はてなキーワード: ブログ界とは
はてなやブログ界隈を見ていると2次元規制に反対する立場が優勢に思われる。それを見てると2次元規制っていうのは一部の馬鹿げた団体が暴走しているだけで、法律として成立することなんてあり得ないように思えてくる。
ところで皆さん覚えておいでだろうか。
「漫画・イラストも児童ポルノ規制対象に」約9割──内閣府調査 - ITmedia News(2007年10月25日 22時16分 更新)
アグネスチャンが何か言い出す前から、世間の人たちは規制に乗り気である。政府もわざわざこんな調査を実施している。自民党と民主党がこの件について特に何か言ってるかどうか知らないが、有権者=世間の人たちの動向に歯向かう動機は薄い。マイクロソフトやヤフーといった有力企業が賛成を表明しているが、反対を表明した企業は寡聞にして知らない。
この世界で孤立しているのは、はてな民をはじめとしたモノ言うネットワーク住民の方だ。ためしに家族にでもきいてみるといい。表現の自由や保護法益なんて言葉はリアルワールドには存在しないんだから。
ブログ界には、俺様は達観しているんだ、と見せ付けたがる中年が多いなあ。
だけど達観しているつもりのはずなのに、若年者のちょっとした攻撃で陥落したりして、
その後は砂漠化していることもあったりする。
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080225/1203946191
別にはてなだろうがアメブロだろうがヤフーだろうがモテるブロガーはモテると思う。どんなサービス使ってても、貧乏そうだったり、仕事できなさそうだったり、オタっぽかったり、性格が面倒くさそうなのがにじみでてるようなブログではモテるはずがない。自分で非モテとか言っちゃう時点でダメだと思う。他の女の子が誰も相手しないような男にわざわざ興味もてないよ。
美味しそうな食べ物とか、おしゃれな映画や本や音楽の感想とか、日々の仕事とか生活のことを淡々と普通に書いた内容に、ちょっとキレイな写真がついるようなブログには、それなりに女性ファンがつくように思うけど。お金持ちで優しそうで普通に社会に適合できて生活楽しんでそうな感じの男の人ってブログ界に少ないから。
はまちちゃん こんばちわjmatzさん。 ぼくはまちちゃんです。 ……どうもお灸が効き過ぎたようです。 DISり返すと言うは本当に難しい。 この責任の一端は私にも有るでしょうし、 何かしら責任を果たさないといけないでしょう。 とりあえずRailsはぎりぎり及第点。 もし本気で勉強したいのなら私が教える、と言うのも有りでしょう。 かつてmixiのセキュリティ上の脆弱性を発見し、 「ぼくはまちちゃん」事件を巻き起こした私が。 もしブログ界でdankogai並か、 それ以上になる気が有るのなら教えましょう。(mixiハックを) その代わり私は厳しいですけれど。 教わりたいと言う旨のメールを貴方から届き次第、 時間を割き課題とか考えて返信します。 Rubyファンやセキュリティ過敏症者の為、 短期間で上達したいのなら検討してみてください。 端から見て胡散臭いのも確かなので無視しても一向に構いません。 私も余り暇ではありませんし。(Joelの本読んだりとか) 長文乱文失礼致しました。
つけられているタグやコメントで、「同意」とかならまだいいけど、
「すばらしい考察」とかになるとほんとかあ?と思うし、
「誠実な*」になると、どこみてんだ?と思うし、
「うつくしい文章」とかになると、はははははああ?になる。
たまに民放のアナウンサーが庶民の代表のふりをするな、とか言う人を見かけるけど、
ブログ界にもその手のアナウンサーがいっぱいいるんじゃないかなあ。
これはタグやコメントをつけたひとではなくて、元記事を書いた人が、ということだけどね。
というのかね、本人のスタンスがぼんやりとでも見えているのならいいけど、
どうもそうではなくて、何かに寄生するかんじのブロガー。
寄生するのがすでにアルファ狙いのコツかもw
アルファブロガーアワード2007の受賞発表が終わったようですね。
ノミネートブログは今回初めて知るブログも多く、面白そうなブログのいくつかをRSSリーダーに登録しました。
当イベントのサイトによると、”「アルファブロガー」とは、多くの人に影響を与えているブログの書き手のことです。”、とのこと。
まさに多くの人に影響を与える可能性のあるブログが多数集まったのではないでしょうか。
是非今後とも継続してほしい、有意義なイベントだと思います。
