2022-02-03

VTuberオタクをやめた話

原初バーチャルYouTuberは“着ぐるみ”であったように思う。

黎明期にはよく「ふなっしー」にも例えられていたが、ディズニーランドミッキーマウスでもいい。彼らが着ぐるみであり中にアクターが入っていることは誰しもが認める事実であるしかし彼らを目の当たりにしたとき、中に入っているアクター存在意識することはまずない。ディズニーランドミッキーマウス出会ったら「“ミッキーマウス”に会えた」と素直に嬉しくなるのが自然な反応だろう。事実として認識することと、それを日頃の場面で意識するかどうかはイコールではないのだ。

バーチャルYouTuberも同様の構造を持っていた。彼女たちにはキャスト所謂中の人」が存在する。それはファンだってみんな分かっているが、見ないふりをしているしそもそも意識することもなく、もっと言えば意識“させられる”こともない。ミッキーマウス自分からアクター存在示唆するような言動を取ることはない。そういう暗黙の了解微妙バランスの下で成り立っていたのが、かつてのバーチャルYouTuberであったと思う。

…「彼女たち」が“着ぐるみ”を脱ぎ始めたのはいつ頃からだっただろうか。たぶん、ある人気VTuber引退をして、そのキャストが生身の配信者として活躍し始めたことがきっかけにあると思う。それ以降少しずつ、VTuberキャストバーチャルではなく生身の配信者として活動しているのを目にするようになった。

彼女たちからすれば一種の逃げ場なのだろうと思う。VTuberとしての活動はとかく制約が多く、強いられる仕事もあり、キャラクターの“着ぐるみ”を着ている以上常にある程度の嘘をつき続けて活動せねばならない。それでいてファン数の増大に伴って誹謗中傷に晒されることも増えていく。そんな彼女たちにとって、本来の「自分」としてありのままの姿で居られる生身での活動は、少なくともVTuberとしてのそれよりは気楽で休息になるものなのだろうと感じる。それでいて生身の活動にもファンがついてくることは偉大な先例が証明してくれている。それらを踏まえて、キャストが生身での活動を加速させるのは至極懸命な判断であると思うし、その判断活動を責める気は毛頭ない。

しかし、私はオタクとして、“着ぐるみ”としてを好きになったのだった。確かに人格という本質的概念は“着ぐるみ”もその“アクター”も完全に同一である。それでも、私が好きだったのは“着ぐるみ”だった。そこに究極的には理由はないと思ってもらっていい。好きという感性には突き詰めれば理由など存在しない。

ミッキーマウスアクターが、着ぐるみを脱いで生身でミッキーと同じようなグリーティングを始めたらどうだろう。見ないふりができていた事実を否応なしに意識せざるを得なくなり、アクターはもちろん「ミッキーマウス」の方だってもう今までと同じように捉えることはできなくなるのではないかと思う。端的に私の身に訪れたのはこの現象であった。

私はVTuberオタクをやめた。いや、VTuberオタクで居ることができなくなった。中の人を強く意識してしまうようになってしまっては、もはやVTuberVTuberとして見ることができなくなってしまったのだ。本当はずっと応援し続けたかったし、何とか戻れないか思考実験を繰り返したが、最後に残ったのは「受け入れられないものは受け入れられない」という理由のない感性から拒否であった。

もちろん、これは私自身の感性問題であるキャスト名義のアカウントVTuberとしてのファンが多くコメントしていたりフォローしていたりするのを目にして、よく平然と受け入れられるなと私は正直驚いた。しかし考えてみればそちらの方が自然なのかもしれない。先に述べたように人格という本質VTuberとしてもキャストとしても完全に同一なのだからVTuberとしてを好きになった人が全く同じ意味合いキャストとしての方も応援するのはむしろ当たり前とも感じる。ただ、私にはそれがどうしてもできなかったのだ。それは私の感性問題であり、あるいは“着ぐるみ”という形にこだわるというある意味で古い価値観を持っているせいとも言えるかもしれない。いずれにしても、原因は私自身のみに存在することは間違いない。

VTuberオタクをやめることは…推しから離れることは本当に辛かった。好きな趣味をやめることがこれほど辛いことだとは思わなかった。それでも、あれほど愛した推しが、界隈が「not for me」になってしまった今、そこに身を置き続けることが不可能な私が進み得る道は他になかった。そうしてやめて数か月たち、最近になってようやく心が落ち着いてきたところだ。それでも時折思い出しては胸が締め付けられることもあるが、それはもうこれから一生背負っていかなければならない十字架なのだろう。

繰り返しになるが、この文章を読んで貰った人に勘違いしてほしくないのは、「彼女たち」は全く悪くないということである自分の置かれた環境や周囲の事例を判断し、自らの幸福追求のために人生選択をしている。それを尊重することは憲法でも保証されているくらいだ。VTuberオタクをやめたのは、あくま私自身にすべての原因がある。

この文章を書いた目的別になく、ただの自己満足に過ぎない。自分の身に起こった経験文章にまとめ、インターネットの海に放流することが、私にとってVTuber趣味に対する送別式なのだ理解してもらいたい。哀れなオタクが居たものだとご笑覧いただければ幸いである。

最後になるが、今でもVTuberの「彼女たち」のことを嫌ってなどいないし、むしろ今でも好きである。もう応援することは叶わないが、「彼女たち」の成功幸福を心から願っている。

  • ミッキーの中に入ってるのはネズミキャラを演じてるヒトだけどVは女の着ぐるみに女が入ってて客が求めてるのも「女キャラ」なんだから着ぐるみ脱いでそのまま商売始めるのも不思議...

  • 鈴原トウジについては、 おっちゃんは鈴原トウジというキャラクターが好きなのであって、 中の人(関智一)が好きなわけじゃなかったというのを最近ヒシヒシと感じてる。 声自体は好き...

  • 迷惑かけないようにってことなんだろうけど、ボカしが強すぎてどういう体験をしたのかよくわからない。 誰からいつ離れたんだろう? 界隈全体の話としては、着ぐるみを徹底してい...

    • この主の言う"着ぐるみ"はロールプレイしない勢が主流になったからこその話でしょ 着ぐるみを脱いでも振る舞いが全く変わらなかった事で、アバター(外見)が好きだったことを突き...

  • 害意のないタイプのオタクお気持ち増田構文って感じ。 お気持ちが悪いとは言ってない。 数種ある増田構文のうちのひとつっぽいなって話。

  • むしろ最近になってハマりつつある 前世や中の人の行動が裏でネタになることもあるけどチャンネル上では出さない。みたいな リスナーも含めてRPしている感じ

  • 「応援が趣味」 (今の用語だと推し活、か)っていうのは大変なんだなと思う。 簡単にボルテージ(成果)をあげられる反面、冷えるのもまた一瞬。

  • アンチに転向しようぜ

  • 女優の男遊びの報道見て「清純派だと思ってたのに」ってショック受けてそう

  • 俺はVTuberは着ぐるみじゃなくて覆面プロレスラーだと思ってるな。 ガワは被ってるけど中の人の明確な実体があって、多少の設定はあっても人格は中の人の本来の人格そのもの。 VTube...

  • 人格という本質はVTuberとしてもキャストとしても完全に同一 この点は考察の余地がある キャストがキャラに寄せている可能性は(長時間演じているとまではなくとも)どこまで行って...

  • Vは人間じゃないから好きになれたんだよな

  • Vtuberが着ぐるみやってたのってホントに最初期で18年とかまででしょ。よく今まで見続けてたな。 その初期でも「絵付き生主」とかずっと言われてたし。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん