はてなキーワード: winnyとは
そもそもテレビってCMの間だけチャンネル替えといたらスポンサーは丸損なわけだけど、じゃあそういう行為が非難されるかっていうと、されないよね(ユーザスタイルで広告消すのを万引きと同じだとか電波飛ばしてた人はいるけど)。「いやテレビはチャンネル替えずにCMも見てくれる人のほうが多いから大丈夫」と言うのなら、YouTubeやWinnyやあれやそれだって、何だかんだで使ってる奴はごく少数だ。みんながタイマー使って時間計ってCMの間だけチャンネルを替えるようになったら「テレビのタダ見が横行している」とか言う人は出てくるだろうか。出てこないような気がする。出てこないとすれば、YouTubeや(ryが著作権侵害の温床みたいに言われるのはおかしい。というか、温床は温床だとしても、今までタイマーを使ってた層が分裂してタイマー層とインターネット層になっただけで、被害額は変わってないわけだ。
あれ、結局「Winnyが無ければCD買ってまで聴かない」って話と同じか。一生懸命書いて損した。これだからアノンドは(増田という呼び方が気に入らない俺はアノンドと呼ぶことを決意した)。
#名無しだったこの記事ですが、以外にもぶっくまーくされて、誰かがタイトルをつけてくれたので、拝借しました。2007年2月23日。
たとえばWinnyは作ったのが日本人だから作者が潰されることで表面上はつぶされた(なぜShareの作者は逮捕されないのだろう)。その一方で、Youtubeは海外のサービスであるという「海外のサービスだから何やってもとりあえずはだいじょうぶかな」感も手伝って、ユーザーがそれを使ってやっていることは黒なんだが、黒に見せない勢いがある。両者に共通なのは、機能として実際にやっていることはインフラを提供しているだけ。しかし、前者はその理屈が通用せず、後者は今のところは通用している。なぜか?答えは、冒頭の一文で既に述べられている。
今Napsterのサブスクリプションで落としたKissのベスト盤(邦題が「地獄の宝石」という微妙にいい感じにナメたタイトル)を聞いてるんだが、「Calling Dr.Love」の1分46秒くらい、短いドラムソロの最後あたりに入ってくる「ハッ!」って叫びがカッチョ良さすぎる。
ところで職場でNapsterの話をしたら職場の人に「え、ナプってまだ使えたっけ?」という反応が。昔のファイル交換ソフトの頃じゃなく今の定額音楽配信の方だとあわてて(?)説明したものの、これってちょっとしたジェネレーションギャップなのかも知れない。
かなり大雑把だけれど、第1世代がNapsterで、第2世代くらいがWinMXで、その次の第3世代がwinnyやshareだとすると、自分は第2世代くらいまでの記憶しかない。というか第2世代の記憶しかない。だからwinnyにはそんなに興味がないというかついていけない(インスコしたけどなんだかよくわからんかったし自分の求めてたファイルがマニアック過ぎて見つからずすぐに興味が失せた)し、Napsterもどちらかというと音楽配信の印象が強い。というかまあファイル交換ソフトなんぞエムエクースとCabosくらいしか使ったことがないですが。そもそもそういう人間がファイル交換ソフトの世代云々という話をするのが(ry
ちなみにWinMXで落としたファイルが「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」と「TVで流れた山本かよというアナウンサーの出産シーンのキャプ」(!)だけだったのは内緒だったり内緒じゃなかったり。
http://anond.hatelabo.jp/20070127100937
著作権法第32条の引用については、かつてマッド・アマノのパロディ事件で最高裁が示した「引用の原則」がある。
これが満たされていれば、全文であっても引用できる(旧著作権法では「一部を引用できる」とあったのが、「一部」が削除されたところから導かれる解釈)。((ただし、これはパロディ作品に対して訴えられた被告が「引用の一種だ」と言ったという、真っ向からの引用を取り上げた事件ではない。引用がらみなら、最近の小林よしのり「反ゴーマニズム宣言事件」の方が適切か))
ちなみに、新聞記事などであっても、死亡記事や気象情報といった誰が書いても同じになるようなもの以外の報道については、著作物性が認められている。ブログのエントリについても、独自の意見や独創性がある限り、こんな駄エントリであろうが著作物性は認められている。2chのニュース系板のように、>>1に他のサイトの本文しかのっけていないようなものは、上記3を満たしていないから当然著作権法違反である。ただし、著作権法違反のこの部分は親告罪であり、著作権者が告訴しない限り刑法に問われることはないし、民事上の損害賠償請求も受けない((winny事件はAdobeの告訴があったことを考えよ)。
地下放送(ちかほうそう)とは、身元を隠したプロパガンダ目的のラジオ放送。敵国に対する宣伝放送や、言論の自由のない国に対する反政府放送などがある。
匿名ダイアリー(つーかネット上の言論ほぼ全般)ってある意味で地下放送だよね、とも思えるが、ここではもうちょっと皆が連想する形の「放送」というカタチで。
地下放送を名乗るからには、怪しさが必要である。
電波はその点では最高で、一般人にも無差別に聞かせやすいという利点もあるが、無免許ですむレベルだとどうしても範囲が限られる。
すると仕方なくインターネットラジオということになる。
webサイト作ってファイルを置く、Winny等で放流(かつて映像作品を流した奴はいたらしいが)、SHOUTcast、Peercast、podcast
youtubeやGoogle Video等、選択肢は多いが、この中で、なるべく人の目に触れやすく
かつ「オタクのためのオタク地下放送」に堕してしまう(扇動ならアリか)可能性が低い選択肢を選ぶ必要がある。
……かろうじてyoutubeだろうか?
