なんでも「夫も私も子供は嫌いだから、今後も子供は欲しくない。」のだそうだ。
この手の発言はネットでもリアルでも今やありふれたものになってきてる。
ただ個人的にはこの言葉を聞く度に、拭い去れない違和感と言いようのない嫌悪感が溢れ出してくるのだ。
「子供は純真無垢、否が応でも素敵なんだ!子供嫌いな奴なんてマトモじゃない!」なんて綺麗事を吐きたいのではない。
俺自身、子供の相手は得意なほうではないしこの発言の意図は汲み取れる。
この違和感と嫌悪感の原因を掘り下げていくと自分の子供の頃の体験が蘇ってきた。
俺はとにかく子供らしくない子供だった。小学生のうちからこじらせまくっていた。
小難しいニュースを見て背伸びした発言をしたり、大人の矛盾した行動を見て皮肉や嫌味を言ったり、
褒められたら褒められたで、当てこすりで謙遜をしたりするようなマセまくったクソガキだった。
この頃の俺が一番嫌だったのは「子供」というフィルタを通してしか接してこない「大人」だった。
俺がどんなことをしようと「子供」としてカテゴライズされて処理されるのがたまらなく嫌だった。
『俺は年齢の区分としては「子供」なのだろうが、一人の個人なのだ!なぜ対等に接してくれないんだ!』といった具合に。
矛盾を指摘すれば「子供のくせに偉そう」、期待したリアクションが無いと「子供らしくない」、
こちらが敬語で話しかけても猫なで声で「ボクどっから来たの~?」...etc、全て反吐が出るほど嫌だった。
そう、原因はここにあったのだ。
「子供が嫌い」という人は「子供」という自分の中の独断と偏見で構築した「属性」を判断基準にしているのだ。
悲しいかな、俺は大の大人になっても人のことを「属性」で判断する奴が大嫌いなのだと分かった。
思春期から今に至るまで「ゆとり世代」と罵倒され続けてきたことも大きな要因の一つだろう。
「子供」という属性を「男性」や「女性」、「老人」や「外国人」、「高卒」や「特定の職業」などに置き換えてみよう。
ステロタイプで人を判断する、現代社会では到底許される発言ではないはずだ。
でも「子供が嫌い」と発言するのは何故か、まかり通ってしまっている。
そんなこと言ったってお前、お前の子供時代なんて一番嫌な部類の子供だぞ
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