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はてなキーワード: 貧血とは

2007-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20071114185420

あーもう。そこから話さなくちゃダメか。

あのな、期待値ってのは試行条件が明快じゃないとダメだろ? 「子孫存続期間期待値」なんて書くのはな、「オレは予言ができるぜ!」って言ってるのと同じなんだよ。1年とか60日単位世代交代する昆虫とかならともかく、人間の遺伝的スパン未来予測なんてできないんだよ3世代(100年)後の気温すら予想が割れてるってのに。

「筋力が高い」とかは普遍的に「良い遺伝」だろって?

鎌状赤血球症って知ってるか? 生物の時間に絶対習うはずなんだけどな。鎌状赤血球症ってのは遺伝病で、赤血球の形がヘンだから効率的に鉄分を運べず、貧血になりやすいんだ。ホモでこの遺伝子を持ってると、骨壊死、下腿潰瘍、細菌感染とか重篤な症状に陥りやすい。でも、地球のある地域、簡単に言うとアフリカではこの遺伝子を持ってる人がいっぱいいる。貧血になりやすいなんて遺伝病は「子孫存続期間期待値」にマイナスのはずだから、それが多いってのは「アフリカは退化してる」ってこと? 母なる大陸なのに?

ちがうんだなぁ。

この遺伝病を持つ人は溶血が早いから、マラリアにかかりにくいんだ(病原体を持つ原虫が赤血球内で発育する)。つまりマラリア危険が高い地域では、鎌状赤血球症は生存の可能性を高めるってわけ。

遺伝も表現型も、一義的な価値なんてものはあり得ない。

ところで、マラリア世界から根絶されたら、鎌状赤血球症の人は減るのかな? ……かもね。でも、マラリアじゃなくて別の、赤血球を巣とする病原があらわれたら、相変わらず鎌状赤血球遺伝子は生存にプラスに働く。そして、もしかすると「生まれつき筋力が低い」って遺伝子を持つ人だけが生き残る、致命的で爆発的な感染力をもつウイルスが、今アフリカの森の中で生まれたかもしれない。パーーーーーンデミーーーック!!!

なんつって。

そう。

ウイルスや細菌の進化は、でかくなりすぎた人類に比べて、とてつもなく速いんだ。

そこだけ考えても、「期待値」なんて言葉はととても恥ずかしくて使えたものじゃない、ってのはすぐ分かりそうなもんだ。

2007-11-05

anond:20071105210721

女性嫌悪がある人が、結婚出産も平気で出来る(らしい)のが不思議

増田ですが、結婚出産も平気ではできません。

結婚は、一緒に暮らす人を探すつもりで考えています。これからの生活とか老後とか、ひとりで暮らすよりふたりの方が、なにかと効率がよいはず。世間的には「嫁に行く」でも、私たち本人が、「共同生活者」であり「恋人」であるとわかっていれば、とりあえず問題ないです。外野はそんなに甘くはないよと言われるかも知れませんが、そこは我慢します。そういう社会であるらしいので。

出産については、違和感があります。というか、子宮というものが自分にあるところから違和感。それに、腹に自分ではない異物が10ヶ月もはいっているなんて、想像しただけで卒倒します。「子宮」「子宮筋腫」とか、「子宮」という文字を見ただけで脳貧血を起こします。もう若い娘でもないのに、まったく困ったものです。

だから、養子をもらうとか考えたこともありましたが、そう簡単に養子は迎えられないみたいですね。あと、一時期、訳あって婦人科に通いました。あのすごい椅子には絶対に座れないだろうと思っていたのですが、「一瞬で終わる」「これ終わったらチョコレート食べよう」とか自分に言い聞かせて、乗り切りました。ある意味、なにかが吹っ切れました。

しかしまだ、出産には自信がありませんので、この辺は彼氏と相談中。っていうか、彼氏子供が欲しくないそうです。私は、産みたくないけど欲しいなー(無茶言うな)

だてに30年「社会女性」の立場で暮らしておりませんよ、初潮現実を知ったり、「女の子なのに大学行かせてどうするつもり」って親が馬鹿にされたり、なんか悔しいこともいっぱいありました。男性だって「隣の芝生」なだけで、大変なのは察するぐらいしかできませんが・・・。

自分がどう脳内変換しようと、妻や母であることが変わらないことは知っています。でも、男性のように生きても「男性並みの女性」として目立つ生き方しかできないじゃないですか。どうやったって「男性」にはなれない。自分が「男性ではないこと」を、より強く自覚せざるを得ないのではないかと思うのです。女性の中に埋もれていれば、自分が女性であることを意識しないようにできます。多くの女性よりも自分はちょっと男性的なのだと思うことができます。逃げなのかも知れない、いやそうだろう、でも男女しかないこの社会で、どう生きていけばいい?

