生きたい という気持ちに 死にたい という気持ちが上回った時、私ならどうするか想像もできません。
どうしようもなく辛いことが重なって冗談じゃなく本気で死にたいとおもうことがある、と友人に相談した時もお母さんに死にたいと伝えたときも、死にたくてたまらなくて一晩中泣いたときでさえも、私は心のどこかでは死にたくありませんでした。というか生きていたかったのだと思います。私は死にたいという言葉を何度も吐いた自分に嫌悪感を抱きました。
私は主人公の幸乃に同情をしながら非情もしました。死にたいという感情を抱いて生き続けていた彼女は無罪ながら「元恋人の家に放火し、妻と双子を殺人した」という容疑に問われました。そんな彼女はそれを否定せず、死刑囚になりました。とても複雑ですが、一言で表すと「悲しい」が最適でしょう。彼女が親身に存在していたと想像してもかける言葉がわからないほど、気持ちの矛盾が私自身の胸の中で駆け巡ります。普通の人なら冤罪で死刑判決を下されれば、どんな術であろうとも死ぬ気で否認し事実を伝えようとするはずです。でも私は生きたいという気持ちには勝らない程度で死にたいという感情を抱いたことがありますし、今も全くないと言ったら嘘になります。本気で死にたかったと共に周りへ迷惑をかけることを異常に嫌った彼女にとっては最も良い機会が訪れ、それを逃すわけにはいかなかったのかもしれない。という部分ではそれでよかったとも思ってしまいます。しかし例え死刑でなくても他人の罪をかぶるというのは決して良いことではないですし、結局本当の犯人もその事実を知って罪悪感で事故を装った自殺をしてしまったという事実も兼ねて本当にそれでいいのかとも思ってしまいます。自らの選択によって死を選んだ彼女のせいで私は死刑という制度を少し否定する気持ちまで持ってしまいました。今までそんなこと考えたことすらなかったのに。
彼女の微かな生きたいという感情に死にたいという感情が勝ってしまったのは、彼女の過去にありました。17歳で自分を産んだ母と義父、義姉と共に暮らしていた彼女でしたがたったひとつの希望であった母が事故で亡くなってから彼女にとって地獄がはじまりました。その日から死刑判決の日まで、確かに彼女は多くの人に見下され人じゃないような扱いも受けていました。だれかに必要とされたい、と彼女は何度も思ったといいます。私はそんな彼女については、馬鹿だと思います。沢山の人からの罵倒のなかで、自分を受け入れている人もいたはずです。何年にもわたり、彼女の無罪を突き止めた彼女の過去の友人がとても可哀想に思います。自分のことを思ってくれる人に気付こうとしなかったこと、これが彼女の欠点です。自分の人生において自己嫌悪しかしてこなかった彼女は愚かともいえる、と私は思いました。
私はこの本を読み終えたとき、幸せとはなんなのか考えさせられました。彼女と私の価値観は恐らく全く違います。家族ででかけたとき、おいしいものを食べたとき、私は単純に幸せだなと思いますが、幸せな人生といわれてみると心の底から考えても「わからない」という言葉しかでてきませんでした。でも、それでいいのかもしれません。たぶん「幸せ」に概念なんてないんだと思います。というかないですよね。個々それぞれで全然ちがうのです。