先だって開催されたRTCカンファレンス「ブログ限界論」に端を発して、アルファブロガーアワードが「ブログ界隈」の有名人たちによる内輪イベントではないか、という批判があったようです。
http://realtimecontext.com/modules/eguide/event.php?eid=31
内輪だったかどうかは別として、ノミネートされたブログ、受賞したブログはいずれも質の高いものであり、このイベントは十分その目的を達成したといえるのではないでしょうか。
一方で、授賞式参加者がブログで、やはり内輪色の強いイベントであったという感想を述べています。
・「アルファブロガー・アワード2007」という内輪のイベント
http://d.hatena.ne.jp/Paul3/20071207/p1
私は参加していないので、実際の授賞式が内輪的であったかどうかはわかりませんが、授賞式が内輪的になってしまうことは容易に想像できます。
アルファブロガーアワードといえば、ブログ界隈のメインイベントといってよいイベントでしょう。当然、その授賞式にはブログ界隈の著名人、もしくはそのフォロワーといった方が大勢集まることが予想されます。おのずと参加者のほとんどは顔見知り状態となり、会場では「やあどうもどうも」といったやりとりが行われます。
しかも会場も西麻布のオシャレなイベントスペースだった模様。やや薄暗いクラブっぽい雰囲気のなか、ブログ界隈の著名人&フォロワーたちが賑やかに談笑する姿が目に浮かびます。
そのような状況のなかで、初めてこうしたイベントに参加した人は、顔見知り同士の「業界人」が集まる場違いなイベントに来てしまった、と感じてしまうのは避けられません。
では、どうすれば内輪的にならなかったのか。少し考えてみました。
1.会場は100名程度収容できる会議室やセミナールーム的な場所にする
2.授賞式は参加者同士が交流する場にしない。プログラムは次の流れで淡々と進める。
閉会
3.閉会後は会場を変えて、自由参加の懇親会を行う。ゲームなどは懇親会で行う。
このようにすれば、懇親会では内輪的なムードになったとしても、授賞式そのものは内輪的にならず、アルファブロガーアワード全体の印象が内輪的となるのを防げたのではないでしょうか。
退屈な授賞式になりそうですが、授賞式などというものは大抵退屈なものです。
ところで、主催者の方がブログで今回のアルファブロガーアワードについての思いを述べられています。
http://blog.tokuriki.com/2007/11/post_303.html
これを読む限り、イベント開催の意義を感じているが、興味は感じていない、という状況のようです。主催者はイベントの継続に義務感を感じているのではないでしょうか。
興味を失いつつ、批判をあびつつ、お金にもならない。これは非常につらい状況です。志によって継続するのではなく、ビジネスとして継続するほうが、主催者個人にとっては精神的に楽なイベントとなるかもしれません。
彼の言ってる内容についての評価は保留として。
わからないのは、叩く側が、彼と「同じ程度のレベル」と認識するであろう意見はネットにはいくらでも溢れている、というか、一番叩きの強まる歴史問題では池田氏の意見は全然先鋭的なものではないし。それに、ここでは便宜的に左右陣営と言わせて貰うが、池田氏を叩いたところで、これ、左側の戦略としてみると明らかに費用対効果マイナスだろう。エントリ上げられるたびに祭りのように叩かれてるこの状況、全く意味がわからない、というか、他の話題だと、全然そのエントリには関係ないのに、明らかに叩きたいだけ的なのがいっぱいいるし、ここまでになる池田信夫ブームって一体何なんだろう。
で、私自身は、池田氏のブログはブログ界全体で考えれば、相対的には全然レベルの高いところに位置すると思ってるので、正直、読み手としては、昨今の池田ブームを迷惑に思う。私は、いくら実名者のブログだからといって、そこまで信頼性を求めないし、信用もしない、ただ実際のところ、「池田信夫を信用する人がいるならば」相対的には他の変なブログを信用されるより、全然マシである、それくらいのレベルは保証してよいものだとは思う。
というわけで、ちょっと静かにしてもらえませんかね、と。まあ、池田氏が潰れないという変な信頼のもとで叩いてるのかもしれないけどね。それとも、池田氏のネットにおける影響はマイナスの方が大きいと判断しての事なのかしらん。
糞ブログは消えるべき。
他人に悪影響を与えるブログは消すべき。
糞は何をしようと糞なんだから、即刻ブログ界から消えるべき。
周りに糞をまき散らすな!
