はてなキーワード: 背徳とは
妻を迎えることを現実に想像するようになって改めて、自分の中に巣食ったこの醜怪で邪悪な化物(デーモン)に「妻」という名をつけて衆目に晒す背徳の暴挙をあえてするおぞましさに戦慄するのである。その女は美人ではないが、知的で沈着冷静でときに愛らしくときに精悍である。だが彼女は見境なく男を貪り食う性に飢えた酒乱であるだけでなく、何と言ったらいいのか、どこへ行ってもひとが築き上げてきたものを壊してくるのである。結局、ひとの夫と寝るというのもひとの家庭や貞操や信頼や愛を壊すことなのだろう。そして彼女は主に女に憎まれ、彼女自身も女を憎んでいるが、なぜか男たちは彼女を愛している。女性に対し何の興味も持たないひとりの男の妻となって以来、その女は夫の前では従順な妻でい続けてきたが、彼女が夫の不在にかこつけて他の男たちと放埓と淫蕩を繰り返すごとに彼女が自分に被せたメッキも剥がれて行ったのである。そしてそんな女を、私は今の夫から引き離して自分の妻に迎えようとしている。彼女の煽情的な容姿や言動ではなく、自分が愛しているはずの夫との関係すら自分の手で壊さずにはいられない彼女の先天的な暴力性を、私は愛しており、それをどうしても自分のものにしたいのだ。壊す力をそれゆえに愛する、この愛もまた彼女の破壊の餌食となろうとするのだろうが、彼女が壊そうとすればするほど私は彼女がいとおしくなる、この狂った愛の格闘を、私は彼女と互いのいのちが尽きるまで続けたいのだ。
小学校時代に同級生だった親しい友人に
「これは松本人志の最高傑作だから観てみて」と、【働くおっさん劇場】のDVDを借してもらった。
内容は、素人の中年男性を松本人志がイジる、ムチャぶりをさせてクスクス笑う、
という内容で、はっきり言って何も面白くなかった。
どれか一人はめちゃくちゃ面白いのかな、と思って見続けたけれど
やっぱりどれも面白くなかった。
なんだろう、あの心に忍び寄る背徳感というか
胸の圧迫感。
自分がいじめられていた経験が(いじめる側も)ある所為なのか…。
松本人志は好きだったけれど、どう見ても「ストレートないじめ」にしか見えないし
私の価値観が変なのかと思って、とりあえずAmazonレビューを見たら
そういう受け取り方をしたという評価はほとんど無い…。
もしかして、こういう手法の笑いって、大多数が「面白い」と思う水準なのかしらと半信半疑になりつつ
他にも評価のテキストを検索すると、やっぱりあった。酷評だけのまとめページが。
別に松本人志がどういう人なのか知らないし、嫌いになるわけじゃないし
彼の芸風を否定はしないけれど
一番ショックなのは、すごく信頼していた、価値観の方向性の似た友人が
これを「最高傑作」と太鼓判を押すセンスだ。。
どこで笑ったのか謎だ。でもオッサンが素でオロオロと挙動不審になっている様を
松本人志が煽ったり変な要求をさせたりする内容で笑ったにほかならないんだろうけど…。
ああいうのを本気で面白いと思う人が怖い。
正しいとか悪いとかは言うつもりないし、無駄な議論だと思うけど
自分は人生でああいう非コミュっぽくて他者からの圧力に抗体が全然ないタイプの人を
いくつか見てきたけど、同じようにそういう人を迫害したがる人が必ず存在していて
それが凄く許せなかった、という経験がいくつかある。
別に正義感バリバリで擁護したりはしないけど、そういうコミュニケーションの場で脆弱な人を
何の愛情もなく笑いものにしたりする人が心底理解出来なかった。
でもそういう事する人って無意識で、悪気や悪意がある、というふうにも見えない事が多いから
逆にそこが怖かった。自分がそうならないようにフォローしないとすぐに加速するなって思っていた。
