はてなキーワード: 度外視とは
鳥山明の人気少年漫画「ドラゴンボール」に登場する悪役、宇宙の帝王とすら呼ばれているフリーザを頂点とする一派。
彼らの普段の活動について、主人公である孫悟空の兄ラディッツは単行本15巻71ページで以下のように述べる。
われわれ サイヤ人は
戦闘民族だ
環境のよい星を探し
そこに住む者を
絶滅させてから
適当な星を求めている
異星人たちに
高く売るのが仕事だ
当初はサイヤ人という種族そのものがそういう「星間貿易」みたいなやり方で外貨を獲得しているのかと思いきや、74~75ページですぐに否定されてしまう。
サイヤ人は もともと
少数民族だったうえに
巨大隕石の衝突で
爆発してしまったのだ
………
のこったサイヤ人は
おまえを含めても
たったの4人しかいないのだ!
彼らはたった3人で星を売買してるのか?というとそうでもない。
単行本29巻153ページでフリーザ直属のエリート戦士集団「ギニュー特戦隊」が、登場直前まで別の星「ヤードラット」を攻略中だったと明かされている事からも、フリーザ一派とはフリーザを頂点とする様々な星の種族の戦士達の寄り合い所帯のようなものだと推測される。言うなればフリーザは派遣企業の社長で、サイヤ人を初めとする配下の戦士達は派遣社員みたいなものか。まとめると「フリーザ一派」はおおよそ以下のような存在と推測できる。
スカウターという機械の存在もこの説を補強してくれる。スカウターとは主に任意の相手の強さを数値化し表示する装置である(他にも遠方の相手との通信機能などもあるようだ)。フリーザ一派の殆どがこれを装備しているあたり、携帯電話並みにありふれた存在と言える。
星を売る商売をしているとなれば、効率的に対象となる星の原住民を排除する必要がある。そのためには、投入する戦力は常に適性に配分されなければならないのは明白だ。地球のような脆弱な民族しかいない星に、ギニュー特戦隊のようなエリート戦士を大量に投入したり、もしくはエリート戦士でなければ対応出来ない屈強な原住民がいる星に下級戦士を逐次投入して人的損害をいたずらに増やすというのは無駄以外の何物でも無い。よって排除対象の戦力を正確に把握するデバイスがラディッツのような下級戦士にまで広く普及しているのは必然と言えるだろう。
さて、ここで気になる点が出てくる。
一つは、会話の中で触れられながらも「ドラゴンボール」作品中に最後まで登場しなかった存在。前述のラディッツが語った「適当な星を求めている異星人達」である。彼らの存在は非常に厄介である。なぜなら、具体的な姿が想像しにくいからだ。
考えてみると良い。フリーザ一派のトップであるフリーザおよび彼の一族は宇宙一強いと広く認知されている(原作では父親、劇場版アニメでは兄の存在も明らかになっている)。その配下の戦士達も、質、量ともに大軍団と言うべき規模を誇っているはずだ。はっきり言って彼らを止められる存在など宇宙には存在すまい。
であるならば、相手とまともなビジネスを展開する必要があるだろうか。
何せ星を丸ごと滅ぼして商品にしてしまうような戦力・組織力をもった一派である。顧客の星も有無も言わさず収奪してしまえば良いではないか。
二つ目の気になる点は「高く売る」という表現である。「売る」という行為は基本的に、手元の商品や権利などを相手に差し出し、それと同時に相手から対価をもらい受ける事である。では、惑星丸ごと一つと同等な対価というのは存在しうるのだろうか。
仮に「売る」が物々交換を意味しているのならば、対価は少なくとも以下の条件を満たすものである必要がある。
貨幣で売買しているシチュエーションはさらに難しい。フリーザ一派以外の誰がその貨幣の価値を担保しているのか、という問題からして解決不可能。
仕事中の眠気覚まし程度にはなったが、結局結論は出ずじまいだった。誰かスパーンとこの辺を解決出来る説を頼む。
単行本21巻の扉絵特集でフリーザについて「星を集めて支配するのが趣味」と解説が。利益とか度外視の道楽でやってんのか?
