http://anond.hatelabo.jp/20090308152436
元増田さんがまだ残ってるかどうかわからないけど、もし居たらぜひこの記事について意見を聞かせて欲しいんだ。
http://slashdot.jp/~TarZ/journal/450116
ちなみにMEIKOというのは初音ミクと同じクリプトンから、初音ミクよりずっと前に売り出されていたボーカロイド。
平沢進氏が自分の楽曲にボーカロイドを使っていたなんて、本人が発言するまではほとんど誰も気付いていなかった。
この事実についてどう思う?
あと、個人的な意見を言うとryoさん(Supercell)はあんまりボーカロイドの調整が美味い方ではないと思う。
(楽曲自体は素晴らしいところがいっぱいあるし、いっそのことこれをキッカケに生身の歌手のための作品を作るプロになってくれたらいいんじゃないかと思ってるけど)
だからryoさんの作品だけでボーカロイドすべての「実力」を見切ったつもりになられると、いちボカロFANとしてはちょっと悔しい。
平沢氏のように、生身の人間とまがうばかりの調整をさせる人もいれば、ボーカロイドならではの特徴を生かして、ボーカロイドでなければ歌い得ない作品を作ってる人もたくさんいる。
(ここで迂闊に紹介するとその作者に迷惑がかかるかもしれないので控えますが)
ボーカロイドというのはまだまだいろんな可能性を秘めた新しい「楽器」なんじゃないか、少なくともその可能性は大きいはずだと思ってる。
まず否定ありき、で入ってきてる人には、その可能性はなかなか気付けないのかもしれないけど……。
もしかして、50年、100年後になってふり返ったら、実は今の私たちは音楽の歴史の大きな転換点に立ってたんだと気付くかもしれないよ?
ただ単にボーカロイドという技術の話じゃなく、プロ、アマチュア、という区別や、著作権というものの在り方そのものもどんどん変わってゆくのかもしれない。
(ニコ動におけるボーカロイドのもう一つの魅力は、ひとつの楽曲があらゆる人にどんどん引用、改変され、名作にはあっというまにアンサーソングが作られたり、たくさんのPVや「歌ってみた」動画が作られてゆくこと。こんなことは今の著作権にがんじがらめに縛られたプロの世界ではなかなかできない。作品レベル云々ではなく、そういった生々しい”躍動感”に惹かれている人も多いはず。本来、「生きた文化」というのはそういうものであったんじゃないか、河原で演じられる大道芸に投げ銭を投じるような、即席で吟じられた和歌に返歌するような、そんな時代がネットによってもう一度復活しようとしてるんじゃないか、とさえ個人的には思っているのですが)
せっかくこんな面白い時代に生まれ合わせたのに、元増田さんみたいに凝り固まってるのは、なんとなく勿体ない気がします、よ?
ミクが元々機械っぽくなりやすいんだよな。だからそれをキャラクター性として逆手にとってる製作者も多い感じがする。聞くほうもそういうキャラなんだと思って聴いてるし。(supercell...
あっ元増田さんがお詫び記事書いてる http://anond.hatelabo.jp/20090312233645 よかったーだいぶ落ち着かれたようで安心しました。投げっぱなしにしていくような人じゃなくて嬉しい。 そんな...