http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2016/02/post-808.php
政治主張の違いを右派と左派という日本語にしちゃったのがもうそもそもの誤解というか、印象事故の原因だったんじゃないかなあ。
>「右翼」と「左翼」の語はフランス革命の間に作り出された。「右翼」は、国民議会で旧秩序の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占めた事に由来する。
わけで、別に「両者の主張が常に完全に反対である」なんて事実はないし、そんな「右翼」と「左翼」という言葉にそんな意味合いはない。けれど、右と左という語を当てはめた瞬間に、連想的にそういう印象を抱かせてしまった。っていうのが、なんだかみんなの誤解を生んでる要員であるような気がする。
両者を保守、革新という言葉に読み替えると、学生の人にもわかりやすくなるし、そういう表記を心がけたほうが良いと思うんだよ(もしかしたら右左で煽るのが愚民化政策の肝なのかもしれないけれど)。
保守というのはすごくざっくり言って「今ある機構や体制は上手く行ってるんだからこれを護持しよう」ってことで、革新は「より良くなるために仕組みや組織をバンバン更新していこう」ってことだ(中学生向けに丸めています)。
でも、ごくアタリマエのことだけど、時間は常に流れているから、世界全部は未来方向に進んでいく。新しい技術や人間や流行が出てくるんで、「完全な停止」なんてものは、事実上不可能だ。そんなのは保守の人にだってわかっている。歴史の流れにあわせてマイナーアップデートの繰り返しで修正していきましょうねくらいが現実的な「保守」だ。
一方で、なんでも変えればいいかって言うと、そんなに急速に変えたら事故ったとき取り返しがつかないし、そもそも新しい仕組みに対応できない人を苦しめてしまう。それは良くない。そんなのは革新の人にだってわかっている。だから注意深く変えていくんだけど、歴史なんてものは私達がそうありたいという未来像に向かって進んでいくんだから、変えないなんてことは出来ない。変えていかなきゃならない。もちろん注意深くね、くらいが現実的な「革新」だ。
こう考えると、保守と革新の間にあるのは、方向性的な意味で相容れない主張であるというよりは、時代変化の速度に対する認識であるとか、社会を変化させていく速度に対する考え方の違いであって、「右翼」と「左翼」という言葉でイメージされるほどの相容れなさ、険悪さではない。少なくとも、教科書的にはそのはずだ。ワイドショー的にはドンパチしている絵面のほうが視聴率稼げるという判断かもしれないけれど、基本をおさえるという意味で「両者はそんなに相容れないわけではない」と思ったほうが良い。っていうか、そんなに思想的に本当に相容れないなら、同じ国に住めない、内戦とかになるよ。