もしかしたら、星の売買は副業程度の位置づけなのか?
それっぽくしていないからだと思う。ブログ読者向けならもう少し言い回しを変える必要がある。
けど文章を度外視できる既存資料に関する情報纏めの方が上になるかな。同じ事書いても中学生の作文に見えない。
文章がお粗末でも資料を上手にまとめ上げてある方が文書としては非常に有用になるし、後々から見ても質がいい。
自分の思考を書き纏めるよりもそれっぽく見えるんだよ。あと単純に読んで貰いやすい。
でも著者の思想・解釈が入ると陳腐になる傾向がある。人間の考えなんか誰も求めてなくて、データーや要点纏めの方がいいって事だよ。
ハウツー漫画とか、思想がぼこぼこ入り出したら俺は切った。 いらないんだって著者の考え。ハウツーエッセンスがいいんだって。 どうしてもやりたいならエッセイ風にするべきなんだよ。読めたもんじゃないんだよ。あんなの。
↑とか書いたんだけど俺の考えとか聞きたくないって思うでしょ? こういうこと。ものすごいこと言う人いないからさ。
俺とか長いことメタブログやってるけど、読み返したら面白くないし、痛い部分だけで売っているって思うよ。
同じ内容でも面白くするなら文章を面白くするか、キャラを出すしかない。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-523f.html
http://d.hatena.ne.jp/rioysd/20090719/p1
http://d.hatena.ne.jp/kotorikotoriko/20090721/1248103972
本の制作に全部自分が関われば安い本を売ってもちゃんとやってけますよ。というハナシ。
ちょっと話題になっているみたい。そのとおりだと思う。でも、おれは出版の世界ってよく知らないんだけれどなんか遅れているなぁと感じてしまった。
音楽の場合だと、punkでもhiphopでもtechoでもなんでもいいんだけどインディーで、自分でレーベルやっている人たちってずっと前からこれをやっているんだよね?音楽だけじゃなくて服もアクセサリーでも雑貨でもどんなジャンルでもすでにやっている人がいる。ファンジンとかミニコミは利益度外視っていうところがあるから紙媒体はやっぱり違うのかもしれないけど、なんか今更だよなーという印象。(もちろんやればできたことをやったことが大切だということはわかってますよ)
http://anond.hatelabo.jp/20090714234233
ちょっと考えている事があるので、できれば意見を聞いてみたい。
同人作家のAさんはこのキャラを使って18禁の同人ゲームを作り、
採算を度外視してイベントで無料配布した。(年齢確認は厳密に行った)
しかし、ひょんなことから漫画のファンがこの同人ゲームの存在を知り、
その内容がどうしても許せず、精神的苦痛を訴えて配布停止を求めた。
いわく「この作品に現実の被害者は居ない。ゾーニングもしているし嫌ならば見なければよい。どうしても嫌なのであれば、あなたも批評などで対抗すべきだ」
さて、あなたは
1.ファンに同情するし、何とかしてあげたいと思う。
2.いちおう同情はするが、仕方のない事だと思う。
3.まったく同情できない。おかしなことを言っていると思う。
4.その他
どれに当てはまる?
ちょっと考えている事があるので、できれば意見を聞いてみたい。
同人作家のAさんはこのキャラを使って18禁の同人ゲームを作り、
採算を度外視してイベントで無料配布した。(年齢確認は厳密に行った)
しかし、ひょんなことから漫画の原作者がこの同人ゲームの存在を知り、
その内容がどうしても許せず、作品の人気が下がるリスクも承知で配布停止を求めた。
Aさんはおとなしくそれに従ったが、後に自分のブログで心情を吐露した。
いわく「自分はどうしてもあのキャラで、18禁作品で表現したい事があったのだ。
他のキャラではだめだし、全年齢向けでもできない表現だ。
それを奪われてしまった」
さて、あなたは
1.Aさんに同情するし、何とかしてあげたいと思う。
2.いちおう同情はするが、仕方のない事だと思う。
3.まったく同情できない。おかしなことを言っていると思う。
4.その他
どれに当てはまる?
