2010-03-25

大宅映子

今日情報ライブミヤネ屋で、就職事情を取り上げていた。

なかなか就職出来ない学生を取り上げたり、エントリーシートの書き方や面接の訓練をしてくれる塾の存在を紹介したりしていたが、基本的なテンションは「就職難の時代である」と言うもの。

ゲストの一人である大宅映子は、就職出来ない学生についてその理由を「職を選ぶからだ」「自分に合う仕事を、と甘えているからだ」などと評していた。「食うための切実感が足りない」なども言っていた。

あまりに前近代的な考えかたである。いくら老人といえども、そのひどさに笑った。

大宅映子は評論家を称しているわりには、評論すべき対象のことをあまりよく知らないようだ。

この時期に就職が決まっていない人間は、すでに「選ぶ余地のない」人間がほとんどである。

大手に落ち、中小に落ち、ブラックに落ち、それでも職を欲しがって求職活動をしている人間が、この時期に就職が決まっていない学生なのだ。

彼らが就職出来ない理由はただ一つで、求人の総数が少ないというそれだけである。

少ないパイを大勢の人間で分け合っているのだから、そりゃあ分け前がいかない人間だっている。

甘えるな、取りに行け」と言ったところで、ないものを拾えはしないのだ。

もし評論家を称する大宅映子に存在価値があるとしたら、それは新しいパイ創造に他ならないのだろうけれど、彼女の老人的な頭ではそれはままならないだろう。

そうすると、単純かつ皮肉なことに大宅映子がそのすでに必要とされていない存在を消し、席を一つ譲るということが最善策に思えてくる。

若くて食えない評論家なんて一杯いるし、そういう人間に可能性を与えたら良い。

第一、テキトーな精神論しか言えない評論家に何らかの価値があるのか??

同じ論理で、企業にいる老人臭の酷い、古い価値観しか持たない人間も、さっさと辞めるべきだ。

「食えなくなるから」「他に何も出来ないから」という理由で企業にしがみついている人間ほど、大宅映子の云うところの「甘え」だろうに。

若者に席を譲ってもなお自分が食っていけるシステム創造し、あっさりを身を引くような老人は、しかし、残念ながら多くはいない。

システムを作れないのなら、システムを作る側に依頼したら良い。もうちょっと真面目に選挙投票しろ、と言いたくなる。(まぁそれは選挙に行かない若い人間にも同じことが言えるのだけれど)

個人も組織も、市民政治家も、言いたいことばかり言うけれど切実感が出ていませんねぇ。

甘えてんじゃねえぞ、大宅映子!!(と、同じような人間たち)

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