http://anond.hatelabo.jp/20121202214447
東京都のほとんどの区の場合、大規模マンションには家族用や障害者・高齢者用の部屋を設けるよう義務付ける形になってますよ
他の市を見ても規制のある所は概ね同じ
江東区に至っては人口増加で深刻な小学校不足に見まわれ、ワンルームマンション規制とさらにファミリーマンション規制も行っている(なんだそりゃ)
一方で豊島区は、豊島区の方も分かっているから、50万円払えばワンルームマンション建ててOKという異例の規制内容にしたんじゃないですか?
極めて稀な特例である豊島区を持ち出して語ることに非常な不審感を抱かざるをえないですね
正社員の待遇を改悪すれば、相対的に非正規を雇うコストが安くなくなり、正社員にしやすくなるって理屈と同じように、最低賃金以下で働いてる人たちをどうにかしたいとか考えてるんじゃないのかな?
最低賃金を撤廃すれば、最低賃金以下で働かせてるグレーな職種に、まっとうな労働者が入り込む余地が出来て、うさん臭い利権で守られた、ワタミが天国に見えるような地下労働に陽を当てるとか。
いや、マジであるんだよ。
日本語をまったく喋れない中国人(大抵は極貧の少数民族)を農業研修生として山奥の養豚場や養鶏場に寝泊りさせてタダで働かせてるとか。
正攻法なら、それらを規制してやめさせるべきなんだけど、それが出来ない事情がいろいろあり、規制したらしたでさらに地下に潜りっていうイタチごっこだし。
個人的に気に入らないなら、それを読んだり見るのを単純に止めれば済む話なのに
そういう人間は、
よくトイレで見かける注意書き
「いつもきれいにお使い頂き、ありがとうございます。」と書いていても、
その辺におしっこやうんこを構わずまき散らす無法者みたいなものかなと思う。
汚く使うなら、他のトイレ使ってくださいと頼んでも
わざわざそのトイレに行って用を足す。
そういう人間は、普段でもトイレ以外のどこでもかしこでも用を足して、
他人の応援コメントであったり、公開主の感謝の気持ちだったりする。
アンチはそれが気に食わないのであろうと思う。
ネットで何かを公開することは
同時に公開する内容に対しての責任を負うという側面があるのも分かるが、
ペナルティ払ってもなお儲かり、金払えばOKなら、払ってやるのが当たり前じゃないの?
渋谷区や豊島区に一般のご家庭がたくさんあって子育てして欲しい、なんてテーゼ自体を誰も共有してないんじゃないの?
豊島区の意図も果たして池袋での子育てを推進したいのだろうか?
近畿地方でワンルームマンション規制しているN市だと、周辺住民とのトラブルになりやすいことからワンルームマンション規制が市議会に諮られて可決されてしまったのだが……
クリスマスといえば、爆発しろ。ですが、やっぱりいつかは自分も爆発する側に回りたくなるわけで、
こうすれば爆発できる!という方法を簡単に紹介しようと思う。
口をいを発音するときの形にして横に少しだけ広げる。こうすると、表情が柔らかくなって、しかも滑舌がよくなる。
滑舌が悪いと不幸なことしかないので、これやっとくとおすすめ。
俺は絶対壷なんか買わない。なんて力まず、どんな人からでもつぼを買ってやるよというくらいどんな人でも信用すること。
まず、壷を売りつけるような人が現れるような人なら、友達もいるし彼女もいるから気にすんな。
よく、俺洋楽しかきかないとか洋ゲーしか楽しいと思わないとかいう人がいるけど、2chしかやってない人も大概同じ。
自分が全く興味がなくても、万人がやっているようなものを楽しいと思うような努力をしてみる。そうしないと、
まわりの人が楽しそうだよねーと言ってるなか一人だけ、なんだそれ、洋ゲーやってたほうがまだ楽しいわ。となって
一人取り残される。
誰もがわかってることをダラダラと馬鹿じゃねーの
BIか負の所得税するなら大規模な財源も必要だし実現可能性はほぼないと思うが
TPPや原発もあいまいにして消費税も容認したらほとんど自公民と差別化できなくなるから話題になりそうな政策乗っけたんだろうけど
困ったなー。ビックカメラ.comに、昔に冷蔵庫を買った時のポイントと株主優待券分とで15000円分あるんだけど、何も欲しい物が無い。別にゲームもやらないし、PC関係で欲しい物も無い。酒も飲めないので買ってもしょうがない。マジで困ってる。なにかいい使い道は無いものだろうか?
