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はてなキーワード: 楽器とは

2009-03-18

勉強の楽しさ

知らないことを知る 学ぶ楽しさを大人になってから知った

学校勉強も強制されてやるんじゃなくて知ることや会得する楽しみを知っていたら

もっと自分から勉強したんだろうなー

思い返せば小中学生の時に優秀だった子は勉強スポーツも楽しんでいたっけ

やらされてる感は無かったな。中には強制されてる子もいたが。

勉強を楽しんでやってる子は勉強だけではなくスポーツ楽器も絵もそこそこできていた

あれって親がうまく誘導していたっぽい

親も子もジアタマがいいってことかね

2009-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20090310213713

ミクの4分33秒が4万以上再生されていることから思いついた釣られエントリでした。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1088800

脱構築」とかびっくりです。wikipedia見たけど難しすぎてわからんかった。

あと、思いがけずブクマついたので以下蛇足。

年寄り感動しやすいのは、世界が永続する安心感ではないと思います。(自分が死んだあとの世界の存続に思いをはせるくらいヒトが優しいと思えたら、私はもっと幸せなのですが。)

単純でエゴスティックに、音による刺激+子どもというアイテムとその言葉を使って、追憶という麻薬を味わっているのです。

これは音楽楽しみのひとつで、うまく年を重ねると経験音楽をより豊かなものにしてくれる。

年寄り×じゃなくてうらやましい。むしろ「その引き出し少し分けてくれ」という気持ちです。

今日の「スーパーピアノレッスン」を見て、その気持ちをまた新たなものにしました。シフすげえ。

あと「言葉は飛び道具」は、うまいこと胸を打ち抜いてほしいという気持ちもこめて書きました。

時々頭を打たれて頭痛がやまないことがあるので、マジ勘弁してほしい。

個人的には旋律と言葉が「ピッタリ」であることは、歌モノの音楽に最低限要求したい。

そしてできれば「ピッタリ」を越えて、言葉ではとりこぼしてしまう「何か」を感じさせてもらいたいものです。

自分スイッチを調整しろという話かもしれませんが、これは譲りたくないところ。

ryo氏の詩はうまいですね。

元増田のお詫び云々は読んだけど、満を持して釣られたつもりだったので、かなりガックリしました。

ちなみに私はできれば生演奏ピリオド楽器でお願いしますという古楽原理主義者の端くれです。まれに金をもらって歌います。

ボーカル楽器です。ボーカロイド技術は「歌唱」の秘密を解き明かしてくれるのではないかと期待しております。

…なんだかなー

2009-03-14

ミクは楽器だよ

http://anond.hatelabo.jp/20090308195050

じゃあ、技巧に感動してやればいいじゃない。VOCALOIDエンジンライブラリつきで販売されているサンプラーという「楽器」のスタイルで作られているんだから。

実際ボーカロイドの曲のファンには「ソフトウェアでこんなに人間が歌うような歌わせ方ができるなんて、なんてすごいんだ!」

という感想を持っている者だって多くいるだろう。

2009-03-13

ボーカロイド

キャラクターとして年齢、体格と得意なキー・テンポ・ジャンル以外特に性格設定などが存在していないはずのボーカロイド

挙句ロイツマMADパロディから派生した「ミクの持ち物=ネギ」がクリプトン側も認めているのか半ば公式化し、ユーザ側からは新ボーカロイド発表されるたび持ち物論争(笑)が持ちあがる。

ソフトシンセ楽器としてのボーカロイドはともかく、性格付けした上で偶像化するような風潮は理解に苦しむところはあるし、巡音ルカの発売前にさんざ持ち物論争していたのは「まだデモ曲すら発表されてないのに…」と半ば呆れ気味に眺めていたけれども。

最終的にボカロと肉声、どっちが絶対的に優れてるとは言い切れないかな。

過剰な持ち上げ方には疑問があるけど。

そして性格設定やら持ち物論争なんてのは、擬人化萌えに近いものを感じる。

ボカロにはボカロの良さがある。

(個人的には過度の人間味を持たせない、過度に神格化?されていないほうが、持ち味を生かすという面で好ましくはある。)

