2020-12-23

最後新幹線に乗ったのは、ニューステロップを見るための旅だった。

今春、東海道新幹線ニューステロップ廃止されるという報を聞いたときには、少なからぬショックを受けた。というのも、もう10年以上前の話だが、あの文字ニュースを書く仕事担当していたことがあるからだ。

新幹線ニューステロップというのは、車両前方、ドアのすぐ上に据え付けられた電光掲示板に流れていく、50文字程度のあれである。当時はまだ、社会人となって日が浅かったことと、もともと鉄道が好きだったこととがあり、地味な仕事ではあるのだが、担当できていることがとても嬉しかったのをよく覚えている。業務の内実についてはあまり書けないが、それなりに長くなった社会人生活の中で、今でも思い出深い仕事の1つであることは事実だ。そうか、あの仕事はもう無くなるのかと思うと、ほんのりと寂しさがあった。

無くなる前に、最後にもう一度だけ、この目に焼き付けておきたいと思った。発表があったのが2月21日で、廃止3月13日。1か月もない。そしてこの頃は、ちょうど新型コロナウイルスが徐々に国内でも広がり始めていた時期で、旅行に行こうという気分になれるものでもなかった。やめておこうかどうしようかと随分迷ったが、会社に午後だけ有給を取り、平日日中帯の比較的人が少ない時間帯で、東京から名古屋まで日帰りで往復することにした。他県にお邪魔することすら憚られたので、滞在は1時間程度の弾丸日程だ。もう少し遅い時期であれば緊急事態宣言さなかであり、さすがの私も旅を躊躇したかもしれない。そう思うと、ギリギリの時期であった。

決行したのは廃止の直前にあたる平日だった。午前だけ出勤して、午後に新幹線に飛び乗るつもりでいたが、なかなか仕事の切りがつかず、本当に「飛び乗る」勢いで乗り込んだ。ニューステロップはまだそこに、きちんと流れていた。名古屋までは1時間半程度。往復するので3時間はある。食事がまだだったので、息を整えてから崎陽軒弁当を開けた。弁当を食べるのにせいぜい15分。その後まだ悠々と時間はある。ニューステロップをただ眺めるだけの目的にしては、ずいぶんと贅沢な時間で、贅沢なお金の使い方をしたものだなと、このときになって初めて思いながら、筍を頬張った。

車内はそれほど人が多くはなかった。平日日中ならば、という見込みは当たったようだった。もうあと数日で廃止になる、というタイミングだったので、1人ぐらい同好の士が乗り合わせていないものかと、あたりを少し伺ったが、ニューステロップ凝視するような人はさすがに見当たらなかったし、この時間に乗るビジネスマンは、そんなものに興味もあまりなさそうではあった。そもそも、あのニュースが無くなることを寂しがる人というのは、どれだけいたのだろうか。インターネットを眺めていれば、そういう声は自ずと可視化されるものではあるが、多くの人にとっては大きな関心を呼ぶものでもないのだろう。緩やかに、少しずつ、静かに人々の記憶から消えていくだけなのだろう。そのことが特段むなしいというわけでもなかった。すでに私の手を離れた仕事に対して、むなしさを覚えてしまうこと自体がおこがましいとも思うし、メディア仕事というのはインフラ同義であり、まるで空気のような存在であるということも自覚していた。いや、その「空気」が不要だ、ゴミだと強く批判されていた時期もあったか最近はそういった批判も一時期よりは落ち着いたように感じているが、実際のところメディアが多くの「街の風景」を作ってもいるということに、自覚的な人はあまりいないのかもしれない。

名古屋に近づくと、中日新聞ニュース流れるようになる。大相撲本場所があれば、取り組み結果が流れることもあるし、プロ野球もまた同様だ。代わり映えのないように見えて、実は時や土地の影響をある程度受けるものであるのだが、そういったことにもあまり気付かれてはいないのかもしれない。このときはそういった定期的な変化のほかに、赤く毒々しい文字が定期的に踊っていた。新型コロナウイルス感染症に対する注意喚起である新聞社配信するニュースではなく、JR独自に流しているメッセージだ。これはこれで特別感があってよかったのだが、ニューステロップ流れる数が減ってしまうではないかと、ウイルスに対して少しだけ、妙な怒りを向けた。

時間は当然のように余った。幾度かカメラを向けて,静止画動画で撮らせてはもらったが、さすがにずっと撮り続けているのも不審者じみている。3時間の旅のうち、ほとんどの時間はただテロップを眺めたり、車窓を眺めたりして過ごしていた。ニューステロップ流れる新幹線旅はこれが最後であると思うと、それをただ普段通りに満喫したいという思いが、乗っているうちに徐々に強くなっていた。名古屋で降り、予定通り1時間ほど滞在し、折り返す。名古屋駅周辺を少しだけ歩いたが、まだ感染症に対するアンテナはそれほど高くないようで、思っていた以上に多くの人が街を行き交っていて、少々面食らった。あまり人混みの中にいるのもよろしくなかろうと引き返し、駅直結の百貨店地下で、妻へホワイトデープレゼントとして地元洋菓子を買い、あとは駅の待合室で過ごし、予定通りの上り新幹線で引き返した。

帰りの車内にも、当然ながらテロップは流れていた。テロップのない新幹線というのはどういうものだろうか。もちろん、普段からずっと見ていたわけでもないのだが、ふとしたときに目を上げると、そこにニュースが流れていることが、新幹線における「自然」であった。それがなくなったとき、上げた目には何が映ることになるのだろうか。ニューステロップ廃止後のことについては、そういえば把握をしておらず、想像ができなかった。そしてこのとき以来、感染症予防のこともあって、新幹線には乗っていない。テロップが流れていない新幹線というものを、私はまだ知らない。私の頭の中では、まだあのテロップが流れ続けている。また大手を振って新幹線に乗ろうと思える日が来ることが待ち遠しくもあるし、どことなく、まだ来てほしくないような気もしている。

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