2019-02-24

もうじき三月になる。大学生たちは就職活動解禁だ。

インターン学生たちはいかに安価で同じような仕立てのスーツに身を包んで街を闊歩している。

就職活動を毛嫌いする学生は多い。

「無個性集団に属するために、皆同じ格好で画一的試験を受けるのが嫌だ。自分個性が死んでしまう。」というのが大半だろうと思う。

そういう学生出会うと自分は何とも言えない気持ちになる。

自分自身個性表現するのに、所属する集団や、受ける試験が何の関係があるのだろうか?

個人個性尊重されてしかるべきだと思うが、それと就職活動への反発はなんの関係もないことだと考えてしまう。

要は特筆すべき理由なしに就職活動を毛嫌いして、博士へ進学したり海外一人旅を始めるという発想にあまり同調できないのである

誤解しないでほしいが、今日科学力を築いたのは言うまでもなく博士へ進んで学問を修めた人々であり、目的があっての海外渡航は非常に面白そうだし素敵な行いだと思っている。

第一私も大学院へ進学しているし、海外長期間ボランティアなんかもしていた。

自分がうーんと思っているのは「就活ってダサイ」と考えている学生についてだ。

企業へ属して、企業の持つプロダクト・サービスを世の中に送り出して生きていくことがそんなに「ダサい」のだろうか?

かに仕事中の恰好は皆同じようなもので、人に頭を下げて生きていくことはおおよそ間違いないだろう。このことは別に恰好いいわけでもないかもしれない。

ただ、それには目標があってのことだ。

自身のために金銭を稼ぎ、そして企業全体としての理念を成すためだ。

食品メーカーなら世にうまいもんを送り出して人々に驚きを。

医療関係者なら、患者苦痛に寄り添いって人生安心を。

商社なら様々な人々の仲介を経てメーカー消費者に喜びを。

こんなことはきれいごとだが、個人で何かをはじめても結局はこういう事なんでは無いのだろうか。

きっといろんなストレスがあるのは間違いないんだろうけど

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