はてなキーワード: 性風俗とは
http://anond.hatelabo.jp/20100917155349
全部ウソとは言わないし、全く創作とも言わないけれど、40代と思われる外見で特に美人でもないのにNo.1をはっているソープ嬢というと、よほどの技術がないとNo.1は無理。人柄だけではNo.1になれません。
「性の凄いテクニック」みたいなのってフィクションだと肉体を酷使する変な荒業だけど
実際にはそうではなく何か雰囲気と言うか謎のオーラのようなものだった。
変わった事はしないんだけど異世界に引きずり込まれる感じ。
みたいな、意味不明の描写はNo.1の熟年ソープ嬢の評価としては全くあいまいにすぎます。テクニックを表現できていなさすぎです。20代30代の嬢がかなりいて、No.2が美人のやる気のある20代なのに、それを凌駕する40代のNo.1ソープ嬢に、描写できるテクニックがないというのはちょっと考えられない。
嘘もお世辞も容赦もない世界で
40代にして周囲の誰よりも「この人とセックスがしたい」を集めてるのって凄くない?
あとここまで読んだ人は気付いたと思うけど、
おれはちょっとソープ行き過ぎじゃない?
最後の「ソープ行き過ぎじゃない?」がわざとらしくて、創作だと分かります。行き過ぎてないです。行き過ぎてるならもっとすれていることを書くもんです。だいたい、性的魅力が若さだと安直に考えている男がどれだけいるかというと疑問。「ソープ行き過ぎ」なわりに女性観が単純すぎです。
でも、こういうのはまだいいと思うんですが。はてブでこれに釣られてる人たちは何を考えてるんだかという点で問題です。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20100917155349
fromdusktildawn 風俗は病気リスクが怖くて行くつもりはなかったのだけど、こういう話を聞くと、40代でNo.1の人だけでも、1回ぐらい試しにお願いしてみようか知らんとか、心が揺らぐ。
きちんと避妊具を用意していれば、日本の本番系風俗で病気リスクを過剰に恐れる必要はそれほどはないと思うんですが(そもそも素人もかなり怖い。あなたの彼女や奥さんのことですよ)、「40代でNo.1の人だけでも」といった狭い了見では困ります。
増田を風俗嬢も少なからず読むかもしれないと想像して書くと、彼女たちの仕事は立派なサービス業で、勉強になることは相当にあります。風俗嬢だって一人の女の子であって、そういう前提で交流すると、性的サービスはそれはそれとして、勉強になることもあります。
その点で、私は、風俗嬢は仕事だから客を気持ちよくさせるのが当たり前、という考え方を共有するものではありません。彼女たちも人間だから、もし客の自分が気持ちよくなりたいなら、客といえどもいろいろ考えなければならないという、ごくごく当たり前のことを教えてくれる場所が風俗でもあります。この当たり前のことが、いまは分からなくなっていて、金を払っているのだから性的サービスを受けるのが当たり前だという考え方の男が少なくないようです。こういった傾向は実につまらないです。
風俗は、なにより、不条理です。しかし、不条理の世界のなかに自分はいるのだということを、直接に身をもって教えてくれるのも、性風俗の世界です。こっそりこちらの質問に答えて女の本音を教えてくれるのも風俗嬢たちで、風俗嬢が、同時に擬似女友達になれば、心強くなる場面すらあります。
そのためには、彼女たちと当たり前の人間関係を作らなければならないし、それでこそNo.1の嬢と楽しいひと時を過ごせるものです。
私は、ソープ嬢や風俗嬢を愛していて、素人の女性たちよりずっとまともな人であることが多いとひいきしているので、つい偏りすぎたかもしれないけれど、言いたいのはこれだけなんです。風俗嬢たちも女の子だから、たとえお金が介在するセックスでも、人間として交流してもらいたいのです。ビジネスとしてのセックスなんて興味ないという人を否定はしませんが、もったいないなあと僕は思います。ビジネスとしてのセックスだってセックスです。人間と人間の交流であって、ウソと演技の恋人とのセックスに安らぎを感じるより、ずっと本当だということも場合によってはあるんですよ。
増えてるよな。
実店舗は増えてないけど、デリヘルのHPをみるとビックリするほど在籍してる。
登録だけしただけとか、一回しか出勤したことがないとか、はたまた架空だったりするんだろうけど、それでもかなりの数だ。
高収入のアルバイトと謳った求人誌も増えてるし、明らかにAV女優の質は上がってると思う。
いったいどれほどの性風俗従事者がいるんだろう?