もちろん、こういう体の笑いが好きな人が、同じようなコミュニケーション傾向にある事がイコールではないけど。
なんだか自分で言語化すると、急に偽善的な主義主張だとも思えてくるなぁ。
やっぱり素直にいじられてるオッサンを見てゲラゲラ笑える方が「スレてない」って事なのかな…。
友人に、このDVDどうだった?って聞かれたら何て言えばいいのやら…。
性の目覚めにそういうモラルが追いついていなかった、と思いたいですね。
あるべき共通の認識(件の男の子で言うと、外でマスターベーションはご法度)がないと、
どうしたらいいもんか、っていうのはどこでも一緒なんでしょうね
そういう経験があったんならそう思ってもしょうがないんじゃないかな。
俺も幼稚園の頃に先っぽが痒くていじってたらおっきくなって、服屋さんで「まんまんみてみてちんちんおっき」発言して頭叩かれたことがある。もちろん当時は何が悪いのかもわかるわけがない。ふりかえって「なーんだ、そういうことだったのかー」とひざポンするわけだ。
公教育でも受精のしくみなら高学年の理科の授業で習うし、勃起そのものも中学校保健で習うから、知らないっていうのはなくなるだろうけど、その子供が、その時に一連の知識を持っているかというと正直疑問だね。
背徳感がその子にあれば、「家で一人でやれ」で済むとは思うが、それすらない場合は、ちょっと困るね。最終的には体育会チックに「おじさんたちもそうやってきたんだ」と凄みを聞かせるのも方策としてはありか。
・手コキ派:女性の手に温もりを感じる世の男性は数多い。人気最大の勢力であり、他の追随を許さない。
添い寝手コキ族・・・手の温もりのみならず身体の温もり、そして女の子との対面でのやりとりまで楽しもうという贅沢さん。
後ろ抱き手コキ族・・・後ろからコキコキされると痴女に犯されてるみたいというM男などに人気。Mでなくとも、独特の一体感が好きという男性も。余談だが、痴漢という言葉があるのに、痴女という言葉が辞書に載ってないのは性差別である!
・足コキ派:まさに足で「コキ使われる」のが好きなM男性に人気なプレイ。M男性でこれが嫌いな人はまずいないため、意外に隠れた大きな勢力である。
ニーソコキ族・・・ニーソックスフェチ乙。陰茎とニーソ生地の擦れあう感触には根強い支持がある。絶対領域を眺めながら、その秘奥のパンチラを堪能するのが通だとか。
素足コキ族・・・足指の繊細な動きで刺激されたいという殿方に。ローションを使うもよし。
・脚コキ派:足じゃなく脚だってば。太もも、下腿で陰茎を刺激して欲しい殿方に。S男性にも支持者が多い。
太ももコキ族・・・太ももの隙間に陰茎を差し込んだ状態で女の子にコキコキしてもらう。自分から動けば男が廃るとばかりに直立不動に。動いたら「素股」になるので全く別のプレイだ。
ふくらはぎコキ族・・・意外にハマってしまう殿方が多い、これからの成長株。ふくらはぎという不自由な箇所を使って陰茎を刺激するため、「足でコキ使われてる」という屈辱感は希薄だ。むしろ、「雑に扱うな!」など暴言を吐きながらのプレイもありうるので、S男性にも隠れた支持を得ているぞ。要チェキだ。
・尻コキ派:別名「尻ズリ」。尻フェチなら誰でも大好き。尻フェチでなくとも、下記のようにいろんなマニアから支持されている、安心と信頼の一派。
立位尻コキ族・・・背後から女人のシリケツになすりつけたいという、古来からの日本男児の願望を満たしてくれる。痴漢マニア御用達。
騎乗尻コキ族・・・女の尻に敷かれたい、と思うM男御用達。Mでなくても、体重がかかることによるペニスへの刺激の強さが良いという声も多い。
