2017-12-19

パワハラ後遺症

ツイッターでは、セクハラ被害者の方がme tooのハッシュタグをつけて自分もだと声を挙げているようす。

セクハラと言えば以前短期で勤めたパート先で私もされたことがあるけれど、私はそれをツイートしようとは思わない。

念のため書き添えておくと、セクハラがどれだけ被害者の方の心を蝕んだかは想像に難くないし、そう言った声を挙げていくことは勇気だと思う。

私がセクハラを受けた時は、「ってゆーか、私みたいなオバハンの乳触って嬉しいんかいな?変な趣味だなー」って疑問を感じた程度だったし、もともと期間も短かったからこじらせなくて済んだのだろうと思う。

私がme tooとツイートするならパワハラの方が深刻だったのでそちらのほうかも知れない。

これは未だに実害を被っているので恨み骨髄という感じなのだけど、数年前に長期で勤めようと決意して入った会社で酷いパワハラに遭った。

忘れたい忘れようと心掛けているせいか、もう上司名前も忘れてしまったけれど、当時は子供がいなかったら自死を選んでいたかもしれないほどに病んでいて、しか自分が病んでることに気がつく余裕すらなかったのだ。

何をしても叱責されるのは私に仕事能力がないからで、人前で罵倒されるのも努力が足りないから。

全て自分が悪いのだと思っていて、そのパワハラ上司にすら嫌な役目をさせてしまって申し訳ないとすら感じていたように思う。

同僚の誰も私を庇ったりして欲しくなかったし、自分努力して能力が高くさえなれば問題は全て解決するのだと考えていたせいか食事をしても吐くようになり、それでも毎日人より早く出勤して作業に入っている内に、なんだかこの世に自分なんかが存在していること自体が悪なのだと思うようになっていった。

生きていることに執着はないし、生きても人様に迷惑になるだけ。それならそろそろ死んでもいいよな…と思っていたけれど、自死したのでは保険が出ないのだ。

それは駄目だ。子供迷惑がかかる。お金さえあれば育てるのは旦那旦那の実母がしてくれるだろうけれど、ただ葬式迷惑だけをかけて自分だけ楽な道に逃げることは、絶対に親としてはしてはならないことなんだと思い留まった。

名前は忘れても今でもはっきり覚えているのは生ゴミでも見るような視線で私を見るパワハラ上司の顔。

休憩時間にも教えて貰った仕事メモに取り見直し、そんな風な努力さえパワハラ上司から見ればただのポーズだったのだ。

ある日そのパワハラ上司大分に転勤になることになり、本来なら私は喜んで良いところだったのだろうけれど、「今まで大変お世話になりました。教えて頂いたことを忘れないように致します。どうぞ大分に行かれてもお元気で…」と挨拶したら「あー、そんなポーズもうええから」と、ハエでも追い払うように手を振られ、これで完全に心が折れてしまった。

責任者の方に退職を願い出て、色々と理由を聞かれたけれど、「私ではこの会社の役に立たないことが分かりましたので…」とだけ言うと、「僕は君は頑張ってたのは見てたよ」と言って貰えたのがちょっとだけ救いだった。

もうとにかくズタボロで何もしたくない、食べられないと言う状況が続き、見かねた旦那心療内科を勧めてくれたのだけれど、今でもあの時の恐怖心は私を苦しめる。

どこへ言っても、何の仕事をしてもきっと人の迷惑になる。

そんな怖さが消えることがない。

今は自宅で出来る仕事をしながら、自分で働けるように勉強する日々。

なのだけど、仕事を受けてる会社の一つに「来年、うちで働かない?ぜひ欲しいんで検討してみて」と声をかけて頂いた。

独立して働くと口で言ってはみても、まだまだ実力不足リスクだってあるのだから、これは喜ぶべきことなんだろう。

たけどあのパワハラ上司の目を思い出してしまって怖いのだ。

またあんな風に扱われたら今度こそ耐えられそうにない。

私に期待に答えられるような能力なんてあるのだろうか。

何度考えても答えは出ない。

  • 長いから三行で

  • とりあえず「自分が悪い」というゴミ思考を金輪際捨てろ てめえみたいなのがパワハラゴミクズという害虫をのさばらせてんだよ

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