はてなキーワード: ワーキング・プアとは
どれだけ働いても収入が低く生活することが困難な労働者のことをワーキング・プアというそうだが、収入が増えないのは社会のせいだろうか。もちろんその要素もあると思うが私は基本的に努力が足りないのだと思う。
ここでいう努力とは長時間働くことではなくより多くの収入を効率よく稼ぐための努力である。自分はワーキング・プアだと主張する人の話を聞いているとこの努力を怠っている気がする。
貧困から抜け出せない人の最大の問題は人並みに暮らしている人と同じ生活をしようとしていることである。たとえば仕事が終わってから友達と遊びに出かけたりテレビを見たりして余暇を楽しもうとしている。
そんなことをしていては何年たっても貧困から抜け出せないだろう。貧困から本気で抜け出したければ人生の全ての時間を金儲けに費やし何が何でも稼ぐ覚悟が必要である。
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
前から彼らのダイアリーを読んでいて感じていたが、
二人とも低収入なのに人気があったり、
オフ会等で女子からちやほやされたりしていて非常に羨ましい。
服装に気を遣っている様子もある。
二人とも大学は出ているようだ。
ただ、両者とも年収100万円もないような
ワーキング・プアな生活を送っている。
しかし、普段書く文章に「みすぼらしさ」など微塵もなく、
それどころか余裕すらうかがえる気がしてくるから不思議なものだ。
よく分からない思想の話とかが出来て、hokusyuとかポマみたいな
頭の良さそうな人らとも仲が良さそうだ。
コトリコはビジネスジャンプに(原作者として)表彰されている。
両者とも、
普通の人が普通の生活をしていても一生書けそうにないレベルの文章を書いているんだ。
確かに、「はてなの中の蛙」と思う人もいるだろう。
「ネットの中の蛙」でもいい。
でも、自分にはそこにすら届くことがない。
おそらく、彼らは自分の中に確固たる哲学を築いてるんだと思う。
俺はそれが築けていない。
毎日が苦しい。
例外だって存在する。
二人を見ているとそう思う。
貧乏でも文章の力だけで人を魅了するし、
オフ会で女子と会ったり出来る。
ワーキングプアの問題は、給料が低いことではない。と、言うのは俺の解釈、社会的にどうかは知らん。
問題は、誠実に働こうという意思がありながら、技能がそれに追いつかない層が、まずくしくとも幾ばくかの温かみのある生活を構築できなくなっていること。
帰農しようにも、田舎は新世代地主化した農家が農政の庇護の下に土地を抱え込んでおり、帰農する隙間が著しく少ない(ないわけではない。多くの帰農成功者がいるが、ワーキング・プア全層を支えるほどの余力があるか疑問)。
また、大都市以外の地方都市は、それ自身がワーキングプア化しつつあるため、大都市からの流入者を受け入れるどころの騒ぎではない。
一方で、新技術を利用してワーキング・プア層から効率よく絞り取ることばかり考える連中が増えている。
プアであってもかまわないが、プアなりに誠実ならばその日を淡々と暮らしていけるような社会であるべきってのが俺の考え。格差があることは罪じゃないし、むしろ全層に「努力すれば上にいける」程度の格差は常にあるべき。
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649
本人が自分の不努力を棚に上げて「格差・格差」と声高に自分への処遇改善を要求するのは、たとえワーキング・プア(現在は努力しても稼げない立場だがそもそもそのような立場になるような経歴自体が不努力な場合もある)でも間違っているが、親や家庭環境が、そもそも勉強に専念出来る状況になく、高校時代から奨学金を借り、大学卒業時には300万円以上の借金を背負っていて、大学の授業料は当然免除してもらって、尚かつ生活費は自分で稼ぐ為にバイトをしなければいけない状況にある場合がある。その場合、例え真剣に勉強する気があったとしても物理的に不可能であったり、肉体的・精神的ストレスを解消する為に休養が必要であったりして専念出来ずに成績が惨憺たる状態になる場合もある。
「格差」で問題視すべき点は、「格差の遺伝」であって、親が貧乏な場合に子供にチャンスが無くなるような状況だと思う。
親のせいにするのも何だが、どう考えても家賃とは別に毎月15万円の仕送りを貰って、携帯代は親が払ってくれて、教科書などの必要品はおろか車・パソコンなどの半贅沢品まで自由に買ってくれる友人の環境と、それら全てを自分で賄わなければならなかった俺の環境では、成績に差が出ても仕方ないと思わざるを得ない。これが良くない。バイトしなくても生活出来るくらいの福祉がなくては、「格差の遺伝」は阻止し得ない。まして、公立学校の教育が崩壊し、私立学校・塾に行かなければ一流大学には進めない現在では尚のことだ。
追記。
元増田の場合は稀な環境によって恵まれたかもしれないが、そうならない家庭も少なくはないし、仮に国立大までは行けたとして、中での争いに勝てない場合も少なくない。半年毎に10万円以上教科書代がかかったりするうちの学部はその教科書代の捻出だけでも悲鳴を上げていた。しかもアルバイトも当時103万円/年まで。それ以上になると児童扶養が外れて免除が減額され、授業料免除も半額もしくは無効になる。