はてなキーワード: 無双とは
ライトノベル談義か?こんなのもあるぞ。
星虫:典型的なボーイミーツガールだが初版1990年 新装2000年とラノベにしては10年生き残った上に、今でもシリーズが続いているような・・・終わっているよなw シリーズ。
個人的には、こういうボーイミーツガールこそ、ラノベの典型だと思われ。
ベントー:(学校の怪談などと同じ 世界の敵と戦わない系) ラノベというと魔王を倒すのがパターンの1つだったけど、最近は、魔王を倒さない系という以前に魔王がいない系。
本作のテーマは、スーパーの売れ残り弁当の奪い合い。 そんなテーマでもう6冊出ているんだからさすが、ライトノベル。
七姫物語:女の子が主人公で、恋愛要素が薄い。歴史に挑む無力な女の子の戦いという視点。(仲間の武将は無双はいってるというのが、ラノベ)で、ラノベらしい。
生贄のジレンマ:ラノベから始まって、ラノベ棚におかれないんだが、メディアワークスがだしてるし・・・大人向けラノベ? いわゆる政治ものふうセカイ系とでも言うべきか・・・恋愛そっちのけで殺し合いです。
あと・・・ラノベの王道といえば、黄金拍車は、いつ再開するんですかと・・・
※あぁ、星虫は2009年にも復活して・・・20年・・・増版されてつづけているのね・・・ライトノベルが20年売り続けられれば、読み捨てとは違う
世の中には二種類の男性しかいない。
何故か?
結婚は言わずもがなで理性的に考えればリスクとコストの塊である。
三次元の嫁は年々劣化するし、
いくら愛を信じても不倫や熟年離婚などのエグイ裏切りもありえるし、
子供を育てるのはしんどいし金がかかるし、
子供がダウン症とかDQNとか犯罪者とかニートとかになるかもしれないし、
その程度のメリットの代替物は金で買える。
家事が面倒であるならば家政婦を雇えばいい。
老後が寂しいなら、老後に老人ホームにでも入って友達を作ればいい。
性欲だって毎月風俗に行くほうがコストもリスクも安いし大きく満たされる。
理性で考えれば男は結婚などしないのである。
これが定説。
理性的に考えればしないはずの結婚をしてしまったのはどうしてだろう。
それは子孫を残したいというオスの本能(エロ含む)に負けたからである。
理性が本能に敗北したので、結果的に既婚者という名の敗北者になった。
やっちゃたらできちゃったという知らない間に決着がついていた敗北である。
近づいてきて結婚してしまったのも、女の思う壺である。
完全に敗北である。
勝者にも二種類いて、
全くモテたためしなく結婚のけの字もなく不戦勝中の「不憫な勝者」と
いつ討ち死にするかわからない。
戦い続ければ必ずいつか討ち死にする、それすなわち戦士の宿命である。
一方で「ラブプラス最高~」とか
はじめとする「不憫な勝者」は強い。
彼らはその気持ち悪さゆえに
生身の女性には全く相手にされないので(されても色々問題あるので)
上記の理性と本能の戦いが生じる隙がなく、
持っているのでいつでも幸せである。
「不憫な勝者」はネット上で非モテ・非リア充・童貞・キモヲタなどと
罵詈雑言を浴びせられ、世の中では虐げられ蔑まされている存在であるが
この考え方によると無敵であると言わざるを得ない。
ということで
http://www.mext.go.jp/programin/
中身が見える電卓 http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=227971f63ec51ea1e4fecae3b2756e40
ついったしゅーてぃんぐ http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=59f11494cfcfbdfefe85e649d8d40c31
ようかんマン http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=6823a17c360baefe471d66a9dd2b546f
子猫の冒険 http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=c41b798ed45cda85a747094727d73598
ゆめにっき無双(没)2 http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=a4f82e312089c72127d0ca3d44ff0283
カピバラさま http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=c32fce7dd60336a35d5a794a2e5131ef
3匹のワンコ http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=69252b94ff037955b49bc1f243c8f6df
しーけんさ http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=50c85491c4c870521401caa45b446add
