はてなキーワード: 楽器とは
http://anond.hatelabo.jp/20090307004125
音楽だけに限った話じゃなくて、なんでも無料で享受できるという発想は、
単純に「労働に対しての対価」という価値観がないんじゃないか?
「購入厨」とか言い出す頭にウジのわいた小学生じゃないんだから、
無料でDLできるからとか、払う価値がないから払わないとかじゃなくて、
こちらが「モノ」を入手する対価を支払うのは、当然のことだろう。
その提供する「モノ」を作るのに、時間や金がかかってるわけだ。
ニュースだって、記者があちこち取材して記事を書いてるわけで、
音楽なら楽器から始まってレコーディングの機材、スタジオの代金、
CDならプレスする代金。流通コスト、ジャケットのデザイン料がかかってる。
そして何よりミュージシャンへの利益が確保されなければいけない。
だから、無料で手に入れられるべきではない。
無料の場合は、あくまで「広告」としてそれを配布しているのだと気がつくべきだ。
と、ここまで書いてフリーソフトのことを思い出した。
今これを書いてるのはsakuraエディタだし、ブラウザはfirefox、メーラーはThunderbird、
画像の閲覧はIrfanView、たしかに「無料でDLできるもの」ばかりだ。
そうなると無料のモノが有料のものを駆逐する、というのはあながち間違いではない気もしてくる
(とはいえPhotoshopやFLASHは買い続けることになるだろう)。
ただ、いくら無料だとはいえ、最低限感謝の気持ちは忘れたくないし、
Wikiペディアのように寄付を募っていれば、寄付することは、忘れてはいけないことだと思う。
「金」っていうのは、誰でも使える、何にでも使える、便利な感謝の気持ちを表す道具なんだ。
どの層がファンなんだ、誰がCD買ってるんだ、と思ってるんですけどー。
増員って。
モー娘か、と私も他のたくさんの人と同じように思いました。
エグザイルってさ、目新しいことを一つもやらない人たちっていう印象なんだけど、そのあたりどうなんだろう?
だって、一番ヒットしたのってチューチュートレインとかじゃないのか。
ATSUSHI(でしたっけ。歌のうまい方)が、途中で加入してもとから居た男前だけど歌はイマイチな人がいなくなって、ヤングなイケメン(歌は発展途上)が入って、っていうのは一応知ってるんですけど。
今度、ネスミスと一緒になるんでしょ?
むしろ二人にしてしまえばいいのに。
で、いまさらケミストリーと対決すればいいのに。
わたしがエグザイルを受け入れられないのは、踊る人たちに何の意味が?と思ってしまうからなんだろうなぁー。
これと同様に、なんかラップの人たちで楽器いないのに10人くらい居るひとたち、あれも「リストラせんかい」と思って見ているんだけど。
だって、リップスライムはさ、全員の声のタイプが全然違ってて、全員に「居る必要がある」のはわかるのよ。あれは、あんだけいないとダメな音楽だと思うんだけど。
10人くらい居るひとたちって、全員ユニゾンがほとんどじゃん。
・・せめて半分でよくね?