肉声には肉声の良さがある。

(機械的に正確すぎずぶれのある方が心地よく感じることも多い。)

だからカヴァー曲に関して「人間よりも上手い!」「原曲よりいい!」という(ある種の狂信者的な)意見は原曲が好きな側から見てかなりガッカリするんだよなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20090312233645

CDは、そこに入っている音のみで評価されて売れるべきものだと思っている。」

すごく無理がある。

おそらくは彼自身も音のみで評価なんてしていないと思われる。

している「つもり」ではあるだろうけど。

実際音楽CDに入っている音のみで評価するなんて不可能に近い。

文化的背景なくして音楽は生まれようが無い。

人が作るものなんだから、その人の生きた、人生社会、時代、そして文化、

そういうものが渾然一体となって、音楽に反映される。

だから、音楽を鑑賞するときには文化背景を知るとより深く鑑賞できる。

例えば、ドヴォルザークの「新世界より」を鑑賞するときに、

ドヴォルザーク人生を知っているかいないかでは大違いだ。

そしてそれは演奏する人にとっても同じ。

彼が言う本気で音楽をやっている「プロ」ならなおさらだ。

それこそ「新世界より」の意味を知らずに演奏してるプロなんてほとんどいないだろう。


クラッシックの話で説明すると大仰だけど、JPOPだろうが、初音ミクだろうが、みんなおんなじ。

ダライアス音楽が好きだって言っても、ゲームを抜きにして音楽の話は語れない。

だって作り手もゲームを抜きにしては作っていないし、

聴き手もゲームと無関係に聴いたりはしないんだから。

歌っているのは、男か、女か、楽器は何を使っているのか、

いつの時代の何処の国の、どんな境遇の人が何を思って作った音楽なのか。

みんな大切なことだ。

人間が作っている」ってのはそういうことだ。

逆に、もし彼が頑なに音楽を音だけで鑑賞しているのだとしたら、

それはもったいないから、ぜひもっと、

その音楽が生まれた広い文化や歴史風土と一緒に鑑賞することをオススメする。

分からなかった音楽が、分かるようになるよ。

音楽を通して、相手の文化に触れることができるようになるよ。

初音ミクが楽しんでいる人は、Pと呼ばれる作り手の試行錯誤にリアリティを感じている人達

初音ミクの声やキャラクターから沸くイマジネーションを共有することができた人達

楽しめない人は、音だけを聞いた人達

文化的断絶があると楽しめないのは、いたって普通のこと。

http://anond.hatelabo.jp/20090312233645

機械の声?某声優さんの生声がソースになっているじゃないか。

ゼロから演算モデリングしてるわけじゃない。

あとデジタルのA/D・D/Aが嫌なら、CD聴くのも止めたらいいんじゃないかな!

ついでにPA使う音楽も否定してメディア経由で音楽聴くの止めて

ボーカル含む生楽器ライブで聴くだけにしたら偉いと思うよ。

路上弾き語ラーですら軽微PAをあたりまえに使用している昨今ですが。

http://anond.hatelabo.jp/20090312233645

この流れの中で、目に留まるかどうかもわからないし、本当は増田じゃなくてblogで書いてもよいのかもしれないけど。

http://slashdot.jp/~TarZ/journal/450116

http://noroom.susumuhirasawa.com/modules/H3/2008/08/23/dhuooea/

ミュージシャン平沢進自己音楽にひっそりと取り入れていた例です。

だから女性の声は全部アレだと言っているのだ。磨けばプロになると言っているのだ。ソプラノだろうが何だろうが徹底的に調整すれば出るのだ。ちなみに「白虎野の娘」も「確立の丘」のコブシ回しのお姉さんも皆同じエンジンだ。

僕はこの曲のコーラス機械で作られたものだなんて一瞬も思わなかったし、何度聴いてもすごく厳密に計算された、音楽的なものだと感じる。

元増田には是非聴いてほしい。人間VocalVocaloidは別の楽器だ。サックスが生まれてもクラリネットやその他の楽器存在にまったく影響を与えなかったのと一緒で、別物として処理されるべきだ。