オタクとして世に発信したい思想というものは各自抱えているのではないだろうか。
ネタになりそうなのはここを見渡してもそれなりにある。
誰が喋るか?というのは考えてみれば大きな問題、かつ障害である。
媚びた声の女性に喋らせるわけにはいかないし、典型的キモオタボイスでは話にならない。
朝鮮中央放送あたりのアナウンサーのような声が理想的ではあるが
どうしても見つからない場合は、せめて言葉に気迫を持たせる努力でもしよう。
北朝鮮のアナウンサーの教本「放送員話術」にも書いてあることだ。
面倒だから著作権については考えないこととする。
軍歌は汎用性が高いが、何かが違う気もする。
かといってアニソンゲーソンを利用する場合、選曲に気を使わないと一本のギャグ作品が出来上がるという欠点がある。
萌えアニメやギャル/エロゲーの素晴らしさを喧伝する番組ならかけるべきかもしれないが。
…………
結局ネット上の文章に勝るものなし、ということなのか?いや、そんなことは無いはずだ!
無断リンクが合法とされたのは著作権法の話だけじゃなかったっけ?(もし違ってたら教えてもらえると勉強になるので是非突っ込んで欲しい)
もしそうだとしたら、
「嫌だからやめれって言ったのに無断リンクされた。不法行為による損害賠償(民法709条)を要求する!」
って主張されたら議論の余地がありそうだが。
まぁ無断リンクそのものじゃなくてネガティブリンクの話になるんかな。
Yoko氏の話。
http://d.hatena.ne.jp/SiroKuro/20070106/1168067839
俺の追ってる限りでは、Yoko氏は「訴えた」としか言ってなくて、
訴えの内容がどのような物か明かしていないのだが、
なんで訴えの内容を見ない内から勝つとか負けるとか言えるのか不思議。
判決の要旨(全文ってもう公開されたのかな。わかんない)すら読まずに論じてる人多いしな。
こういうのって「法律詳しい・詳しくない」以前の話だと思うんだがなぁ。
■「安倍さんには芸がない。日本人は時々狂ったように抽象的なことを言い出す」(塩野七生、日経インタビュー)‥‥女史この他にも名言を大連発!
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20070104113125/index.html
「美しい国」というスローガンは,抽象的で困るな。なんとでも好きなように解釈できる言葉だ。安倍首相のホントの狙いは「美しい日本を守るために既得権者を守りましょう」ということではないか。もしくは「美しい日本を守るために現状をいじらず何もしないで寝ている総理がいい総理なのです」ということか。
単に重箱の隅をつついているような内容はどうでも良いのだけれども、「『美しい国』というスローガンは失敗」というのは同感。要するに、「美しい国だから国を愛して欲しい(愛国心を持って欲しい)」とか、そういう意味も含んでるんでしょう、よく分からないけど。でもさ、「恋愛は精神病の一種(by涼宮ハルヒ)」な訳ですよ。打倒恋愛至上主義(by本田透)な訳ですよ。それならば、『親しみの国、日本』を目指した方が良くね?夫婦愛も、「恋愛」から「親しみ」に変わるのが科学的常識になっている訳じゃないですか。愛にロマンを感じるのは自由ですが、情緒性より、実効性圧力(by草薙素子)を重視して欲しい訳です、一般庶民としては。安倍さんには、実直的理念が向いていると思うし、『美しい国』なんていうどれくらいの人間が共感するのか分からない高邁な理念よりも、私としては、もっと日本という国に「親しみ」を持ちたいし、みんなにも持ってもらいたい。日本に親しみを持って欲しいことに対して、反対する人はまずいないんじゃないですかね?