糞を見つけた善人が通報して、糞を片付けてくれた。
gooの対応は素晴らしい。
糞をそのまま放置しない、その対応こそが素晴らしい。
一方、はてなはどうだろうか。
はてなは糞を歓迎する。
糞を招き入れるようとする。
糞は糞同士仲良くなりたがるのだ。
まさにっ、お似合いっ……!!
だが、その集まった糞を周りにまき散らすな!
もう一度言おう。
gooの対応は素晴らしい。
はてなも糞を排除すべきだ。
だが、はてなから糞を排除してしまったら、ほとんど何も残らない。
だから、周りに糞をまき散らす行為はやめ、静かにしてろ!!
隙間に落ちた人を救う
=> 弱者への視点を持っているかのように振舞うが、高みからの見物だぁ
誰が言ったかは関係ない、反駁すればいい
=> 俺が言うことは真理だから反論無用ぁ
俺は独立独歩の高潔仁
=> 俺に仁義を示せやぁ
これは高度に一般化された論である
=> 具体的に批判されているのは一人だけぇ
そんなつもりは毛頭無い心の中を勝手に読むな
=> 僕の書き方が悪いんですと謝罪して見せるが、右向いてべーと舌を出すぜぇ
息をするように嘘を言う
=> ・・・
ブログでは普段着られない衣を着たがるが、動き回ると着慣れていないことがばれてしまう。こんな高潔な規範を口に出していえば信じてもらえる僕はブログ界の星だな、なんて自惚れしているけど自分はドロドロのヨゴレ。衣から染み出しちゃっている。
マルコがんばれ。
先日カート・ヴォネガットが亡くなったことで、「はてなダイアリー」の「ice9」について思い出した。
はてなに入って、よけいにインターネットとはどういうものか、つきつけられたような気分になった。ぼくはニフティが嫌いだったのでインターネットが好きになれたんだと思っていたけど、今、インターネットで一番注視されて、仕組みが強化されているのが、ぼくが嫌いだったところばかりなので、嫌だなあと思う。
話はちょっと変わるけど、ekkenさんは倫理の話をしているようにも見えて、実は論理的な矛盾についてしか話していない。なぜだろう。
ekkenさんの「他人の俺ルールを指摘しつつ自分の俺ルールに気付かない罠」というような言い方は、最近のはてなでよく見る気がする。つまり、はてなの言論は、相手が論理的に破綻しているということをいかに言うかというゲームに近づいてるような気がする。相手の言ってることをメソッドメソッドと言って、議論をパターンに落とし込もうとするのも、一部はこれが目的になっているものがあると思う。
まあ、ぼくがこういうふうに書いているのもパターン化しようとしてるじゃないか、と言われると困るんだけど、うーん、それはトートロジカルだからパスということにさせてもらいたいなあ。
なぜ論理的な破綻を指摘するのが専らになっているかというと、はてなというブログで行われる「議論」の上では、倫理という不確かな基準は邪魔なので、かなり早い段階で捨てることが可能になった*1からじゃないだろうか。
倫理という、いかにも相対的に成り立っていそうな基準を残すと、「どっちも正しい」または「どっちも正しくない」と言い得てしまうから、基準として使わないことにした方が議論は長持ちするし、面白くなる。それと、結論(勝ち負け)が作れる。それともう1つ、論理的な方が勝てる。
でも、議論のために倫理基準を棚上げするのは、論理的な間違いがないかどうかだけで消去法的に「正当性」が決定されていく危険性があって、今のはてなには、ぼくはそういうものを感じる。それは開かれた言論とは違うと思うし、イヤだなあと思う。
ekkenさんは、たとえば「お前のやっているのは下劣なことだ」とか、そういう倫理的な領域しか持たない言い方だと、ヘタをすれば目糞鼻糞みたいなことになっちゃうから、そういう言い方はしない。だから、相手のやり方自体がいい悪いとは言いませんよ、と断った上で、矛盾の指摘を行っているんだと思う。こうすると、「相手は非論理的であり間違っている」という、別の話になる。ついでに「自分は論理的で正しい」とも言える。相手の非論理性を指摘できるほどに論理的なんだ。でも、これって議論というものになっているんだろうか?ぼくは議論とか論争とか、討論とか、そういうのに疎いのでよくわからないなあ。少なくとも、意見交換にはなってないよね。お互いにとって。
本来なら、倫理は基準が曖昧であるからこそ、それにかかわる話はむしろ慎重にしなければならないし、「結論」を導き出すのを避けてもいいはずと思う。倫理を論理的な問題に置き換えることは、議論のための議論ではうまくいくけれども、本来の目的が相互理解とか意見の交換だとすれば、そういう方法が有益かどうかは疑問だ。*2
そもそも、論理だって結局は倫理や感情から乖離して築かれるわけじゃないから、この考え方はとても歪だ。そして、はてなにおいて特に発達してしまっただけの理屈なので、どこでも通用するわけじゃない(どこででも通用する理屈などない)。だから、外部とはてな内を容易に繋いでしまうはてなブックマークは、その倫理について外部から批判を浴びやすいし、擁護しにくいのではないかと考えられる。