あれは、「え、デビューすんの?じゃあ俺もいれといて。バイトクビになっちゃったし」的な感じで増殖したとしか思えん。
はい。で、エグザイルの話に戻そう。
14人になったけど、これがきっとどんどん減ると思うんです。
だって、やっぱさー「俺がここに居る意味って?」って思うじゃん、人間って。
私の予想は年末か、年明けに一人減る。だな。
ま、そこまでエグザイルが今の調子かどうかも疑問だけど。
どこそこのバンドの~とか、クラシックの薀蓄とかに詳しい人じゃないのだけれども、
決して嫌いなわけじゃない。曲調や歌詞なんかも悪いものではないと思う。
そりゃあ中には雰囲気だけでそれっぽく見せてる曲とか、
何かの焼き直しにしか聞こえない曲もあるけど、それも一つの表現だと思う。
ただボーカロイドが歌うとただただ単調に聞こえてしまうこともある。
それが歌ってみたとかなんかで人が歌うとすごく良かったりする。
人間的なものが感じられないなんて書くと「古い人間だな」とか言われそうだけれども、
その辺り、ボーカロイドもシンセサイザーなんかと同じで、人間の表現を演出するための一つのツールなのだと思う。
何が言いたいのかぐちゃぐちゃになってきてしまったが、
ボーカロイドがすごいのではなくて、その裏にある人間の魂の表現がすごいってことにもっと目を向けてもらいたい。
なんだかボーカロイド曲をノリや雰囲気で全肯定して、旧来の音楽を古いって言う人たちがいたからこんなこと書いてるんだけども、
そんなに自分の受信帯域を狭めないでほしい。
世の中にはもっとたくさんすごくて、美しいものがいっぱいあるんだってことを知ってほしい。
そして、逆にボーカロイドを無視したり全否定する人にも「新しい表現」への受信帯域を広げてもらいたい。
伝統とか格式ばかりに囚われて停滞するのは音楽がかわいそうだし、人間すべてにとっても残念なことだと思う。
もっと新しい試みとかにも目を向け、愛してほしい。
新しいのも古いのも全部手を取り合って認め合ってほしい。
小集団ばかりで凝り固まってないでほしい。
もっと音楽には可能性があるはずだから。
そういう意味で買ってくれないじゃないのか?
楽器屋がダメになってピアノ売りつける変なピアノ講師が増えたらしいよ。
尊敬してたのに、舶来の高いピアノ売りつけようとするから変だなって思ったら
相当な販売報奨金がかかっているのが判明したとか。
オルガン教室とかさ、結局は楽器を売りたいだけの教室多いからな。
それに電子ピアノより、正直、キーボードの方が効果対費用いいよね。
ここにのってるような10マン以下の買うんだったら、
http://kakaku.com/gakki/digital-piano/
http://kakaku.com/gakki/synthesizer/
バイエルンでも食ってたほうがいいや。
ゲームが作りたい。
着ている服のポケットにライターが入っていたことをふと思い出して、それを取り出してとりあえず火を点けてみたように、ほんの小さな、しかし確かな、そういう情熱が出てきた。
そんな風に思ったのは、かつて自分がゲーム好きであったからだろう。ゲーム好きが高じてゲームクリエイターを志望した人は、ゲーム開発者の7割がたであると推測している。
でも、(プロの)ゲーム開発者になって、一体どんなゲームを作りたいの?というと、答えが上手く出せない。
「自分はこんなゲームをやりたいんだ!」と形にする、自分の中にある世界を表現する道具としてのゲーム、そういうのは売ることを考えずに同人で作るのが主流になっているようだけど、それは何か違う。好きなゲーム・ジャンルは確かに持っているけど、自分は受け手として満足をしてしまうほうなので、それにインスパイアされて似たようなゲームでアウトプットをするなら、他人には素直に自分の好きなゲームを紹介したほうがいいように思える。そっちのほうが完成度が高い。ただのゲームマニアに本当に面白いゲームは作れないというのが持論で、自分も一介のただのゲームマニアに過ぎない。
(個人的には、ゲームの企画書にシステムそっちのけて世界観やストーリーをびっしり書くという輩が未だにいるという話が信じられないのだが、これはFFやDQその他RPGに影響されたからなのだろうか)
