2013-03-27

父が癌になって思ったこと

http://1024.hatenablog.com/entry/2013/03/26/195249

うちの親父も癌になった。発覚時ステージ3で、手術からそろそろ五年経つがいまのところ再発はなし。まぁとりあえず一安心というところか。

最初に見つかったのは歯肉癌。本人気づいていなくてなんか痒いな、腫れてるなということで歯医者に行き、歯医者も炎症起こしてる程度だと思って大きめな病院を紹介しただけだった。その後ふた月くらいは全く危機感がなかったのでほったらかしてた。昔親知らずで異様に腫れたことがあったのでそんなもんだろうと思っていたらしい。で、気づいたときステージ3。リンパにも転移していた。会社の定期診断では大腸への転移の疑いありとも出ていたが、それはシロだった。

この時親父は59歳、3月生まれなので翌年に定年退職の予定だった。

癌だっつーことで速やかに休職。すぐ手術するのかとおもいきや、意外に検査時間がかかるのね。保険ガンガンきいたのと、でかい企業だたので病気での休職などの制度もしっかりしてて、子どもはまだみんな学生だったけどとりあえず困らなかった。

別に嫌な親父だったわけではないが、自分と一番下の妹以外は何故か見舞いに行かず、いろいろ日頃の関係が出るなぁと思ったりしていた。自分はこの時躁うつ治療中&大学院生だったので割と暇ではあった、というのもあるが、手術の立ち会いも自分がいった。母はなぜか切れていてろくに見舞いに行かなかった。病気になるのは本人が悪いらしい…基地外である

手術と治療東京歯科大でやった。総合病院じゃないのに手術とか(リンパの切除もあったし)大丈夫なんだろうかと個人的にはちょっと思っていたが、口腔がんセンターになっているだけに治療スムーズで、特に不安に感じることもなかった。病床少ないので静かでいいし、がん患者が少なく、入院患者もだいたい元気に退院していく(親知らずとかだからね)ので、逆に本人にとってはよかったようだ。病院としてもアレルギーなし、他の病気もなし(昔胃にポリープが出来たくらい)、なんでも食べるしとくに落ち込むこともない親父は割と扱い易かったもよう。

こちらとしては切除した顎やリンパを見せられるのは勘弁していただきたかった。医療系じゃないんだから免疫ないんです。ここが患部だとか言われてもハイそうですか、としか

なお家族の絆とやらはうまれなかった。なのでそんなに感動的な話はない。

一ついい事といえば悲劇のヒロインになったつもりの母親が、親父が最初にかかった歯医者女医さんに「きっとうつなっちゃったのよ!」などと言われ、病院に連れて行かれて今もなおうつ病だとおもっていることだ。もともとボーダーなんだが、薬を飲んでるとみんなちやほやしてくれるのを学習したようで時々貧血が…とか動けないの…などと病弱なふりをしつつもちゃんと薬を飲んでくれている。出ている薬にリーマスが混じっているので、医者はたぶんボーダーであることを把握していると思われる。薬が効いてるおかげか昔より性格が穏やかになった。相変わらず人の悪口は多いが、まぁいじわるばあさん程度だ。

癌は不治の病というイメージがあったが、どちらかと言えば母親のほうが不治の病にかかっているような気がしてならない。

ま、母親は置いといて、当人はそんなに深刻な感じではなかったが、同時期にやはり癌(ただ部位は異なる)になった同僚がいて、その人が焼身自殺した直後だったので、どちらかというと現実逃避をしていたっぽい。えんぴつでなぞる徒然日記とかイラストロジック差し入れを喜んでいた。なんにも考えたくなかったんじゃないかなーと今になると思う。病院暇だしね。

手術直後は気力がなくなったのか、気にしない振りをしていてもやっぱり怖いのか、ボケっぽい症状があらわれて鉛筆でろくになぞれなくなっていたりした。あと算数どころか一から百まで数えるのができなくなった。

会社休職後には元の業務に戻さず新人教育とか、後方支援とかなんとか名目を付けてあまり重要な業務はさせなかったようだ。それでも置いてくれているだけましだと思うくらい、ぼけた。幸い今はボランティアにいける程度には回復している。

あのボケ方をしていたにもかかわらず、定年まで退職勧告をしなかった会社には感謝をしている。ずっと夜勤のある仕事だったが配置転換夜勤をなしにしてその代わり日勤と早朝勤+出勤をタクシーにしてくれたのもありがたい(事故があると困るからだろうが)。退職金も一割減だったけど出たのでその後の治療心配せずにすんだ。でかい企業だったので労組から見舞金もかなり出た。親父が退職したその次の年の年度末に会社更生法を申請しているのでかなり余裕が無い時期だったに違いないが、そういう対応をしていただいたことには本当に感謝している。あの会社のおかげで自分病気持ちだが大学院まで出ることができたし。色々悪く言われているし、問題もあったことは知っているが、でもやっぱり職を奪わず金を払ってくれる存在があるというのはありがたいことだ。

癌は不治の病というイメージがあるし、昔はそれこそ家を潰して治療費にあてなければならないほど治療にはお金がかかったらしいが、実際にすぎてみると「あれ、そんなもんか」という程度ですんだような気がする。しかしこれはうちの親父がでかい企業に勤めてて、その企業が先回りして色々と保険をかけてくれてたりとかしたからだ。これはたぶん幸運なことだったのだろう。幸運ではないかもしれない俺やあるいは俺と同じ世代の人々は、癌になったらまず経済的なところで問題がないかをおさえるべきだと思った。

あと思ってたよりずっと医療は進んでて、患者にはそれほど負担がかからないように医者も日夜研究をしてくれてるんだなぁと思った。一番ネックになるのはたぶん本人の恐怖心だと思う。これは個人の資質にもよるので本当にどうすりゃよいかわからん。恐死の恐怖は肩代わりできないしね。

しかすると恐ろしさのあまりボケるかもしれない。変な宗教にハマるかもしれない。騙されて医療を拒むかもしれない。そういうところに点け言ってくる奴はたぶん必ずいて、それに利用されることは大いに有り得る。出来る限り完治後も継続して安定した生活が送れるように変な情報シャットアウトして、本人の逃避の方向を問題ない方向性に向けてやるしか、周りで見てる人間にはできないんだろうなぁ、なんてことを思った。そゆう意味でも親父は手のかからないひとだった。ありがたい。

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