初音ミクが気持ち悪い理由

僕は別にアンチ初音ミクではないし、新しい技術に否定的なわけでもない。ただ、初音ミク音楽は何か気持ち悪いと感じることが多い。声に「表情」がないからだ。


人間が歌を歌った場合、悲しい歌では悲しい声になるし、幸せな歌なら幸せな声になる。たとえ歌詞がなくて全て「ダバダバダー」で歌ったとしても、マイナーコードの部分は悲しげな声に、メジャーコードは楽しげな声になるものだ。これは、意識してやっているわけではない。そのような表情が、不可避的に「ついてしまう」のだ。ちょっとやそっとエコーをかけたぐらいでは、ついてしまった表情をはがすことが出来ない。それが、人間の歌の宿命でもある。


楽器でも同じである。悲しい曲を演奏すれば悲しげな音に、楽しい曲なら楽しげな音に「なってしまう」。


しかし初音ミク電子楽器では、そのような表情がついてこない。悲しいと言いながら、全然悲しそうじゃない。嬉しいと言いながら、全然笑っていない。そこらへんが、気持ち悪いのだ。


電子楽器を使った音楽が全てクソだと言っているわけじゃない。カラオケボックス流れmidi伴奏なんかは99%クソだが、熟練した技術者が綿密な計算に基づき丁寧にプログラミングした電子音楽は、そのような表情をちゃんと感じられて、感動できる。


初音ミクに関しては、まだその技術が熟成していない。

……いや、未熟を自覚していて、日々精進しているのなら良いのだ。仮に、そんな技術は必要はない、音に表情など要らない、っつーか音を聞いても表情なんてわかんねーよ、みたいな職人が増えているとしたら、それはゆゆしき問題だ。声を聞いて相手の思いを感じられることは、人間コミュニケーションの基本中の基本なわけで。人間としての基本的な想像力が消えつつある、ということになってしまう。


今の初音ミクの曲は、他人とコミュニケーションがとれないひきこもり音楽である、と言わざるを得ない。だが、シンセサイザーのようにプロ技術によって豊かな表情を生み出すことだって不可能ではないはずだ。

どうかそのための模索を諦めないで欲しいと思う。


http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

2009-03-12

機械でも良いという人たち

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

気になったのでなんとなく。

何で買う人がいるのか。好きになったから買う。まあそれだけ。

多分例のCDの曲聴いた人はJ-POPな曲調とか

ミクを知っている人は調声が凄いとか買ったとかそんなんな気がする。

また、生声じゃなくて機械声、又は機械的に編集された声だからこそ

映える音楽もあることは解ってほしい。

今回の曲については生声でも機械でもどちらでもいいと思うけど、

テクノエレクトロ・ポップはそのままの生声ではなかなか馴染みにくい。

perfumeとかもバリバリ声が編集されてるでしょ?

ひっくるめて合成音楽感動するなんて頭おかしいっていわれている気がして心外だ。

それに苦労の分売れるべき、なんてことはない。結局買う側の好み

メジャーな人も、貴方が知らないところで本当に頑張っている歌手たちも、

買う人が聴いた時に惹かれるか、どれだけの人が惹かれるかだとおもう。

あと、人間が本気で歌っているCDもいいけど、歌のない楽器機械だけでつくられたCD

買うべき。演奏媒体がなんであろうと、みんな本気だと思うよ。

2009-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436


元増田さんがまだ残ってるかどうかわからないけど、もし居たらぜひこの記事について意見を聞かせて欲しいんだ。

煽りとかじゃなくマジで


http://slashdot.jp/~TarZ/journal/450116


ちなみにMEIKOというのは初音ミクと同じクリプトンから、初音ミクよりずっと前に売り出されていたボーカロイド

平沢進氏が自分楽曲ボーカロイドを使っていたなんて、本人が発言するまではほとんど誰も気付いていなかった。


この事実についてどう思う?