そげぶ http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=cf2b155246c5fd5ae448cc921c5e3f50
ぞうさんのめいろ http://www.mext.go.jp/programin/share/?share_id=7f029f51fa3ed0f245c794e5959a2ebb
mixiのコミュニティに「歴女という言葉に抵抗を感じる」「歴女と呼ばれたくない」と主張するような所が現在2箇所存在する。
【参考】アンチ歴女http://mixi.jp/view_community.pl?id=4125741
「歴女」と呼ばないで!http://mixi.jp/view_community.pl?id=4252795
コミュ内の書き込みを見ると、いくつか共通するものがあるので挙げてみる。
(例えて言うなら、ゴキブリを見たら瞬時に嫌悪感を示すような感じ)
(どちらかと言うと、無双ファンが多いような気がする。切欠はゲームだけど”今は”史実が好きです、という感じの誰得なアピール)
・「ずっと昔から戦国時代に興味があった」と”長年好きだった”事を強調する
(歴女扱いされたくないが為に、ここ最近ゲームを切欠にハマった事を揉み消すかのようにも思えてくる)
・「真田幸村じゃなくて真田信繁です!」…等、いちいち細かい所を偉そうに主張する
(あとは、「ゲームでは●●だけど”史実では”○○ですから!」…のようにゲームの世界にマジレスして史実の知識をひけらかす)
・大河ドラマや観光客招致を狙ったイベントに苦言を呈したくなる
(「”明らかに”あのドラマは腐女子向け」「あのイベントは”どうせ”歴女狙い」…等、何かと決めつけたくなる)
・「史跡巡りでのマナーがなっていない!」等、マナーやルールを啓蒙する
(「●●は止めてほしい!」「こういう人が居ると(真面目に史実を愛してる)私達も一緒の扱いをされるので困る」…等、被害者妄想垂れ流し)
女性がこうも嫌悪感丸出しにされると「女子特有のネチネチとした感情」が丸出しになってるせいか物凄い不愉快さが滲み出ているような印象。
現在は割と控え目に主張活動を行っているそうだが、
以前、真田氏を敬愛する史学科専攻の女性が、歴女やゲーム歴女、果てには歴ドルのタレントを木っ端微塵に叩きまくっていた。
ちょっと嫌味を言うレベルではなく、気に入らない存在を片っ端から罵倒するような見苦しいものだった。
歴史ファンが多く在籍するコミュニティのイベントトピックにて、歴ドルさんご本人が自ら出演するイベントを宣伝しに来た所、
その歴ドルを非難するかのような文言を垂れ流すという、空気の読めない発言を長文で垂れ流していた。
イベントや宣伝行為に興味が無ければスルーすればいいものの、何故か叩かずにはいられず、人目を憚る事無く自己主張。
その毒丸出しのコメントにアンチに嫌気を差した人達が苦言を呈したようで、現在は一応大人しくしているようだが…、
「気に入らない物事を徹底的に叩き上げる姿勢」を見ると、こういう人が将来、歴史研究家を名乗って活動するのかと思うと………。
余談だが、アンチ歴女系コミュのメンバー参加者コミュニティ一覧を見ると、
ほかのアンチ系コミュや「戦国時代が好きなオタク女子。」…等、オタク系コミュに参加している人達が多いせいか、
言っている事に説得力が無いというか、主張に矛盾が生じているように思えてくる。
「同じ穴の狢」とはこういう事を言うのだろうか。
戦国ランスとかやってるエロゲーマーはBASARAの滅茶苦茶を笑わないというか笑えないし、
歴女の定義って人それぞれなんだろうけど、無双やBASARAといったゲームファンも歴女に加えるのってどうなんだろうか。
歴史をモチーフにしたゲームだけど、必ずしもゲーム=歴史という訳でもないのに、やたら歴史ブームにおいてゲームを持ち上げ、
かたや歴史ゲームファンの歴史に関する知識が乏しい故に攻撃の標的にされたり…一体なんなんだか。
歴女叩きの主犯格的存在って、同族嫌悪というか同じゲームファンが多いような気がするんだよね、何となく。
自分と同じテリトリーに属していて、なおかつ自重せずに妄想を暴走させている姿が見苦しいから叩く。
乱暴に例えて言うなら、自分の周りを飛びまわる蝿を手で追い払うような感覚。
まぁキャーキャー騒ぐ連中は放って置けばいい訳で、それでも攻撃したいのは自分の内に秘める陰湿な部分がそうさせたいのだろうか。
歴女って言われたくなきゃ歴史好きっぷりをアピールしなきゃいいんじゃね?歴史好きを匂わせるから標的にされるんじゃないかな。
ブームなんて数年で消え去るんだからそれに踊らされなきゃいいんだと思う。レキジョという単語に敏感に反応しなきゃいいってだけの話。
叩く奴を止めるつもりは無いんだけどね。やりたきゃ思う存分やればいい。但し、自らの発言ひとつひとつに責任を持てない奴は叩く資格は無い。
何故乳児に固形食を食わせるような真似を平気でするのか?