※このエントリは最初「表現の自由vs原作者の意思」というタイトルでしたが、
適切ではないという指摘を受けたので変更しました。
トラックバックおよびブックマークで思ったより多くの意見をいただけた。ありがたい。
2番、3番を選択する人が多かったようだけれど、法律の観点からと
感情(原作者への気遣いやリスペクト)の観点からという違いがあったように見える。
4番もけっこう多いのは、はてならしいなと思った。
今回は前提条件の付け方が悪かった部分があるので
(選択肢を”同情するか否か”という形式にしてしまった事や、
Aさんの”奪われた”という表現など)
その部分に注意してもう一つだけ例を考えてみる。
もし興味があれば回答してほしい。
そう考えていくと、昔むかし、Win3.1(Win16)→WinNT/95(Win32)移行時や、
その昔の約5年毎にOSやマシンのアーキテクチャがガンガン変わっていた頃に、
「なんで互換性がないんじゃー」と、言いはしつつも数年で刷新できていたのに、
最近のWindowsXp依存や、64bit Windowsの普及が進まない理由が、
なんだか分かってきたような気がする。
あと、変にパソコンが業務用途に入りすぎたのも問題なのかなぁ。
昔のオフコン・スパコンなら、(ユーザは)採算度外視で、(メーカは)カモネギで、
大資本が総合病院やったから儲かるっていう類の商売でもないと思う。
そりゃあ小さな診療所でCTやMRIを入れようとしたら採算はとれないさ。
年に数回しか使わないんじゃ一回撮るだけで数十万請求しないとならなくなる。
かといって、大病院でも採算がとれるかっていったらね。やっぱり無理だろ?
あと、商売の性質上都心は向かない。
田舎でやる場合の倍くらい客を捌かないと損益分岐点に届かない。
スタッフの数が5倍になったら捌ける頭数が5倍になるかっていったら、どうだろうね?
スケールが倍になったら仕事の効率は倍以上になるってのがスケールメリットなんだろうけど、そうはならんと思う。
大資本の総合病院ってのは机上論では素晴らしくても中の人は大変だと思う。
そこそこ稼いでそれなりの人生を送るもよし、稼いだ金で採算度外視で高度なことをやるもよし。
腕さえよければ、多少遠くても通ってくれるよ。
まあ、大都市圏は大資本がペットショップ併設の予防治療専門とかいう動物病院でフィラリアとワクチンとノミダニ避妊去勢と美味しいところをもっていくって構図は続くとは思う。
大衆から広く薄くインカムを獲得するのは早晩無理になるでしょうと。
ただパトロン方向に行くかと言えばそう言うものもあるけど
それなりに狭く、それなりのインカムを得る方向に行くのかなと思う。
(オペラとか歌舞伎とかある意味そうなってないかという気もする)
創作の可能性が広がる……かというのに対しては
必ずしもそうでもないと思う。結局のところ真に自由な創作できるのは
コストや社会的評価を度外視できる人だけであるのも事実だから。
ただ長いスパンで見るとどうなんだろうねぇ。
また揺り戻しが来る気もするんだよなぁ。
大衆の側に引きつけておこうという動きもいくつかある。
それはそれで仕方のないことでもあって。
妙に危機感を覚えるよりは増田は件の妹を
増田のように苦労している教師もいれば
こんな低能ぶりで金もらえるのかよって教師が蔓延ってる地方中学もある
まず、予定と金の管理が驚くほど適当。
絶対にこれを一般企業でやったら許されないってのが学生の自分にもわかるレベル
前提がそれなので、まともな授業は展開していないらしく教科書も全部網羅できてるのか怪しい。
この辺は本人がアホなだけの説もあるが、