肌荒れ、ニキビ跡が酷い高校生だけど鏡でずっと自分の顔を見無いと気が済まない
学校でも休み時間には自分の顔の肌荒れ、ニキビ跡を見るし、授業中もiPhoneのインカメラで自分の肌荒れを見たりしている
家ではトイレに篭ってずっと鏡を見ないと気が済まない
授業、自宅学習にも集中出来なかったりする
今日、潰れて液体がでてきて、直ぐに鏡の前にいった
底辺以外の賃金も軒並み下がるだろうな。
お前がやってる仕事を、同じ能力の奴がお前より月給1万安くてもいいから雇ってって言えばお前はクビになるね。
土曜日の朝のこと。目が覚めてさて顔を洗おうと思ったら体が動かないのだ。
そのときはただ疲れてるのかな?と思うだけで、ゆっくり寝たら良くなると思ってた。
疲れてるから寝れば良くなるという思考のもと、ちょっと寝るつもりが目覚めたら18時間もたっていた。
明日こそは家のことをやりたいと思っていたけど、案の定、次の日も体が動かなかった。
誰かに会うのが怖かった。
外に出るのが億劫だった。
月曜日になり、会社に行く準備をする時間になっても、布団から出られなかった。外が怖かった。
ただ仕事に行くのが嫌なわけじゃない。いまの仕事はとても好きで楽しい。ようやく実力が認められ始めてきた時でちょうど軌道にのってきたところ。
それなのに休んでなんかいられないよ。今日出社しなくちゃ回らない仕事がたくさんある。社内にも社外にも迷惑をかけてしまう。
それに、せっかく仕事での成果を認められ始めてきたのに期待を裏切ってしまうことで嫌われちゃうんじゃないかって怖かった。
会社に行きたい。行かなくちゃいけない。嫌われたくない。そんな思いでいっぱいだった。が、体は動かなかない。
明日こそは、と思っていたが火曜日も布団から出ることができなかった。
携帯電話を触るのが怖い。メールの通知、電話の着信が怖い。インターネットに触れるのが怖い。
Twitterからメンションの通知が来れば悪口を言われてるのだろうかと思ってしまう。
Facebookの通知も連絡も全てが怖かった。ログイン時間を見られたら責められるんじゃないかって。
家にいて道路で物音や話し声がしたら誰かが来たんだ、わたしを責め立てに来たんだって思ってしまっていた。
わたしが今、こんなふうになってしまっているのは自分が悪いんだ。何もできない自分が悪いんだ。また迷惑かけてしまった。
存在価値がない。死んだほうがいいのかなって考えては、死ぬ妄想ばかりしていたりして。
それほど精神状態はギリギリで、布団にくるまりながらずっとごめんなさいごめんなさいってつぶやいていた。
結局この一週間で大きな迷惑をかけてしまったことがとてもとても申し訳なかった。
水曜日、このままじゃダメだって思って病院にいこうと考え始める。どこにいけばいいのかな?精神科?心療内科?