しかし、ここで先に、断っておいたほうがいいと思う。ぼくはこれから、ボコノン教が、はてなにはびこっている思想より優れているから学びなさいとか、逆に、はてなに見られる思想の中身が、ボコノン教の教義とそっくりで、つまりはてな「こそ」がカルト的なのだとか、そういうことを書くわけじゃない。「はてなの連中は、カルトと同じだ!」などと、読者に対してセンセーショナルな書き方ができれば、ずっとこの話は簡単だろう。しかし、そういう話ではないんだ。
さて、本題に入るために、物語からボコノン教に関する部分だけを取り出してうまく説明することができるか、やってみよう。そんなことができるか、わからないけど。
結局、「連帯」なんて、どういうものであれ、「無意味」なのである。「連帯」に限らず、本来、コミュニケーションというものを論理的に突き詰めるならば、だれもがみんな、別の誰かから見ればカルト教団みたいなものなんだ。どこにも了解できる真実などなく、全員が、それぞれにとっての真実を持っている。コミュニケーションとは、わずかずつルールを積み上げて、お互いを把握していく作業だ。もちろん、どちらが正しいかを決めるゲームなんかじゃない。
ところが、はてなでは、単にはてなで築いてきただけのルール=常識を、いきなり他者に適用しようとする人が多いように思う。重ねて言うが、自分の意見が正当かどうかは、分からない。確認のしようは、どこにもない。論理的というのは、本来そういうことなんだ。
それなのに、相手が自分と同じルールを了解していないことを、「客観的でない」態度であるとして退け、そこに議論での優位性を訴えたりするのは、まさに「客観的」ではない。それは「客観性A」とでもいうような、限りなく不確かな視点だ。
ああ、どうして自分が正しいなんて、言わなくちゃいけないんだろう。自分は理性的で論理的だなんて、言うんだろう!自分のほうが一般的な考え方をしているとか、法律に適っているのは我が方であるというのは、「相手が間違っている」と言いたいだけじゃないか。突き詰めれば理性も論理もない、という深淵を覗き込まず、いつも相手だけが感情的なのだ。
やっぱりこれは、末代祟る、恐ろしい呪いなのかなあ?
はてな以外のブログサービスでは、触れあわない人たちは、ほとんど触れあわない。検索エンジンなどによって、ネット全体という括りか、狭くてもブログ界隈という括りでまとめられる。だから、サービス内部のみでのコミュニケーションの契機は、はてなほど頻繁には発生しない。昨日書いた、mixiの話にちょっと近いと思う。つまり、お互いに分かり合っていないということすら認識せずに、そこにいる。
はてなには、ぼくが知っているだけでも、キーワードがあり、「おとなり日記」というのがある。ユーザー同士を言葉で近づけようとしているってことだ。
しかし「言葉」には、本当は内在する意味なんてない。そのことが、相互理解のために使われないのは残念だ。はてなのユーザー達は、それを論争の種にすることに馴れてしまっている。「常識」を決するゲームが開始されるんだ。
その中にどっぷり浸かっていると、
サイトの量も、投下される記事の量も
増えすぎてとても追い切れなくなる。
自分が読まなければならない情報量を大幅に増やしてしまう元凶だ。
結局、消化不良を起こすだけなのだ。
閲覧者が要求する度にページが送られてくるクライアント-サーバー型から、
しかしこのような、一方的に記事が送り届けられる(ように見える)環境では、
送られる記事の総量が手に負えなくなると、そりゃあもうウザくなる。
情報の淘汰はもう始まっている。
更新頻度が低く、情報の質がまばらなブログはそもそも登録されない。
情報量で勝負できるのは、ごく一部の『ハブ』となるサイトだけ。
人気を決定づけるパラメータは、情報の質の総和ではなく、期待値になる。
沈黙は金。余計な口は噤むが良い。
http://anond.hatelabo.jp/20070303112637
彼は、ネット上にはびこる様々なブロガーやブロガー、アルファブロガー、増田、収入に悩むブロガーや、ブクマのつかないブロガー、もしくはブログ界そのものに対し、「ブロガーのn%以上はaである」と、十把一絡げの分類を提示する。
否定的な増田が返ってくればそれを論破する新たなエントリーを考え、肯定的なブクマがつけば、「私はブロガー全てを理解している」と悦に浸る。
そして「自分の発言はブロガーを変えられる」と信じ、日常生活でも「いい事を言った」気分を求める心が頭から離れない。
自分の発言はブログの真理を突いており、狂ったこのブログ界と、様々な本当に役立つブログを書こうと思っている人たちの手助けになっている、そう信じている。
レッテル貼りばかりしているメタ議論屋と、彼らの考えなど別に気にもせず文章を書き続けている普通のブロガー。
さて、ブロガーを代表できるのはどちらでしょう?