四つん這い尻コキ族・・・M女にオラオラ命令して尻を持ち上げさせ、己の陰茎をマッサージさせる。S男御用達。
・口コキ派:別名「フェラチオ」。これを「コキラインナップ」に入れるなというコキラー達の無言の圧力により、深くは扱わない。
・髪コキ派:新勢力にして期待のダークホース。髪という女の命とも言える部位を陰茎に巻き付けることの背徳感、しかも、巻き付け方は自由自在という創意工夫の余地、そして、ホットカルピスを髪に噴射することの征服感。じつに奥が深い。
・乳コキ派:別名「パイズリ」。全国のコキラーの中で最もズーリネーターに使ったことの多いであろうものがこれ。シュワちゃんも御用達。ぶっちゃけ足コキは抜けない、手コキと尻コキも微妙という人が多数派だろう。そこで乳コキですよ。なんと言っても柔らかさがマラチン的にタマランチ会長。
着衣パイコキ族・・・乳圧(ちちあつ)が着衣により増大し挿入感がアップする。生乳が見れないデメリットはあるが、着エロ派はむしろこの方がエロいと断固主張して憚らない。
ある日突然に友達だと思っていた連中が実は自分の事を嫌っていて自分の一挙手一投足をネタにして
悪口や陰口で大いに盛り上がっている事を教えてやりたい
人間関係の細やかな機微なんてものを知らずに成長してきてしまった女の子が
「自分は好かれているのか? 嫌われているのか? どう思われているのか?」という自意識の泥沼に陥って
他人の視線や思考に過剰に怯えてしまって徐々に磨り減っていく様を観察したい
考え無しの無邪気な一言によって友情と思っていたものが一転して悪意に変貌して
日々の暮らしが地獄になるという事を分からせてあげたい
朝目覚めてまたあの場所に行かなくちゃいけないと考えただけで吐き気がこみ上げて
手や膝が震えて歯ががちがちなって死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいとしか考えられないようにしたい
勇気を振り絞って相談したのに「たかだがそんな事で」「甘えるな」「他の人はもっと頑張ってる」と
一蹴されてしまった時の絶望を教えてあげたい
人目につかない安らげる場所を探しているんだけどその一つ一つを丹念に潰していって
最後に辿り着いたトイレの個室で安堵の吐息を漏らしている上から汚水をかぶせてやりたい
これで救われるのかもしれないという一縷の望みを託してカッターで初めて手首を切ってその痛みと
何ともいえない背徳的な気持ちよさに病みつきになってしまった状態を見てみたい
嫌な事があった数だけ一日に何度も手首を切って血を流して傷を増やしていって
手首からどんどん肘の方に向かっていって切る場所が無くなって
太ももの付け根あたりや足首まで切っていく様を見てみたい
そしてその傷が家族にバレてしまって自虐的な笑みを浮かべつつも「同情してくれるかもしれない」という期待を抱くけど
「お前みたいな頭の狂ったガキがうちにいるなんて!恥さらし!」と否定されてしまって自分は
誰からも必要されず家すら居場所ではないという事を理解した時の表情はどんなのだろう?
死にたくて死にたくてしょうがないのに朝から駅のホームに立って線路に飛び込もうとしているんだけど
もうどうしようもない筈なのに生きてても仕方ない筈なのに死ねない自分を持て余しているところをそっと背中を後押ししてあげたい
ベンチに腰掛けて項垂れている女の子の隣に座って君がいかに愚かな人間で価値のないクズだという説明をして自分から線路に飛び込ませるように仕向けたい
重要なのは他人が直接的に無粋に背中を押すことではなく、あくまで女の子の自分の意志で線路に飛び込まなくちゃいけないところなんです