常日頃感じることなんだけど、Wiiにリリースされるコア向けとされるゲームは、
何故揃いも揃って「いかにしてユーザーに手に取ってもらうか」という点が蔑ろにされてるんだろう?
今更言うまでもないけど、Wiiの客層の殆どは非ゲーマー層、つまり積極的にゲームを買う層じゃない。
流行りに流されて買うか、それに変わるよほど強い引きがないと買わない。
Wii市場は任天堂無双って言われてるけど、任天堂のソフトだって売れてないのはある。
最近のゼノブレイドなんて正にその典型でしょ。面白いけど、売れてない。
この手のゲームって何で売れないのかっていうと、PS2時代の悪しき習慣からゲーム会社が抜けきれてないからだと思う。
要は「ゲームをだしてCMさえ打てばそこそこ売れる」っていう手抜きが通用した時代。
そういう客層はWiiに付いてないんだよね。
ほぼゲームの下地が無い客層に向けてゲームをリリースしてるっていう自覚のあるゲーム会社って殆ど無い。
昔みたいに手抜きの売り方でゲームが売れる時代じゃないんだから目を覚ましてくれ。
PS2時代にゲーム会社が新規層を育てることを怠って目先の金を刈り取ることに勤しんでたツケが今になって
表面化してるだけなんです。
PS2時代にズボラしたせいで、また一からゲーマー育てなきゃいけないのに任天堂以外誰もそれをやってない。
任天堂もあまり上手く出来てないけど、本来なら新規をドンドン取り込むのが任天堂の役目で、
任天堂が引きずり込んだ客をゲーマーに仕立て上げるのがサードの役目なはずだったんだよ。
でも、PS2時代の悪しき習慣から抜け出せない馬鹿なゲーム会社は乳児に固形食をいきなり食わせるような真似を
平気でやって「子どもが食事を取りません(涙」っつって泣き言ホザいてるわけ。
笑い話にもなんねぇよ。
悪しき習慣に浸りすぎたせいでゲーマーの育て方すら忘れてる。
全くゲームの下地がない連中をいかにゲーマーに落し込むかっていうノウハウが失われてる。
もしかしたらハードの進化と共に歩んできただけだから元々そんなノウハウ無かったのかも知れない。
そうすると今後のゲーム会社は大変だよね。今までは勝手に道が切り開かれて前に進めばよかったけど、
今後は自分たちで道を切り開かないと生きていけない。
良いゲーム作ってるのに売れないとかホザいて宝抱えて死んでいくゲーム会社を哀れむ声もあるけど、
策を打っても困難を打開できないならその策が間違ってんだよ。モノがほんとにいいかどうかしらんけど、
ホントにいいもの作ったんなら売り方が間違ってんだよ。
過去と今では人口ピラミッドも経済状況も何もかも違うんだから今までと同じことやってたって売れるわけ無いだろ。
ちっとは考えろよ。
あなたがたが通うことになる早稲田大学は、1学年につき約1万人ほどもの人が通うマンモス校だ。当然いろんな人がいる。いろんな出会いがあり、いろんな出来事が待っている。
それは数ゆえの、そして早稲田という土壌を目指したある種の人々が織りなす一大青春劇! である。
その劇中でどのような役割を演じるのか、どう動いていくのか、というのは、個人の意識に依るところが大となるのはもちろんのことだ。
しかしもう一つ、大きな脅威が、早稲田で暮らす者たちを待ち受けている。
それは学友たちでも、教授がたでもない。左翼や宗教の勧誘でもない。
最大の敵にして、現在の学生が抗えず、また抗おうともしない相手…… 『早稲田大学職員』である。
四月一日の入学式に向けて、すでに東京入りしている新、一年生も多いことだろう。
大学側から公布された大学全体の入学式、そして学部入学式。科目登録の日付を手帳に記して、新しい日々に夢を膨らませているかもしれない。
マイルストーンを購入して、授業やサークルの情報を読み込んでいる人もいるだろう。