一度でも、金銭のやりとりのあるセックス(手コキやフェラのみを含む)をしたことのある女性はどれほどいるんだろう?
1000人に1人もいない気もするし、100人に1人どころじゃない気もする。
いい加減ちゃんと把握したほうがいいんじゃないかって思う。
だってさ、コンスタントに10人とセックスする人間がいたら、1人で10人の異性の恋愛や結婚を邪魔してるわけじゃん。
10人の男と10人の女の村があったとして、1人の女が全ての男と安くセックスしはじめたら、残りの9人の女に男は向かうかな?
向かったとして、金で女を現在進行形で買ってる男のアプローチを女は受けるのかな?
そのへんは個人の価値観の問題だからあんまり踏み込むのはどうかと思うけど、でも数次第だとけっこう無視できなくないかいな?
女の1000人に1人が風俗嬢でもたいした問題じゃないけど、10人に1人だったら問題だと思うけど。
あと、性感染症の問題。
まあ、これは脱線するから言及しない。
元増田です。
過去に、男女交際を全て禁じ、それどころかオナニーまで禁じ、でも性風俗は許容するような純潔教育が存在していたことを踏まえると、「純潔」という言葉に敏感なのも当然かと思います。
なるほど、しかし「純潔」という言葉は私が言い出したものであって石原が使った言葉ではありませんよ。にもかかわらず石原は叩かれた。
それに、私自身「自分自身に純潔道徳を課していた」みたいなことを書きましたが、増田以外のところでこんなことを言えば「童貞の負け惜しみ乙」とかへんな風に受け止められてまともに相手にされないのがオチですよ。少なくとも私が自分自身を律するためというためだけのあのような考え方でさえ、「そういう考え方があり得る」という程度にさえ受け取られないのが現状だということを考えると、単に宗教原理主義的な動きへの警戒というだけでは説明が付かないものがあると思います。
そしてたぶん、あなたは「自分で責任が取れるようになるまでセックスは控えておいた方が自分のためだよ。どうしても無理なら避妊しなさい。」にも否定すると思うのだけど、それに対する反論は以前書いたとおりです。
いや、その言い方は否定しないし(ニュアンスは違うかもしれないが)、「以前書いた」という「反論」が具体的にどの部分にあたるのか読み返してみても今ひとつわかりませんでしたが、自転車と危険レベルが同等とは思いません。
少なくとも都市部においては日常の移動手段として小学生ぐらいでも自転車を使うことに反対する理由は見あたりませんが、どれだけ「きちんと教育」したといってもたとえば中学生ぐらいがセックスすることがよいとは思えません。第一、あなたの書いたとおり「やるやつはやるよ。だって性欲あるもん」なのです。避妊をしなければいけない、とかそのあたりの自制心を働かせたり言い出したりできず、その場の流れで過ちをおかすことだって十分あり得るでしょう?中学生ぐらいって精神的にもそれぐらい未熟ですよ。教育や避妊手段の整備という議論自体には同意しますが、あなたやフェミはその効果を過大評価しすぎていると思わざるを得ないです。
そもそも、危険性では圧倒的に低い酒やタバコにしたところで、「酒はやめておいた方が自分のためだよ。どうしても無理でも一気飲みだけはやめておきなさい」なんて生ぬるい教育が通ると思いますか?そんなことないでしょう。要するに、どうしても、「性」だけは特別視したいというイデオロギー的なもの(という表現が適切かどうかはともかく)を感じるのですよ。あなただけでなくて社会全体からね。
いや、そういうことを言いたかったわけではないわけですが。売買春かどうかは本質ではありません。
そもそも、児童を直接的に性的対象とすることがなぜ虐待とされるかというと、未成熟であって性的主体たり得ない児童を直接的に性的対象とすることは児童の人格を蹂躙しているからということで、強姦や強制猥褻が本人の意志を無視していることで相手の人格を蹂躙しているというのと同一線上にあるはずです。逆に言えば、成人を合意の上で性的対象とすることが許されるのは、成人は性的主体たりうるとされているからです。