でもそれでも踏み切れず線路にほど近い場所に他の客から白い目で見られつつ立ち尽くす背中を安らげるベンチから眺めたい
今まさに自ら命を絶とうとしている女の子の悲痛で悲壮な心情をじっくりと想像したい
そのまま落ちていけば高速で回転する走る鋼鉄の車輪が苦しみ無く轢殺してくれたのに途中で気後れして必死に逃れようとするから
中途半端に身体が壊れてしまって文字通り死ぬほどの苦痛に悶える様を見たい
腕が千切れて脚が曲がって骨という骨が砕けて皮膚が裂けて血が流れて神経が滅茶苦茶になって玩具みたいにびくびくと痙攣して
もう絶対に助からない後は死ぬしかないという状況で女の子がその死ぬまでの僅かな時間の中でどんな風に己の人生の無意味さを
嘆き悲しみ悔いて慟哭の涙を零すのかを見たい
お前なかなかの通だな。
俺はいろんな外見に変化したほうが飽きが来たときに気分を一新できていいと思うんだが、同じ人物で年齢を変化させるのも背徳的でグッと来るものがあるな。
文脈からは、どういう論調で放ったのか判別できなかったが。
「暴力ポルノを嗜好しない男や見た目オタクたちもその仲間として扱われる」ような社会で、
「暴力ポルノを嗜好する人たち」だとばれてなお、受け入れられるとは到底思えない。
これは、「男の大多数が暴力ポルノを嗜好すると推定されている社会」で、
「そうでない見た目普通の男もその仲間として扱われる」ってことだ。
推定の論拠は、ポルノの氾濫。
そうしたポルノが存在する事実を、「社会が受け入れている」と置き換えている。
だから、ポルノの存在を許すなとなるわけさ。
(こうして展開されている世論からすると、受け入れてなどいないと明示されているのにね)
今回のようなケースは非常にやりやすい。
こんなのを擁護するとか、お前は変態か?とね。
悪意を肯定する暴力表現が原因でイジメが起きた場合、これは簡単だ。
「そんなもの止めろ、子供に悪影響がある」で済む。
なにしろ対象は非道徳的なのだ。
暴力を肯定し、励賛しているのだ。
でもこれが、仮面ライダーやウルトラマンを見て、ごっこ遊びと言う名のイジメが起きた場合どうなんだ。
悪い奴をみんなで蹴るのだ、「らいだーきっく!!」。
イジメ有りきで単にライダーキックを使っただけなら話は早いが、相手が悪い奴ならライダーキックして良いと思った場合、面倒だ。
この場合、どんな場合でも暴力は絶対にいけないのだと教えることになるだろう。
しかしこれは、「悪意を肯定する暴力表現」でも同様ではないのか?
児童ポルノ規制や「非実在青少年」の性表現規制が論議を呼んでいる。
私もエロゲは嗜んできたので、この問題は興味深い。
しかし、私が最初からそのジャンルを好きだったかと言えば、そうではない。
小学生の時は、道ばたに落ちていたエロ本やスポーツ新聞、はては通販雑誌の
女性下着のページでもドキドキした。それで十分だった。
ロリや陵辱に興味が向き出したのは大学に入って以降。つまり18禁が解禁されてからだ。
AVやエロゲを普通に見られるようになり、数をこなしてくると、普通では物足りなくなる。
裸を見るだけでは背徳感が足りないのだ。
そこで更なる刺激を求めて、ロリ、陵辱などに手を出すようになる。
背徳感があるからこそ興奮するのだ。
世間に一般化出来るかどうかは分からないが、少なくとも私はそうなのだ。
ということは規制が厳しくなれば、より低いレベルの性表現で背徳感を味わうことが出来るようになるのではないだろうか。
まあ、時代がどう変わったとしても、たぶん私は規制のちょっと上あたりの作品を見て興奮していると思う。
あなたは、自分では理解できない、倫理的に許されないような、特殊性癖(性嗜好)の人間も許容してくれますか?