あと、個人的な意見を言うとryoさん(Supercell)はあんまりボーカロイドの調整が美味い方ではないと思う。

楽曲自体は素晴らしいところがいっぱいあるし、いっそのことこれをキッカケに生身の歌手のための作品を作るプロになってくれたらいいんじゃないかと思ってるけど)

だからryoさんの作品だけでボーカロイドすべての「実力」を見切ったつもりになられると、いちボカロFANとしてはちょっと悔しい。


平沢氏のように、生身の人間とまがうばかりの調整をさせる人もいれば、ボーカロイドならではの特徴を生かして、ボーカロイドでなければ歌い得ない作品を作ってる人もたくさんいる。

(ここで迂闊に紹介するとその作者に迷惑がかかるかもしれないので控えますが)


ボーカロイドというのはまだまだいろんな可能性を秘めた新しい「楽器」なんじゃないか、少なくともその可能性は大きいはずだと思ってる。

まず否定ありき、で入ってきてる人には、その可能性はなかなか気付けないのかもしれないけど……。


もしかして、50年、100年後になってふり返ったら、実は今の私たちは音楽歴史の大きな転換点に立ってたんだと気付くかもしれないよ?

ただ単にボーカロイドという技術の話じゃなく、プロアマチュア、という区別や、著作権というものの在り方そのものもどんどん変わってゆくのかもしれない。

ニコ動におけるボーカロイドのもう一つの魅力は、ひとつの楽曲があらゆる人にどんどん引用、改変され、名作にはあっというまにアンサーソングが作られたり、たくさんのPVや「歌ってみた」動画が作られてゆくこと。こんなことは今の著作権にがんじがらめに縛られたプロ世界ではなかなかできない。作品レベル云々ではなく、そういった生々しい”躍動感”に惹かれている人も多いはず。本来、「生きた文化」というのはそういうものであったんじゃないか、河原で演じられる大道芸投げ銭を投じるような、即席で吟じられた和歌に返歌するような、そんな時代がネットによってもう一度復活しようとしてるんじゃないか、とさえ個人的には思っているのですが)


せっかくこんな面白い時代に生まれ合わせたのに、元増田さんみたいに凝り固まってるのは、なんとなく勿体ない気がします、よ?

http://anond.hatelabo.jp/20090311223656

以前よく見ていたサイトにいたオタ(常連)。

非コミュキモオタで何かと非オタを目の敵にしており、

非オタ関係の話題は絶対NGという暗黙の掟があった。

そんなある日、ボーカロイドCDオリコン入りし

非オタが聴くような曲を抑えて上位になったものだからさあ大変。

和気藹々とボーカロイド曲の低レベルさについて盛り上がっている所にオタが

ボカロ機械じゃなくて人間の声だ」の一言をきっかけにオタを擁護する言葉を連発。

CDになった時点で人間の声だって機械だとか、テクノや打ち込みも否定するのかとか、

ボーカルだって楽器のひとつなんだからボカロを認めない人は弦楽器も認めないの?とか、

無理ありまくり屁理屈に対する周りの引きっぷりなんか眼中なく酒も入ってないのによく喋る。

あまりに頭に来たのでオタに向かって

大丈夫!どんなに理論武装してもキモいことに変わりはないから」となだめるように言った。

直後、意味不明レッテル貼りをされて会話にならなくなった。

http://anond.hatelabo.jp/20090311110705

音楽の論争って大体そんな感じの軸だよなって思った。

アンプラグド楽器シンセとかでもそう言う話がある印象。

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

機械楽器感動できない悲しい元増田

その理論だとテクノ買ってる奴は100%馬鹿ということになるね。機械の音だから。

MIDIとかDTM音楽感動する奴は馬鹿なんだよね?JPOPは低予算のだと打ち込みで音作ってるよね?アニメとか声優の歌なんてほとんど打ち込みだよね?そういうの買ってる奴も馬鹿なんだね。機械楽器が奏でる音だから。

じゃあ明和電機なんて馬鹿の筆頭だよね。

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

論理がおかしいw

「俺は断言するが、あの初音ミク機械の声を聞いて感動してCDを買う奴は馬鹿だ。これは100%断言できる。」

100%断言(笑)する理由が後に書かれている文だと思うが、全然説得力がない。

人間の声と機械の声が区別つかなくなってる」訳は無いw

あれは単なる歌詞を載せられる楽器。そもそも音楽には本物、偽物なんて概念存在するのか?