手当たり次第評判のいい心療内科を探しまくって、近所の心療内科に問合せた。でも人と電話で話す勇気が出なくて結局予約できたのは夕方だった。
しかし予約時間になっても外に出ることがとても怖くてその日病院に行けなかった。ごめんなさい。そればかりつぶやく。
木曜日も外からの刺激を全てを遮断して布団にくるまっていた。苦しくて寂しくて、哀しくて、怖い。ごめんなさい。
金曜日、この状態のことを初めて友だちに打ち明ける。その友だちの助言もあってその日の夕方、病院に行く事を決めた。
一週間ぶりに外に出てみて人の視線がとても怖かったけどメガネにマスクをして帽子までかぶっていたから誰とも目を合わせないでいられる気がした。
病院はとても混雑していてちゃんと診療してくれるかとても不安でバクバク。落ち着かない様子でずっとソワソワしてたと思う。
名前が呼ばれて、病室に入り、「どうしましたか?」と聞かれてからは自分でもびっくりするほど涙が出て、支離滅裂な言葉たちを堰を切るように話した。
仕事のこと、家庭のこと、いま不安に思っていること、苦しいこと、怖いこと、辛いこと。
号泣しながら話すわたしの言葉をふんふんと聞き取ってくれる。それだけで嬉しかった。
話しながら自分でも整理できてきた。
先週は母が亡くなって3年目、4回忌だったのだ。
そこを堺に自分の中で耐えていた精神的な糸がプツリと切れた。身体がおかしくなった。
月に200〜250時間の労働。膨大なタスクは終着点の見えないものばかり。
頑張らなくちゃいけない、という責任感。家庭のいざこざも相まっていろんなもので心が潰されてしまったと。
診断結果は今すぐ休養をとりなさい、休職しなさい、ということだった。
お薬を処方してもらって、飲むと驚くほど不安がなくなりすっきりとした。お医者さんに洗いざらい話せたのも良かった。心がすっとした。
でも、休職がとてもこわい。こわい。こわい。もう復帰できないんじゃないかっておもうと、すごく怖い。
どうしたらいいんだろう。休みが必要なこともわかる、でも、働きたい。でも、また休むことがあると迷惑をかけてしまう。でも、、、
わたしはもともと明るくて悩みなんてなさそうだね、と言われるタイプの人間だった。
だから今こんなことになっている自分が信じられない。こんなの自分じゃないって受け入れられなかった。
医者に復帰できなくなるのが怖い、と伝えたら冷静な判断がとれていないから今はまず休養しなさいと言われた。
姉に相談してみたらいまは何も考えず休養しなさいと言われた。
友だちに相談してみたら環境を変えよう、あなたが活躍できる場所はそこだけじゃない。人生は長いのよ、とも言われた。
現にお薬を飲んでも外出できていないし、この一週間ロクに水も食べ物も口にしていない。。
誰かに言われたから何をする、のではなくてこのことはちゃんと自分で決断しなくてはいけないと、思う。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。人生の分かれ目かもしれない。
この時期ネット買取に依頼してたまった本を全部お金に変えちゃうのがいいですね、。
いらないブランド品もあるし、
http://netkaitori.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
ここで紹介されてる本、私も読みましたよ。
この本は売りたくないな、
http://anond.hatelabo.jp/20121130193539
の元増田だが、なんか自分がいない間にレス伸びすぎてびっくりしている。
今更亀レスするのもなんだが、
「子供レス社会への最適化圧力」というのは、そんじょそこらの施策じゃ、跳ね返せない。
渋谷区役所辺り、相当覚悟しないといけない、というか、覚悟しても難しい。
一例として「豊島区」の例を挙げる。
この区も、子供レス・シングル最適化に悩んでいて、それが建築されるマンションの形態に如実に現れている。
区内で供給されるマンションの多くが、いわゆる「ワンルームマンション」、
あまりにもシングルマンションばかり供給され、「子供レス最適化」が進行する状況に
一定面積未満のマンションを建設する場合にはペナルティを課す、という
強引な手段で以て、豊島区は「子供レス最適化へ歯止めを掛ける」意思を
区民、というより開発業者に示した次第である。
「ペナルティによって、開発側が商品企画時にファミリーマンションに
企画を変更」することを期待していた訳だが、実態はどうか?
「ワンルームマンション最適化都市の豊島区なら、ペナルティ取られてでも
商品規格はワンルームにした方が得策」と言わんばかりに、
帰ってきてあちこちネットの感想を拾ってみた感じでは、一番おもしろいなと思ったのはこの人
http://blog.livedoor.jp/omaenoteki/archives/20168180.html
の言ってることだった(押井守監督の意見もおもしろいが、あれは別種のおもしろさ)。