大学生活の日々を活力にあふれたものとするものの最有力候補、サークル活動。 私もこの大学の四年間は、イコールサークルでの四年間であった。
早稲田大学に存在する、公認、非公認問わず全体で数百にものぼる数のサークルたちは、春になると例年のごとく、戦争に突入する。
入学式に参加する新入生に甘言の羅列されたビラをバラまき、大学構内にブースを並べてカワイコちゃんをはべらせ、新入生はタダだと謳い飲み会に誘う。
あらゆる手練手管でほかより多くの新入生を取り込み、その戦力を強化せんとせしめる。
その争いは熾烈を極める。走り来る自動車を物ともせず、警備員は総シカトである。新入生が手を差し出そうものならば、いたいけな彼(彼女)が思った10倍のビラが返ってくるとみてよい。
すべてが去ったあとには、踏み散らされた哀れな紙吹雪しか残らない。
これが通過儀礼であり、また儀式を遂行する首長たちの姿なのである。
ところが近年、この自然な営みを圧迫する、大きな陰が早稲田大学を覆いはじめている。
この『新入生歓迎』行事という儀式の姿を、根本から変えようとする勢力が、早稲田大学には潜んでいる。
さながら中世における西洋からの侵略者。その圧政の影響は、私が入学した頃からこの儀式の様態をたどれば明らかだ。
私が入学した2006年、新勧活動における最初の洗礼は、(事前に大学に来たものでなければ)戸山キャンパスの正門である。
新入生は、全体入学式をうけるために正門から体育館まで歩くことになる。その道は数多の上級生によって作られ、
体育館に入るまで、両脇に並んだ上級生にビラを渡され続ける。一度手を出したが最期、その上に積み重なること山のごとし。
次の年、2007年以降、戸山キャンパスにおける以上のような新勧活動は禁止された。
基本的に、大学での新勧活動は、大隈講堂で行われる学部入学式か、大学構内に構えたブース、そして戸山キャンパス脇にある学生会館内に限定される。
早稲田に(ほぼ)初めて訪れた新入生を圧倒し、勢いでサークルに勧誘するという極め技を奪われたのである。
この時点で、上級生、そして新入生においても、話術があまり得意でない者が、新たな繋がりを得る可能性が一つ、失われたことになる。
翌2008年は、私も幹部学年として新入生勧誘にあたっていた。この年については、あまりに忙しすぎてよく覚えていない。
さらに翌年の2009年は、就職活動で忙しくあまり顔を出せず、覚えていない。
そして今年、2010年度の新勧活動は、著しい制限を受けることとなったようである。
それは、新勧活動を許可される時期の早期化だ。
例年の新勧活動は、4月1日から一週間弱ほど行われていた。
それが今年は、3月30日から4月3日までしか許可されないというのだ。
この、『許可』というのは、大学構内でビラをばらまいたり、ブースを設けることが出来る期間であって、各サークルが独自で行う飲み会や、部室においての新勧活動を含むものではない。
しかし、より多くのサークルに、よりオープンな感覚でもって接することができるのは、野外に設置された、「誰でもカモン」「誰でも見やすい聞きやすい」ブース、そして数多くの勧誘員とふれあう『新勧活動期間』である。
入学式が始まるのは、例年通りの4月1日。
この始まりの日よりも前に、誰が早稲田大学を訪れるだろうか。
もちろん、いち早く情報を得ていたり、気の早い者、モチベーションの高い者、行動力のある者は30日から大学へ向かうだろう。
しかし早稲田大学は、そのようなものばかりでもない。
多くの新入生にとって、学生生活を充実させるはずの素敵な出会いが失われること、必定。
このような 改 悪 を決定したのは一体どのような勢力なのか。血気盛ん、天下無双のアウトロー集団たる早稲田大学の学生たちに、このような理不尽を強いることが可能なのは誰か。
それが、 早稲田大学職員 なのである。