それを度外視しても、定期テストの平均点はとても悪く外部のテストの平均点は目も当てられないので
勉強ができない側の学校であることは確か。普段がそんなだから進路指導なんかもまともなわけもなく適当
オマケに行事も適当。毎度毎度やっつけ感がすごいらしい
それなのにやたら残業してる。なにしてんのかよくわからん。非効率で時間がかかってるだけなような気がする
でも勤務時間だけで見ると結構長いから、「忙しくて残業多くて・・・」ということをほのめかすんだってさ
椅子があるかどうかってことと、スキルの有無がハードルになることは別だろう。
今の状態は「彼らのスキルに見合った椅子はないし、当面椅子はでてこない」でしかない。
おまえが言っていることは、「スキルを度外視すれば、オファーは無限にある」という仮定から、「どんなやつでも押し込むことが出来る、出来ないやつは怠慢」と断言しているだけのこと。
さあどうだろうなあ。極論を言えば「ムショがえりでも仕事につけるはず」とはいえるが、その仮説が現実に成り立っているかどうかは、おまえの大好きな現実を見ればだ。おれは見たことがないので良く知らないけど。
必死になって怠慢だ怠慢だと叩いて憂さ晴らしをしているのだろうけど、「スキルに見合った椅子取ゲーム」という点では皆同じじゃないだろうか。まあおまえが参加している椅子とりゲームがどれほど低レベルかも知らないし気にかける必要もないのだが、状況次第で脱落するときもあれば引っかかるときもある。現実とはそういうものだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20080820091147
います?同人活動もうすぐ10年くらいになりますけど今だかつてそんな人にお目にかかった事がない。大学時代は漫研に在籍してたから同人やってる知り合いの数なら年上年下問わずかなりいるんですけど、もちろんイベントで知り合った人も。オリジナル活動ですがコミケに手伝いに行ったりしますし。一応活動年数の半分以上はまだ二次創作時代に当てはまります。それ読者とかじゃないんですか?
同人嫌いを表明してる原作者って僕が知ってる限り数人いらっしゃるんですが、そんなバッシングするような人いましたっけ?規制した出版社って小学館とかですかね?確かコナンとかポケモン(は任天堂か)とか?『同人で宣伝してやったのに!』?その作品宣伝する必要あるんですかね?超人気ですよね?まぁいるのかも知れませんね『俺の同人のおかげでポケモンが・・』とか思ってる人が。僕は見たことないですが。
あとは「同人者だってファン=神様。ファンを大事にするのは当たり前。だからファン活動である同人を認めろ」と言うモンスター同人者とか。
そりゃ昨今増えたとは言われてもそんなに遭遇率高くないモンスターペアレンツと同じかそれ以下の人数だと思うんですけど、どうでしょう?そもそも『認めろ』とか主張してる人に出会った事が無い。あなたはあるのですか?ネットの掲示板とかだったら同人者じゃないかもですよ。
その感情って読者としてじゃないんですか?同人もはや関係ないじゃないすか。例えば好きなキャラが死ぬ展開とかだったらそりゃファビョる人の一人や二人いるでしょう。自分のが上手い云々は只の世間知らずでしょ。生暖かく見守ってあげましょうよ、大人になれば気づく事ですし。風の噂でクリムゾン氏が冨樫より俺のが上手い(どーん)と言ってたと聞いたことがあります、確かにあれは殺意が沸きますねw
それ誰の話ですか?あなたの友達ですか?確かにいますね、高校時代そんな感じの友達と口論した事があります。同人・・・・関係あります?
