2017-01-12

僕のお母さん

僕のお母さんは頭が悪い

 

僕の家はお父さんのおかげで割と裕福で、そんなお父さんもお母さんを見た目で選んだのか、お母さんも美人だ。

お母さんは僕に小さい頃から英才教育を施してくれた。

そのおかげでいろんな知識を得るようになった。

お母さんはそれを自分の手柄のように誇った。

小さいながらもこれは愛情でもあるが、自分の達成感と虚栄心を満たすためにやっているのだろうなと感じた。

それがストレスになるので、お母さんと人間メタ的な視点での会話をしようとしたけど、お母さんは形而上の話は理解できないようだった。

 

ある日、お母さんの友達が家に遊びに来た時に、僕がkに合格したことに対して頭がいいねと褒めてもらった。

僕は「ありがとうございます。」と答え、次いで「でもお母さんは頭が悪いですが。」と敢えて発言した。

場に気まずい空気が流れたけど、こうでもしないと僕の声はお母さんには届かないと思ったのだ。

 

その日以降、なぜかお母さんも一緒に勉強するようになった。

高校も碌に行かなかったようだけど、お母さんはMARCH模試でA判定はとれるようになっていた。

もちろん、僕にとっては大したことの無い結果だったけど、スタートラインを考えるとすごい努力だと思う。

当然お母さんは学力をつけた自分を誇った。

でも、相変わらず自分他人感性を分けて考えたり、フランシス・ベーコンの言う、所謂イドラという概念に準ずるもの理解できないのだ。

国語という言語パズルの読解はできても、自分自身分析し読み解く力は身につかないようだ。 

 

「お母さんは勉強ができるようになったけど、それでも頭が悪いと思う。」

この言葉に対して、どうすればいいのかと問われたけど、僕はどうしようもないと思った。

その頃は大学発達障害というものを知り、自分で色々調べたが、同じ仕組みで動いていても、

人間にもまたたくさんの種類の人間がいるのだと納得した。

結局、彼女はその機能が備わっていないのだと思う。

自分から生じる欲に対して、逐次対処していくのみなのだ

 

大人になってわかったが、周りは彼女のような人で溢れていた。

学力テストという、記憶力と反復練習をする根気のみを試すゲームではトップクラスでも、自分の半径3mくらいのことにしか興味を抱かない。

塾の講師に胡散臭さを感じていたが、その胡散臭さはやはり正しかったのだと今になって思う。

頭のいい人に時々出会うと嬉しくなるが、なぜか彼らは不遇な立場であることが多く、もったいないなという思いを抱いた。

いや、頭がいいからこそ不遇な立場を選ぶのかもしれない。

いいやつほど早く死ぬというが、若くして死んでしま患者さんには頭のいい人の割合が多いようにも感じる。

 

お母さんのような、頭の悪い人が資本という力を得やす環境の中では、頭のいい人というのは生きづらいのかもしれない。

人間とはなんたるかを考えるとお母さんは果たして人間なのだろうか。

僕にとっては、生物学的な定義をして人間人間判断するのは傲慢に思えてしまう。

 

 

途中書き。

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