プロ歌手が普段どんなことをしてるか」なんて事、お前みたいに想像はできるかもしれないが本当に知ることはできないだろ。

我々一般人が知ってる筈もないし、知る必要もない。「努力お金を払う」なんて事、それこそ音楽へ対する冒瀆だよ。

おまえはちゃんと頭が冷えてるのか?w

2009-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20090310212322

おいおい、『月の浜辺』は演歌じゃないぜ。流行歌

昭和6年に、今の意味での「演歌」はほぼ影も形もない。

その程度の音楽知識は最低持ってるべきだろう。

あと、古賀政男の曲もピンキリだろうけど、安易に「平凡」とかいうと

猛烈なツッコミくらいかねないぜ。

wikipediaから流行歌について記述を持ってくると

音楽

クラシック音楽を基礎とし、極めて器楽的である。使用楽器室内楽のものに準じることが多い。ギター使用されることもあるが、クラシックギターである。譜割りも現在ポピュラー音楽と違い一定の規則を守っており、その中で個性を出すことに作曲家才能が試されていた。

後世からは「演歌」と混同されることが多いが、音楽性の面から見ても大きな誤りである。流行歌音楽性は現在演歌歌謡曲に加え、クラシック声楽曲などさまざまな分野の要素が渾然一体となった様相を呈しており、演歌以前の独立的な音楽性が認められるからである。

むしろ楽器としてのボカロを語るにはいいジャンルなんだよ、流行歌は。

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

私も言葉意味を分からずに歌う子ども合唱にジジババが感動して泣くことが理解できなかったが、年をとるとだんだん分かってきた。

音楽とは誰かに聴かれたときにはじめて成立するもので、それは演奏者の意図した感情とか技巧ではなくて、聴衆がかきたてられたなんらかの感情が「音楽」なんじゃね?

言葉を発するのはヒトでなくて、ミクでも、九官鳥でもいい。聴くほうにメインスイッチがある。

君の方に感受性がないんだ。残念だったね。

個人的にはインストルメンタルや、ヴォカリーズには感動できない詩先の輩は、ある意味音痴なのだろうと思う。

言葉音楽においては飛び道具です。

ミクは楽器で、作曲者(データ入力した奴)の感情と技巧と言葉がこめられている。

そういう意味では新しい音楽とは言えないけど、バッハモーツァルトジャズロックもこんな風に言われただろうし、やっぱ新しいものなのかもね。

子供の頃、よく子供向けのクラシックコンサートを聞きに行った。

何度か行ったうちの一回の前説で、心に残っている事があった。

高学年にはなってたけど、流石に覚えきってないので、大体こういう事を言った、という記憶

本当は、クラシックコンサートは結構チケット代が高いんです。

少しでも子供クラシックに触れてほしいから、普通だったらありえない金額でやっています。

だからこそ、絶対にクラシックを”面白い”と思ってほしいんです。

今から、「XXX」と「YYY」と「ZZZ」という曲をやります。

多分、みなさん「ZZZ」の曲で寝ます。

お父さん、お母さんも寝ると思います。これは眠るために作られた曲ですから、是非寝てください。

そこで次に「###」という曲を演奏します。

みなさん、ここで起きます。

がんばって「ZZZ」を起きて聞いていた人は最初のジャーンで隣の人がびっくりして起きるのを楽しみにしてください。

母親は、クラシックには疎くて、それでも折角の機会だからと何度も連れて行ってくれていた。

見事に母親は眠って、言ったとおりに目を覚ました。

当たり前といえば当たり前なんだけど、

プログラムをちゃんと子供記憶に残るように

試行錯誤して考えているんだとすごく感動した。

楽器の紹介と共に本物の楽器に触らせてもらえたり

曲の背景の話があったり。

演奏の裏話があったり。

普段はやらないような演奏の仕方をしてくれたり。

テストには出ないだろう経験を一杯させてもらえた。

自分が眠っちゃうのに、連れてってくれた母親感謝してる。

http://anond.hatelabo.jp/20090310152124

http://anond.hatelabo.jp/20090310014600

売る方からしたら、「ボーカロイド」って「楽器」じゃなくてあくまで「アイドル」みたいなもんだろ。

アイドル」の歌が上手かろうが下手だろうが、売れればいいだけで、ボーカロイド自体にはクオリティはさほど求めていない。

旬の素材でネットインディーズでの実績もあり、

楽曲クオリティもよかったからCDを出した。売れた。万々歳。じゃあ次は?