「本当に大切に思っている作品は同人には出来ない」と言う話もよく聞くよね。
まあそういう自分も「本当に大切に思っている作品は同人には出来ない」し、そういう作品の他人の二次創作も見たくないんだけれど。
(我ながら物凄いダブルスタンダードだけどそれが本音だ)
あ、これは解ります、すごく。僕も思い入れのある漫画のエロ同人とか興味ないですねぇ。僕の場合、同人始めた頃は好きな作品で同人誌描いてたけど自分の絵柄に合わなかったり、思い入れがあるゆえに自分で話が作りづらいなどがあってオリジナルに転向したって感じです。元からオリキャラ描いてたりはしてましたけどね。
っとすごい勢いでレスしちゃったんですけど。むしろもっと聞きたいんですけど、一番聞きたい事が
『あなた何者?』
いや、失礼な意味でなくどんな人物なのか気になるって事です。
ここは「同人よく知らない癖に批判すんじゃねーよ」と言う人をちらほら見かけるけど、
この文から推測すると同人描いてる人なのかなぁ、と最初思ったんですけど。『自分も「本当に大切に思っている作品は同人には出来ない」し』って発言がいやに気になります。一応、貴方が同人描いてる人って前提で話進めますけど。じゃあ貴方『なんで同人描いてるの?』むしろ『なにを描いてるの?』二番目に好きな作品で描いてるの?そんなに好きでも無い作品で描いてるの?それとも僕と同じでオリジナルを描いてるの?オリジナルだったら『そっかそっかお互いがんばろーね』で終わるんですけど。よく知ってるって発言から二次創作やってる人だと僕は勝手に思ったんですけどあってます?好きな作品じゃない題材でイラストとか漫画描いて楽しいんですか?イラスト好き漫画好きなんて基本的に好きなものだけ描いて育ってきた奴らばかりだと思うんですけど、貴方は違うんですか?
さらに貴方はこう言う。
そんな原作破壊、侮辱とまでネガティブに考えられる事続けられるの?罪悪感に押しつぶされそうになりながら漫画描いてるの?そこまで思いつめてたら漫画描くなんて労力のかかる事できないと思うんですけど。『と言うのが長年の二次同人者の間の共通認識だと思っていたけど』うん、それもう僕が言いました。繰り返しになるけど言う所が言えば即撤退、ほとんどの人がそういう認識。
なんか貴方の発言と同人誌描いてる貴方が重ならない。ダブルスタンダードとかそういうレベルじゃなくて辻褄があわない。どういう方なんですか?是非教えてほしい。
僕はこう言う人。僕の一番最初の二次創作は覚えてる限りでは小学校1年生の頃のドラえもんの絵。周りの人が上手だって褒めてくれて、だんだんいろんな物を描くようになった。ドラゴンボールもよく描いた。その内同人誌即売会と言うものがある事を知って、同じく絵が好きな友達と拙い絵で本を作って持っていった。友達が増えた、好きな作品を語り合ったり絵を見せっこしたりする人が。同人やってる人のほとんどがこれと似たり寄ったりな感じ、断言してもいい。そして目的は今も変わらない。儲け度外視とかヤケクソみたいに言わないでほしい。そんな事と別次元の衝動でほとんどの同人描いてる奴は動いてる。崇高な理由だと言ってる訳じゃない、だって自己満足だもの。イラスト描くのが好きなんだもの、漫画描くのが好きなんだもの。
疑う訳じゃないけど貴方本当に同人描いてる人?そんな考えで二次創作疲れない?オリジナル楽しいよ?こっちに来ませんか?
