いわく
等々上げればきりがない。
こういう人達に共通しているのは、知識の根っこにある方が上だと思っていることだ。
プリミティブなことをやれば数学の公式のごとく、下流にあるすべてを把握できると思っている。
もうやめませんか、そういうのは。
知識がツリーになっていることは純然たる事実だ。新しく見える知識でも昔の知識をちょっと変えたものだったりするのは確かだ。
だけど、そんなのは当たり前の話なのだ。それぞれの知識はレイヤーで重なっていて、それぞれの役目を果たしている。
知識のツリーというは一種の生態系なのだ。シマウマはライオンに食べられるが、動物的にライオンのほうが優れているということはない(←(`・ω・´)お前それサバンナでも同じ事言えんの?)。
生態系と違うのはそれがものすごいスピードで起こるということ。だから時間が経てば今ある最上位のレイヤーの上にも更にレイヤーがどんどん重なっていく。
javascriptがいい例だと思う。
昔はブラウザでさえまともに動かせなかったが、node.jsやbowerやgrunt,gulpができて、javascriptというレイヤーの上に積み重なっていった好例だと思う。
つまりそういうことなのだ。あるレイヤーで満足してしまうと、いつの間にか最上位のレイヤーがはるか上の方にあって浦島太郎になっていたりする。
今の話題についていけずに、若者をひがんだりする。今お前らがやっていることはワシが育てたと言いたくなる。かっこ悪い大人の完成。
でもそれはしょうがない面もある。
おじさん達が若い奴らと一緒に知識を追いかけるのは無理があるからだ。走り続けるのには体力がいる。背負わなければならないものも増えてくる。
生物として、自分がやっていることが無意味だと言われないように、追い抜かれないように、必死なのだ。
だから知識のツリーを優劣と混同して、たとえ追いぬかれても自分の存在価値を示せるように攻撃を行うのだと思う。本来は全く逆なのに。
(※すべてのおじさんがこうだとは言いません。最後尾から安々と追い抜いていくすごいおじさんは確かに存在します。)
話を元に戻す。新しい知識の話を聞いたらどうか偏見を持たないで聞いてほしい。それはもう自分ではどうしようもなく、手が届かないかもしれないけど。
少なくともそれは優劣の問題ではない。別のレイヤー、次元の話なのだ。
そしてもし自分が持っている知識のさらに上にあるレイヤーの話をされたら喜ぶべきなのだ。
どんなレイヤーの知識も一つ下のレイヤーに依存していることは確かなのだから。
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