2012-12-02

エヴァQ」をやっと観た感想(※ながい)

ちょっとネタバレしてるから注意ね。

帰ってきてあちこちネット感想を拾ってみた感じでは、一番おもしろいなと思ったのはこの人

http://blog.livedoor.jp/omaenoteki/archives/20168180.html

の言ってることだった(押井守監督意見おもしろいが、あれは別種のおもしろさ)。

しかし、この意見、わりと賛成できるけど、本作がターゲットにした豚は謎豚だけではないと思う。

断っておくが、僕は豚です。

ただし謎豚ではない。

僕向けのエサは非常にわかやすくこの映画の中に用意されていた。

僕は喜んで自分用のエサに飛びつき、そして自分ブヒブヒ言えるシーンが終了した瞬間に悟った。

こいつ(※監督)は全ての豚を馬鹿にしているのだ。「そのためのエヴァだ」。

この作品でいちばん面白いなーと思ったのは、各豚ごとにパート分けされたその作品構造

それもめちゃくちゃデジタルに分かれてる。あんまりそんなの聞いたことない。

少なくとも、「メカ豚」「厨二豚」「やおい豚」「謎豚」向けのパート分けはあったと感じた(一回観ただけなのであやふやだけど)。

僕がメカ豚なのでメカパートを例にして話しますね。

序盤はナディアからの流れをくむ完全なメカ豚向けパート

戦艦デザイン自体はなんかすごいダサい(と僕は思いました)し、乗っているのはよく分かんない観たことない知ったこっちゃないキャラ

こんなの普通の人(=メカ豚でない、このテのシーンに人並み以上にロマンを感じない)が観てもポカーン、なんじゃこりゃ、早く終われよ、だったんじゃないかと推測する。

だが自身もメカ豚であろう庵野監督の勘所を抑えた演出力は、そんな諸条件による違和感を軽々と凌駕し、純粋な「かっこ良さ」の演出だけでメカ豚に感動を与えてくれる。ご丁寧にナディアの曲まで付けて。

重ねて言いますが僕はメカ豚なので、この序盤だけは大変興奮しました(この映画の中で一番光っていたパートはここだったと信じて疑いません。やはり監督自身も好きなものが一番描きやすく演出もしやすいのでしょう)。

次にキャラの描写と、その後の世界の軽い仄めかしがちょっと入って、「厨二豚」向けのパートが始まります

(厨二豚っていうか、自意識豚?サブカル豚?)旧エヴァのそういう部分が好きだった人。そういう部分にこそ食いついた人。その人たちのためのパートです。

どこまでも暗く思弁的な独白キャラアニメらしからぬ演出、演劇に影響された演出(冬月との将棋シーンなんかいい感じでしたね)、などなど。

で、「やおい豚」パート言わずもがなでしょう。

繰り返すが、たぶん、例えばやおい豚の方は、序盤のメカ豚向け演出にはいまいち乗りきれず、違和感を覚えるものだったと思う。

逆にメカ豚にとってはやおい豚向けの演出は「どこを熱くなればいいんだろう?」というしろものだった。

終盤付近の謎豚向けの演出は、もちろん謎豚以外の豚には「どこを熱くなれb(略)。

「その他の豚と人間の方はどうぞ寝ててください」とでも言わんばかりの、デジタル構造

ドラマはそれぞれの豚パートをつなげるための、付随的な存在なので、キャラの動機や行動が不自然になるのは当たり前。

本作の目指すところはやはり純粋かつ単純、「豚よ、踊れ」だと僕は思った。

(「エヴァ」という作品、舞台装置のもの信仰を捧げる「エヴァ豚」も含めて。)

しかも、この構造は、結果として「種類の違う豚同士は本質的には相容れない」という事実まで突きつけてくる。

非A豚は、A豚がなぜその演出で喜んでいるのか理解できない。一緒に熱くなれない。早くA豚パート終われとまで思う。

「豚は、孤独だ。」そんな事実が浮き彫りに。

…多分というか間違いなく深読みしすぎだと思うが、

そういう意味では、非常に批評的な構造を持った作品と言えるのかもしれない。

またそういう意味で、テレビラストや旧劇を完全に引き継いでいると思う。

そんな本作が踊らせられなかったのが、「それなりのドラマを見に来たお客さん」なんじゃないかな。

まり、豚でない人や、豚だけど自分向けのエサは投げてもらえなかったような人も含むすべての観客。

最初に「監督はすべての豚を馬鹿にしている」と書いたけど、逆に言えば、豚に対してはちゃんと向き合っているのだ。

「これを投げときゃ満足するんだろ(笑)」は、ウラを返せば「金を取るかわり満足させるよ」ということでもある。

エヴァQでは、豚に対しては全力でエサを投げていることが感じ取れるが、「みんなが食べられるもの」を出すことについては試合放棄して逃げ出している。

カラー製作体制のことは知らないし、ここからは完全に妄想です。

序・破はこれがたまたま奇跡的に上手くいった。あるいはちゃんとシナリオ面のチェック機構が働いていた。

でも実際には、監督は「みんなを踊らせること(=人間として共感可能なカタルシスを用意すること)」については非常に自信がない。

どうしていいのかわからない。だから、直球で勝負することからは逃げたかった。

みんなを同じエサで踊らせることができないのであれば、せめてエサの分かっている豚だけでもそれぞれに踊らせなければならない。

そんな判断の末に、Qはこういう姿になったのではないか

いくらなんでも邪推でしょうか。しかし、こんな姿でQは生み落とされた。

観始めたとき、豚としての僕は喜んだんだけど、観終わったとき人間としてはちょっと喪失感を覚えていました。

Qがこういう展開になってしまった以上、次回以降のエヴァにもう「豚のエサ」以外の末路は残されていない。

いや、最初からそうだったのだが、最近たまたまおかしなことになっていただけか。

それでも、あり得たかもしれない幸せな結末を思うと、なんか複雑です。

正直言って、「みんなで同じものを食べながら踊れるエヴァ」にも、僕はちょっとだけ期待していましたよ。

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