自分でいうのもなんだが、どちらのアカウントでも結果的にフォロワーは2000を越えて、そこそこのユーザーだった。ただ2回とも1000の大台を越えたあたりから、違和感を覚えるようになった。
どちらも最初は多くのフォロワーを得たいとは思っていなかった。情報取得と、俺とは別の見方をしてる、いわば“先輩ユーザー”のツイートを見るためのもんだった。俺のものさしで「面白い」と思う人のツイートをみたりゆるく絡んだりするふつうのユーザーだった。
ただ、のめり込む時はとことんのめり込むタイプだったり凝り性だったりするもんで、あるタイミングでそのスイッチが入ると、ゆるいユーザーではなくなった。不思議なもんで、いつまでも初心者ではいられなくなっていく。そのスイッチが入ると情報について行くスピードが上がったり、そのために誰もまだ気づかないことに気づいたり、見解を示したりするようになる。
するとリアクションは大きいものになっていった。結果フォロワーが増えた。
多くのフォロワーは情報目当てで俺をフォローしているのはわかっていたし、一度ケタが増えると増えやすくなる仕組みなのは言うまでもないだろう。それでよかったけど、動画や画像や情報リンクがあるツイートばかりファボられて、身内ネタや俺自身の考えが届いているという実感が薄れて行った。
いや、そもそもそんな実感なかったのだが、ゆるいユーザーでいた時はそういうものが楽しかった。ただそれ以外のスイッチの入った俺の情報を求めてるフォロワーが大多数になってしまったから環境が変わってしまったのだ。
更に悪いことに扱ってるものが俺と同じユーザーのツイートに違和感を覚えるようになった。簡単にいえば、俺と違う見方のユーザーばかりだった。はっきり言って大多数がアホに見えた。なんでもかんでも褒めるし、なんでもかんでも騒ぐ。
「あれ?俺がいたクラスタってこんなんだっけ?」
初心者の頃に比べればいろんな情報を知っているし、考え方や見方も確立されていた。俺が変わったんだろうとは思ったけど、それにしてもアホが増えたように思えた。
最近このクラスタに入ってきた新参ユーザーで面白い人をみつけた。えらそうな言い方だが、なかなか面白いのがいなかったら嬉しかった。でも見て行くうちに俺が昔言ったことと同じことを言ってる確率が多いのに気づいた。(パクリとかでなく)だからこそ共感できたし、その人なりの感性もおもしろかった。
またまたえらそうな言い方だが確信した。「あ、俺進みすぎたな」って。追う楽しさしか知らなかった。追われる側になったら感覚が違ってくる。
さて、面白く無くなってきた。なかよしユーザーと絡むためだけにツイッターやってるわけじゃないし、自分の考え言いたいし。
「ツイッターに入れ込みすぎちゃいけない。」本格的に文章かきたいならブログのが向いてるし、すぐ流されていくツイッターで同じような意見を言い続けるのは向いてない。そもそもそんなに入れ込んでやるもんじゃない。俺はツイッターにものめり込みすぎていたのだ。やりはじめは、こんなにまわりのユーザーを気にしていなかった。
そういえば、昔はゆるいことばっかつぶやいていたのに恋愛ポエマーみたいになったアルファユーザーとか知ってるな。あれがツイッターの魔力か…。自主的に発信しているつもりが、リアクションに影響されて発信させられていたのだ。
それがわかったから、いい意味で開き直りと反省ができた。本当に好きなことなら周りのペースは関係ない。もちろん旬な話題ならではの盛り上がりはあるが。
なんだかまとまりのない文になってしまったが、俺はツイッターをやるペースを落とした。好きなものをよりじっくり観察しようと思う。フォローしてる中でも特に好きなユーザーだけを見るリストもつくった。界隈の意見や流行はやはり気になるし、ツイッターに新しい発見があるのも事実なのだ。チェックはしようと思う。
9・20で止まっているじゃん