もう一つ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_3032.html
どのくらいの人がちゃんと読んでいるのか分かりませんけど、私も5分くらい流し読みしました。が、まあ、そこそこ妥当な机上の空論が書いてあるんでしょうね、といった感じ。でも、スローガンの『希望の国、日本』は失敗だと思います。まあ、経団連の年寄りのセンスなんて期待するな、ということなんでしょうが。『希望の国』という言語センスは情緒性に富む文学な表現としてすばらしいのかも知れません。でも、実態は、「さっぱり分からねえ(by孫悟空)」な訳です。
具体的に言うと、13ページから。
「希望の国」の国柄は以下に説明する3点に要約できる。
1.精神面を含めより豊かな生活
3.世界から親しみをもたれる社会
2は、「公平だからみんなにチャンスがある」みたいなニュアンスにおいて、『希望の国』となんとなく関係ありそうな気はするんですが、1と3は『希望の国』とどういうつながりがあるのよ?無理矢理結びつけてんじゃないの?みたいな感じ。本当に『希望の国』を要約したのかよ?みたいな。
私だったら、もう少し分かりやすく、『可能性の国、日本』とでもしますよ。まあ、ニュアンス的にはほとんど一緒ような感じですが、日本に希望を感じない理由というのは、日本の可能性のなさに閉塞感を感じ、絶望しているからでしょう?winny裁判のように、テクノロジーの可能性を否定されたり、怪しげなネット財閥が潰されたりするから、「既得権益には勝てない、働いたら負けだ」という絶望を生むんでしょう?労働者の鼻面に「希望」という幻想のニンジンをぶら下げて、死ぬまでこき使い、労働者の流動性は認めても、社会階層を事実上固定させようと経団連が考えていると誰もが邪推するとか私は思いますが。実力主義をうたいながら、下克上を認めないシステムな訳ですね。で、日本では暴力革命は起こらないと踏んでいる。
違うというなら、「あなた達には、こういう可能性がある。今のところ、大体、成功率は50%くらいだ。しかし、その可能性を上げるための法案が提出される予定がある。また、そのことを説明する文書をサイトに載せた。そこには、経団連のポータルサイトのリンクから行ける」みたいな現実的な提案や客観的な話を聞きたい訳ですよ。政治的な都合で、無理矢理整合性を合わせたような話はどうでも良いんですよ。
つまり、「我々にはどういう可能性がどれくらいあるのか。どこにベット(賭ける)すべきなのか。その可能性を広げるためにどういうことをやるべきなのか」が知りたい訳ですよ。リストラされて浮浪者になったオジサンにしても、30過ぎて焦っている女性にしても、同級生の少ない子供達にしても。大体、「希望」って、主観的なものですが、必要なのは、客観的な数値でしょう。『可能性の国、日本』というキーワードからトップダウン式に考えていけば、優秀な人ばかりでしょうから、日本にはどのくらい可能性があるのか、ある程度、客観性のある数字を出して、国民の目から見てもそれなりに説得力のあり、それなりに希望の持てるビジョンを具体的に示していけると思うんですが、甘いでしょうか。
・・・いずれにしても、偉い人が年寄りの文系しかいないから、情緒的で美麗美句のゴニョゴニョした、中身があるのかないのか分からない政治的に調整されたような文章になるとしか思えないんですが。権威なんてどうでもいいから、私のような馬鹿にでも分かる(納得できる)スローガンを分かりやすく提示して欲しいですよ(もちろん、「分かりやすさの罠」もあるし、その辺はある程度割り切る必要があると思いますが)。小泉さんは、私のような馬鹿でも分かることしか言わなかったから、人気が出た訳でしょうし。中二病じゃあるまいし、背伸びする必要はないと思います。もちろん、政治はそれほど単純なものではないんでしょうが、訳の分からないものを出されても、訳が分からないとしか答えようがありません。
ちょっと前までは、ボランティアというのは無料で使える便利な労働力にしかすぎなかった。
Web時代になって様相が変わった。ボランティアは武器を持った。
彼らは自分達のメディアを通じて、ボランティアとしての自分の意見を現場から
発信する、世論やマスメディアをも動かしうる厄介な存在になった。
「労働に対する対価を支払わなくてもいい」という、ボランティアを用いるメリットは依然としてあるものの、無償であるということは、ボランティア側にもメリットをもたらした。彼らは無償であるがゆえに、指導者に対して何ら引け目を感じることがない。NGO側に何か気に入らないことがあれば、彼らは嘘をつくことすらためらわないかもしれない。
ボランティアを使って何かを行う際には、こうしたボランティアの「目」、その背後にある世間の目というものを意識しないと、今回のドッグパーク騒動のようなことになる。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2005/03/08/6754.html
上記はCDの話だが、DVDでも似たようなものなのではないだろうか。