2007-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20071021134537

鉄は、コーヒー紅茶緑茶などに含まれているタンニンと結合すると吸収が悪くなります。

貧血気味の人はこういった飲み物にも気をつけてくださいね!!

http://salon.ispot.jp/doctor/anemia/tadami/

紅茶屋だけど、これは本当だとおもうでー。

お茶類は適度にいろんなものを飲もうね。

ほうじ茶とかノンカフェインのとかいろいろあるし、

お茶にもタンニン(渋みが)でにくくいれる方法もある。

とくに緑茶とかダージリンみたいなお茶は高い温度でいれたり茶葉をいれっぱにすると、

日本の軟水だと渋くなりまくりだ。

おまえさまの紅茶のいれかたはどうだった?

あと、なんでお茶とか紅茶とかはお茶受けがあるのかとか、食後に飲むのかとか、

そういうスタイルには意味があったりしますわい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3

タンニン担任…

2007-09-10

貧血マニアック

女子の多いうちの会社、毎週月曜は朝礼がある。朝8時、まだ冷房の効ききらないフロアへ集められ社長の説法を聞く。みんな汗だらだら。夏は毎週必ず誰か女子が倒れる。そういう子はその後なかなか仕事にならず、早退する人も居る。

そんな朝礼に何の意味があるのかと。上の自己満足のために無給で早出させられて倒れさせられるってどんな会社だよ。

2007-08-30

鈍感力のすすめ

ラッシュ時間帯

たかだか生理2日目の貧血ときで非常ボタンおして電車止めるおねえちゃん

自分の持ってるつり革の所有権を主張して1センチたりともつめようとしないおっさん

それなりの秩序で形成されてるエスカレーター待ちの列をムシして斜め横からショートカットを試みるおばはん

触った触ってないの言い合いに遠くのほうから乱入してきて妙な正義感を発揮して私人逮捕に突っ走るお兄ちゃん

職場に着いた

ふとした思いつきのアイデアについてちょっとブレストしようぜというエライ

その下らないアイデアを真に受けたふりして、部下やら関係者やらの仕事を増やす中間管理職

満員のエレベーター 扉のすぐ前に立っていながら降りる人がいるのに知らん顔の壮年男性

おかずの盛り付け待ってる人が大勢いるのを知ってか知らずかすぐ隣でひたすら味噌汁よそい続ける食堂のおばちゃん

いちいち腹を立ててたら、確かにこの世で暮らしていけんわ。

2007-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20070604132950

甘えって言うけど、実際にその状況に立つと貧血起こして倒れるんだもん。。。。

体と同じように心も弱るし調子だって悪くなる。

悪いまま放っておけば拗らせて自分だけじゃ治せなくなる。

心が何時も一定の人なんていないから誰だって成るもの。

今まで原因不明だったものの正体が認知されるようになれば、そうなった人にどんどん定義を適用されていっただけの話。

神経症という言葉もあるように。

気の持ちようと言うより神経物質の問題もあるし。

そういう風に脳内回路が定義づけられちゃったから時間を掛けたり強いショックがないと変わらない。

2007-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20070602215012

貧血みたいな症状だね

自分はなにもないときになる。

また起こるorまた起こるかもと思うと落ち着かなくて不安になるようだったら心療内科へ行ってみたらどうだろう。

2007-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20070526011619

睡眠薬飲むと、体質の問題なのか極軽いのでも効き過ぎちゃって一日眠り続けてしまうみたいで、凄く難しいって言ってた。

別の友達だと、朝起きられない上に貧血持ちで、無理矢理起きてそのまま貧血で倒れる事がよくあるらしい。それはそれで怖い。

俺は両方ともある。まあ睡眠薬では半日ぐらいしか寝続けないが、それでもつらい。無理矢理起きて貧血で倒れて怪我をすることが年に一度ぐらいある。倒れるほどじゃなくても、全身が操り人形みたいにぐらぐらでまともに動かせないし、十秒のうち三秒ぐらいしか意識を保てない。起きて一時間はそんな調子。どうにかしてほしい。

医者は「体質」だってよ。薬もいくつか試したが根本的な解決はできてない。

http://anond.hatelabo.jp/20070526010350

起きられない人って本当に起きられないよね。

小さい頃から起きられなくって遅刻ばかりだった先輩を知ってる。その人は別の持病で極度に寝が浅い人だったな。睡眠薬飲むと、体質の問題なのか極軽いのでも効き過ぎちゃって一日眠り続けてしまうみたいで、凄く難しいって言ってた。

別の友達だと、朝起きられない上に貧血持ちで、無理矢理起きてそのまま貧血で倒れる事がよくあるらしい。それはそれで怖い。

2007-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20070414001426

代理母臓器移植(生体、脳死ともに)には反対ですが骨髄移植は賛成。

私の中では骨髄移植は輸血の大掛かりなものって認識

貧血で長らく献血に行ってなかったのですが手術治療甲斐あって貧血改善したのでまた行きます。

手術後の献血って何ヶ月あけたらいいんだろ?