しかし、この意見、わりと賛成できるけど、本作がターゲットにした豚は謎豚だけではないと思う。
断っておくが、僕は豚です。
ただし謎豚ではない。
僕向けのエサは非常にわかりやすくこの映画の中に用意されていた。
僕は喜んで自分用のエサに飛びつき、そして自分がブヒブヒ言えるシーンが終了した瞬間に悟った。
こいつ(※監督)は全ての豚を馬鹿にしているのだ。「そのためのエヴァだ」。
この作品でいちばん面白いなーと思ったのは、各豚ごとにパート分けされたその作品構造。
それもめちゃくちゃデジタルに分かれてる。あんまりそんなの聞いたことない。
少なくとも、「メカ豚」「厨二豚」「やおい豚」「謎豚」向けのパート分けはあったと感じた(一回観ただけなのであやふやだけど)。
戦艦のデザイン自体はなんかすごいダサい(と僕は思いました)し、乗っているのはよく分かんない観たことない知ったこっちゃないキャラ。
こんなの普通の人(=メカ豚でない、このテのシーンに人並み以上にロマンを感じない)が観てもポカーン、なんじゃこりゃ、早く終われよ、だったんじゃないかと推測する。
だが自身もメカ豚であろう庵野監督の勘所を抑えた演出力は、そんな諸条件による違和感を軽々と凌駕し、純粋な「かっこ良さ」の演出だけでメカ豚に感動を与えてくれる。ご丁寧にナディアの曲まで付けて。
重ねて言いますが僕はメカ豚なので、この序盤だけは大変興奮しました(この映画の中で一番光っていたパートはここだったと信じて疑いません。やはり監督自身も好きなものが一番描きやすく演出もしやすいのでしょう)。
次にキャラの描写と、その後の世界の軽い仄めかしがちょっと入って、「厨二豚」向けのパートが始まります。
(厨二豚っていうか、自意識豚?サブカル豚?)旧エヴァのそういう部分が好きだった人。そういう部分にこそ食いついた人。その人たちのためのパートです。
どこまでも暗く思弁的な独白、キャラアニメらしからぬ演出、演劇に影響された演出(冬月との将棋シーンなんかいい感じでしたね)、などなど。
繰り返すが、たぶん、例えばやおい豚の方は、序盤のメカ豚向け演出にはいまいち乗りきれず、違和感を覚えるものだったと思う。
逆にメカ豚にとってはやおい豚向けの演出は「どこを熱くなればいいんだろう?」というしろものだった。
終盤付近の謎豚向けの演出は、もちろん謎豚以外の豚には「どこを熱くなれb(略)。
「その他の豚と人間の方はどうぞ寝ててください」とでも言わんばかりの、デジタルな構造。
ドラマはそれぞれの豚パートをつなげるための、付随的な存在なので、キャラの動機や行動が不自然になるのは当たり前。
本作の目指すところはやはり純粋かつ単純、「豚よ、踊れ」だと僕は思った。
(「エヴァ」という作品、舞台装置そのものに信仰を捧げる「エヴァ豚」も含めて。)
しかも、この構造は、結果として「種類の違う豚同士は本質的には相容れない」という事実まで突きつけてくる。
非A豚は、A豚がなぜその演出で喜んでいるのか理解できない。一緒に熱くなれない。早くA豚パート終われとまで思う。
…多分というか間違いなく深読みしすぎだと思うが、
そういう意味では、非常に批評的な構造を持った作品と言えるのかもしれない。
またそういう意味で、テレビ版ラストや旧劇を完全に引き継いでいると思う。
そんな本作が踊らせられなかったのが、「それなりのドラマを見に来たお客さん」なんじゃないかな。
つまり、豚でない人や、豚だけど自分向けのエサは投げてもらえなかったような人も含むすべての観客。
最初に「監督はすべての豚を馬鹿にしている」と書いたけど、逆に言えば、豚に対してはちゃんと向き合っているのだ。
「これを投げときゃ満足するんだろ(笑)」は、ウラを返せば「金を取るかわり満足させるよ」ということでもある。
エヴァQでは、豚に対しては全力でエサを投げていることが感じ取れるが、「みんなが食べられるもの」を出すことについては試合を放棄して逃げ出している。
カラーの製作体制のことは知らないし、ここからは完全に妄想です。
序・破はこれがたまたま奇跡的に上手くいった。あるいはちゃんとシナリオ面のチェック機構が働いていた。
でも実際には、監督は「みんなを踊らせること(=人間として共感可能なカタルシスを用意すること)」については非常に自信がない。
どうしていいのかわからない。だから、直球で勝負することからは逃げたかった。
みんなを同じエサで踊らせることができないのであれば、せめてエサの分かっている豚だけでもそれぞれに踊らせなければならない。
そんな判断の末に、Qはこういう姿になったのではないか。
いくらなんでも邪推でしょうか。しかし、こんな姿でQは生み落とされた。
観始めたとき、豚としての僕は喜んだんだけど、観終わったとき、人間としてはちょっと喪失感を覚えていました。
Qがこういう展開になってしまった以上、次回以降のエヴァにもう「豚のエサ」以外の末路は残されていない。
いや、最初からそうだったのだが、最近たまたまおかしなことになっていただけか。