さて、そこで、世の中ではたとえば、高校卒業時の性体験率が半数近くという現状を問題視すれば保守反動扱いされかねないわけです。だとすれば中高生あたりを性的主体と認めるべきだという意見が主流であると考えてよいでしょう。しかしそうだとすれば、中高生を性的対象にすることは虐待ではないということになりますよね。これは論理的にあまりにも自明だと思いますが、違いますか。これはほとんど明らかなことなのに、どうしてそんな過激なことが主張できるのかというのがまず第一点。
そしてもう一つは、この問題をなんとか乗り切るとしても、その上で「児童性愛者は人間のクズ、まして実際の行動に出る奴は極悪非道の人非人で何の同情の余地もなし」というようなことを大勢の人は平気で言ってしまうのですが、それが怖くないのだろうかという疑問です。たとえば、現行法の運用みたいに「成人が未成年者を性的対象にすることは許されないが、未成年者同士は問題ない」とかして(これは「ごまかし」でしかないわけですが)なんとか第一点の問題を回避するとしても、たとえば19歳が17歳に欲情することは許すべからざる児童性愛であるということになってしまいます。少なくとも形式上はそうです。それが先のアメリカンジョークのおかしさです。もちろんそんな馬鹿なことを真に受ける人はいないでしょう。しかし、ここからもわかるように何が「児童性愛」であって何がそうでないかという境界は極めて曖昧なわけです。スローガン的に言えば「誰でも昔はロリコンだった」ということです。そして、いつまでが「昔」として許されるかはかなり微妙な問題なのに、児童ポルノ規制の議論ではそこがいつも完全に素通りされてしまっている。その結果、件の「サンタフェが児童ポルノか否か」という問題(同種の疑問は誰しも持つと思うのですが)にすら誰しも納得できる答えが出せないのに、一部の強硬な人を除いては「規制あるのみ、問答無用」で一致してしまっている。その意見が正しいか正しくないかというより、自分の首を絞めることになる可能性が誰も怖くないのか不思議でならない、それが第二点です。
説明が長くなりましたが、要は「グレーゾーンを無理に白と黒に切り分けてしまうことのおかしさやその弊害にどうして誰も気づかないのか、気づかないふりをしているのか」ということですよ。なんでみんな、この手の話が単純でもなんでもないことを見て見ぬふりをしているのか、あるいは本当に気づいていないのか、それがどうしても理解できないのです。
なるほど、前段の問題はまさにはてブで書かれているように、純潔教育という言葉の定義の問題ですね。
一般的に「未成年にセックスをするな」=「純潔教育」ではありません。
id:namelesscult 「セックスに関する全てを遠ざける」のと「自分で責任が取れるようになるまでセックスは控えておいた方が自分のためだよ。どうしても無理なら避妊しなさい。」と教えるのは全く別であり一般的に前者を純潔教育と呼ぶ
これが一般的な純潔教育の定義です。七生事件を見れば分かるように、本来必要出るはずの性教育すらも遠ざけるのが純潔教育です。
過去に、男女交際を全て禁じ、それどころかオナニーまで禁じ、でも性風俗は許容するような純潔教育が存在していたことを踏まえると、「純潔」という言葉に敏感なのも当然かと思います。
そしてたぶん、あなたは「自分で責任が取れるようになるまでセックスは控えておいた方が自分のためだよ。どうしても無理なら避妊しなさい。」にも否定すると思うのだけど、それに対する反論は以前書いたとおりです。
きちんと教育した上で行うセックスの危険性は、きちんと教育した上での自転車の危険性とそう違うとは思いません。できればコンドームだけではなくピルと併用した方がいいと思うし、モーニングアフターピルを導入すべきだと思うし、諸外国手は当然に使われている安全な堕胎薬を認可すべき(もちろん医師のみ使用できるとして)だと思いますが、それはまた別の話ですね。まあ、これに反対するのも純潔が大好きな方々なので、純潔には過敏反応するんだと思いますが。
さて、後半は「性的主体」である未成年が自ら身体を売ったのに、なぜか買った側だけが責められるのかという話ですね。
単純に言えば、日本は未成年がやるのは自由・売買はダメだけど処罰は買った側だけというパターナリズムを導入しているということですが、そこになにか矛盾はありますか?