池澤春菜さんには悪いけど、ちょうどいい例なのでブログから引用します。
確かに、世の中には酷いものもある。
明らかに確信犯な作品、不愉快に思える作品、眉をひそめざるを得ない作品もある。
でも、それはごく一部。
今回の規制は、小魚を食べちゃう困った大きな魚を獲るために、目の細かい網で海を一網打尽にしようとするようなもの。餌となるプランクトンまでさらってしまっては、守ろうとした小魚もやがては死滅してしまう。
本当に必要なのは、悪い魚だけを獲る網なのでは。それがどんなものか考える努力、作る努力を怠って、「全部獲っちゃえばいいじゃん」で片付けようとするようなオトナに、何かを決める力を与えちゃいけない気がする……
(http://halunahime.blog13.fc2.com/blog-entry-145.html)
やっぱり、何でもかんでも良いわけではない(ただし自分の性欲の対象は除く ←これは池澤さんのことを言ってるんじゃないよ)、という人は多いんだよね。
この議論が持ち上がったときよく目にしたのは、「自主規制しなかったからつけ込まれた。今までがやり過ぎだった。ある意味自業自得だ」という主張。
たとえ空想であろうと、彼らの頭の中には表現の「善/悪」が存在して、悪は駆逐すべきである、と暗に述べている。
はてブでも、
「社会的発情 背徳とエロを結び付ける人を見るたび、お前の親はキリスト教原理主義者かよ!サドが生きてたの何時だと思ってんの?とは言いたくなる。/個々人のトラウマの楽しみ方は御勝手だけども。」
という主張がある。
だが、しかし、私の性欲はもはや単なる裸を見るだけでは機能しない。
キリスト教のような抑圧がないからこそ、更なる刺激(=背徳感)を求めざるを得ない。
だから、性欲のない人間ほど、変態的性癖の持ち主になる、という逆説が成立してしまう。
私は、女性を殴ったり蹴ったり、拷問にかけたりして激痛にもがき絶望する様を見て初めて興奮を覚える。
もはや性器や性行為なんて関係ない。
このような空想・妄想は、いかに「非実在」であろうと、「悪」である。倫理に反する。いや、だからこそ、辛うじて性欲が機能する。
私の存在は許されるのだろうか?
一応、前に書いた増田も。
http://anond.hatelabo.jp/20100217233332
こんなの、増田じゃなきゃ書けないよね・・・
俺はロリペドリョナ(女の子を肉体的・精神的にボコボコに追い詰めること。相手の快楽を考えるSMとは異なる)好きで、
二次はもちろん三次だったらもっと大歓迎(見れるものなら)な性的趣向で、
幼女を拉致監禁のちに拷問し尽くしたいとかねがね願ってるんですが(自分がやるのはかわいそうだからできないな…他の人がやってるのを見ていたい)、
こんな自分でもフェミニズム的に、というか倫理的に存在が許されるんでしょうかね?
関係ないけど以前思い切って風俗に行ったけど、結局射精できなかったなぁ。
……ちなみに、実行しませんよ?当たり前だけど。性欲と道徳は別物。という以前に引きこもりだからそもそも物理的に不可能。
…でも背徳的なものほど性的興奮が高まるというのも事実なんだよなー。なんでなんだろーなー。その一方で幼女をものすごく可愛がりたいっていう気持ちもだし。まあ、どっちも征服欲なんだろうけどさ。
昨今の「男の娘」ブームは、2次元だけに留めておいてほしいものですが、
それに乗じて全然「娘」でないような外見の輩による「女装コス」にますます拍車をかけそうで戦々恐々としている。
「ネタであっても、それはちょっと…」っていう女装コスの輩と、冬祭りで何人とすれ違い、
その度に「うわあ…それはないわ」とテンションが下がっていった。
コスプレイベントだと、女装禁止が今や主流になってしまったし。
他方で、
「2次元の男の娘が、そのまま3次元に具現化したようなレイヤーさんがもし万が一居たら、それはそれで見たい!」
という欲求があるのは事実。
私だって、もし万が一準ちゃんや秋月涼や秀吉や、あるいは「元祖・男の娘」こと鰤たんがリアルな男の娘としてそこにいたら、
倒錯的な美しさに背徳感が加勢して、なおのこと萌えることだろう。
ということで、イベントでの女装は「ライセンス制」にするというのはどうだろう?
