2018-06-17

民族同一性障害(ethnic identity disorder, EID)

人種同一性障害と訳されることが多いようだが、ethnicity(民族性) と race(人種) はぜんぜん別の話だろう。

EID は正しくは民族(あるいは民族性同一性障害と訳されるべきだ。

私は民族同一性障害を抱えていると思う。

私は自分日本人であることに違和感を覚えている。

できれば別の民族の一因になりたかった。たぶん一番しっくりくるのは英語圏だが、東南アジアあたりでもいい。

とにかく自分日本人だと思うと悲しいし、しんどい

上手く言えないが、私はとにかく日本人の持つ根本的な発想法、彼らが作る組織運営方法が好きではない。

激しく違和感を覚える。私はずっとその葛藤の中で生き、かろうじてなんとか生き残れる場所を見つけてギリギリのところで生き残ってきた。

こういうことを言うと、「そんなに日本が嫌いなら外国に行け」と言う人たちがいる。言われなくても、なんども私は、実際、外国に行き、そこで住んできた。だが、日本まれ日本人外国で長く住むのはたやすいことではない。外国では日本語は通じないから、英語や現地語を話して仕事をしなければならない。ビザの維持も難題である外国に住むと私の民族同一性障害から来る症状は和らぐので精神的には楽なのだが、主に経済的理由日本に戻ってこざるを得なかった。

私は意識としては日本人である自分嫌悪しているものの、日本語は確かに母語だし、国籍日本にあり、それゆえ日本ではビザなしで働くことができる。経済的事情を考えれば、少なくとも当面日本に住まざるを得ない。

日本にとどまる限り、EID には救いがないという意味地獄だ。日本で、外国人と接触してみたが、これもダメだった。当たり前だが、日本に長くとどまる外国人は何らかの理由日本が気に入っているからそうしているのであり、日本文化に対して肯定的・受容的だ。ある意味、彼らも半分「日本人」なのである。こういう人たちと私は心から打ち解けられないことを知った。

人生を振り返るに、私がわずかに心の平安が得られたのは、どこかの国に言って、日本人ほとんど付き合わず現地語だけで現地の人たちとだけ付き合っていたときだった。彼らは特に日本のことも知らないし、興味もなかったが、私を人間として受け入れてくれた。だが、そういう環境では私はカネを稼ぐことができなかったのだった。日本人は、よほどのことがないかぎり、外国に行っても、日本と全くつながりのないところでは行きていけない。たいていは、日本企業など日本組織団体との関わりの中でカネを得て生きている。

私が海外にある日本料理店が嫌いだ。そこに日本風のカラオケとかおいてあるのを見ると吐き気がする。ところが、そういうところが大好きで、絶えず日本に戻りたくて仕方ない日本人たち(大企業駐在員とかね)と一緒に仕事をしない限り、カネは稼げないことがほとんどなのだ

はい日本で働いて暮らしている。あえて外国事物は見ないようにしている。海外旅行にもほとんど出かけていない。外国事物を思い出してしまうと、日本に住まざるを得ない自分が悲しくてたまらなくなるからだ。日本に対する嫌悪が胸をいっぱいにしてしまうからだ。

独立した個人海外で長く住む上で一番重要なのは経済力だということをさまざまの経験から知った。だから私はまるで出稼ぎ労働者のように必死に働きカネを貯めようとしている。いつの日、日本を出ていき、二度と戻ってこなくても済むように。どちらに転んでもつらいし、おそらく私のような人間理解してくれる人たちもほとんどいない。どうせ増田に書いても、どこかの「国士様」たちからさんざんにけなされるだろう。まあそれもいいさ。とりあえず吐き出さないと気が狂いそうだったので、とりあえず書いてみた。

だけど、もし私に似たような人がいるとしたら、私は声を大にしていいたい。あなたのような人は一人ではない、と。私も同じだと。たぶん、世界中に同じような人たちはたくさんいると思うのだけどね。最近まで、性同一性障害者が社会で虐げられていたように、世界国境線で分割され移住が少しも自由でない現代は、まだ民族同一性障害者にはつらい時代だ。いつの日か、人々が自由自分民族性国籍や住む場所を選べる時代が来ることを願っている。

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