もしかして、両方処罰されれば矛盾しないとでも。
未成年は単純にセックスをする程度の判断は出来るけど、自分の身体を売るほどの判断能力はない、ということでいいと思うのですが。
単純所持や二次に関しては、私もアグネスの立場には立たないので反論できません。別に脳みその中で誰を性的対象にしようが、自由だと思うし。けれど、三次元は別だということです。
同性愛は賛成だ。
が、しかし。
やおい的な二次生成物にも興味もない
なのに
なんで
豊国とか歌麿を彷彿させるような
いや彼らのポルノにも負けずとも劣らないというか
完全勝利を収められる程の、生まれた子供の背丈サイズの巨大な巨根を
お互い抱きしめながらうふふあははと無邪気に笑う男子二名に部屋を提供するという夢を見た。
本当、びっくりするくらいでかかった。
別にイケメンでもなかった。
その二人を見ながらコーヒーを入れてふつうに身支度して出勤するという通常。
これは何を意図してるんだろう。
何か病気なんだろうか。ちょっと心配になった。
ちなみに、自分の性別は、間違いが病院で認められていないからおそらく正しいと思うが、
女
だ。
無駄な消費をやめることになると、文化、芸術、娯楽が真っ先に衰退すると思う。
こういう分野って、へんな言い方をすると他の産業の成長の「おこぼれ」を貰って成り立ってるわけで、
社会に無駄な金と時間が余ってないと回っていかないんじゃないかと。
出版、音楽、映像、みんな金が稼げる仕事じゃなくなっていくと思うよ。
ネットのサービスが基本無料なのも、広告を出す会社があるから成り立つわけで、
衣食も、高級なところとか個性的なところは軒並みダメになって、ファストファッション、ファストフードばっかになるだろうし。
性風俗産業とか、クラブ、キャバクラ、スナックとかも全滅するんじゃないかな。
経済成長のない「持続可能な社会」って、エコロジカルで地産地消で、みたいなイメージがあるけど、
実際にはその前に不景気で地方は軒並み衰退して、大都市でないと生きていけないようになる上に、
すべての消費が個人の趣味嗜好ではなくて、必要性で選ばざるを得なくなるような社会になるんじゃないか?
ニッチ向け産業が成立しなくなって、マス向けの大量生産、大量消費だけが残ってしまうんじゃないか?
昔は性風俗が今と違ってゆるかったなんて聞きます。
その根拠の多くが文献ですが
しかし、本当にそれがその時代を映す性風俗である証拠はあるのでしょうか
たとえば、西暦2100年になって学者が1990年代の日本を調べていると、どうやら援助交際なんてものがあったらしいと、資料をあされば出てくるでしょう。
しかし1990年代の女子高生で援助交際をしていた人を、僕は知りません。
テレビなんかで騒いでただけです。
今現在の女子高生の性習慣なんてものを、普通に生活していると目にすることも無いです。
どこかでだれかがそう言っている。だれかが言っているのだから間違いない。
そんな曖昧な情報伝達が、伝言ゲームのように大げさに伝わっていくことがあって、事が大きくなると言うことは無いでしょうか?
日本はサムライの国、義理人情だとか、イギリスは紳士だとか、アメリカ人は陽気だとか
その国や地域、時代を表す記号やモノ、風習がどこかやらせクサイと思います。
おっせえ。駅まで送迎で20分近く待ったしドライバーの態度がわりい。なんかスタイルいいとか色々言ってもらってやぶさかではなかった。射精しなくても満足する人だった。かわいい女の子って感じで喋ってた。90分、スタンダードやね。
かわいいって50回くらい言われたけど自覚ないので結構覚めた。完全に仕事モードで、あえいでる女の子と自分が乖離した。途中でブルース・リーの「Don't think. Feel」って言葉を思い出した。90分。
話が盛り上がった。けど性風俗なのでいやらしいことをしないといけない。また会いたいけどこっちから指名はできねーもんなぁ。あと性的にはあんまりよくなかったな。人間むつかしいよねー。60分。
慣れてきたけど慣れちゃまずいわな、こんな商売。
ってことになってるけど、やおいを潜らせたい理由はそれだけなのかな。
女が積極的にエロいことを考えてるのがなんか嫌、っていうのもない?
男芸人はそうでもないけど女芸人の下ネタ(エロネタ)はなんか生々しくて嫌だし、
女性向けの性風俗は男性向けのに比べると少ないし。(女子だってお金払って適当な相手とお手軽にセックスかそれと同等のことしたいって思わない?)