2007-03-12

私も献血で思い出した

私は1度かかったら2度はかからない病気ほとんどかかったことがあって、

おたふく風邪も、はしかも、水疱瘡も、そして極めつけはA型肝炎も。

だから、輸血された人もそういう病気にかからないようになるのであれば、これは嬉しいことだろうと思い、何回か、というか2回だけ献血しに行ったことがあります。

行ったというよりは会社まで来てくれたからそこで献血しただけなんだけどさ。

血圧ちょっと低めだけど正常、比重も正常。

なんの問題もなく始まるのに、やってると意識がフッっといってしまう。

今のところ2回やって2回とも貧血を起こしてアウト。

その場で30分ぐらい横になってさ、他の人よりもたくさんジュースを貰って飲んでさ…

なんかすごい申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

どちらかと言えば偽善の気持ちで行ってるだけなのに迷惑かけてさ…

しかもこの中途半端に取った血ってどうなるんだろう400mlに達してなかったら廃棄されちゃうのかな…

そうすると私が献血するのにかかったコストが全部無駄なわけで。

献血手帳貧血で倒れたって書いてあるらしくて、2回目にいってまた貧血を起こしたときに

「気持ちはとても嬉しいのだけれど、献血はもうしない方がよさそうですね」

って言われた。

自分の身体のことを考えても、相手側のことを考えても、もっともな話だとは思ったけど、なんか悲しくなった。

2007-02-21

貧血がくるよー

anond:20070221111120

ピル彼氏に勧められている。主に避妊目的で。

できちゃった婚結婚までバタバタして慌しい、私と結婚するなら、もっとゆっくり段階を踏んでいきたいから。という。ちなみに彼の妹さんはできちゃった婚したそうで、式まで日にちがなく、慌しかったようだ。できちゃった婚偏見があるわけではない。

とりあえず、「妊娠したら面倒だから」などと思っての事ではないようだ。費用も半分出す、といっている。避妊はしているが、100%ではないからということで、毎月わたしの生理がくるまで、わりとドキドキらしい。

そこまでいうなら、と、私も飲む気にはなっている。

しかし、昔からどうしても「子宮」に関する話題を読もうとすると、私は脳貧血を起こしてしまうのだ。気分が悪くなったり、頭がくらくらしたり、暗い気持ちになったりする。そもそも、自分のおなかに子宮があるということ自体に、違和感がある。そのようなシステムの物は、自分の身体にはなくてもいいのに。おなかに異物があるみたい。

妊娠中、10ヶ月もおなかに「異物」をいれておくのなんて無理!」と友達にいったら「これこれ、赤子を異物と言うでない」とたしなめられました。あははは。頭ではわかってるんだけどねーっ、生理的に我慢できないんだよねー orz っつーか、子供が欲しいなら、そろそろ嫌でもむきあわないといけない年齢になりつつある・・・。気が重い。

・・・とかいってるあいだに、腰が痛くなってきたような気がする。こういうのも、初潮のときのように「こういう風にできているんだから、仕方がない」とあきらめるしかないのか。

2007-02-19

朝ご飯を食べなかった日

電車乗ってたら気持ち悪くなった。

目の前真っ白になって貧血気味っぽかった。

きちんと夜の間にご飯をセットしておこうと思った。

 

と、ちょっと日記らしいことも書いてみる。

2007-02-09

anond:20070209114932

いわゆる冬期うつ病貧血、自律神経失調、低血圧なんかが疑われるのは。

心配だったら心療内科行って来たらどうでしょうか。

生活習慣で改善できるかもしれないけど。(朝日を浴びるとか運動するとか)

2007-02-01

はてな匿名ダイアリー自然状態ですね

http://anond.hatelabo.jp/20070131154754

の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。

 とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。

 長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。

 まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。

 あとリアル学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。

 にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。

http://anond.hatelabo.jp/20070131162229

http://anond.hatelabo.jp/20070131170249

 まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学上智大学の神学部神学科です。試験英語世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格キリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)

 偏差値の方ですが各予備校ボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。

 あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。

 大学での講義の内容については、大学シラバス担当教官ホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生ホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。

 予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。

 大学に入学後にはキリスト教倫理学日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。

 とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。

 これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。

 http://anond.hatelabo.jp/20070131174254

言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接試験官にできる限りのことを伝えようと思います。

 というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。

お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。

 まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。

 上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親セールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。

 春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。

 そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートコピー一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生テストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。

 色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語数学中学三年生ごろから数学高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校クラブの顧問が最悪のことに私の数学担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベル高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手

 心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期おしまい。担任と父親と校長面談して高校に進学することになった。夏休み英語数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。

 高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験卒業式で二次試験不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。

 で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。

 今でももっているのだけど私の志望は国際政治勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。

 影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャー自伝を読んだのがある意味国際政治勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャー生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。

 中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。

 当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋バックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。

 父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)

 あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。

 そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターボーダーマイナス40点だったと思う。

 で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義担当教官国際関係学国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。

 そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。

 まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センター英語いまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。

 で、正直地元国立試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。

 神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。

 もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。

 なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。

 でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。

 長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。

 

 

 

 

 

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