2021-07-11

現地至上主義とは価値観が合わない

アニメゲームに出てくるキャラ声優キャラになりきって歌って踊ったりするライブがある。

もちろん私にも推しキャラはいるが、ライブなどの声優が出てくるリアルイベントにはあまり興味がない。

声優自体は好きだけど、その実体には興味が湧かないのである

それは私が、声優のことをあくまで同じ声なだけの別次元の別人としか捉えられないからだろう。

しかしながら、以前であればライブに行くなんて検討すらしなかったのに、最近ライブに応募するか迷うことが増えた。

それはここ1,2年で他のオタクリア友ツイッター)の存在意識することが多くなったからに他ならない。

なぜ彼らは声優にそのキャラの幻影を見ることができるのか、不思議でならない。

少なくとも私にはそのような能力はない。

一つ誤解しないで欲しいのは、"行けば"なんだかんだ楽しむことはできる点。

元々が好きなコンテンツだし、行ってしまった以上は楽しむしかないし実際楽しい

もちろん、光る棒も振る。

それではいったい何が問題なのか?

それは「そのコンテンツが好きなら、関連のイベントには行きたくて当然」という空気感だろう。

「私はべつに行かなくていいかなー」

というと「え?なんで?」と返されることは多々ある。

私はキャラが好きなのであって、それと声優はセットではないかである

絶対楽しいからさ!」

これもよく言われるが、それは知ってる。

ライブには何回か行ったことがあるし、どれも楽しかった。

とはいえ楽しいのは大前提であり、それだけでは行きたいと思う理由には足りない。

会場までの下調べ、休日なのに開演に間に合う時間には起きないといけず、参加費も交通費もかかる、人混みにもまれる、ほぼ一日時間を使う...etc.

当日が近くなると妙に緊張するし、当日は一日中神経を使うのだ。

めちゃくちゃ疲れるし、下手すると割りに合わないとすら感じる。

それでも行きたいと思う人はフットワークが軽いことをはじめ、「ライブの熱気や一体感が好き」、「とにかく盛り上げたい」、「生で声優を拝みたい」などの現地特有の要素がコストを遥かに凌駕するのだろう。

あとはツイッターなどの相互さんに挨拶とか、ちょっとした旅行気分で食事したりとかだろうか?

でなければはっきり言って行く意味が何もない。

映像化されたものを買えばいいだろう。

生の声優を見られるのは貴重な機会だと思うが、そこまでして見たいとも思わない。

結論として、出不精インドア派の私には苦手なノリでしかない。

「『行きたくない』って言ってもどうせ来るじゃん」

リア友に言われたことがある。

「楽しむ」という行為がどれだけの犠牲の上に成り立っているのか考えたことはあるのだろうか。

「楽しければそれでいい」とは私もよく思うが、それは自分が苦労を受け入れている場合に限る。

労力に対してどんなに見返りが少なかろうが、自分がそれを納得して楽しめれば何も問題はないのだ。

逆にいえば、いくらしかろうが納得していなければそれなりにストレスは残る。

どれだけ行きたくない理由を述べようと、「行けば楽しむじゃん?」という謎論法でしつこく食い下がるし、無理やり断るのもあまり体裁が良くないため、表現は悪いが仕方なく「楽しむ」という選択肢を取っているにすぎないのだ。

絶対後悔するよ?」

絶対後悔しない。

というより後悔する時はどんな時だろうか?

ツイッターなどではたびたび現地の人の報告が流れる

現地至上の人は、それを見て「行きたかった」と思うだろうが、私は特に思わない。

何か思うとしたら、"現地特有のもの"を感じとってここまでハイになれることに羨むくらいだろうか。

声優もいつかは歌えなくなる」的なことも言われたが、それは全てのものに当てはまるだろうに。

もう一度言うが、映像化されたものでいいだろう。

チケットが外れるとむしろほっとする人間が後悔するはずがないのだ。

行きたくない人に疑問を呈すのは価値観の押しつけ

イベントなんて行きたい人が行けばいいし、「オタクスタイルなんて人による」で全て解決する話。

ましてや「好きなんじゃないの?」というのは相手に対する侮辱だろう。

そんなことを考えて、推しに対する愛を疑われることを無意識に恐れて「ライブどうしようかな」と悩んでいることに気づいてアホらしくなったのだ。

好きであることの条件は好きであることで十分。

好きの体裁固執して余計なことを考えるなら、推しのことを思う時間に費やした方が千倍は有意義である

とりあえず、勝手に応募されたチケット当選した場合に備えることとしよう……。

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