近頃日本脱出だの英語がどうの、という話題が一部はてなーで持て囃されている。
その背景には日本文化の軋轢に嫌気が差したり、日本の将来は墜落しかないと早々と諦観したりと、思惑は様々である。
今の日本社会は確かに、努力したからって報われるとは限らない、いや、努力して現状維持がせいぜい、向上など厳しすぎるものだ。
帰宅してからは価値があるかはともかく評価されるかも分からない資格取得や、休日には内緒での副業、娯楽を捨て、費用を切り詰め、その一方消費をしろと外野に言われ、個人レベルでの「生の充実」はどこかに行ってしまったようだ(こういう人ほど仕事を趣味に、仕事が生きがいに、それを他人にも強制する思考に陥りやすい)
日本社会は、やはり一度再構築されるべきだろう。平生の営みですら甘えと断ずる風潮は、廃されねばならない。
そして、そういうことに注目し、発言しているネットユーザーは案外多い。
しかし、一部のそれのベクトルには首を傾げるほかない。
日本社会は正しく修理を必要としているが、それは「誰もが満足する社会」の創造ではない。
やればやっただけ、しっかりリターンの得られる社会を目指すべきだ。
「努力しなくても生きていける社会」は幻想でしかない。生きたいなら、努力するのは当然だ。努力しなくても生きていけるのは世界に1%もいないだろう。
いつの時代だって、努力は不可欠な要素だ。それは根性論とか精神論とかの類とは無縁で、向上するには打ち込むしかない。その成果が大して現れないからこそ根性論と揶揄されるのであって、努力をしなくてもいい時代というのは、存在しないのだ。
農耕の発達以降、それまでよりは平均的な努力の量は減っているのでは。
そりゃあだんだん便利になってくるんだから、ひとつのことに注力する、その総量は平均的には減るでしょ だからといって、努力しなくてもいい時代が来るわけじゃない。 それは永遠...
うーん、本当かな。 例えばすべての作業をロボットが行うような世界になったとしても 人間の労働量は大きいのだろうか?
それは極論だね。 ロボットをロボットが修理する時代になっても、その枝を辿っていけば必ず人間がいる。人間不在の人工的な文明など停滞の後に崩壊するだけ。 そしてそれを整備す...
技術の極限と言えば人間のような知的生命体の創造だよ。或いは 2010のHALL。 みんな生物は機械じゃないと思っているようだが、生化学や生物工学を勉強する人間に言わせれば、人間だっ...
努力なんて眼に見えないもはの評価しようがない。成果を上げた人、競争に勝ち残った人達が幸せになるのは今でも大体そうだ。 真面目に単純作業を淡々とこなして生活が出来ないのは...
評価されるために努力をするんじゃない。生きるために努力をするんだ。自分の生活を満足させるためにね。人を使って自分が楽するのは努力なしに構築できる環境ではないし、12ドルで...
http://anond.hatelabo.jp/20100708205752の書き手より >ちなみに、上手くいっている社会では生活するのに努力なんて必要ない。 >評価されるために努力をするんじゃない。生きるために努力を...