百合だってやおいと同じくらい気持ち悪いと思うけど「隠れなきゃいけない」って言われてるのはあまり見ない。
でもやおいはやってる人たちも、外野も、隠れろ隠れろってことになってるのがなんか不思議。
ちんこは外に出てるけど、まんこは中に入ってるから??
2年ほど前に家庭内で色々とあって、自分の銀行の通帳と数着の着替えだけを持って家を出た。今から考えると、保険証とかがあれば少しは違ったのかもしれない。メンタルな物でないだけまだマシなのだけれど、持病の治療は放棄してしまった。もちろん保険適用外で医者にかかる余裕は無い。仕事があり、裕福とは言えないまでも日々の生活に困るほど貧困に喘いでいるわけではないし、住処はあって数ヶ月に一度は連休もある。本当はもっと連休をとっても良いらしいけれど、やる事が無いから数ヶ月に一度。
私の家族は、私の事をお荷物として認識していたように思う。事実、持病の症状が酷かった頃は完全にお荷物だったし、私が親であれば同じように「今まで使った学費を返せ」とか「ぶっ倒れても良いからフルタイムで働け」とか言いたくっていたかもしれない。でも、当時の私にはそれが苦痛だった。当時考えていたのは「これ以上親から罵られ続ける日々を送るのは堪え難い」という事だけだった。それならのたれ死ぬことになろうが、短い期間でも家族と断絶した生活を送りたかった。それだけで、少なくともその時よりは心穏やかに日々を過ごせると確信していた。
性風俗に関わってみたり、それより少しだけ一般的な仕事に移ったりとフラフラしつつ、今生きている。家を出たときに携帯電話は廃棄して、今はプリペイドの物を使っている。家を出たきり、一度も連絡を取っていないので、自分がどうなっているのか家族は全く知らないはずだ。今後、私から家族へ連絡を取る事はきっと無いだろう。手元には私がどこの誰なのかが分かるような物が無いから、仮に私がどこぞで死んだとしても、家族に私が死んだ事実は伝わらないと思う。
だらだらと無目的に生きる生活は、楽しいと言えば楽しい。職場の同僚と酒を飲んだり、常連の客と世話話をしたり。ただ、「今何をやってるのか」と聞かれると何とも答え難い。家族の中で否定され続ける事が嫌で家を出て、家族との関係は完全に無くなり、ひとまず当時の苦痛は無くなった。ほとんど何も持たずに家を出るという無茶をやったせいか、不思議とフルタイムで働けている。でも、もう少し若い頃には当たり前に持っていたはずの「一番やりたいこと」がいつの間にか無くなってしまった。仕事は生活のため。じゃぁ生活は何のためかと考えると、現状では「死ぬだけの覚悟が無いから」とかそれくらいの意味しかない。なんせ身分を証明できない状態だから何をするにもどこかでインチキしなきゃいけない感じで、そもそも出来る事が少ないし、その面倒臭さを考えると大抵の事をやろうと思わなくなる。
今何を望んでいるかって、それすら最早明確でない。自分の生活をどう改善したいとか思えなくなってしまった。眠って、そのまま目が覚めないような終わり方があればそれが一番なのかもなあ、と思う。今の生活は一日一日になにか具体的な苦痛を感じる事が無いとはいえ、これが延々とどこかで破綻するまでずっとループするのかもしれないと考えるとぞっとする。大きな希望や楽しみや目標が全くない、しかもいつか必ず破綻する事は確実な無意味な日常を、ただ延々と消化しているんだなあと考えると、明日にでも破綻するのが良いとも思う。
ただ、積極的に死を望んでいる訳でもない。そもそも人に迷惑をかけずに死ぬ方法を知らないし、知ったところでそれを行動に移す勇気もきっとない。家族から逃げたのと同じように逃避するのが精一杯だろう。
たまにふと、あの家から出て行かない方が良かったのではないかと思う事がある。当時は死ぬか家を出るか位の勢いだったのだけれど、今になってみると家族からお荷物扱いを受けていた事でさえ、家族の中に居場所があったという事と同じだと思えてくる。今の私はきっと、決定的に人から必要とされていない。家族のように、一度は前提として与えられる場所でなければ居場所は無いのかもしれない。
戦前の日本は特高警察による情報統制が行われ、表現や報道の自由が規制されたからだ。それらの規制の中で日本国内に戦争に向かう空気が醸成され、国民とマスコミが戦争を望むようになった。反対する人間は逮捕された。
その反省から、戦後にGHQと日本政府は警察組織を地方に分散させた。
しかし、1953年に警察法が改正されて、警察庁が国内の警察組織の中央組織となった。警察を抱えるには財源が足りないため、多くの各地方自治体が警察組織を中央政府に戻そうとした。
その一方で戦前の状況を知っている人達(その当時の多くの人、特に大都市圏)が大きな警察組織を作ることに反対したので、吉田茂内閣は国会内に警官隊を入れざるをえないような混乱の中で数ヶ月の論戦を押し切って警察法を改正した。
特高警察はアカを撲滅するということで、大きな力を与えられていたが、現代の日本でアカを規制する必要はないので違う対象が必要となる。
一つはテロだ。日本国民のほとんどはテロに反対だ。テロ対策のために警察は「共謀」を取り締まる法律を作ろうとした。実際にテロ行為を行う前に「共謀しただけで逮捕可能」という法律を通そうとしたのだが、あまりに対象範囲が広く、国会で法律は通らなかった。
児童を性的に搾取することは悪と日本国民のほとんどが考えるし、強く主張する人達も多い。
しかしながら、今回の日本の児ポ単純所持禁止は児童ポルノの定義が曖昧であり、いくらでも恣意的に適用できる危険な法律となっている。警察組織は愚かでないので濫用しないだろうが、簡単に別件逮捕に利用できる法律となっている。
戦前について話そう。
その日本が昭和になってファシズム国家に転落した最初の一歩は、特高警察による共産主義思想の取り締まりだった。その頃の日本にどれぐらいの共産主義者がいたのだろうか?
その一方で警察への監視が甘すぎるのではないだろうか?
パチンコ関連組織への天下りや性風俗店の恣意的な取り締まり、度々発覚する横領。
警察組織の腐敗は酷くなる一方で、共謀罪など都合のいい法律を通そうとする権力志向。
また軍靴の音を響かせる空気を作り出しては、戦前の二の舞となるかもしれない。
我々は先人の過ちに学ぶべきである。
ゲーム規制に待った。一方ソフ倫基準で規制してる業者「少女、生徒会、複数プレイ、逆レイプ」全て禁止
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1277244.html
という言葉をみて、「うぇっ」となった。
まあここの要素だけ見れば、また別だが、まとめて見るとなかなか壮観なものがある。
「HENTAI」という言葉の語源を目の当たりにした気がした。
日本は性風俗は世界各国の中でも盛んというが、二次元の世界もそれは同様らしい。
グローバルスタンダード(笑)的に考えれば日本はHENTAIなのに、
俺たち日本人はそれに気がつかなかったんだ。
気がつかないばかりか、その過激さを追求したあまり、自分たちのクビをしめていた。
規制に反対もクソもない。表現の自由を追求した結果が、これなんだ。
自業自得。
以下のようなエロ画像まとめサイトで黒人女性、具体的に言うと肌の色、
相貌などで黒人の特徴を持つ女性が出てくることはまずないと言っていい。
http://stalker.livedoor.biz/archives/51391462.html
画像をうpするほうも見る方も黒人女性が性対象としてかすりもしていないのは間違いない。
変態度、多様性では世界的にも類を見ない日本の性風俗、AV、エロゲの世界でも、
黒人女性が出て来るのを見たことがない。黒人男性は日本人女性の性対象になっているし、AVにも出てくるのだが。
外国に行ったことがないので分からないが、欧米だと逆にアジア人男性が白人、黒人の恋愛対象になることはまれな気がするし、
AVを見てもアジア人女性は出てくるがアジア人男性が出てくるのは見たことがない。白人男性と黒人女性の組み合わせは結構ある。
また、当然ながらネットで見かける「幼女」という用語に黒人女子は含まれていないだろう。
もちろん黒人女性が好きな日本人男性もいるだろうが、性産業の中でまず見かけないということは、
黒人女性は日本人男性の性対象になっていないと言っていいんじゃないだろうか?
まあ、これは単に「慣れ」の問題な感じもする。黒人女性を見る機会、接触する機会が増えれば自然と解消されるかもしれない。
欧米の映画や音楽分野で黒人女性を見ることはよくあるが、もっと身近な国内のCM、ファッション雑誌のモデル、タレントで
ただ、現時点では、日本国内の性的な魅力が求められる職業(性産業、タレント、モデルなど)に黒人女性が皆無に等しいということは、