コス写真をサイトに上げて、ネット投票かなにかで合格か不合格かを判定。
判断基準は、美しいかどうか、萌えるかどうか、この1点のみ。
合格したらめでたくライセンス付与。どこのイベントに行っても、女装コスが出来る。
ライセンスは1~2年毎くらいに更新にして、その度に美しさの再審査をされる。
定年制度を設けるのも、よいかもしれない。
「どんなに美しくても30歳で卒業」とか。
そしたら、醜い女装が一掃されて、可愛い男の娘ばかりのイベントとかも開催されるかも。
少なくとも、見た目のレベルが「ヴィジュアル系バンドの女形」にまでは昇格するだろうから、
もうあの「目に毒」な輩を見なくて済む。
そしたら、私も堂々と、その場で鰤コスが出来るというものだ。
僕@cherry.orz.jpはNTR系のシチュエーションが好きだ。
「自分の知人が全く知らない男にメスの顔を見せている」シチュが好きなのである。
NTRは上記のシチュを含んでいるから好きなのであるが、やっぱり好きな人が他の人とくっ付くシチュは心にくる。
興奮しつつ何か暗いモノを感じる。健康的でない。エロはやはり健康的でなければいけない。
不倫も同様の暗さを感じさせる。背徳感という奴だろうか。その暗さは興奮の材料には確かになるが…。
オナニーはすっきりするためにするものなのだ。すっきりしない題材はやはり選ぶべきでない、と思う。
しかしオナネタには背徳感をベースにしているモノも多い。僕はこれらのネタをあきらめたくない。
そこで覗き属性の登場である…。「他人の不倫を見る」キャラに感情移入することによって
暗いモノが大分減ってくる。加えてリアルさがでてくる、というのも僕は童貞だから。セックスしてる人に自己投影は難しいよ。
こうして僕の属性(というか好み)は確定する。
そう、僕は「知ってる人がヤってるのを覗く」シチュが好きなのだ。
この「知ってる人」は姉でも妹でも幼馴染でもただのクラスメイトでもよい。
擁護派がそれを上げてないのは、その辺の事情は、この件には意味が無いからじゃないかと。
とにかく理由はどうあれ衆目を集めてしまって、その結果として悪意が集まったときに、傷つくって事に対しての話なんだから。
がしかし、今回の場合作品的に明確な悪意を持って「晒し」が行われたので、この意見は空虚に響く。
「隠れろ」、「隙を見せるな」との意見もある。
これもまぁ、今回の件では虚しい。
身内バレだからだ。
やるといったら、ID/pass制にして、コントロールだろうか。
面倒だが、検索除けを強要するような社会なら、この程度の手間、誰も惜しむまい。
「そもそも表現するな」との意見もある。
これも真理だ。
やっていることは世間一般からすると背徳的なことであり、本人に自覚もある。
バレればどうなるかの予想も付くのだから、一番簡単な防御はそもそも表現しない事。
最低でも、本人とリンクする情報は一切消去し、オンだけの付き合いに終始すればリスクコントロールもある程度できる。
そういえば2001年から数年間くらいかな、ちょうどネットそのものがメディアとしてイニシアティブを
とりつつあったとき、ネットでカワイイ子とばっかり出会えて美味しい思いができた。
そのときは大学生でヒマだったてのもあるけど、当時ネットでコミュニケーションを図ろうとする女の子
でまともなコミュ力がある子って、ある程度洗練されてて、いい意味で流行に敏感な子が多かったきがする。
このようにPCを使いこなす反面、
『ネットで知り合った人と出会うのってなんか不思議で面白いよね。あんまり口を大にして言えないけど・・・』
みたいな微妙なワクワク感と背徳感が同居している子が多かった。
その結果今でも友達になってる子もいるし、考えられないほどカワイイ子とも出会えた。
ああいう時代はもう来ないんだろうなぁ。
ある一線を越えるほど気に入ったキャラクターが、どうしてもオナペットにならない。
同じ作品でも、別に気に入っていないキャラクターなら、ためらいもなく夜のオカズにできるのだが。
気に入りすぎた子は、どうも背徳の感情が先立って、かえってできないのだ。
でも、エロ同人誌は、やっぱり好きな子のものを買ってしまう矛盾。
初めてそういう気になったのが、二年前のこと。
そのアニメも終わって、それでも好きで、同人誌などでなんとか補完しつつ、一年経って、
そろそろ次ののめりこむ対象を、と探していた。
そんな中、ある友人に誘われたあるオンラインゲーム。もうシリーズも重ねて数年経っているものだ。
その世界で、二年前の子の残り香がする子に会った。
そして、リアルの世界で好きな子に、あまりにも似ている子にも会った。
また、そんな気分になった。