2020-04-23

「足並みが揃わないなら自粛無意味」ではない

ご時世の自粛

「足並み揃わないなら無意味だ」と考えるのは間違いだという話。

接触機会量

人々が普段どおりに生活した場合、当然接触します。

レジ電車などで直接的にも、手すりや便所を介して間接的にもです。

直接/間接はあまり関係なく、また接触の濃厚なものは大きくカウントし、薄い接触を小さくカウントした上で、それらの総計を「人と人との接触機会の全体の量」としましょう。

接触機会量とでも呼びましょうか。

政府が8割減らしてくださーい!と言っているのはこの「接触機会量」です。

からまあ「満員電車に乗らなくする」とかはとても効果高いですし、

自動販売機で買った缶ジュースの外側を毎回完全消毒する」とかは効果の量としては低いです(無意味ではない)。

なぜ目標8割?

そしてなぜ8割?かというと、単純に計算上、8割減らすと総患者数が減少に転じるからです。

いまは1日でx倍という増え方をするわけですが、このxが1以下になり1日で0.9倍・・・かになるということです。(※厳密には指数関数的減少ではないですが)

長い時間では0人になるでしょう。

「足並み揃わないなら無意味だ」と考える人はここまでは理解していて、「8割を達成=患者数が減る=患者がいなくなって終わる」とならないと「無意味だ」と思っているんだと思います

それが間違いであることを今から説明します。

まず、このコロナウィルス流行で皆が困っているわけですが、その「解決」とはなんでしょうか?を考えねばなりません。

国内自粛が完全に行き届いて、8割どころか10割を達成し(国民全員が誰とも会わない生活をする)、患者数が減ってゼロになっても実はまったく「解決」ではありません。

海外ではまだ流行るでしょうし、暗数といって数字に出ていない感染はいます(それも、最近南カリフォルニア大学調査によるとかなり)。

永遠に鎖国し、永遠に自粛すれば感染ゼロ社会を生きることができますが、それは「解決」ではありません。

(単に我々が困っている状況が伸びるだけです)

解決」は我々が普段どおりの生活を送れること、

そして感染者が通常の治療を受けられる状態であること、です。

チャチャッと自粛して沈静化して自粛解除してコロナのない暮らししようやー!って思うのは間違いで、それは全員が協力しても達成できません。

そしていつどの時点でも自粛解除すれば、必ず増加に転じます

ワクチンができれば別ですが、それは年内レベルの話ではなさそうなので置いておきます

ただ絶対数が少なければ、病院でさばけます

絶対数が多ければ、病院でさばけなくなります

「8割」で患者数の減少、あるいは現状維持を目指すというのは、このためです。

コロナウィルスを根絶するためではありません。

コロナウィルスは根絶できない

人類はいままで科学医学でいくつもの感染症を克服してきたでしょうか?

いいえ、違います

人類が克服(根絶)したのは200年以上前ジェンナー人類初のワクチンを開発した「天然痘」だけです。

「新型コロナウィルスのない世界」はおそらくほぼ確実にきません。

強力なワクチンができて全世界に接種したとしても、恐らく根絶までは数十年かかります

我々は何を目指しているのか?

コロナウィルスは根絶できない。ならば我々は何を目指しているのか?

その答えはとても簡単かつ現実的です。

コロナウィルスが”普通病気”になること」を我々は目指しています

かかったら死ぬはいるけれども、治療薬があり、病院で手当をすることができる病気になることです。

現在のところ端的に言えば、病床と人工呼吸器の数が増えるか、重症化を一定割合で抑える薬(恐らく有望なのが最低2つあります)ができることです。

一般的風邪(いくつかの旧来コロナウィルスを含む、感染症)は日本だけで年間のべ2億人ぐらいが罹患します。

インフルエンザでは世界で年間30~60万人が死にます

それが”普通病気”です。

症状がわかり、医者が鑑別でき、薬を処方でき、インフルエンザに至ってはワクチンまであります

この状態であれば、風邪インフルエンザノロウィルスがそうでないように、コロナウィルスは我々の社会を止めるものではなくなります

これが我々のゴールで、人類勝利と呼べる地点です。

結論:足並みが揃わないなら無意味か?

ここまで話して本題に入ります

自粛が目指すものウィルス根絶ではなく増加の遅延です。(減れば、なお良いですが)

遅延の目的は、治療薬や医療体制対応のための時間稼ぎです。

治療薬や医療体制が整えば、我々にかかる制約は解除となり、これがゴールです。

まり、「足並みが揃わなければウィルス根絶ができなくて意味がない」という考えは、ゴールそのものの設定が間違っています

目的は遅延なのですから最初に言った「接触機会量」を減らせば減らしただけ意味があります

また自粛してないで江ノ島でウェーイしている人は、通常通りの行動をしているだけなので、自粛している人の効果を打ち消しているわけではないです。

「足を引っ張っている(接触機会量を増やしている)」というよりは「協力してない(接触機会量を減らしていない)」が言い方としては正しいですかね。

もちろん協力しろ馬鹿野郎、なんでワイだけが自粛してんねん、という怒りはあっていいんですが、

アレを見て腐る必要はぜんっぜんないです。

結論自粛はやる人がやっただけ効果があります

なので江ノ島ウェーイをTVで見ても腐らず続けましょう。

最悪なのは江ノ島ウェーイを見て自粛をしている人たちが自粛をやめてしまうことです。

これは江ノ島ウェーイそのものよりよっぽど痛手になります

繰り言になりますが、

なんでこんなことをつらつらとかいいるかと言うと、江ノ島ウェーイを見て「ワイの自粛意味ないわーもう自粛ないわー」というマインドの人が増えたら、

それこそ良くないからです。

ちゃん自粛している人にその有用性を認識してほしいんです。

これは、江ノ島ウェーイな人を説得するより重要なことだと思ってます

  • コロナってインフルエンザより凶悪なの?

    • 「凶悪」の定義による コロナは 感染力はえぐい ワクチンがまだない 症状は軽い ワクチンと治療薬が両方効かない新型インフルエンザが出たら死人はコロナの比ではない

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