追記に対して:
あと、前半の言い方はP2P批判に対するP2P厨の言い分そっくりだよ。
P2Pも別に自分が被害受けてる訳でもないし、わざわざアンチサイト行って糾弾するほど暇でも若くもないけど、
だからと言ってP2Pを正当化する事は出来ないよ。(そういや、中には合法なものもあるよ!と言う言い訳が定番なのもP2Pとそっくりだよなあ)
ぜんっぜん当てはまらないんですけど
『二次創作を売っている事が黒(一応判例はないのでいまのところグレーらしいがオリジナル作品の俺には関係ない)だって知ってる、だけど儲けてない人もいるんだよその人達はいいじゃないか』って論法だったら当てはまりますけど。そうじゃない、そもそも正当化しようとしてない。最初にトラバした増田や同人批判派の同人誌描いてる人達のイメージがあまりにも少ない部類(確かに売れてるから目立つけどさ)でそれが同人やってる人達の顔みたいに言うから・・・。
『いや、そんな人ちょっとしかいないじゃん。あんた達同人で儲けてる人が嫌いなの?同人描いてる人が嫌いなの?』って言いたかったんですよ。
すいません、解りづらくて。枕に顔うずめてジタバタしてきまーす。
ジタバタジタバタ・・・あれ?前半って僕の痛い思い出の話?ん・・?余計当てはまらない・・・どういう事だろう・・・ジタバタ。
「みんなはひとりのため」を外した「ひとりはみんなのため」が暴走するとアレなことになる、という話です。
暴走したときの危険を根拠にして元のものに倫理的な問題があると説くのはどう考えてもフェアではない。大抵なものは暴走したら有害に決まっていて、それは有用なものほどそうだ。問題は暴走のリスクがどれだけあって、それをどのようにすれば抑制できるかということであって、暴走の理論的可能性ではない。
これを度外視したこの批判は、類型的なレベルの低い原子力批判のようだ。原子炉が暴走したら確かにチェルノブイリのような悲劇が起こるには違いないが、チェルノブイリには機械系にも人間系にも、日本では存在しないような構造的な問題があって、それがあの事故の発生に不可欠だったこともわかっている。しかしこの種の原子力批判はそういうことを考慮した上でリスクを定量的に評価しようとは考えず、ただただ情緒的に危機を煽る。
率直に言って、今回の件でトリアージ批判をしている人たちには同様の危うさを感じる。有り体に言えば、数式や統計が苦手な人が、定量的な判断を回避して情緒に頼るという反知性主義的後退だ。
そして現実に、倫理的な二重拘束において自身の選択や行動にひいては存在に過剰に苦しむ人が、ことに若い人にあるとき、その枷は解き放っていい、時に無用な苦しみでしかないのだから、と私は言いたくなることがあります。少なくともそれは学問するとき無用な枷でしかないこともあります。しかし、資源の有限性を前提とする経済的な合理化がそのダブル・バインドを倫理的な枷を解き放ったとき、かつてSSの無法がまた関東軍の専横が横行したことも事実です。
学問やってる人間をなめないでほしい、と正直思う。学問をやる上で基本的なことは、自分が何を前提においているかを意識することだ。仮に、倫理的な前提を度外視して最適解を求めるのが経営学だとするなら、そのこと自体は価値中立的なのだ。その解を無批判に現実に適用しようと政治的に動いた時点で、はじめて問題が生じる。
このことは進化論と優生学の関係を考えればすぐにわかるだろう。進化論を安直に理解すると(事実記述と価値判断を混同すると)直ちに優生学的な判断に至る。そして、優生学を嫌う人道的な気持ちが創造科学という反動を産む。まさに悪夢だ。本当の悪は「事実記述と価値判断の混同」であって、進化論じたいではないのに。
実際のところ、こういう「最適解」を現実に直ちに適用するのは学問的手続きとしても粗雑なものとしてしか扱われない。学問上の前提の倫理的判断という必要な手続きが省略されているからだ。
HALTANさんを「あたまがわるい」とは、多くの人がまず思っていない、むろん私も思っていない。fuku33さん個人が叩かれて然るべきであったとは私自身は思いません。
それが正しいと思う。だが、実際に福耳氏やHALTAN氏の上に降りかかったリンチはいったい何なのだろう。これこそファシズム、軍靴の足音と考えるのは私だけだろうか。