腐女子に恨みがあったわけでは全くない。
むしろ数少ない友達が腐女子だったくらいだ。とてもいい子で、とても良くしてもらった。
それなのに腐女子叩きをした。
ひょんなことから腐女子アンチサイトを見て、最初は「うわぁ…」と思ったが、読んでいるうちに面白くなった。読むのが止められなくなった。
そしてそのうちに、「多くの腐女子は偽善的で独善的で恥知らずでマナー知らず、人の気持ちを考えず、百合とNLを見下し、言い訳と責任転嫁ばかりする人たち」と思うようになってしまった。
百合とNLが好きな私は、腐女子に見下されているのだと感じるとともに、腐女子と違うという優越感が得られた。違わなければならなかった。腐女子マナー啓発動画やサイトなど「味方」はいっぱいあり、腐女子側の「百合やNLの自重はどうなんだ」という反発も「腐女子はすぐそうやって責任転嫁するwww」と言っていればよかったから。
腐女子アンチスレにも常駐した。自分のレスを褒められることもあって、嬉しかった。
だが、その腐女子アンチスレはたびたび女叩きの流れになった。それが不愉快だった。
ちなみに腐女子叩きの前は恋空叩きにハマっていた。流行っていた「恋空」を読んだばかりの時は、評判と違って泣けなかったが、特段ひどいとも思わなかった。
ネットで恋空が叩かれているのを見て、泣けなかった自分に優越感を感じるとともに、恋空を好きな同級生たちを「スイーツ(笑)」と見下して優越感に浸れた。また、この作品に傷ついたという強姦被害者の話を読んで、青少年の性の乱れを危惧するレビューを読んで、恋空叩きは正義なのだとすら思った。恋空を叩くレビューは面白いし、優越感にも正義感にも浸れていいことずくめだった。
今はツイッターで腐女子の方たちと交流して、自分も少し腐ってBL二次創作を読むようになった。だが腐女子と名乗ることは怖い。どんなに、同じ腐女子を含む話の通じない人たちのバッシングに晒されるかを知っているから。自分がかつて腐女子の方にしてしまったことは消えない。今は自重の押し付けには反対だし、腐女子の方が少しでも自由に創作できるようできることはしたいと思う。
また、恋空についても、かつては「こんなスイーツ(笑)映画に感動とか日本オワタwww」と思っていたのが、今では恋空に感動している人を見ると「汚いネットの評判に毒されない人がまだたくさんいる」と日本に希望を持つようにすらなった(まあ恋空叩きブームはとっくに終わったんだけど)。
多分、女叩きや韓国叩きをしている人たちも同じなんだろう。大勢でその対象を叩くことで多数派の安心感、悪い集団を叩いている正義感、自分はその集団とは違い優れている、周囲の人たちよりわかっているという優越感、単純な愉悦を得られる。更に「自分たちがその集団から迫害されている、見下されている」という被害者意識が合わさる。同士や自分が書き込むごとにどんどんヒートアップするのだ。