飽きられるまでアイドルには働いてもらうだけだろ。

アマチュアPAからちょっとだけ言わせてもらうけれども

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

あのさあ、例えばさあ、CDにする時点で「機械の音」じゃん。たくさんの人がすでに書いてるけど。

で、生ライブでもさあ、ボーカルの前においてあるのは何?マイクだよね?機械だよね?で、その機械がケーブル通してどこにつながってるかっつうとやっぱり機械なわけじゃん。PAのミキサー卓でオペして調整してスピーカーっつう機械から音を出すわけじゃない。楽器も同様ね。

DTMやミクとどう違うのっつう話ですよ。確かにあれ変な声だけど、その音が楽しい、て層ももちろんいるわけ。音楽なわけ。それを否定する権利は別に君には無いわけ。

完全に生音生オケ演奏歌唱っつったら今オペラくらいじゃね?

君は何を問題にしてるの?まさかオペラ以外音楽じゃないとか言い出す気じゃないよね?

全然論点が見えてこないんだけどさ、何が結局主張したいことなの?

機械の声で感動する奴は馬鹿だとかいってる奴らの言論は所詮こじつけ

じゃあ単なる矩形波とか波形メモリとかFM音源を聞いて感動してCD買ったりしてた俺たちは馬鹿だったわけ?
何であれがいいという人の気持ちがわからないの?
誰だってあれ聞いて機械だって言うのは一瞬で分かる。だからなんなの?
素直に綺麗な音だったら感動するしそうじゃなかったらダメってことだろう?


グラディウスの未使用曲も、
ダライアスの最終ボスメロディも、
ソーサリアンのオープニングとかエンディング2も、
どれも素晴らしい音であり、それは感動に値するものだったし今でもまだしみじみ聴ける良さがあるんだ。


でも単なる矩形波なんだ。もう僕は矩形波が適切な周波数ずれで重なってて適切なエンベロープで鳴るだけで綺麗な音だと認識してしまうんだ。


同じ矩形波でもアミダーとかスクランブルとかで鳴ってた奴とか
PC-6001で最初に「シンセサイザ搭載」とか言って嬉しがってplay文で鳴らしていた音なんて
当時の音楽家からすれば馬鹿にすんなというより「これは音楽じゃない」レベルだっただろう。
でもその音とダライアスの最終ボスメイン音はほぼ同じ音源のはずなんだ。
最初はクソだと思っていた音が、どこかで感動を与えてくれるものに変質する可能性があるんだ。


当然あのときにも「生楽器とかとは比べ物にならないね」とかそういう変なことを言う奴は居たけど、
そもそも違うものなんだから比べようがないだろう。

要するに今彼らが初音ミクを気に入らないのは、単純に彼らの聴いたことのある初音ミクボーカルいまいち綺麗でないからなのであり、機械の声かどうかなん関係ないのではないかと思うのだ。

つまり人間感性がおかしくなってたら、それはおかしいって言って

その流れを止める人間が必要なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090308183339

というわけで既にみんなおかしくなってて機械の音を平気で聴けるようになっちゃってるんで、流れを止める必要があるというのなら初音ミクが出てくるより前にやっておくべきことだったんだ。もう遅いんだよ。

2009-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20090309221226

まったくその通りで、逆にある程度の量、洋楽を聴いてると、英語が理解できたとしても英語の歌声はまず「意味」より「音」なんだ、ってわかってくるんだよね。楽器の一種としての声。

そして、その価値基準みたいなものに染まってから邦楽を聴くと、「意味としての言葉の発音」をハッキリやりすぎてしまって、「音」としての性質をダメにしてることがわかってくる。

2ちゃんねるかなにかで書いてる人がいたけど、その人はディープパープルのレコードが発売された時、クレジットに「歌と演奏ディープパープル」と書いてあるのを見てトホホとなったらしいんだけど、本当に日本は「歌と演奏」の文化なんだよな。両者は切り離されてる。

俺の価値基準から言えば、そんなに「意味」が独立してしまうんなら、何も音に乗せないで演説でもすりゃいいじゃんかと思うんだが。

http://anond.hatelabo.jp/20090309001247

茶化した増田だが、

真面目に書いた?主張が間違っていない?