ここ最近、任天堂が推進している「新しい遊びを作る」という運動には共感しているのだけど、自分はそこに一助などできそうにない。「体重を量るだけで楽しい」「楽器の演奏は難しいから簡単にできるようにしよう」「パラパラ漫画をみんなに紹介できる場を作ろう」という発想は自分の頭のどこをひねり出しても出てきそうには無い。一時期はファミリーベーシックみたいな感じで「専用のプログラム言語でキャラを動かして寸劇みたいなのが出来たらクリエイティブで面白いのではないか」とか考えてたけど、具体性は出せなかったし、夢物語だろう。
プログラマ、デザイナー、音楽など、専用のスキルは全く持っていないし素養もない。企画力もないように思う。あるのは半端なゲームの知識だけ。
(最近だとアンサイクロペディア、昔からも言われている話だけど「ゲームの専門学校生はレベルが低い」、どうなのだろうか)
プロデューサーというのだろうか、商品としてゲームを売り込みたいのでもない。企画の失敗、スケジュールの問題、商売という制約によって仕方なくクソゲーを作ってしまうことにも恐怖を覚える。
こんな感じでゲームを作りたいという割にはゲームで何をしたいのか今ひとつ解せてない。自分は子供の頃に「ゲームプログラマになりたい」とホザいていたけれど、結局プログラムに手を出すことはなかったし、自己分析をしてみて、ゲームを作る能力には欠けた適性ある人材ではないように思う。
ゲーム販売店に並べられたソフト、ゲーセンに並べられた大型筐体やビデオゲーム・・・そのラインナップに自分は何か貢献できないだろうか。昔ほどゲームが好きでもなくなったけれど、今はそう思っている。
ゲームを作るためには、具体的に何をすればいいのだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20080328230459
これをいまさらながらに読んで思ったこと
好きなことを仕事にしたくなかったので、私は芸大には行かなかった。
それでよかったと思う。楽器は好きだけど練習は好きじゃないから。
毎日練習して音の質をひたすら高めるという日々は、コンクールを受けた年の夏休みだけで十分だった。
・
人と話しながら答えを出すという作業が好きだったから、コンサルタントになった。
今は迷っている。人と話したりソリューションを考える作業は好きだけど、
経営は実は好きじゃないのではと思い始めたから。
経営のための解を探すことは好きだけど、
自分が会社を変えるんだ!とかって情熱は、「そうですかー」って感じ。
・
作業自体はとても楽しいから、イコール仕事が楽しいってことになって、
「好きを仕事にして良かった」ってことになる。
http://anond.hatelabo.jp/20090127211103
この寓話がダメなところは「フルートを自前の礼拝堂の前で吹く」という行為を「セックス」になぞらえていることだよ。だって、普通は楽器の演奏って、大勢の前で演るでしょ? この設定だと、一対一で「演奏=セックス」をするのは、多いけれども特殊な契約で、一対多数で「演奏=セックス」するのは通常の行為の範囲ということになる。大勢の人の前で演奏(乱交する)のが当たり前の世界で、たった一人に契約外の演奏を聞かせた(セックスをした)からって、それほど誰も怒らないだろうねえ。
浮気をして実務的にまずいところは、「婚外子」が出来るというのもあるけど、今はそういうことで差別するのは良くないって風潮があるから経済的に許せば、そんなに問題ないかもね。決定的にまずいのはね。「不衛生」ということなんだ。血液交換するようなもんだからさあ。身近なところでは性病ってのがあるけど、肝炎なんかもうつるしねえ。一対一でセックスしている限りは、そうそう菌が拡がったりしないからね。
だから、あくまでも寓話として仕上げたいのなら、「フルートを貸し借りする習慣がある」という風にしたらどうだろう? フルートの貸し借りは一対一でしか行ってはならないと法律で定められている。で、いろいろ探し回った結果、お互いに最高の相手だと思える相手と巡り逢い、フルートの貸し借りをする契約を交わした。ところが、片方がもっといいと感じられる相手と巡り逢ってしまう。しかも、本当はどちらがいいのか、吹いてみないと判断がつかない。契約前に1回だけ貸し借りをすることは認められているが、契約相手を決めてしまったら、貸し借りは出来ない。とすれば「病原菌が付いているかも知れないフルートなんかくわえられない」とパートナーに拒絶されてもしかたないかなあということになると思うよ。
問題は、ネットに情報を載せる人(新聞社やテレビ局)、ゲームを作る人、本を書いたり漫画を描いたりする人、それを売る人、楽器を作る人そのものが居なくなりそうな点だけどな。
業界そのものの体質を変える必要があるんだろうけど、それに至るまでに死屍累々を築く(分野そのものが衰退する)覚悟が要るし、自分の好む人達が都合良く生き残ってくれる保証も一切無いわけよ。自分がひいきにしてる漫画の作者が、PCでの制作についていけず廃業する可能性だってある。
でもって、体質が変わる前に力尽きる(分野そのものが死滅する)リスクも負わなきゃならん。
「○○なんてパソコンで済ませられるじゃん」と口走るなら、それくらいの覚悟はしとくべきだろう。
陰口が渦巻いてる状況に耐えられなくなって誰にも何も言わずオケを辞めた。
他のアマオケに入ったけれど
またオケを好きになれるかもしれないと思ってすごくいろいろ頑張ったけど
他の運営メンバーにうまく仕事振れなくて、フリーライダーを作ってしまい
でも誰にも自分のしんどさを伝えられなくて一人でいろいろ抱え込んで、
第一回演奏会終わった直後に高熱出して寝込んだ。そのオケも辞めた。
楽器を弾くのが全然楽しくなくなったので
バイオリンを試してみたいという友人のところに貸した。
楽器ケース見るのも嫌だった。
どんなに練習しても超えられない壁があって、
自分の体なのに言うこと聞いてくれなくて、もう嫌だと思った。
上手くなりたいのにどうしたらいいのかわかんなくなった。
好きだったはずのものを嫌いになっちゃうのってものすごく悲しい。
学生オケ内の政治力はその人の楽器の腕とニアリーイコールだから
あの時、周りを黙らせるくらい楽器が上手かったら
少しは状況が変わっていたのかなとも思うけれど
そういう訳でもないんだよな。
言いたいことがある時はその場で言わないとだめなんだよな。
去年の秋、システマチックに基礎練を教えてくれる先生と出会って
今は少しずつ基礎の練習からもう一度さらってる。
長いこと蓄積してきた体の癖はそう簡単に抜けてくれないけど
構えを変えたら明らかに響きが変わった。
浅田真央が自分のジャンプの悪い癖を3週間で修正したってTVでやってたけど
それができるのは本当に本当にすごいことだと思う。
あと、たまたま今の学科内で弦楽四重奏のできるメンツが揃ったので
時々四重奏を合わせてる。
まだまだ上手く弾けないところもあるけれど、気の合う4人で弾くのは楽しい。
オーケストラみたいな大規模な組織でなんかするのは向いてなかったみたい。
何人かと雑談してて、コンマス候補の子が席を外した瞬間、悪口の大炸裂。
もう( ゜Д゜)ポカーンとしてなにも言えなかった。
あと、自分の楽器の腕に対してこだわりすぎてたことに最近気づいた。
音質は悪くないんだけど、基礎がないから音程とアーティキュレーションがめちゃくちゃ。
生き急ぐこともないんだよな。
解決すべき課題がきちんと見えてきただけ数年前より格段にラクにはなってる。
今年は楽しく楽器の弾ける年にしたいなあ。
ハ長調と二長調が別に聞こえるってそりゃ普通だ。威張ることではない。本当はそういう雰囲気や気分の微妙な違いを考えて曲を作る。(だから昔の人はそういう違いを言いあてたいから、あれこれ表現したってわけだ)
でも、ポップスはどうかな。タダの音域あわせという発想でいいかもしれない。クラシックだって歌の場合は移調するからね、声域によって。あまり難しく考える必要はないかもしれん。
ポップスの音楽理論でどこまで実践したいのか知らないが、移動ドで考えると即興で移調できたりする(訓練は必要だ、そりゃ)。あと、微妙な音程感覚は移動ドのほうが感じやすいだろうな。絶対音感なんてものはどうでもいいし。ま、それも電子楽器つかうだけなら関係ないし、ギターって言っても、なあ。名人クラスはどうか知らんが、たいていそこまで考えて音程とってないだろ、普通は。
本当は歌やる人は 、自分で音程を作る楽器を何かやって半音の微妙な違いを鍛えた方がいい。けど、これも普通はしなくてピアノどまりだね。
音楽理論というからあれこれ書いた。続編頼むぞ。
と思った。
キーボードをよく見ればわかるように、様々なキーが乱立している。Shift、Ctrl、Alt、Esc、そしてWindows/Appleキーもよくみられるようになっている。
しかしShiftだのCtrlだのAltだの、機能キーがどんどん増えていてはちゃめちゃになってきているように感じる。それにしてはタイピングというものにもっと大きな可能性が残されているように感じてならなかった。何が問題なのだろうか?
今までの話はキーボードといっても汎用コンピューター入力デバイスとしてよくみられるキーボードの話であった。一方キーボードというものには楽器用のキーボードもある。同じ指で打鍵するタイプだが大きな違いがある。和音を奏でるためによく複数の箇所を同時押しをするのだ。
汎用コンピューター入力デバイスとしてのキーボードに視点を戻してみる。同時押しといってもそれはShift、Ctrl、Alt、Windows/Appleなどのキーが主体であり、例えばCとVを同時押しするとか、PとDを同時押しするとか、そういう利用法はほとんどない。というよりワープロから考えればわかるように同時押しを同時押しではなく逐次押しとして処理していくようになっている。
なんかもったいないんだよなあ。
無論アルファベットなどのキーの同時押しを別処理用途として開放することにはデメリットもある。普通に高速タイピングしていると瞬間瞬間では複数のキーが同時に押されていることは多いのだろう。例えば「dir」と打鍵する場合も詳しくみていけば「d」、「d+i」、「i」、「i+r」、「r」という状態を経ているのかもしれない。ということは普通に高速タイピングしていても思わず修飾キーとして動作されて戸惑う場面が出てしまうかもしれない。
それでもやはりこの同時押しキー空間をほぼ封印しっぱなしにするのは実に惜しいと思うのである。
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知らない女子に声かけられた。
どう形容したらいいのかわかんないけど、美術系の人。
雨が止むのを待ってアイポッドを聞きながらボォーッとしてたんだけど
「なに聞いてるの?」って聞かれた。
人と音楽の話したことないから(詳しい人が周りにいない)いっぱい喋った。
たのしかった。一気に打ち解けた気がした。ついさっき初めて会った人とは思えなかった。
気がついたら一時間半くらい経っていて、向こうがいきなり「一緒にバンドやらない?」って切り出してきた。
僕は聞くだけだから楽器やったことないよ、って断ろうとすると
僕のルックスが音楽にぴったりとか、やったらモテるよとかよくわかんないこと言い出した。
連絡先交換したけど、よくわかんない。漫画みたい。NANAみたいな? 読んだことないけど。
たぶんバンドはやらないと思うけど、いい友達になれたらいいなー。
こういう出会いってどう思いますか?
「はてなブックマークリニューアル記念!お気に入りユーザーを紹介してはてなグッズが当たる“はてなブックマークのノベルティセット欲しい!”キャンペーン開始!【応募締切:12/10(水)】
関連エントリやブクマコメをいくつか見ると、はてな村の住人たちはみんなクネクネと楽しそうで、活き活きしてた。僕は楽器屋さんのショーウインドウに陳列されたトランペットのまぶしい黄金色の光を眺める少年のように、クネクネする村人たちを見て、思わず匿名ではない「はてなダイアリー」に初めてログインした。「初めての方は初期設定が必要です」と書いてあった。僕はそれを見て後ずさりした後、全力ダッシュで脱兎のごとく逃げ出した。
続いて、はてなブックマークに、ログインしてみた。「B」マークをクリックし、ブックマークをしてみようと思った。プルプル手が震える。「このページはまだブックマークされていません」と書いてあった。僕はそれを見て後ずさりした後、またも脱兎のごとく、全力ダッシュで逃げ出した。
どうせ僕なんて、ボコボコに叩かれるんだ。はてなダイアリーとかはてなブックマーク始めたって、狙い撃ちされるだけなんだ。いや狙い撃ちならまだいい。idコールとかで直接なんか言われるかもしれない。恐すぎて、逃げた。
いや、もっと恐いのは、これだけみんなクネクネしているはてな村で、僕にだけ誰も何一つリアクションしてくれないかもしれない。
どっちも恐くて、布団の中でブルブル震えながらこれを書いている。
要は勇気がないんじゃない?というお決まりの文句が脳裏に浮かぶ。二、三度口ずさむ。
要は勇気が、要はゆうきが、ようはゆうきがないんじゃないいいいいいいいいいいぃいぃぃぃぃっぃぃぃ?
株式会社はてなの技術力は京都一ぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいい!!
うん・・・、だいぶ、落ち着いた・・・
もうしばらく増田で慣れてから、また今度、あの村に近づいてみよう。
この人の映画観て感じるすがすがしさ、心地よさってなんなんだろうって考えてたら、共通項があることに気づいた。矢口史靖の映画って「オレもやってみよう」「わたしもやりたい」って思わせるチカラがあるんだ。
ウォーターボーイズの真似してシンクロやってみた高校生って全国にたくさんいそうな希ガスるし、スィングガールズ観て楽器を始めた人も1人や2人じゃないだろう。ひょっとしたらそのままプロになった人だっているかもしれない。
ハッピーフライト観ててオレが感じたのは、ディスパッチャーってゆう仕事のかっこよさ。自分がもっと若ければ、目指そうと思ったかもしれない。もちろん、この映画をきっかけにCAや管制や整備士や操縦士を目指し、実現する人だっているだろう。
同感。俺は音楽に関してはずっと素人でやってきたけど、素人音楽家の中で絶対音感持ってない奴の方が珍しかったもんな。あんなの、単に音を覚えてるかどうかって話だから、大抵の人間は毎日楽器触ってれば身に付くようになるだけだし。
どっちかっていうと、絶対音感に依存しないことが大事だよな。俺は全盛期は基準音が1Hz単位で聞き分けられたけど(ピアノの調律は442Hzにしてくださいとか調律師に頼んでたなあ)、そういうことしてると古楽とかがまともに聴けなくなるんだよね。逆に、いろんな演奏聴くようになってからその辺はかなりどうでもよくなって、そうすると1Hz単位で聞き分ける能力はどこかに行ってしまった。
親父が親しくしてる二従兄弟になる人の祖父が亡くなったとかで親父と一緒に通夜・お葬式に出席。
最後、火葬場で遺体を焼く前に棺おけに近づいて花を入れた。
その場にいた50人くらい?が列になって次々に花を入れていくんだけど、俺は最後から7??8人目くらいだった。
(花を入れた人は隣の遺体を焼く広間に移動するから最後のほうになるとちょっと緊張した)
で、俺の前にいた人が花を入れた後に携帯とデジカメの2つを使ってその祖父の写真を撮ってたんだ。
俺さ、死体の写真って警察の鑑識の人とか仕事でもない限り撮らないものだと思ってたんだけどかなりびっくりして
思わず「何撮ってるんですか」と声に出てしまった。別に理由を知りたかったわけじゃなくて無意識に声出てた。
その人は「最後の記念に・・・」と一言だけのこして広間に移動したんだけど、ああいうのって驚くことでもない
普通のことなのかな。
その後、遺体が焼かれてしまう前に親父と俺はその場を離れて二従兄弟の家の後片付けにまわったんだけど、
どうせなら写真を撮ることについてあの場で他の人に聞いてみるのもよかったのかな。
ちなみに親父は「俺は撮らないね」としか答えてくれなかった。
こんなところで油売ってる暇があったら楽器の練習しろ
普段海外の人といっしょに仕事したり、話す機会でもないかぎり、日本で英語で読み書き話す機会は結構限られてるとおもう。言語とゆーのは、毎日英語に接する時間が多ければ多いほど上達もはやい。ピアノや楽器を弾くのと同じ。練習毎日してれば上達して弾けるようになるし、おろそかにすれば腕が落ちる。
ということで、毎日読み書き話す機会があれば、最初はつらいけどできるようになるよ、とアメリカの大学院留学中の増田が言ってみる。言語って、結局自分の生活に必要なところしか上達しないから、私の場合は自分の専門と世間話以外、結構怪しいときがある。
あと、知ってる単語でも耳が英語用になってないと聞き取れないことは意外にある。だいたい、発音なんて話す人の出身によってばらばらだし。日本人はLとRの発音で苦労する、とよく言われるけど、あれはRとLを聞いてる本人がどっちか認識できないから発音も分けてできないってことです。
で、若いときに海外にいた人のほうが発音はきれいだと思う。話す中身はとりあえず置いておく。あれは、子供のほうが年がら年中恥ずかしがらずに喋ってるだろうし、耳もいいし、耳からはいった情報をきちんと認識して調節して、発音できるからだと思っている。
ちなみに、年とると、耳のなかにある、高い音をひろうセンサーみたいな細胞がはがれていく。これは再生しない。なので、年とってから英語を習うと、子音みたいな高い周波数領域にも音声成分があるよーなやつをちゃんと聞き取って、それを自分の声でトレースするのは結構大変なんじゃなかろうかと推測。ただ、とにかく文法がややまずくても、使いこなせる単語数が少なくても(どうせ難しい単語なんて、きれいに通じるように発音するのは結構難しいんだし)、言いたいことが通じればそれでいいんじゃないかともおもう。中身のほうが大切なので。
天才なんて神が遣わした天上人のことなんてどうでもいい。
いい中学高校に行って現役で7大国立大学とかいい大学に行っていい会社に就職する。
話が上手い。語彙が多い。視点が鋭い。絵が描ける(上手い)。楽器が弾ける。スポーツができる。ゲームが上手い。
その他、自分が欲しくても持っていないものを、周りの人は、例えば現実世界でもインターネット界隈でも、
例えば2ちゃんねるでもここ増田でもその他もろもろ、全てとは言わない、持っていることが多い。
しかしそういう人は得てしてそれを謙遜に構える。
なぜ客観的に異能と言える能力を当然だと言い切ってしまうのか。
それまでの努力の数を知っているからだ。俺はそれで納得がつく。
努力を意識しているかは知らないが、そういう人間は確実に努力している。
京大に現役で入った友人は小学生の頃からちゃんと勉強していた。
俺はどうだ。努力もせずに、100点取ろうが30点取ろうが、
部活でとんでもなく下手だろうが、全て「どうでもいい」に似た感情で片付けていた。
皆が有意義に使ったお金を、俺は全部賽銭箱に放り込んで祈っていただけだ。
今から東大京大を行こうと思っても、それは2010年になっても行けるわけがない。十年はさらに浪人を重ねる必要があるだろう。
今から「蠍火」は弾けるようになるかもしれないが、「幻想即興曲」を弾こうなど無謀の極みだ。
俺がいくら今から頑張ろうと、皆から7000日も開いた努力の差を埋めることなんてできない。
俺は一生誰にも追いつけない。でもそのことを卑屈にも口に出して羨望なんかしてはいけない。
その人にも、その人のしてきた努力にも失礼だからだ。
俺は努力(と才能)の埋めがたい差を妬きながら無様に噛り付くように生きるしかない。
そのはずなのに、それを俺は、ちょうど一年前は、365日で穴埋めしてやろうと意気込んでいやがった。
卑怯にも努力に報いずに横から掠め取ろうとしてやがった。
死にたい。
今まで努力による苦痛を感じなかった分うんと苦しんで死ぬしかない。
できない。
自ら命を絶つ勇気が無い。
自殺できる人たちは、生きることに一生懸命向き合ってきたからこそ
それと表裏一体の死ぬということに臆さない勇気を持っていた。
俺にはその勇気がない。
じゃあどうすればいい。
まず眠りたい。
こんな朝にも近いクソ真夜中にちゃんと眠れないからこんなことを考えてしまう。
眠りたい。
眠った後はそんな嫌な気分もどこかに吹き飛んでしまうだろう。
いつかは眠るように死にたい。
そう思いながら俺は生きて今日も恥を晒す。