソウザいんだよ...
公式「と」解釈違いなんて普通に有り得ると思うけど、 公式「が」解釈違いとか言い出すキチガイが少なくないのがアレ
今日も女はめんどくさい
うじうじSNSでしかモノが言えないお前の方がめんどくさい