彼らは私たちの学生生活を陰から監視している。
私たちの親から余分なほどに吸い上げた養分で腹を膨らまし、私たちの自由を、青春を、なんの考えもない規制によって締め付ける。
これはなにも、新勧活動に限ったことではない。
学生会館は彼らによって完全に管理され、開館時間や部屋の利用、部室の使用権まで、私たちは「与えられている」状態だ。
夜22時まで残っていれば、わざとかと思うほどにいやらしい警備員の館内放送を聞くことになるだろう。
大学のネットやシステム関係はザルで、少しでも変な登録、操作をしようものなら部室のキー登録が消え、ネットの使用が不可になる。
迅速なアフターケアはない。
大学で授業があっている時間は、09:00から21:30である。
彼らは0900から1700までしかいない。
一般企業、大企業、公務員、など様々な職種への就職活動を支援する就職課の職員は、どう見てもエキスパートに見えない。
なにごとにも融通が効かない「お役所仕事」。これが、すべての職員に通じる言葉だ。
そして少し調べればわかることだが、彼らは、 なかなかに、 高給取り である。
彼らは私たちの大学生活に必要なものではあるが、不必要な部分もおおいにあるように、私はこの四年間で感じた。
このような、決して便利ではない、しかし不可欠な大学職員が早稲田大学には巣食っている。
彼らはこれからも、私たち学生たちの自由をせばめ、彼らの怠慢を増やしていくのであろう。
そのことに気付かずいや、気づかないフリをして、「円満」に学生生活を送ることは可能だ。
しかし、私たちは入学した時点で、すでに既得権益によって不自由を強いられている。その事実は、決してなくならない。
私たちは、戦うにしろ、無視するにしろ。 それを知った上で、自分なりの行動をとることを迫られているのである。
………………だから、 新入生のみんな、 3月30日から、新勧活動やってるので、早稲田大学にきてね! (私は卒業しているのでいませんケド
*大なり小なり、様々な誇張を伴なう表現を駆使しておりますが、言いたかったことは結論の一文くらいです。すべてが真実であるという保証はありません。
甘いな。いつの時代も歩兵は必要なのだ。ならば、俺は一万の中の一人でいい。
このゲームではプレイヤーキャラが馬に乗ると、すごく強くなるのだ。
移動にも戦闘にも、馬に乗っているのと乗っていないのでは段違い。
「封神演義」を読んだ時にも思ったが、広大な土地(グローバル社会)での戦闘では、落馬は即、死を意味するということ。
馬を使えない戦士はありえず、馬を乗りこなすこと、良い馬に乗ることが勝敗を決めるということ。
コンピューターを使いこなせない、英語が読めない話せない、ということは、
現代においてはかつての中国で馬に乗れないのと同じではないだろうか。
戦場に行くことすらできない。無双など夢のまた夢。
まさに、話にならない、のである。できないとか言っている場合じゃない。
あんま関係ないかも↓
その格好で繁華街をあるいてご覧なさい。キャッチとか、勧誘とか、眼鏡にひとつ縛りの時の比じゃないくらいよってくるから。
あとこう、心なしか街行く男性が自分に優しいのも実感出来るんじゃないかと思う。
外見なんかただのアイコンに過ぎないけれど、逆に言えばアイコンというのは自分の中身の宣伝だものね。
「私は女性らしいですよ」と無言のうちに語っているも同然なのだ。悪い意味じゃないよ。
加えて言うと、口をぱかーと開けて油断丸出しで歩いてるとナンパしつこくなるから注意な。
ちなみに、自分で自分の格好が可愛いと思える時に乙女ゲやるのオススメ。主人公と自分を同一視出来る時すらある。自分が可愛い時に「かわいいかわいい好きだ」と褒められるのはかなりいいもんです。(あ、これコーエーが無双とかOROCHIだったら的外れかもごめんなさい)