社会人になって十数年。
学生の頃は物語が中心で、その他は、本当に「そのほか」でした。
今は現実の生活がいっぱいで、休みの日も考えるのは仕事のことで、こんな不況でもやることがいっぱいあってむしろやることはずっと増えていて、幸せなのだと思います。わたしが仕事をすればするほど、会社の人のためになっているのが実感できる、錯覚でもそう思えています。
でも、時折とても切なくなります。追憶とノスタルジーに生きていくのだと中学生高校生小学生の頃にわけのわからないままに確信して
やはり今日もその通りだと思っています。わたしは鶴田謙二が好きです。他にも好きなものはありますが、今は心にぴったりします。
でも、休日に本を開いてみても、あせりのきもちばかりが先にたって、彼の世界に浸りたいのに、なぜか、焦燥感ばかりです。
学生の頃はそれにくらべればとてもよかった。わたしの視線の先は、必ず何かの作品や物語の色をもっていて、それが当たり前でした。
就職に当たって、それらをうっとうしくも思いました。実践的な思考や行動に障害が出ることが多かったので。
子供を生むことなく死ぬかもしれないわたしが、最後に見るのはリアルな世界でしょうか物語の世界でしょうか。幸せなら良いのでしょうか。中島梓さんのようにただ本人が幸せならそれでよいのでしょうか。死んだあとにわたしのことを不幸だと言う人が多かったとして、それを死んだ私は、寂しく思うことがあるのでしょうか。