参考:レッテル
http://www.youtube.com/watch?v=Rv3vHPz8s0w
ジョージ・クリントンみたいな悪くてエロくて偉そうな変態爺がブログ界にいないもんかね。
俺より上の世代のブロガーは全員雑魚ってことか?
なんつーかさー。
エロゲの文学性論争wとかキモオタwとか脱オタ指南wとか非モテwとか。
ここは2003年ですか。みたいな。
でもはてな含めブログ界隈がいちばんおもしろかったのってその前後なんだよなー。
あと比較的展開早いのがまた。だいたい2〜3日で決着してる気が。
↓
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↓
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この間1日。みたいな。
あと派生として「女向け泣けるエロゲ作ったらもーかるんじゃね?俺天才じゃね?」とか笑えるAVの話とか。
このループ感、というか駄弁り感が増田らしいっちゃらしい。深夜のファミレス感覚。下層民とも言う。
http://anond.hatelabo.jp/20070209184315とかhttp://b.hatena.ne.jp/kanose/20070209#bookmark-3926886みて思った。
あとあと増田の文化として「ソースを提示しなくてもOK。ていうか実感優先?」てのがある気がした。
あたまわるい。
最近の著作権団体の動きやら何やらを見ていると、このままでは日本の文化が終わってしまう。
今は良いもの悪いものを含めて、許諾も何もかもなしに、ありとあらゆる二次創作が潰されようとしている。
だめなものはだめ、良いものは良いときっちり線を引いて、良いことは伸ばさないと。
著作権法を改正するためには、もう国会に乗り込んでおおもとの著作権法を改正しないとだめだ。
いつもはそんなこと無理なヘタレだっていう独白で終了だが、最近のを見てるともうここしかないと思う。
国会で、二次創作・利用に関する制限を大幅に緩和する著作権法改正法案を成立させる。
国会で成立させるためには、衆参で過半数を押さえる必要がある。(参院はどうのとか細かいことは除く)(手段)
>そこには著作権族がいて抵抗がある。
>対抗するフロント活動ができる団体が必要(手段)
>有力な政治家が賛成すればいい。(手段)
>麻生か!(手段) まあ期待はしないことにして。
>とにかく選挙に打って出て、議員バッジをむしり取る。(手段)
>衆議院ではかなり厳しいが、比例代表で全国のオタク票を集めれば現時点でもあるいは?
>だが、1議席取ったところで賛成者がいないと成立しない(問題)
>話題になって世論を動かすだけでも(手段)
>現時点でもブログ界で議論は出ているが、マスコミは基本的に現行著作権に擁護的方向(問題)
>ブログ界を見る国民が増え、マスコミが世論をコントロールできなくなるレベルになる必要あり(手段)
>いっそのこと政党作れ!(手段)
>そのためには代議士やそこに近い人が賛同する必要がある。(問題)
>あるいは俺が・・・(手段)
>そもそも誰が立候補?(問題)
>俺が・・・(手段)
>金ないや(問題)
>パトロン探せ!(手段)
>誰がやるのそれ?(問題)
>有力な政党に潜り込む(手段)
>政策上から押しつけられる(問題)