売り手の気持ちとしては「P2Pがなければ、DVDを買っていたであろう人が、P2Pで済ませたために、売り上げが減った」という物語なのだろう。が、ダウンロードで済ませる人とDVDを購入する人はイコールではないだろう。「見ても見なくても買わない人」だっているだろう。
この物語を証明するには、「P2Pがなければ、DVDを買っていたであろう人」ってのが本当にいるのかを調べないといけないね。そういう人がいたとして、DVD全体の売り上げに対して、その数字がどれくらい影響を及ぼしているのかを調べないといけない。
匿名日記だけに著作権云々いう人はいないと思うので、出典元明記の上全文転載するよ。
GONZOで面白かったアニメといえば、カレイドスター、巌窟王、クロノクルセイド……バジリスクは見てないが評判はいい。
アニメDVDが売れないのはGONZOは――とひと括りにできる問題ではないのだろうが、あえて述べるならば、全体的にアングラ的なセンスとオサレ感が濃いせいではないかと邪推する。華がある作品が乏しいのだ。DVDまで買いたくなるアニメとはインパクトある感動を実現したアニメであり、感銘と衝撃がある一線を超えたときにはじめてアニメファンの購買意欲は刺激されるものだ。それでなくてもアニメ企画の過剰化が叫ばれて久しいアニメ業界であり、これほど苛酷な環境の中で視聴者の思い出となって記憶として生き残れるようなアニメ作品を作り上げるのは困難を極める作業であろう。一過性の話題はあっても、長く記憶に残るような域にまでに感動が達した作品があるかと問われると答えに窮する。複数の制作ラインがアニメ会社としての強みではなく、戦力分散の愚を冒しているように感じられ、その点、常に話題に上るアニメ作品を確実に仕上げてくる京アニとは対照的だ。
また、一部こころないアニメファンから原作クラッシャーと称される制作能力も売上を減らしている一因ではないだろうか。先ずは批判を真摯に受け止め、彼らアニメファンが求めているものの本質を理解して、批判してきたファンたちを唸らせるような作品で見返す日がいつかくることを期待しながら、カレイドスターの新作が一刻も早く作られるよう心より願う。
早い話が全ての元凶はガイナのトップ
それにしたって最近の取りあえず萌えみたいなアニメは買う気はおろか見る気もオキネ
多分懐古厨乙なんだろうがな
萌えってもんの定義は人によって違う筈なのに意図的にメイド=萌えだとか、ツンデレ=萌えみたいにして萌えを商品化した連中が、同様に売れない原因も作ってるわけだから同根の問題だろ
自分達のマッチポンプがうまく動かない理由を外部に求めても始まらないのにな
まあ、宣伝効果のプラスと売り上げ減のマイナスの兼ね合いなんだろうけどね。アニメの作風にもよるだろうし。
で、奇麗事はさて置き、nyは売り上げ的にマイナス面が大きい気がするけどな。
DVD自体が流れてるし、アニメスレ住人も少しでも高画質な職人のを落とそうとする。
で、良かったからDVD買うなんて話は終ぞ見たことが無い。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2005/03/08/6754.html
GONZOってLAST EXILE作ったとこだよね。あれよかったな〜。アルヴィスの動きの付け方には感動して興奮した。
SoltyReiは面白かったと思うよ!
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/859375.html
http://www.gonzo.co.jp/works/index.html
GONZOで面白かったアニメといえば、カレイドスター、巌窟王、クロノクルセイド……バジリスクは見てないが評判はいい。
アニメDVDが売れないのはGONZOは――とひと括りにできる問題ではないのだろうが、あえて述べるならば、全体的にアングラ的なセンスとオサレ感が濃いせいではないかと邪推する。華がある作品が乏しいのだ。DVDまで買いたくなるアニメとはインパクトある感動を実現したアニメであり、感銘と衝撃がある一線を超えたときにはじめてアニメファンの購買意欲は刺激されるものだ。それでなくてもアニメ企画の過剰化が叫ばれて久しいアニメ業界であり、これほど苛酷な環境の中で視聴者の思い出となって記憶として生き残れるようなアニメ作品を作り上げるのは困難を極める作業であろう。一過性の話題はあっても、長く記憶に残るような域にまでに感動が達した作品があるかと問われると答えに窮する。複数の制作ラインがアニメ会社としての強みではなく、戦力分散の愚を冒しているように感じられ、その点、常に話題に上るアニメ作品を確実に仕上げてくる京アニとは対照的だ。
また、一部こころないアニメファンから原作クラッシャーと称される制作能力も売上を減らしている一因ではないだろうか。先ずは批判を真摯に受け止め、彼らアニメファンが求めているものの本質を理解して、批判してきたファンたちを唸らせるような作品で見返す日がいつかくることを期待しながら、カレイドスターの新作が一刻も早く作られるよう心より願う。