半分冗談で書いたと思ったから茶化したわけで。

他の増田が書いてるのとかぶる部分もあるけど

  • 我々は苦労や努力を評価してCDを買うのではなく、音楽を評価してCDを買う
  • じゃあ楽器はどうなるの?ピアノとかならまだしも、電子キーボードとかだとVOCALOIDとそう変わらないよね?
  • 機械の声で感動しない理由が少ない(機械だから、努力してないから、それくらい?)
  • 人の好みケチつけて、こうであるべきだ、と押し付けることの何が主張であるのか?
    • エロゲケチつけてAVの良さを説いてるのと、そうそう変わらない内容だよ
    • 自分好みと合わないだけでわざわざ叩かなくても、こんな変な趣味の人もいるんだなぁ、とほっとけばいいじゃん
  • 主観だけでダラダラと「これは100%断言できる。」とか「日本の将来は大丈夫か?」だとか「本物を知らないニートばっかなのかあそこは。」とか書いてある
    • 何かを主張するってのは、不必要な煽り文句は削って、結論とそう思うに至った理由を簡潔に表現することじゃないのか
    • 「あれ機械じゃん。機械の声だよ?...俺ははっきり言うが、もっと人間が本気で歌ってるCDを買うべきなんだよ。」は「お前らな、並280円如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。280円だよ、280円。...吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。」ぐらいの馬鹿馬鹿しさを感じる

これだけの突っ込みどころがある文章を、どうしてまじめに書いたと思えるだろうか?

2009-03-08

ちょっと考えてみた

ミクにしても、テクノにしても、打ち込みにしても、シンセサイザーすらも、否定するのかな?

歌うことだけが人間アイデンティティかな?

音楽は道具=楽器を通じて進化してきたし、メディアを使って一般化してきた。

でも、それはみんな人間が求めて作り上げたもの。

DTMだってもはや一昔前のテクノミュージックだけのものじゃない。

アコースティックの音と区別が出来ないほど、自然な音をシュミレートしてる。

ミクだって、シュミレーター。それはたまたま人間の声をシュミレーとしているだけって事。

音楽は自由でいいと思う。

アカペラの、人の声だけの歌も良い。

アコースティック楽器弾き語りも良い。

クラシック音楽も良い。

テクノもポップも自由自在。

どんな楽器を使ってどんな感情を表現するか、それが音楽

そこから何を受け取れるのか、聴き手の感受性を試すもの、それが音楽

作り手の感性と聴き手の感受性の化学反応、って事かな。

ということで、頭ごなしにミクを否定することの意味は無いと思う。

だからといって、人の声の持つ感情表現を否定するものでもない。

http://anond.hatelabo.jp/20090308190204

http://anond.hatelabo.jp/20090308184812

楽器だけでなく、小説や絵画などの芸術も全否定してるからな。

とにかく直接的に感情を伝えれば感動できると思ってるようだ。

脳をコードで直結して電気信号を相手の脳に叩き込むのが、たぶん元増田理想

http://anond.hatelabo.jp/20090308153613

ついこのあいだまで音楽なんてものは、絵画や彫刻みたいに金持ち文化人のものだったんじゃないかなって思う。

音楽も録音できるようになって、大量生産できるようになって、いわゆる「作品」、「誰かのもの」じゃなくなったんじゃないかと。

CDなんてものはプレーヤーボタンを押すと曲が流れる、もはや「楽器」みたいなものだ。

電気ポットのデザイン意匠者の息遣いを感じられるほど、僕らは敏感ではなく、ただなんとなく生きてる。

同じように、音楽を聴くという行為に対して、コーラを選ぶかスプライトを選ぶかくらいの軽さくらいにしか曲そのものに考える部分はない。

俺の場合ね。

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